166 世界樹
所変わって竜ヶ峰。
『ずいぶんと大事になっているのだな。了解した。世界樹の麓に人が寄り付かぬよう見張っていればよいのだな?』
リリアの母である火竜アグニアは、俺たちの説明を、いつも通りの物分りのよさですぐに呑み込んでくれた。
さすがに、女神様がいることには驚いていたが。
「ああ。一応、ミスランディアの要人にも頼んで、竜ヶ峰への立ち入りを禁止してもらう手はずになってるけど、悪神勢力が何か仕掛けてくるかもしれないからな」
この十年で悪神の使徒も狩り尽くした感があるが、残党がいないとは言い切れない。
大陸の西のエルフエレメンタリストのことも気がかりだ。
「それで、女神様。俊哉を世界樹にするにはどうしたらいいんだ?」
と、女神様に聞く。
「そうね。メルヴィさん、虹サボテンを出してくれる?」
「はい」
メルヴィが次元収納からトゥシャーラヴァティを取り出した。
俺が十六年前に造った鉢植えに、十六年前と変わらないベビーサイズの虹サボテンが植わっている。
「鉢から出して、地面に置いてちょうだい。広い場所がいいわね」
『ならば、もう少し向こうに、開けていて地盤の確かな場所がある』
アグニアの案内で、俺たちはその場所に行き、その真中に鉢植えから取り出した虹サボテンを置く。
虹サボテンのそばには女神様とメルヴィが残り、俺を含む他のメンバーはトゥシャーラヴァティから距離を取った。
女神様が、俊哉に手をかざして言う。
「世界樹の末裔よ。われ、アトラゼネクの名において、汝にかけられし制約を解除する。……これでいいはずよ。あとはメルヴィさんから頼んでみて」
「は、はい。ええと、トゥシャーラヴァティちゃん、世界樹になってくれる?」
メルヴィの言葉に、虹サボテンが虹色に輝く。
サイケデリックな光が俊哉を包み、その中で俊哉のシルエットが大きくなっていく。
そして、
「うわっ!」
「きゃあ!」
俊哉が、すさまじい勢いで天に向かって伸びていく。
途中でいくつもL字型、逆L字型の腕を分岐させながら、サボテンは虹色に明滅しながらまっすぐに宇宙を目指す。
これといって音がしないせいで、途方もない非現実感があった。
「順調ね。数時刻もすれば、樹冠がラグランジュポイントに到達すると思うわ」
女神様が言った。
「まるでジャックの豆の木ですね」
と言ったのは美凪さん。
『軌道エレベーターの建設は、張力に耐えられる素材がないことで不可能と言われていましたが、このような解決法があるとは思いませんでした。』
サンシローがそう感想を漏らす。
「時間があるようでしたら、戦力の調整をしておきましょうか」
アルフェシアさんが言った。
「ミナギさんとサンシローには、この腕輪を」
アルフェシアさんが一人と一機に腕輪を渡す。
つるつるした乳白色の腕輪だ。
「これは?」
「物理・魔法両用のバリア発生装置です。宇宙船の装置を流用して造っておきました」
美凪さんが腕輪をはめる。
サンシローは……サイズが合わないな。アルフェシアさんが魔法で調整をかけ、サンシローのアームにしっかりと固定する。
「どう使うんですか?」
「それらしく念じてくれれば起動するようになってます」
「それらしく……」
美凪さんが目をつむって何かを念じる。
美凪さんの周囲に不可視のバリアが展開したのがわかった。
『念じる……とは?』
「サンシローには難しいと思って、ボタン式になってます。この2点を同時に押し込んでください」
『こうですか?』
うん。サンシローも問題なしだな。
「たいていの攻撃はこれで防げますし、万一宇宙空間に放り出されるようなことになっても、内部の空気がなくならない限りは生きていられます」
「そうですか。お気遣い、ありがとうございます」
「いえいえ」
礼を言う美凪さんに、アルフェシアさんがにっこり笑顔で手を振った。
「美凪さんはまだステータスが低いからな。気になってはいたんだ」
俺の言葉に、美凪さんが小首を傾げる。
「ステータス……ですか?」
そういえばまだ話してなかったか。
俺は美凪さんのステータスを見、それをノートに書き出した。
《
片瀬美凪
レベル 11
HP 29/29
MP 2033/2033(33+2000)
・達人級
【火精魔法】2
【弱点看破】2
【見切り】2
【剣術】1
【メンタルタフネス】1
【異常察知】1
【気配察知】1
・汎用
【剣技】6
【火魔法】5
【魔力感知】3
【暗殺技】3
【地魔法】2
【忍び足】2
【風魔法】2
【聞き耳】2
【夜目】2
【光魔法】1
【同時発動】1
《善神の加護+1》(魔法を司る神アッティエラの加護。魔法関連スキルの習得・成長に中補正。膨大なMPがアッドされる。)
》
「これが美凪さんのステータスだよ」
「こんなものがあったんですか。本当にRPGみたいですね」
美凪さんが感心する。
「これって弱いんですか?」
「……なんとも言えないな。レベルはまだ低いけど、異様にスキルが充実してる。達人級のスキルはたいてい下位の汎用スキルをカンストさせて手に入れることが多いんだけど、美凪さんはいきなりいくつもの達人級スキルを手に入れてるし。アッティエラの加護と選択予見の魔眼のせいだろう」
【弱点看破】なんてかなりのレアスキルで、俺は入手までに何年もかかっている。
おそらく、選択予見の魔眼と魔剣〈穿嵐〉を組み合わせて使っていたことで、自然とスキルの習得が促されたんだろうな。
では、今の美凪さんはどのくらい強いのか。
具体的に比較してみよう。出会ったばかりの頃のエレミアと戦ったら勝ててしまうんじゃないかというくらいには強いと思う。だが、〈八咫烏〉の首領だったガゼイン・ミュンツァーには勝てないだろう。
つまり、常識的なレベルで考えるなら、十分に強い。冒険者をやるならすぐに高ランクになれるだろう。しかも、魔法も剣も使えるスキル構成で、魔眼と魔剣まで持っている。
「さすがとしか言いようがないんだけど……相手が神に等しい存在となると不安だな」
もっとも、それを言ったら俺ですら十分な力があるとは言えなくなる。
「せめてHPがもう少しあればいいんだが」
「それくらいなら、なんとかできるわよ?」
女神様が言った。
「そうね、とりあえずHPのアッドが100もあればいいかしら。それ以上は、今の力では難しいわ」
女神様が目をつむって集中する。
直後、美凪さんの身体を淡い光が包んだ。
ステータスを覗いてみると、
《
片瀬美凪
レベル 11
HP 129/129(29+100)
MP 2033/2033(33+2000)
(中略)
《善神の加護+1》
《善神の祝福》(魂と輪廻を司る神アトラゼネクの祝福。HPにアッドがつき、即死する攻撃を一度だけHP1で耐えることができる。上記恩恵を行使した場合、この祝福は消滅する。)
》
となっていた。
「うーん……もう少しおまけできると思ったんだけど、これが限界みたいね」
女神様が眉根を寄せて言った。
「いや、十分だよ」
俺はそう言って、ステータスの変化を美凪さんに教える。
「ありがとうございます、女神様」
美凪さんが女神様に頭を下げる。
「いいのよ。あなたは活躍してくれているのだから」
女神様が手を振りながら言った。
「ところで、皆さんはどのくらいお強いのですか?」
美凪さんが聞いてくる。
「そういうことなら、模擬戦をしよう!」
エレミアが、びしっと手を上げて言った。
俺はエレミアを半眼で睨んで言う。
「……そんなこと言って、美凪さんをしごいてやろうとか思ってるんじゃないか?」
「お、思ッテナイヨー、本当ダヨー」
エレミアがきょどった。
そこで、美凪さんが言う。
「模擬戦、やりたいです」
「えっ……本気か?」
「はい。たぶん実力差があるんだと思いますけど、それも含めて実感として把握しておきたいんです」
もっともな話ではある。
美凪さんはこの世界に来て日が浅い。この世界の戦いを、まだ十分に知っているとは言いがたい。
「じゃあ、俺とやるか?」
「加木さんと対戦……」
美凪さんが、なぜかうっとりとする。
それを見たエレミアが、
「エドガー君の相手をするのはまだ早いよ! そういうのはボクを倒してから言ってもらおう!」
「……そうですね。では、エレミアさんにお願いします」
「お、おい。いいのか?」
「あまり手加減されても勉強になりませんので」
痛くなくては覚えませぬみたいなことを言う美凪さん。
なんとも真面目だ。この強さに対するひたむきさこそ、美凪さんの最大の武器なのかもしれない。
「けちょんけちょんに叩きのめすつもりでやってください」
「言ったね? 言っちゃったね!? エドガー君に敵わないからって、ボクが弱いと思ったら大間違いだよ?」
エレミアが鼻息荒くそう言った。
「エレミア、銃と魔法は禁止な。武器もなし。【暗殺術】などの即死攻撃も禁止。美凪さんを行動不能にしたら勝ちってことで。美凪さんはエレミアに対して一切手加減する必要はないから。殺す気でやるくらいでいいよ」
「ぶーっ、つまんない!」
「なんかおまえ、最近言動が幼くなってないか? アスラの性格がうつったのかな……」
「アスラ、幼くないよー!」
アスラにも怒られてしまった。
「あ、あの……そこまで差があるのですか?」
美凪さんがやや緊張した顔で聞いてきた。
「手加減なしでやったら、0.1秒後には美凪さんは殺されてるってくらいの差はあるよ」
「うっ……大変なことをお願いしてしまったのかも」
美凪さんは、そう言いながらも、エレミアと向かい合わせに立つ。
二人の間は二十メートルくらい。これくらいは開けないと、やはり一瞬で終わってしまう。エレミア、手加減とかしなさそうだし。
「位置についたな? じゃあ、よーい、はじめ!」
俺の合図とともに、エレミアの姿が掻き消えた。
「ど、どうにもなりませんでした……」
美凪さんががっくりと膝をついてそう言った。
「ふふん。エドガー君に挑むのは百億兆年早いってことがわかった?」
と、エレミアがふんぞり返る。
「加木さんはこれに勝てるんですか?」
「よほど変わったルールにしない限り、ボクに勝ち目はほとんどないよ?」
なぜかエレミアが胸を張る。
「わたし、調子に乗ってたのかもしれません……」
美凪さんが、珍しく弱音を吐く。
「そんなことはないさ。ステータスの差を考えれば、よく食い下がってたと思うよ」
実際、美凪さんはエレミアの容赦のない攻めを何度かは見切り、反撃を加えるところまで行っていた。もっとも、その反撃もたやすく避けられたばかりか、強烈なカウンターを食らうことになっていたのだが。
「まさか魔眼でも勝てる未来がひとつも見えないとは思いませんでした」
「格ゲーで言うなら、キャラ差がありすぎるんだよ。9.9:0.1くらいかな」
小パン一発でガードの上から体力を十割削られるような状況では、いくら格ゲーのディフェンディングチャンピオンでもどうしようもないだろう。加えて、エレミアは戦闘のセンスにも優れている。キャラ差が五分だったとしてもそう簡単には負けないはずだ。
俺は、次元収納から、自作した屋外用ポータブルシャワールームを取り出す。
「美凪さん、よかったら汗を流すといい」
「は、はぁ……こんなものまであるんですね」
「この世界は日本に比べたら不便だからな。この17年で身の回りのものもいろいろ造ったんだよ」
「そうですか……苦労されたんですね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
美凪さんがよろよろとシャワールームに入っていく。
俺は世界樹に成長中の俊哉を見る。
虹サボテンの根本は緑色に戻ったが、上空を見上げると虹色の光が遠くに見える。
「トゥシャーラヴァティちゃん、あとどのくらい?」
メルヴィが聞く。
俊哉が気持ち、瞬いたような気がした。
「ふぅん。周りが真っ暗になってきたって」
メルヴィはどういうわけか、俊哉の想いがわかるらしい。【念話】とも違うようだし、謎だとしか言いようがない。
「じゃあ、飯でも食いながら待つか」
焦ってもしかたないしな。
俺たちはバーベキューをやりながら、世界樹が宇宙に達するのを待つことにした。