170 地球
――魔法を司る神アッティエラ。
もとはマルクェクトの善神だったが、始祖エルフであるアルフェシアさんを封印していた件が露見、他の善神たちの追及を逃れて地球へと降った。
地球では折しも悪神モヌゴェヌェスの使徒だった、元〈八咫烏〉司祭レティシア・ルダメイアが現れ、スキルを使って世界の破滅をもくろんでいた。
その策動を防いだのは、他ならぬ美凪さんとサンシロー。そして、陰陽師・安倍賢晴に捕らえられていたアッティエラである。
アッティエラはその後、地球の神となり、魔法という異世界の技術を地球にも普及させたと聞いている。
「ち、ちょっと、どういうことなのよ!?」
女神様がアッティエラに聞く。
「事情を聞く前に、あたしに言うべきことがあるんじゃないか、アトラゼネク。そっちの絶体絶命の危機を救ってやったんだ。それに見合った言葉があってしかるべきなんじゃないのか? あーっはっはっはぁっ!」
「ぐっ……」
女神様の額に青筋が浮かぶ。
(そういえば、アッティエラは女神様を目の敵にしてたんだっけ)
なんでも、魔法スキルの管轄が女神様なのが気に食わないとかなんとか。
女神様が葛藤しているうちに、今度はアルフェシアさんが口を開く。
「待ってください! 魔法神! わたしはあなたがわたしにしたことを忘れていませんよ! あなたこそ、わたしに言うべきことがあるでしょう!」
珍しく、強い語気でアルフェシアさんが言う。
(そりゃそうだ。千年もの間、剥落結界――超多重次元結合結界の中に閉じ込められてたんだからな)
見れば、メルヴィも目を三角にしてアッティエラを睨んでいる。
強気ではあるがいつも朗らかなメルヴィには珍しい表情だ。
メルヴィは千年もの間剥落結界と格闘していたのだから当然だろう。
睨み合う主従とアッティエラ。
そこに、美凪さんが割り込んだ。
「ご事情はわかりませんが、まずは今の状況を説明してくれませんか? のっぴきならない事態だったはずですよ!」
正論である。
だが、
「ふんっ! 説明してやってもいいが、まずはそこの高慢女神から感謝の言葉のひとつもあってしかるべきだろう! アトラゼネクがひざまずいてあたしの足を舐めながら、『お願いですアッティエラ様、あなた様には敵いません。どうかオークよりも愚鈍でゴブリンよりも卑しいこのわたくしめに、今の状況をご説明願えませんでしょうか? あ、ついでにわたしアトラゼネクは以後アッティエラ様の眷属神となって忠実にお仕えします』とでも言ったら、まあ、あたしも鬼じゃない。事情の説明くらいはしてやろう!」
「そ、そんなことできるわけないじゃない! この大変な時につけあがるのもいい加減にしなさい、アッティエラ!」
「そういう態度が高慢だと言ってるんだ! こうなったらアトラゼネクが土下座するまであたしはてこでも動かない!」
「待ちなさい、魔法神! あなたはわたしを正当な理由もなしに封印しました! メルヴィとエドガーがいなかったら今も封印されたままだったでしょう! わたしは千年の間にほとんどの知己を失ったのです! わたしこそ、あなたのことを到底許す気にはなれません!」
あくまでも女神様に感謝を要求するアッティエラ。
温厚なアルフェシアさんも怒り心頭で、いつもの落ち着きを失っている。
今俺たちがいるのは、ビルの高層階のようだ。
1フロアがぶち抜きになっていて、四方がガラスで覆われている。
その先には青空が広がっていた。日本では見たことがないくらい真っ青な空だ。遠くには地平線ではなく水平線。水平線から手前に海を辿ってみると、ヤシの木が定間隔に並んだ白いビーチが広がっている。
明らかに日本じゃない。
俺が外の風景を観察していると、俺の背後から声が上がった。
「エドガー君! あ、あれ!」
声の主はエレミアだった。
振り返ってみる。
エレミアは、後ろ側の窓の外を指さしていた。
その先を追うと、
「な、なんだあれは!?」
思わず声を上げてしまう。
エレミアが指さしていたのは、端的に言えば黒い円だった。
南国の青空が、黒い円に切り取られているのだ。
円の大きさは、太陽の十倍くらいはある。
円周は滲むようにあやふやで、青空とグラデーションをなしてつながっている。
俺たちの反応に、女神様やアルフェシアさん、メルヴィが振り返った。
アスラとサンシローは既に俺たちを同じ方を向いている。
その後ろで、アッティエラがふんぞり返って言った。
「あれが、おまえたちが言うところの、『セカンダリ』とやらの現在の姿だ」
『……どういうことです?』
サンシローが聞く。
「おまえたちの事情は、こっちでも見てたから知っている。悪神の使徒であった杵崎亨は死んだが、そのステータス情報がマルクェクトのシステム上に残存し、時を経て増殖、元の人格を復元するに至った。所詮はコピー……と言いたいところだったが、肉体を持たぬ情報だけの存在だというのがかえって厄介な事態を引き起こした。セカンダリは杵崎の行動原理を純粋なまでになぞっている。コピーとして、オリジナルへの反発を持ちながら、自己を規定する杵崎亨の思考パターンから逃れることができないのだ。奴は、理解困難な思考の果てに、アトラゼネクと悪神モヌゴェヌェスの両者の力を奪い、世界に終焉をもたらそうとしている」
そう説明するアッティエラに、俺が聞く。
「あれがセカンダリだって? そういえば、最後の瞬間、奴は自我をインフレさせるとか言ってたが……」
「その通りなのだ。セカンダリの自我は膨張し、あわやすべてを呑み込むところだった。だが、あたしがいる限り、そうは問屋が卸さない! あたしは膨張するセカンダリの自我を、地球へと半召喚することで、二つの世界の狭間に落とし込んだ! そうすることで、奴の膨張を食い止めたのだ! あーっはっはっはぁっ!」
な、なるほど。威張るだけのことはやってたんだな。
『なぜ、地球にいるあなたが、セカンダリを地球に引き込むような真似をしてまで、われわれを助けてくれたのですか?』
サンシローが質問する。
「セカンダリの膨張がマルクェクトだけで収まる保証なんてないのだ。ひとつの世界をまるまる呑み込めば、奴はさらに力をつける。そうなれば、他の世界をも呑みつくそうとするだろう。その時真っ先に狙われるのは、マルクェクトに隣接していて、杵崎亨の故郷でもあるこの世界なのだ!」
『唇亡びて歯寒し、というわけですね。』
サンシローが、無駄に知性を見せつけながら頷いた。
「それで、あれは放っておいてもいいのか?」
俺が聞くと、
「そんなわけはないのだ! セカンダリは徐々にこの世界を侵蝕しつつあるのだ! 物質世界への回路を手に入れたセカンダリは、世界を自らの一部へと作り変えようとしているのだ! 既にあの黒い円の内部は、セカンダリ=精神=物質とでも呼ぶしかないような、未分化の状態になっているのだ! そして、あの黒い円は徐々に周囲を取り込み大きくなる! やがては世界のすべてがあれに呑み込まれるということなのだ! あーっはっはっはぁっ!」
「いや、笑いごとじゃねえだろ!」
なぜか腕を腰に当てて威張るアッティエラに思わずつっこむ。
だが、状況は呑み込めた。
『そういえば、ここはどこなのです? いえ、調べたらわかりました。ここはオアフ島の北岸ですね。』
サンシローが質問を自己解決する。
「ハワイってことか」
「うむ。いい場所だぞ! 空は明るく海は青い! マギ・セーリングのメッカでもある!」
「マギ・セーリング?」
「魔法を使ったヨット競技のようなものだ! あたしがレイモンドと組んで広めたのだ!」
「レイモンドさんも一緒なんですか?」
美凪さんがアッティエラに聞く。
「……誰のことだ?」
『私の開発主任をしていた、グリンプス社のエンジニアですよ。今はグリンプスではなく、魔法量子工学を専門とする別の企業を経営しているようです。セイメイ&クロウリー社といって、私と美凪がお世話になった陰陽師の安倍氏も共同経営者になっています。』
サンシローにこっそり聞くと、そう教えてくれた。
「レイモンドもカタハルも元気にしてるから、後で会いに行くといい! 二人とも美凪のことを心配していたからな!」
『私のことは?』
サンシローがつっこむが、アッティエラはガハハと笑っただけだった。
「いや、旧交を温めるのは勝手にやってくれればいいんだけど……それより、今はあれの対策だろ」
俺は逸れまくりの話を本題に戻す。
「うむ。そうだったな! だが、あれに対抗するのは至難の業だぞ!」
「あんたの力でどうにかできないのか?」
「いくらあたしが地球の神となって力を増しているとはいっても、アトラゼネクと悪神の力を吸収した存在に対抗するのは難しいのだ! なにせ、奴は善と悪、相反する要素を兼ね備えた存在なのだからな!」
「なんでそんなことが可能だったんだ?」
「それは、奴がもとは情報だけでできた存在だったからだ! 情報というプラットフォームの上では、善と悪は単なる記号的な差異でしかない! 魂のある存在なら、善でありながら同時に悪であることはできないが、情報としてなら可能なのだ! そして、その情報だけの存在だった奴が、形而上の存在を具象化する機能を持つダッスルヴァインによって形而下世界へと引きずり出された! 善と悪とは本来、魂を持つ存在の『生きる』という営みの中で宿るもの! その『生きる』という行為抜きに現実界に具象化してしまった奴は、善悪の二元論を超越した存在なのだ! ゆえに、善神でしかないあたしには、善であり悪でもあるセカンダリを滅ぼすことはできないのだ!」
「……よくわからんが、できないってことはわかったよ」
俺はため息をつく。
「そうだ、魔法工学とやらでどうにかできないのか? こっちの世界では魔法の研究が相当進んだって聞いてるぞ」
「進んだと言っても、まだまだよちよち歩きなのだ! それこそ、あたしが超多重次元結合結界に封じ込めたそこの始祖エルフのような水準には達していないのだ! もちろん、量子コンピューターや核融合発電のような、この世界ならではの分野はあるがな!」
「量子コンピューターも核融合もできるようになったのかよ」
俺とアルフェシアさんも、マルクェクトを相当魔改造してしまったと思っていたが、こっちの世界もたいがいだ。
「こっちの世界の魔法工学でできるのは、マスドライバーを使ってあの黒い円に人を送り込むくらいなのだ。マスドライバーはわかるか?」
「あれだろ、宇宙に向かって物資を射出するでっかいレールみたいな奴」
なお、俺の知識はロボットアニメである。
「うむ。それを使って、おまえたちをあそこに送り込む。できるのはそこまでだ!」
「送り込むって……あんなのに放り込まれたらただじゃ済まないんじゃ?」
「もちろんなのだ。常人があれに接触したら、一瞬にして心身が溶融してドロドロになり、セカンダリの一部として取り込まれるだけなのだ。だが、おまえたちはそうじゃない」
「俺たちが?」
アッティエラが頷いた。
「おまえたちは、マルクェクトでレベルを上げ、スキルやクラスを鍛えている。レベル、スキル、クラスはアトラゼネクによって施された、余剰次元側からの装飾なのだ。その装飾の本質は情報だ。つまり、おまえたちは肉体とはべつにステータスという情報を持っている。それも、マルクェクトの一般人ではありえないほど膨大な量の情報だ。その情報は、セカンダリの物心溶融フィールドに抵抗するための鎧となるのだ」
「なるほど、俺たち――とくに俺は、あの中に入っても平気でいられるってわけか」
「エドガー・キュレベル、おまえは並外れた量のスキルを持っているから平気だ。メルヴィとかいうそこの妖精も、スキルはおまえほどではないが、おまえとのつながりが強いから抵抗は可能だろう。あとは、聖剣〈空間羽握〉を持つエレミアと、あたしのやった選択予見の魔眼に加え、魔剣〈穿嵐〉を持つ美凪。この二人もなんとか耐えられるはずだ。他の連中は無理だな」
「女神様やアルフェシアさんでもダメなのか?」
「アトラゼネクはもはや神とは呼べない存在だ。始祖エルフも駄目だ。始祖エルフが長い寿命を持っているのは、精神が肉体を補っているからなのだが、そのあり方はセカンダリに近い部分がある。接触するのは危険なのだ」
「つまり、俺、メルヴィ、エレミア、美凪さんの四人しか、あそこに突入することはできないと」
「その四人だって危険なのだ。あれに接触して無事でいられる確率は……甘く見積もって三割といったところなのだ」
「さ、三割……」
四人が突入して、それぞれの生存確率が三割なら、全員が生きて帰れる確率は……0.0081。一万分の一以下だ。
「……無事に突入できたとして、それだけでセカンダリをどうにかできるわけではないでしょう?」
女神様が言う。
「その通りなのだ。セカンダリの核となる部分を見つけて、それを破壊する必要があるのだ」
「破壊できるの?」
「あたしの『あれ』を使えばいい」
「ああ……なるほど」
女神様は頷くが、他のメンツにはアッティエラの言っていることがわからない。
「どういうことだ?」
俺が聞くと、
「あたしは何だ?」
アッティエラが逆に聞いてくる。
「何って……神様だろ?」
「何の神様なのか、忘れたのか?」
「魔法を司る神なんだったな」
「そう」
アッティエラがにやりと笑った。
「魔法というのは、べつに神の力じゃない。人間にもともと備わっている力だ。でも、人間は精神が散漫だ。魔法を実用的なレベルで扱える人間は滅多にいない。それこそ、カタハルみたいな陰陽師くらいだな。あまりにも希少な才能を要求するので、師匠が到達した境地を弟子に伝えることすら難しい。だから、魔法は、仮に発見されたとしてもすぐに失伝し、忘れ去られてしまう。それが、この世界で魔法が普及していなかった理由だ」
「マルクェクトの魔法は、魔法スキルを使って、魔法神――つまりアッティエラの用意した魔法レジストリにアクセスし、効果を読み出すことで使うんだったな」
その辺のことは、転生直後から試行錯誤したり、女神様に聞いたりして知っている。
「うむ。よく勉強しているな、エドガー・キュレベル。で、あたしはこの世界に神として君臨するのと同時に、マルクェクト同様の魔法レジストリを整備し、この世界でも魔法が使えるようにした。もっとも、あたしにはスキルシステムを造ることはできない。だからこの世界では、カタハルのような例外を除いて、魔法は専用の量子コンピューターによって発現させる。最初はスパコン並のサイズだったが、最近は急速に小型化して、大きめのスマートフォンくらいのサイズに収まるようになった。巷ではマジックデバイスと呼ばれているのだ」
「へえ……」
面白そうだ。
って、そうじゃなかった。
「それが、セカンダリの物心溶融フィールドとやらにどう関係するんだ?」
「魔法レジストリは、人間が使用することを想定して造られたものだ。でも、あたしは魔法神だからな。研究に研究を重ねて、神が使用するための特別な魔法レジストリを生成することに成功した」
「何のために?」
「とくに理由はないのだ。できそうからだやってみただけなのだ」
アッティエラが肩をすくめる。
「……この果てのない探究心こそ、アッティエラが魔法神であるゆえんなのよ」
と、女神様。
(なんだかアルフェシアさんと似てるな)
性格は真逆だが、根っこにある底なしの探究心はよく似ている。
だからこそ、アッティエラはアルフェシアさんを危ぶみ、封印したのだろうか。
「その神のための魔法レジストリの名前は、《劫火》という。神すら滅ぼす最強の魔法なのだ!」
「最強の魔法……」
なんという中二感。
だが、魔法神アッティエラが神が使うことを想定して作った究極の魔法なのだ。
最強というのは誇張ではない。
「って、そんな魔法があるなら、悪神に使えばよかったんじゃないですか?」
美凪さんが、当然の疑問を口にする。
「神を滅ぼすにはその核となる部分に撃ち込む必要があるのだ。悪神はそんな隙を見せるほど甘くはないのだ」
「そもそも神というのは遍在するものよ。《劫火》の効果範囲内に神やその核が綺麗に収まっている状況を作り出すのは不可能に近いわ」
女神様がそう補足する。
「だが、セカンダリはべつなのだ。セカンダリは、神に極限的に近い存在だが、神ではないのだ。ダッスルヴァインによってセカンダリは神からほんのすこしを取り除いた存在になった。∞-1は∞。セカンダリの力の源泉はそこにあるのだが、その-1の部分があるために、セカンダリには核が必要なのだ。セカンダリの核は、あの黒い円――物心溶融フィールドの中にある!」
「それを《劫火》で灼き払えばいいというわけね」
W女神がそうまとめる。
「つまり、あの円に突っ込んで、核とやらを《劫火》で潰す、と。
……いや、ちょっと待てよ。《劫火》は神にしか使えない魔法なんじゃなかったのか?」
「うむ。本来なら神にしか扱えない魔法なのだ。だが、おまえはアトラゼネクに気に入られて神族にされている。エドガー・キュレベル。おまえなら《劫火》が使えるはずだ」
そういやあったな、そんな設定。
女神様が俺を将来昇天させるためにしれっと押し付けてきた種族だな。
「ただし、《劫火》は、使い切り型の魔法なのだ。必ず、一発で決めるのだ。普通の魔法は魔法レジストリから魔法の原型を読み出して具現化するのだが、《劫火》は魔法レジストリに記録された原型そのものを発現させる」
「……どう違うんだ?」
「普通の魔法は、たい焼き焼き器で作ったたい焼きで敵をぶん殴るようなものなのだ。《劫火》は違う。たい焼きではなく、たい焼きを作るためのたい焼き焼き器の方で敵をぶん殴るのだ。それも、たい焼き焼き器がぶっ壊れるくらいの威力で思いっきり叩きつける! 存在という概念自体をぶっ壊す究極の攻撃魔法なのだ! 神ですら、これを食らったら滅するしかない! セカンダリごとき、一発で消し飛ばせるはずなのだ! あーっはっはっはぁっ!」
高笑いするアッティエラ。
しかし、威張るだけのことはある。
成功率に問題があるとはいえ、セカンダリを倒すための道筋を付けてくれたのだから。
女神様が言った。
「この魔法こそが、魔法神アッティエラが他の神から一目置かれている理由なのよ。……でも、いいの? これを手放してしまって」
「目の上のたんこぶだったアトラゼネクが堕天した上、あたしは一世界の主神になったのだ! 《劫火》がなくてもアトラゼネクくらいワンパンなのだ!」
「……ぐっ。たしかにその通りではあるのよね」
「ん? んっ? ようやくアトラゼネクにもあたしの偉大さがわかったのか? なんなら、あたしの力を分けてやろうか? アトラゼネクがあたしの眷属神になるなら、だけどな! あーっはっはっは!」
激しく調子に乗ってるな。
こんなのが主神で大丈夫か、地球。
「……あの、その場合、ボクたちの役割は? 《劫火》はエドガー君しか使えないんでしょう?」
エレミアがおずおずと聞いた。
「物心溶融フィールドは、セカンダリの自我そのものなのだ! そこに突入する異物が多ければ、その分だけ向こうに負荷をかけることができるのだ! セカンダリの自我を分裂させ、その裂け目から奴の核を露出させる! 露出した核を《劫火》で灼き払う! さすればセカンダリといえど宇宙の藻屑に成り果てる! どうだ、完璧な作戦だろう!」
「……突入の成功率が低いことを除けば、ですけどね」
美凪さんが顎に指を添えながら言った。
その美凪さんに、アッティエラが言う。
「その点は、おまえたち次第なのだ」
「どういうことですか?」
「レベルやスキルといったアトラゼネクからの装飾情報と、聖剣・魔剣。それらが大事なことは事実だが、物心溶融フィールドに抗うのに必要なのは強い意志なのだ。自分自身をしっかり持つことができるかどうか。最終的には、インフレーションした殺人鬼のエゴに呑み込まれないだけの意志と精神力が決め手になるのだ」
「意志と精神力……」
「いうなれば、覚悟の問題なのだ。セカンダリは、元が情報だけに、自らの信念を疑うことなく信じているのだ。肉体がないから、不安や恐怖、後悔などの感情に心を乱されることがないのだ。その冷徹で機械的な論理に、揺れ幅のある人間の心で対抗できるかどうか。あたしが三割といったのはそのことなのだ」
アッティエラの言葉に、俺たちは黙り込む。
「覚悟のない者が突入しても、間違いなく生きて帰れないのだ。覚悟のある者が突入しても、冷徹な論理の刃に抗えるだけの覚悟がなければ、やはり生きて帰れないのだ。覚悟のない者は不要なばかりか、セカンダリに取り込まれて敵に力を与える結果にもなりかねない。エドガー・キュレベルには覚悟してもらうしかないが、他の者はよく考えてから、自分の意志で決めるのだ。世界が滅ぶから仕方なく行くというような曖昧な気持ちではかえって迷惑なのだ。未来を掴み取る意志のない者は、おとなしく他の者に任せ、祈りながらここで待つべきなのだ」
アッティエラの顔は、いつの間にか真剣極まりないものになっていた。
アッティエラが、メルヴィを、エレミアを、美凪さんをじっと見る。
十歳の幼女にしか見えないはずのアッティエラの瞳に、彼女たちがたじろいだ。
「……急な話だということはわかっているのだ。もうしばらく時間はある。数日の間は、物心溶融フィールドの侵蝕を抑えてみせるのだ。その間に考え、話し合い、覚悟を決めてほしい。でも、本当は覚悟ができていないのに、できているふりをするのだけはやめてほしいのだ。それは、他の者の覚悟を汚す結果を生むのだ」
アッティエラが言葉を切る。
「とはいえ、しゃちほこばっていてばかりでは疲れるのだ。決戦の前に、骨休みも必要なのだ。さいわい、この島には最先端の魔法工学を駆使したこの世界最高級のレジャー施設があるのだ。よく遊び、よく食べて、よく寝るのだ。意中の相手と語らい、気持ちを通わせるのだ。後悔のないよう、全力でリフレッシュしてから、覚悟のほどを聞かせてもらう」
『最後のバカンス、というわけですね。』
「うむ。気の利いたことを言うな、機械。そうそう、おまえも型落ちになってるから、レイモンドに言ってバージョンアップしてもらうといい。物心溶融フィールドには入れないが、露払いくらいはできるようになるぞ」
『ほう。それは楽しみです。』
というわけで、俺たちは地球――ハワイで、最終決戦前の最後の休暇を取ることになった。




