149 過去からの追っ手
ジジさんたちと別れてから半日が経った頃のことだ。
日が沈みかけた街道を、ボクとアスラは足早に進んでいた。
ボクとアスラが同時に足を止める。
「……ねぇ、アスラ」
「うん、気づいてるよ、おねーちゃん」
ボクとアスラがささやきあう。
「野盗のたぐい……じゃないね」
「魔物でもないよー」
進行方向に、待ち受けている者の気配がするのだ。
それも……かなりの手練だ。
気配がたくみに隠蔽されている。
これを看破できるのは、キュレベルファミリー以外では、それこそ〈八咫烏〉の首領だったガゼイン・ミュンツァーくらいしか思いつかない。
ただ、
「〈八咫烏〉とは違うね」
前方に潜んでいる者の気配の殺し方は、御使いのそれとは異なっている。
御使いは積み重ねた修練によって肉体の発する気配を殺す。
一方、この先にいる者は、魔的な何かによって自分の正体を覆い隠している。
そんな感じだ。
それから、
「むこうはもう気づいてるねー」
アスラの言う通り、向こうは既にこちらを捕捉している。
ごくかすかに漂う気配から察するに、向こうの目的は――ボク、のようだ。
ボクは気配へと近づき、声を上げる。
「――出てきたら? そんな粗末な気配の殺し方じゃバレバレだよ」
ボクの言葉に、潜んでいる者たちからわずかに動揺の気配が漏れた。
わずかで済んでいるあたり、やはり相当に練度が高い。
潜んでいた者のひとりが、木立から姿を現した。
陰の中から滲み出るように現れるそのさまは、気の弱い者なら悲鳴を上げて逃げ出しているだろう。
現れたのは黒いローブを目深にかぶった人物だ。
(ひとりだけ?)
ああ、残りはバレてないと思ってるのか。
気配にあえて濃淡をつけておくことで、万一相手に見破られても伏兵を残しておくことができる……と。
(なかなか考えてるもんだね)
ボクが納得している間に、現れた男が口を開く。
「ほう……想像以上に腕を上げたようだな、〈昏き森の巫女〉よ」
「っ!?」
男の言葉に、ボクは驚いた。
〈昏き森の巫女〉。
それは、ボクがとっくの昔に捨て去った二つ名だ。
ボクは、〈八咫烏〉に誘拐され、エドガー君と出会う前に、「昏き森」と呼ばれるダークエルフの集落にいた。そこでのボクの呼び名が〈昏き森の巫女〉だった。
ボクは集落に伝わる教え通りに育てられ、「くらやみ様」の巫女となることが決められていた。
厳しい修行に耐えかねて逃げ出したボクは、〈八咫烏〉に捕まった。
そして今度は暗殺者としての修行をさせられるハメになったのだから笑えない。
(ボクは……誰かのあやつり人形じゃない!)
人に操られることしか知らなかったボクを助けてくれたのはエドガー君だ。
自分の頭で考えろ。
エドガー君はくりかえしそう言った。
最初はなんでそんな酷いことを言うのかと思ったが、ある時を境に気づくことができた。
ボクは利用されている。
自分で考えないから、自分で考える悪人に利用されてしまっているのだと。
悔しかった。
歯がゆかった。
恥ずかしかった。
いろんな感情を乗り越えて、ボクはようやくまともになれた。
少なくとも、もう夜中に飛び起きてひとりで静かに怒ったり、泣いたりする必要はなくなった。
それもこれもエドガー君のおかげだ。
だから、ボクはエドガー君のために一生を捧げたい。
それが『重い』と言われても、ボクにはどうしようもない。
ボクは自分の感情の奴隷だ。
エドガー君が好きで好きでたまらないという感情の。
「……まさか、昏き森の人なの?」
ローブの男がうなずいた。
目元はフードで隠れているが、鼻から下の形や肌の色を見れば、ダークエルフであることはあきらかだ。
「ついてきてもらおう、巫女よ」
男が言った。
自分の言うことを疑ってもいない、傲慢な物言い。
「お断りだ」
「……なんだと?」
「断わる、と言ったんだ。ボクはもう、〈昏き森の巫女〉じゃない」
「いいや、おまえはついてくる」
男の言葉とともに、鈴の鳴るような音がした。
いや、その音はずっと鳴っていたようだ。
いつのまに鳴り出していたのか、まったく気づけなかった。
その鈴の音を聞いていると、ボクの頭に激痛が走った。
「さあ、来い……巫女よ。遊びは終わりだ。おまえは我らが悲願の礎になってもらわねばならぬ」
ふらりと、ボクの身体が前に傾いた。
男の口元が笑みの形を結んだ。
次の瞬間、ボクは男の懐に飛び込み、ナイフを鋭く振り抜いた。
男は飛びすさる。
その頬に赤い一条の線が刻まれていた。
「逆らった、だと?」
男が驚きをにじませて言った。
「やっぱり、昏き森の連中も、ボクのことをいいように利用しているだけだったんだね」
演技をやめて、ボクが言う。
「くそっ……おまえの洗脳を解いたのはエドガー・キュレベルか」
「洗脳?」
それはどうだろう。
エドガー君が解いたのは〈八咫烏〉による洗脳だ。
それ以前にボクが洗脳されていたのだとしたら、その洗脳は〈八咫烏〉によって上書きされたということだろうか。
……我ながら、ろくな目に遭っていない。
「おまえが〈八咫烏〉になど誘拐されたせいで、我らの算段は台無しになった。だが、ここに来て千載一遇の好機が巡ってきた。力づくででも従ってもらうぞ、巫女よ」
「へぇ……ボクに勝てる気でいるんだ?」
「……ちょっと腕を上げた程度で図に乗るな」
男の言葉とともに、背後からナイフが振るわれる。
姿を現していなかった、別の刺客からの攻撃だ。
ボクはそれを悠々とかわす。
「なんだと!」
不意打ちに自信があったらしく、男が驚愕する。
その間に、攻撃を外した背後の相手に向き直る。
代わり映えのしないローブ姿のダークエルフ。
ボクは相手の腕をくぐり、心臓にナイフを突き立てた。
同時に外套の下から拳銃を抜き、正面の男を銃撃する。
「ぐぁっ!?」
「銃」を知らなかったのだろう、男は棒立ちのまま両足を撃ち抜かれた。
その間に、街道脇の木立から複数の気配が現れる。
が、その瞬間にすべては既に終わっていた。
黒いローブの男たちは(少数女もいたが)、森から出た途端に首が飛んだ。
暮れかけの夕闇の中に、鋼糸の鈍い輝きが幾筋も見える。
もちろん、すべての気配を読んでボクが罠を張っておいたのだ。
崩れ落ちるローブたち。
一拍置いて、その周囲に彼らの首がぼとぼとと落ちる。
両足を撃ち抜かれた男は、地面に横たわったままその光景を見届けるしかない。
「ば、馬鹿な……!」
男が愕然とつぶやく。
「わかってると思うけど、あなたのことはあえて生かしたんだ。一応、事情を聞いておくべきだろうからね」
ボクが言うと、男はボクを憎々しげに睨んで言う。
「くっ……まさかこれほどとは……」
「こんなの、大道芸みたいなもんだよ。人を殺すなんてこと、単純すぎて眠たくなるような技術でしかない」
ボクは常々そう思う。
人は簡単に死ぬ。殺せる。
そのくせ、人のことを簡単に殺そうとする。
本当に難しいのは。
本当に大切なのは。
人を守ることなんだとボクは思う。
人をうまく傷つけられるだけじゃ、全然評価の対象にならないのだと思う。
「さて……話してもらおうか」
「……素直に話すと思うのか?」
「べつに話さなくてもいいよ? 昏き森で何があろうとボクには関係ないことだし。興味もないね。ただ一応、襲ってきた動機くらいは聞いておくべきかなと思っただけだよ。何も話す気がないならしかたがない」
ボクは拳銃を男に向ける。
「正直、困るんだよね。暗い過去のある女とか、男の子からしたら重たくってしかたがないでしょ。これ以上エドガー君に重いと思われたくないんだ。だから、この場で綺麗さっぱり過去のことは始末してしまうのが、ボクにとってはいちばん都合のいいことなんだ」
そう言ってにやりと笑う。
ボクの表情に何を見たのか、男が慌てて言った。
「ま、待て! は、話す! 話すからその物騒なものを下げろ!」
「あれぇ? まだわからないのかなぁ? ボクにはそっちの話を聞いてあげる理由なんてほとんどないんだ。何かを命令されるいわれもない。立場ってものがまだ呑み込めないのかな?」
「ぐっ……待ってくれ……」
「待ってくれ? あのさぁ……」
「い、いや、待ってください、巫女様! どうか俺の話を聞いてください!」
「……どうしよっかなぁ? ボク、巫女様なんかじゃないし?」
「わ、わかった、わかりました! エ、エレミア様!」
「うん、たしかにボクはエレミアだ。本当は、昏き森の代理親につけられた名前なんて捨てたいところだけど、どんな人でも自分の名前は選べないものだからね。そこはしかたなく受け入れてる」
「は、話をさせていただいてもよろしいでしょうか……くっ……」
「くっ……ってなんだよ、くって」
「も、申し訳ありません……っ。お、俺風情が生意気な口を……」
「ま、いいけどぉ? ボクは忙しいんだ。エドガー君を追っかけなくちゃいけないからね。話すなら早く話してよ」
「……おねーちゃん、こわい」
すこし離れたところで待っていたアスラのつぶやきが聞こえる。
……傷つくな。
男は、撃たれた両足で苦労して片膝立ちの姿勢を作ると、顔を上げてボクを見た。
その顔は屈辱に歪んでいた。
ボクはこれみよがしにため息をつく。
「……だからさぁ……」
「ぐううううっ……も、申し訳ありません……」
ボクの表情に何を見たのか、男は顔の筋肉を動かして、マシな表情を取り繕った。
「で、ボクに何をさせる気だったの?」
「く、くらやみ様の復活を……」
男が言う。
「くらやみ様? 昏き森の最奥に封印されているっていう、あの?」
「は、はい……巫女様にしか立ち入れぬ最奥にいるモノのことです。その封印を解くために、エレミア様が必要になったのです」
「どうして?」
「そ、それは……」
男が口ごもる。
「ど・う・し・て?」
「くっ……え、エレミア様を生け贄にするためです……」
「へぇぇ……」
ボクはにっこりと笑った。
男が顔色をなくした。
「く、くらやみ様の元に入れるのは……巫女様のみ。巫女様は生ける鍵となってくらやみ様を封印しています」
「生ける鍵、ねぇ……その話は聞いたことがなかったな」
「ひぃっ! も、申し訳ありません! 巫女様に接触する人物は族長が選りすぐった者のみで、発言内容も事細かに決められており……」
「育ての親までそうだったんだもんね。徹底してるよ」
ボクを昏き森で養育したのは、部族のあてがった「両親」だったのだ。
「でも、変だね。昏き森は、くらやみ様を封印するのが目的なんじゃなかったの?」
「そ、その通りです……いや、その通りでした。ですが、我らはついにくらやみ様を制御する方法を見出しました。くらやみ様を制御できれば、我らが部族は世界に覇を唱えることすら可能です……どうか、どうかご協力を!」
男が、ボクの足にすがりついてくる。
「なんだ、ずいぶん俗っぽい話なんだね。くらやみ様を解き放ってはならぬ、じゃなかったの?」
「古老どもはそう言い続けていましたが……我ら若衆は、不確かな言い伝えに固執する古老どもを……」
「ああ、殺しちゃったんだ」
エドガー君が言うところの「クーデター」が起きたってことなのだろう。
保守的な老人を排除し、急進的な若者が実権を握った。
「道理で。あれから16年以上経って襲ってきたのはそういうわけか」
「どうか、どうかご協力を! 我らの悲願なのです! 我らはくらやみ様などを押し付けられ、不自由な暮らしを強いられてきました! それでも古老どもは解き放ってはならぬの一点張り……そんな時にあの方が――ぐっ!」
一瞬、ボクは何が起きたのかわからなかった。
男の口から血が噴き出す。
その中に、赤い塊が混ざっている。
舌だ。
男は話の途中で舌を噛み切って死んだのだ。
「お、おねーちゃん……」
アスラが怯えた様子で言ってくる。
「うん……」
ボクはぴくぴくと痙攣する男にしゃがみこむ。
男はもう死につつある。
治癒の魔法もある程度使えるけど、ボクの腕ではこの状態から助けることは難しい。
「ど、どうしていきなり死んじゃったの?」
アスラが聞いてくる。
「うーん……どうも、何かを言おうとすると自殺させられるような暗示がかけられてたみたいだね」
メルヴィが、【催眠術】というスキルを使える。
〈八咫烏〉の牧師だったレティシア・ルダメイアも同じスキルを悪用していた。
「でも、自殺までさせるのは難しかったはずだけど」
人の本能は生きるようにできている。
それに反する行動を取らせるには、それ相応の手間をかけて意識をごまかしてやる必要がある。
たとえば、飛び降り自殺させることはできなくても、目の前に地面があると思わせて崖から転落死させることはできる。
でも、目の前に転がっている男の場合は、ダイレクトに自殺させられたように見えた。
「よっぽどのことが起こってるみたいだね……困ったな」
エドガー君は出奔してしまっている。
この事態を、どう解決したものか。
「放っておく……わけにはいかないかなぁ」
そんなことをしたらそれこそエドガー君に怒られてしまう。
「しかたない。昏き森に行ってみるか……。ああ、もう! エドガー君を追っかけたいのにぃ!」
地団駄を踏むボクに、アスラが言う。
「あ、じゃあ、わたしがおにーちゃんを追っかける!」
「それはダメ! 抜け駆けは許さないんだから!」
「うー! わたしは関係ないのにー!」
飛び立とうとするアスラの襟首をつかまえる。
そこで、はたと気づく。
「……昏き森ってどこにあったんだろ……」
ボクは昏き森で生まれ育ち、そこから〈八咫烏〉にさらわれた。
だから、昏き森がどこにあるかわからない。
「あー! しょうがないなー! どこにあるかわかんなかったら、行きようがないよねっ! エドガー君探しに戻ろっと!」
名案だ、と思ったのだが……
「ぐふっ……ごぽっ」
死んだと思ってばかりいた男が、血まみれの手で自分の懐を叩いた。
それを最後に、がくり。
ボクはその懐を探ってみる。
「げぇー、地図だぁ……」
そこには昏き森の場所を記した地図があった。
「もう! ちゃんと機密厳守してよ! 〈八咫烏〉だったら怒られるだけじゃ済まないんだからね!」
げしげしっ、と死体になった男を蹴る。
「……はぁ……行くしかないのかぁ」
ボクは憂鬱につぶやいた。
エレミアの昏き森時代については書籍版3巻で書き下ろしました。興味のある方はぜひ。