129 サンシロー
アンドロイドとの対戦後、わたしはグリンプス社の控室に招かれた。
といっても、ホテルのラウンジの一画を区切っただけのスペースだ。
そのスペースを区切るパーティションが、コンコンと叩かれた。
「はい」
答えると、パーティションの奥から30前後の白人男性が現れた。
Tシャツにハーフパンツ、サンダルというカジュアルにも程がある格好をしているが、今日目にしたグリンプス社の社員にはこうした人が少なくなかった。
白人男性はやや小太りで、クセのある金髪を額の真ん中で分けている。顔立ちはそこそこ整っていて独特の愛嬌もある。もう少し痩せれば女性にもモテるのではないだろうか。
その白人男性の後ろには、さっき対戦したアンドロイド――インチューイション3が立っていた。
「ハイ、ミズ・ミナギ。それとも、ミズ〈キーコレクター〉と呼ぶべきかな? 日本風にカタセ=サンと呼んだ方がいいならそうするけど」
白人男性は英語でそう話しかけてきた。
アメリカ人としてもかなりフランクな方だろう。
「ミナギで結構です。それで、あなたは?」
わたしが英語で返すと、
「オー、これは失礼を。僕はグリンプスで人工知能インチューイション3の開発主任を務めているレイモンド・ウェズナーだ。そして彼は――もう紹介の必要はなさそうだね?」
『ノー、レイモンド。コモンセンスベースによれば、初対面の挨拶は人間関係を築く上で重要です。』
銀色のアンドロイドはレイモンド・ウェズナーを脇に押しやってわたしに向かって頭を下げる。
『どうも、初めまして。片瀬美凪さん。私はインチューイション3と申します。高名なグランドマスターにお会いできて光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。』
驚いたことに、アンドロイドは日本語で挨拶の言葉を述べた。
イントネーションもほぼ完璧だ。
「どうだい、驚いただろう? 僕は日本語が断片的にしかわからないから判断できないけど、彼のイントネーションはかなりナチュラルに仕上がっているはずだ」
「え、ええ。驚きました」
「グリンプス社がスマートフォンの音声アプリから得た膨大な人間の発声データを人工知能で解析させた成果なんだ。相手の姿さえ見なければ、人間が喋っていると思うに違いない。クールだろう?」
「はい。それに、彼はわたしとあなたの会話を聞いて、状況判断をしていたように見えました。今の人工知能に、ここまでのことが可能なのですか?」
「いい着眼点だ、ミナギ。それについては本人に説明してもらおうか。頼むよ、サム」
『アイ、サー。私はグリンプス社の先端技術研究所で開発されたばかりの最新型の人工知能です。私の頭脳はグリンプスのサーバーとリンクしており、その先には複数台のスーパーコンピューターが接続されています。私に最初に与えられた課題は、検索最大手であるグリンプス社の蓄積した膨大なビッグデータを解析し、その中から有意な情報を抽出し関連付けるというものでした。しかし、その課題には思いもよらなかった副作用がありました。情報の抽出、関連付け作業は、それ自体がひとつの思考過程だったのです。』
「……どういうこと?」
アンドロイドの説明は日本語だったが、中身についてはちんぷんかんぷんだ。
なお、アンドロイドは同時に副音声を発してレイモンドに同じ内容を英語で伝えている。
『誤解を恐れずに言えば、初代インチューイションは情報の抽出・関連付け作業を通して徐々に自我のようなものを形成していったのです。』
「なっ……」
わたしは慌ててレイモンドを見る。
レイモンドはなんでもないことのように肩をすくめた。
こんなとんでもない情報をわたしなんかに漏らしていいのかと思ったのだが、レイモンドは意に介していないらしい。
『グリンプス社の優秀なエンジニアたちも、最初は自分たちのやっていることの意味がわかりませんでした。次第に理解するようになると、恐慌状態に陥る者も現れました。彼らが私のことを冷静に見ることができるようになったのはつい最近のことです。』
もはや言葉もない。
人類が人工知能にいつか取って代わられるのではないか――そういう話題は最近はインターネットやテレビでもよく聞かれるようになっていたが、まさか既に自我を持つ人工知能が生まれていただなんて。
「このことは、もちろん、グリンプス社の最高機密だ。もしこのことが外部に漏れたら大変なことになるかもしれない。たとえばアメリカ政府は強権を発動してインチューイションシリーズを接収しようとする可能性がある。もっと悪ければ、インチューイションシリーズの開発凍結、一切のデータの破棄を命じられるかもね。宗教のファンダメンタリストにとって、コンピューターが意識を持つというのは悪夢以外の何物でもないだろうから、市民レベルでの抗議運動も起こってくるだろうね」
「そんなことを、どうして私に……?」
「それは、彼が君をエデュケーターに選んだからだよ」
「エデュケーター……?」
レイモンドはアンドロイドに目配せをした。
アンドロイドはその目配せの意味を正しく読み取って口を開く(発話に合わせてちゃんと口が動くようになっているのだ)。
『はい。私は片瀬美凪をエデュケーターのひとりとしてリクエストしました。エデュケーターとは、人工知能である私の教育係のようなものとご理解いただければと思います。』
「教育係?」
『私はいわば、生まれたばかりの赤子です。インターネットの情報や、グリンプス社の収集した膨大なビッグデータ、電子化された書籍文献などは可能な限り参照していますが、人間の生活空間については無知です。実際にそこに参与して生活をともにしつつ、適切な質疑応答ができること。インチューイション3が真に人間と共生できる存在となるためには、それらの条件が必要だと判断しています。』
インチューイション3の説明をレイモンドが引き取る。
「インチューイション3からのリクエストを受けて、グリンプス社では、僕たちの生み出した電子の子どものわがままを、全力でバックアップすることにしたのさ。インチューイション3は、自力で自分の教育係をリストアップしてきた。その中には意外な人選も多かった。現代最高の数学者や理論物理学者には見向きもせず、インチューイション3は何人かのアスリートや職人、芸術家を教育係に所望した。その中に、プロゲーマーである君の名前があった。それも、リストのトップに、だ」
「ど、どうしてわたしなんです?」
「それが、その理由は本人にのみ話すと言って聞かないんだ。こんなことは他の候補者にはないことだった。グリンプス社内の意見も2つに割れたよ。でも、やらせてみようということになった。既にインチューイション3は社内で複数のアプリケーションの開発に関わって、革新的な成果をあげていたからね。実際、このままでは最初にロボットに職を奪われるのは僕らグリンプスのエンジニアになるかもしれないな」
レイモンドが肩をすくめる。
「それなら、何もあんなことをしなくても、普通に会いに来ていただければ……」
わたしがそう口にすると、レイモンドは頭を下げた。
「先ほどは失礼した」
「先ほど?」
「ああ。本来こういう対戦を申し込む場合、事前に承諾をもらっておくのが筋だろう?」
「そういうことですか。たしかに驚きましたね」
「とてもそうは見えなかった。まさかこいつが負けるとは思ってなかったよ」
レイモンドがそう言って笑う。
「そうですか。安心しました」
「安心だって?」
わたしは頷く。
「ええ。ひょっとしたら手加減されているのではないか、と思っていたので」
それは、わたしの率直な感想だった。
わたしはインチューイション3を僅差で破ったが、それはあまりにも際どい戦いだった。
それこそ、盛り上げることを狙って仕組まれたのではないかと疑ってしまうほどに。
レイモンドは美凪の言葉に、「ああ」と頷いた。
「そういうことか。いや、6年連続のチャンピオンにそんな失礼なことはしないよ。格闘ゲームでは格下と対戦する時でも手加減はしないのが礼儀だろう? 僕自身格闘ゲームのプレイヤーだ。君のことは心から尊敬している。だから、僕の力の及ぶ限りの、『最強の刺客』を用意させてもらった。手加減なんて一切ないことは誓って言える」
レイモンドはわたしの短い言葉だけで意図を察してそう言ってきた。
さすがに世界のグリンプス社で責任ある立場を任されているだけあって頭の回転は速いようだ。
「なんでこんな、非礼とも取れるサプライズを仕掛けたのか? その答えもやはり、こいつ自身が望んだから、だ。ミナギが本当に自分のエデュケーターとして価値があるのか……失礼、でも、こいつはたしかにそう言ったんだ」
わたしはアンドロイドに目を向ける。
「それで、わたしはテストに合格したというわけ、インチューイション3」
『その通りです。あなたは人間の可能性を私に示してくださいました。ご指導ご鞭撻のほど賜われればさいわいです。』
このアンドロイドの言葉は、時に流暢すぎて気持ち悪いくらいだった。
普通、ロボットと言ったら片言で話すものだとわたしは思っていた。
でも、考えてみれば、人間に迫る知能を持ったロボットがいたら、言語だって流暢に話すことはできるはずだ。
わたしの持っているスマートフォンの音声アプリですら、年々発音が自然になり、こちらの言ったことをスムーズに聞き取れるようになっているのだから。
「とはいっても……わたしは何をすればいいの? いえ、まだやるとも言ってないけど」
念の為にそう付け加えたが、わたしはアンドロイドの教育係をするという仕事のオファーには強い魅力を感じていた。
「とくには、何も」
レイモンドが答える。
「ただ、こいつとなるべく一緒にいてもらって、こいつが何か質問してきたら答えてやってほしい。もちろん、君を質問攻めにするようなことはない。こいつは相手の表情をある程度読むことができる。相手の疲労や機嫌を察知してコミュニケーションの取り方を調整することができるんだ」
「空気が読めるロボットということね」
「その理解で間違いない。もっとも、現状では複数人によって形成される集団の空気を読むことは難しいようだ。読みすぎて相手を不快にさせるリスクもないわけじゃない」
レイモンドは続けて、エデュケーターに支払われる報酬について述べた。
わたしは目を見開いた。十年くらいなら遊んで暮らせる金額だ。
「報酬は、インチューイション3が自力で稼いだものだ。高度な人工知能にとって為替や株式の値動きを解析し、最適な投資方法を見つけ出すなんて、むしろ簡単なことのようだね」
話を聞けば聞くほどそらおそろしくなる。
この人工知能が日の目を見た時には、人類にできることなんてもうほとんど残ってはいないんじゃないか。
それは非常に恐ろしいことだと思った。
しかし、幸運にも、わたしはその瞬間を自分の目で見ることができる。
人類から人工知能へと知性のバトンが渡されるその瞬間を、わたしは特等席で見ることができるのだ。
「……受けるわ」
わたしは気がついたらそう答えていた。
『ありがとうございます、美凪さん。至らぬところも多いと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。』
アンドロイドが見事な口上でお礼を言う。
『つきましては、最初にお願いがあります。』
「それはいいけど、そこまで丁寧にしゃべらなくていいわ。なんだか疲れるし。呼び方もミナギでいいわよ」
『そうですか。それでは、尊敬語・謙譲語の頻度を減らし、丁寧語を中心に発話するようにします。』
「そうして。で、お願いというのは?」
『私に、名前をつけてください。』
「名前? インチューイション3ではダメなの? レイモンドはさっきサムと呼んでいたけど」
『それはあくまでも型番のようなものです。また、『サム』という呼称は、まだ名前が確定していなかったためにつけた便宜上の名前です。』
「でも、どうしてわたしが? 開発主任のレイモンドがつければいいんじゃ?」
「これは、さっきの対決に勝った賞品だと思ってくれればいい。また、彼がこれから最も長い時間を一緒にすごすのは君だ。君にとってしっくりくる名前のほうがいいだろう?」
『レイモンドの言う通りです。ミナギのストゥーデントとしての『私』にニックネームをつけてください。』
「ニックネーム……」
なかなか責任重大だ。
あれこれ考えて、結局は最初の思いつきを採用することにした。
「じゃあ……『サンシロー』で」
『了解。私は『サンシロー』です。……夏目漱石ですか?』
一瞬の間で、名前の由来を検索したらしい。
「田舎から都心の大学に上京してきた三四郎は、当時の帝大に受かるくらいだからきっと頭がよかったのでしょう。でも、女性には奥手だし、世間のこともよくわかってないお坊っちゃんなのよ」
『私が三四郎ならミナギは美禰子でしょうか?』
「ふふっ。それならあなたはわたしに振られてしまうわね」
わたしとアンドロイド――いや、サンシローがそんなやりとりをしていると、
「おいおい、僕を置いてけぼりにしないでくれ。さすがに日本文学についての素養なんて僕にはないよ」
「ごめんなさい、レイモンド。でも、わたしは日本に住んでいるのよ? どうやってサンシローのエデュケーターを務めればいいのかしら? 毎週末日本とアメリカを飛行機で往復するのは勘弁してほしいわね」
「大丈夫。サンシローが君についていくから」
「……え?」
「だから、サンシローは君についていく。秘書のようなものだと思ってくれればいい。スケジュール管理でも、レストランの予約でも、部屋の掃除でも、なんでも命令してやってくれ。彼はそこから必要なことを学んでいく。あ、でも、車の運転だけはダメだ。彼は運転ができるけど、公道を走る許可が得られていないからね」
「でも……彼のことは極秘なのでは? 人目についてしまって構わないの?」
「そこまで含めてのエデュケーションなのさ。君には負担をかけると思うけどよろしく頼む。人型ロボットの試験運用ということで、アメリカ政府、日本政府の許可は既に得ている。君と一緒に飛行機で日本まで連れて行ってくれ」
「……それは、彼を荷造りして貨物室に積んで?」
「いや、ファーストクラスを2席取っておくから、彼と一緒にシャンパンを飲みながら日本に凱旋帰国してくれればいい」
「……正気?」
「正気さ。クールだろ?」
わたしはレイモンドの顔を穴が空くほど見つめた。
しかしどうやら、ジョークでわたしを担いでいるわけではなさそうだった。
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