155 美凪の研究
「――《ウォータースプラッシュ》! 《サンダーボルト》! 《エアロスラスト》!」
ゴブリンの群れを水流で押し流し、雷を撃ち込む。
そして、感電して動けなくなったゴブリンたちの首を風の刃で刈り取った。
「ふぅ……」
わたしは構えていた杖を下ろす。
魔導師パンタロンの隠し部屋で魔剣〈穿嵐〉を手に入れ、十分な休息を取った後。
わたしは魔法と魔剣の使い方を研究しながら、ダンジョン・地を天と仰ぐ塔を進んできた。
体感で4日ほどが過ぎ、わたしはようやく、最初の部屋から見て十層下の階層へと足を踏み入れていた。
「魔法文字とイメージ、場合によってはちょっとした詠唱をつける……か。だいぶわかってきたわね」
実際、この世界の魔法については、この4日間で多くのことがわかっている。
いちばん大事なのは、この世界の魔法は文字を引き金として発動するということだ。
この文字は、効果と1対1のセットになっている。
魔法を使おうとする者は、この効果をイメージしながら文字を書く。
正しい文字を書くと、術者の身体から魔力が抜け出し、魔法の効果が発現する。
複数の文字を組み合わせて魔法の効果を変化させることもできる。
が、文字が増えるごとに制御は格段に難しくなる。現状、かろうじて3文字で発動できるかどうかといったところだ。安全を考えれば、実戦では2文字までに留めておくべきだろう。
とはいえ、2文字を組み合わせるだけでも、魔法のバリエーションはかなり増える。
今ゴブリンの群れを片付けるのに使った魔法も、すべて2文字で発動したものだ。
「あの日記を手に入れられたのはよかったわ」
魔剣のあった隠し部屋には、パンタロンの日記のような本が残されていた。
当然、わたしには、この世界の言語で記された本を読むことはできない。
しかし、この世界の言語が、アルファベットのような表音文字らしいことくらいはわかる。
さらに、そのなかにわたしが発見した火の魔法文字「卜」が含まれていることにもすぐに気づいた。
だとすれば、後は簡単だ。
「この世界の文字=魔法文字なんじゃないか。当てずっぽうだったけど、大当たりだったわね」
字形さえわかってしまえばこっちのものだ。
わたしはこの世界の文字を片っ端から試し、魔法が発動できないか研究した。
アッティエラからもらった選択予見の魔眼のおかげもあって、たいていの文字の効果は既に確定できている。
あとはそれをいかに組み合わせるかの問題だった。
「イメージと文字を対応させるのが厄介だったけど、慣れてしまえば難しくはないかな」
他には、難しいイメージで魔法を使う時は、それらしい詠唱文を口ずさむと発動が楽になる……などだろうか。
「この杖が、魔法を使うのをかなりスムーズにしてくれてるってこともわかったし」
わたしは途中で気づいていた。
杖を手にして魔法を使うと、素手の時より格段に集中がやりやすい。
最初の部屋から持ちだした杖には、やはり意味があったのだ。
この杖が特別なのか、この世界では杖とはそういうものなのかはわからないが。
わたしは今、左手に杖を、右手に魔剣〈穿嵐〉を持っている。
かさばりはするが、〈穿嵐〉は羽毛のように軽いので、重すぎて片手では持てないということはない。
「魔剣も、想像以上にすごいものだったみたいだし」
そこで、通路の奥から魔物が現れた。
でっぷりと太った、イノシシの頭と人間の身体を持つ魔物だ。
名前なんて知らないので、わたしは勝手に豚男と呼んでいる。
豚男は意外と動きが俊敏だ。
あっという間にわたしに迫ってくる。
が、
「ふっ!」
わたしは大きく数歩飛びすさる。
身体が軽くなっていることに気がついたのは、隠し部屋で休息を取り、探索を再開してすぐのことだった。
疲れにくくなってるし、全体的に身体能力が上がっているような気がした。
わたしはすぐに、選択肢にあった「成長眠」という言葉を思い出した。
隠し部屋で休息している間に「成長眠」とやらが起こり、わたしの身体が「成長」したのだろう。
「成長眠」という言葉を聞いてゲームのレベルアップを連想したのは、あながち間違いでもなかったのだ。
豚男が一瞬わたしのことを見失う。
わたしはその間に杖の先で魔法文字を書き終えている。
Ω ル
イメージするのは岩でできたトラバサミ。
「《ストーンバイト》!」
わたしの身体から魔力が抜ける。
豚男の足元の地面が脈を打つ。
ダンジョンの石床は、鋭利な岩の顎と化し、豚男の足に噛みついた。
ギャアアアアッ!
豚男が悲鳴を上げる。
わたしは右手の〈穿嵐〉を身体に引きつけながら前に出る。
一瞬で、豚男の目の前にいる。
〈穿嵐〉がかすかに震えた。
わたしは魔剣に導かれるままに、〈穿嵐〉を豚男の胸に突き立てた。
ギャッ……
今度の悲鳴は短かった。
豚男が力を失い、その場にぐたりと倒れこむ。
確認しなくても感覚でわかる。
豚男は既に事切れているのだ。
「〈穿嵐〉……嵐を穿つもの、か」
魔剣〈穿嵐〉は嵐を穿つ。
この場合の「嵐」は、多分に比喩的な意味を含むらしい。
たとえば、生命の流れ。血液の循環によって成り立つ生命は、ひとつの嵐と見ることができる。
その嵐を、〈穿嵐〉は的確に突き殺す。
この魔剣は、嵐の中の一点を貫くことで、嵐を嵐たらしめている流れを断ち切ってしまうのだ。
断ち切れるのは命に限らない。
試しに、魔法でつむじ風を生んでみて、魔剣の示す一点を突いてみた。つむじ風は、たちどころにそよ風へと変わっていた。
また、桶の中の水をかき回して渦を作り、その渦に〈穿嵐〉を突き立てる。渦は、一瞬にして静かな水面へと変化する。
「でたらめよね……」
呆れるしかない。
「でも、重宝するのはたしかかな」
わたしは女だ。
ジムに通ったりはしていたが、重たい剣を振り回すのはちょっとつらい。
その意味では、羽毛のように軽く、かつ一撃必殺の威力を持つ〈穿嵐〉は、とてもありがたい武器だった。
基本は遠距離で魔法。
硬い相手には魔法で足止めして〈穿嵐〉で突く。
この戦いかたで、わたしはほとんどの魔物を難なく狩れるようになっていた。
狩る。
その言葉の通り、戦闘スタイルを確立してからは、実に危なげなく魔物を倒すことができている。
道中で何度か成長眠を行ったことで、わたしは最初とは比べものにならないくらい強くなっていた。
そして、いよいよその時がやって来た。
「やっとね」
魔眼の選択肢で、目的地が近いことがわかった。
もう、すぐそこにある角の向こうだ。
ただ、
「選択肢が……?」
選択肢1:精霊核の安置されている部屋にたどり着く。安堵のあまり警戒を怠って部屋に入ると、そこにいたエルフの集団に襲われる。魔法で数人を倒すが、木砲の斉射によって殺される
選択肢2:精霊核の安置されている部屋にたどり着く。安堵するが、警戒を怠らず、部屋の様子を伺うことにする
言うまでもなく、選択肢1は真っ暗。選択肢2が明るくなっている。
「エルフ……木砲?」
エルフというのは、ファンタジーによく登場する長命の美形種族だろうか。どちらかといえば善玉の印象があるが、この先にいる「エルフ」はそうではないらしい。
木砲というのは……木で造られた鉄砲?
「最後まで楽をさせてくれないわね」
ぼやきながら、わたしは曲がり角の前で壁に身体を寄せる。
そのまま、角の向こうの気配をうかがう。
もう4日もダンジョンで魔物の気配をうかがってきた。途中から、視覚でも聴覚でもない感覚で、生物の気配を察知できるようになっている。……いや、これについても不審な点はあるが、魔眼では調べきれなかったので後にしよう。
曲がり角の先には、すこし通路が続いて、そのさらに奥にちょっとした広間がある。音の響きや空気の流れから、そのくらいのことはわかるようになっていた。
その広間に、数人の気配がある。
気配はこっちを向いていない。部屋の奥のほうを向いている。より正確にいえば、
(部屋の奥にある「何か」を見ている?)
声も聞こえてくる。
……が、わたしにこの世界の言葉はわからない。
(意味は取れないけど……なんだか変な感じね?)
交される言葉には、奇妙な熱があった。
数人の気配はどれも意気込んでいるようだ。
結束の固い部活動みたいな……
(ううん、もっと熱狂的な感じ。質の悪い自己啓発セミナーとかがこんな感じかも)
気配はどれも奥にあるものに夢中になっている。
わたしは思い切って角から身を乗り出す。
見えた。
人影はどれも緑の布を身にまとっている。
手には、ライフル銃のようなもの。銃身は木製のようだから、あれが選択肢にあった木砲だろう。
彼らの手元から頭へと視線を上げる。
(あの耳……本当にエルフなのね)
彼らは、例外なく尖った耳を持っていた。
(うーん……緑の布をまとったエルフが、ライフル銃を持ってる……? どういう状況よ?)
わたしは内心で首を傾げつつ、エルフたちの見つめているものに目をやる。
(でかっ)
そこには、大きな茶褐色のクリスタルが浮かんでいた。
直径4メートルはあるクリスタルは、その周囲を岩の外殻で覆われている。
(あれが……精霊核とやらかな?)
わたしが探しに来たのは「精霊核のかけら」だ。
あれはかけらというには大きすぎる。
だとすれば、あれが「精霊核」なのだろう。
わたしはその周囲の地面を見る。
(……かけらなんて見当たらないけど?)
精霊核の周囲に、かけららしきものが見当たらない。
……それにしても、わたしはこんなに視力がよかっただろうか。そりゃ、もともと1.0はあったけど、今、なんか視界にズームがかかったよね? 気配が読めるようになったことといい、この世界には魔法以外にも何か特殊な法則がありそうだ。
それはさておき。
エルフたちは、精霊核(暫定)を見ながら熱心に語り合っている。
どの顔も真剣だ。
真剣すぎて、どこか危ういものを感じさせる。
やがてひとりが、精霊核の前に立つ。
エルフたちが、何やら呪文のようなものを唱え始める。
その言葉は聞き取れない……いや。
「えっ……」
わたしは思わず声を漏らし、あわてて口を手で塞いだ。
それからもう一度エルフたちの声に集中する。
「ギセイ……アガナイ……アクマ……」
(日本語!?)
エルフたちの言葉に、片言の日本語が混ざっている。
聞き間違いじゃないかと思って聞き直しても、やはりそうとしか聞こえない。
(犠牲、贖い、悪魔? 悪魔でも呼びだそうっていうのかしら?)
皮肉っぽくそう思い、自分の言葉にどきりとする。
そうだ。異世界なんてものがあるなら、悪魔がいたっておかしくない。
しかし、悪魔がいたところで、その召喚を日本語で行っているというのはよくわからない。
(待って。悪魔といえば、あいつじゃない!)
16年前にわたしを殺そうとした通り魔・杵崎亨。
天才外科医として名を馳せる傍ら、杵崎は悪魔崇拝の黒魔術を行っていたとされる。
(そういえば……)
杵崎の家から発見されたという、通称「杵崎ノート」なるものがある。
杵崎が妄想した異世界の言語で書かれているというそのノートは、言語学的に解読できることで話題になった。他でもない、サンシロー――人工知能インチューイション3もまた、杵崎ノートを分析して、その内容を「真」だと判定している。
杵崎ノートは、テレビでも放映されていた。
通り魔事件の被害者であるわたしは、興味本位の番組があるたびにチャンネルを変えていたが、ちらりと見たことはあったはずだ。
(杵崎ノートに書かれてた文字は、どんな文字だった?)
はっきりとは覚えていないが――ひょっとして、この世界の文字とよく似ていなかったか?
わたしが悩む間に、エルフたちは立ち位置を変えていた。