111 不思議なデート
今日はミリア先輩と約束した「デート」――王立劇場で公演が始まった演劇『ベアトリーチェ』を観に行く日だ。
こちらが6歳なので、夜ではなく昼の公演を見ることになっている。
王立劇場の廊下で、俺がアルフレッド父さんと一緒にいたところ、貴族らしき男性と真正面から出くわした。
年齢は40くらい。口ひげをポマードで固めた神経質そうな細身の中年男性だ。髪の色は焦げ茶色で、ヘーゼル色の瞳が人を見下すように下を向いている。
その背後に、俺は見知った人物を見つけていたが、俺がアクションを起こす前に、貴族の男が口を開いた。
「王室騎士団団長は意外に暇な仕事と見えるな」
貴族の男は父さんに対して出会い頭にそんなことを言ってきた。
「おひさしぶりです、サーガスティン侯」
「キュレベル子爵……いや、侯爵だったな。国王陛下とは相変わらず仲がよろしいのでしょうな」
いきなり無礼な感じだな。
父さんが侯爵になって5年も経つのだから、言い間違えもわざとだろう。直後の王様への言及も皮肉のつもりか。要するに、「国王陛下のコネでのし上がった成り上がり者が!」という意味である。
しかし、父さんも侯爵、サーガスティン侯も侯爵だから上下の関係ではない。父さんはさらに王室騎士団団長という顕職も務めているから、公式行事の席次などではむしろ父さんの方が上となる。
……もちろん、それがまたサーガスティン侯には気に入らないのだろうが。
父さんは涼やかな余裕のある笑みを返しながら言う。
「ええ、おかげさまで。サーガスティン侯はお嬢様と観劇ですか?」
「フン、芝居を見る目のない子どもと観ても仕方あるまい。席は別にとってある。
だいたい、今日の演目からして気に入らない。シルヴィーン以上のベアトリーチェ姫などいるわけがないが、リーブロップ版『ベアトリーチェ』を演るとなれば劇評家としては見ないわけにもいかん。
ああ……一応紹介しておこう。不肖の娘のミリアリアだ」
ぶっきらぼうな父の言葉を受けて、サーガスティン侯の後ろにいたミリア先輩が一歩前に進み出て優雅に一礼した。
今日のミリア先輩はなんとドレス姿だった。舞踏会に着ていくような本式のものではないが、さりとてカジュアルな格好でもない。ワンピースとドレスの中間のようなデザインで、落ち着いた藍色の生地が控えめなミリア先輩によく似合っている。髪もドレスに合わせてアップにしていて、いつもとはだいぶ印象が違っていた。
すぐにでも駆け寄って激賞したいが、まだ父さんに紹介されていないのでぐっとこらえておく。
「お嬢様の噂は、うちのエドガーからも聞いていますよ。とても優れた【治癒魔法】の使い手だとか」
「フン……それならそれで士官学校の受験前に見せてもらいたかったものだがな」
吐き捨てるように言うサーガスティン侯に、ミリア先輩がうつむいてドレスの裾を握りしめる。
それを見て、俺は父さんにアイコンタクトを送る。
「まだ若い子どもたちを大人の長話に付き合わせてもかわいそうだ。もともと約束していたということですし、うちのエドガーにミリアリア嬢をエスコートさせましょう」
「……もともと約束していた、だと?」
えっ、親父さんには話を通してなかったのか?
まぁ、今の様子からしても素直に認めてくれるとは思えないが……。
サーガスティン侯が目を細めている間に、俺はミリア先輩に手を差し出した。
ミリア先輩は俺の顔と手を見比べてから、俺の手にそっと自分の手を重ねてくれる。
俺は苦虫を噛み潰したような顔をしているサーガスティン侯に一礼すると、ミリア先輩を伴ってその場を離れた。
「……フン。キュレベル侯の鬼子か。不出来な娘にしては目の付け所は悪くない。……国王派でさえなければだが」
サーガスティン侯がうっそりとつぶやくのが、〈仙術師〉の聴覚強化によって耳に届く。
「訪問診察の天使」の父とはとても思えない嫌味な奴だ。
アルフレッド父さんも適当な社交辞令を口にしてサーガスティン侯のもとを離れ、ジュリア母さんと合流している。父さんと母さんは国王陛下直々に招待を受けたそうで、特等のロイヤルシートから観劇ができるらしい。
そりゃ、サーガスティン侯が僻むわけだよな。
「……ミリア先輩も苦労してるんですね」
俺は思わずそう言ってしまう。
「ええ……まあ」
ミリア先輩はなんとも言えない顔で曖昧に答えた。
サーガスティン侯――辛口の劇評家としても有名だが、同時にモノカンヌスには珍しい国王批判派の急先鋒でもある。といっても、王都の国王批判派というのは、サーガスティン侯を中心とした数人の貴族のグループでしかなく、国政への影響力などは無きに等しい。
アルフレッド父さんは、
「彼は、噛み癖のついた子犬のようなものさ」
などと言っていた。
俺がミリア先輩のことを父さんに話した時、サーガスティン侯の娘と聞いて父さんは苦い顔をした。
さしものサーガスティン侯も国王に直接批判を口にする度胸はないらしく、国王に近しい人間にちくりちくりと嫌味を言って回っているのが実態なのだという。そして父さんは「国王に近しい人間」の最筆頭だ。
「自分自身で建設的な意見を述べず、他人のやることなすことにケチをつけることで、自分が賢いと勘違いしてるんだね。劇評なら無害かもしれないけど、政治に口を突っ込まれると目障りで仕方がないよ」
とこのように、父さんのサーガスティン侯への評価は底辺レベルだった。
ミリア先輩の父親なのにな、とその時は納得がいかなかったのだが、今日実物を目の当たりにして父さんの評価が正しかったことがはっきりとわかった。
が、今はサーガスティン侯のことは忘れよう。
「ミリア先輩」
俺がそう声をかけると、
「あ……えっと、エドガー……君」
「……?」
なんで間があったんだ?
俺が戸惑って小首をかしげると、
「今日はよろしくねっ!」
そう言ってミリア先輩が俺の手を握ってきた。
俺はびっくりしてしまった。ミリア先輩が俺の手を握ってきたのなんて今日が初めてなのだ。
ミリア先輩の表情も、いつもの落ち着いた感じではなく眩しいほどの笑顔だった。
これが前回言ってた「私じゃない私」ってことか? 優等生の演技に疲れて、素の自分を出したくなった……とかだろうか。
俺は、ミリア先輩を連れて、エレミア、メルヴィ、アスラ、ミゲル、ベック、ドンナが待っている場所へと向かう。
今日の演劇には、エレミア、アスラ、イッキのみんなもついてきていた。
というか、もともとはいつまでもへそを曲げたままのアスラの機嫌を伺うために、王立劇場のチケットを手に入れたのだが、俺にはミリア先輩との約束がある。
だからエレミアにアスラと一緒に演劇を観てくれないかと頼んだのだが……お察しのようにこれが完璧な藪蛇だった。
エレミアに追求されて俺はミリア先輩とのデート?の約束を吐いてしまい、エレミアは強硬に俺についてくると言って聞かなくなってしまった。
さらには話を聞きつけたイッキの面々もついてくると言い出し……今に至るというわけだ。
なお、デヴィッド兄さんも誘ってみたのだが、「……そんな気分じゃない」と言って断られてしまっている。演目がよりによって『ベアトリーチェ』だしな……。
ルーチェさんに振られてから、デヴィッド兄さんは図書館迷宮の探索を休んでいる。
図書館迷宮の司書は前世で言うところの裁量労働制だから、休もうと思えばいつでも休める。
が、こんなことはかつてなかったらしく、心配して俺に様子を聞いてくる他の司書さんもいた。
結構美人の司書さんだったのだが、今の兄さんの目には入らないだろう。
そんなことを考えてる間に、待ち合わせの場所へとたどり着いた。
ミゲルが遠慮なしにぶんぶん手を振って大声で俺のことを呼んでいる。……いい加減いい歳だってのに恥ずかしい奴だ。
「おお~、その子がエドガーの彼女か! 美人だな!」
ミリア先輩を見たミゲルがそう言って俺をからかってくるが、エレミアの殺さんばかりの視線を受けて沈黙した。
「別に彼女じゃないよ。歳も離れてるし」
俺は適当にいなしつつ、ミリア先輩をみんなに紹介した。
ミリア先輩にいちばん関心を持ったのは、意外なことに人見知りのはずのアスラだった。
アスラはミリア先輩に近づくと、鼻をひくひくさせてミリア先輩の匂いをかぎだした。
「ち、ちょっと……?」
ミリア先輩が戸惑った様子で身体を引く。
エレミアがアスラの襟首を掴んで引き離した。
「……おいしそうなにおい」
アスラがぽつりと言う。
「このクッキーかしら」
ミリア先輩がポシェットからクッキーの包みを取り出して言った。
「ちがう……けど、もらう」
アスラはミリア先輩のクッキーをひったくるように取ってしまった。
「お、おい、アスラ! ……すみません、先輩」
「いいですよ。かわいい子ですね。妹さんですか?」
ミリア先輩の質問に、俺は少し首を傾げてしまった。
俺の家族事情についてはミリア先輩には何度か話したことがある。兄が3人と義理の姉がいることを、ミリア先輩は知っているはずだ。
いや、自意識過剰かな? 俺の話したことをミリア先輩が完璧に覚えてるなんて期待する方がキモいかもしれない。
「いえ、アスラは……なんだろう」
本当に何なんだろう。
「まぁ、うちで預かってる子どもです。ここのところ機嫌が悪かったんで、劇場に連れて来てしまいました」
「そうなんですか。うちは一人っ子だから賑やかそうで羨ましいですね」
ミリア先輩がそう言って笑う。
そこでメルヴィが、
「さ、わたしたちはお邪魔虫だから行きましょ」
と言って、ぶつぶつ言ってるエレミアを宥めながらイッキのみんなを連れて行ってくれる。アスラは未だにミリア先輩に近づきたそうにしていたが、ドンナがポーチからお菓子を取り出して注意を引きつけてくれていた。
俺とミリア先輩は、ミリア先輩の案内で二等の客席へと着いた。
客席の作りは前世の劇場のものとあまり変わらない。これが一等の客席となると、二階席兼個室になっていて、内部も贅を尽くしたものになっているらしい。おそらくサーガスティン侯は一等客席にふんぞり返って今日の演目のあら探しに邁進しようとしていることだろう。
『ベアトリーチェ』は公演期間が始まったばかりだから、エレミアたちの向かった三等客席は満員に近かったが、この二等客席はそれなりに余裕があった。
こうして隣に並んで開演を待っていると、前世の映画館で女の子とデートしているような気分になる。
開演にはまだ時間があるようだ。
間が持たなくなりそうになったところで、ミリア先輩が言ってくる。
「お父様の話では、勇者様が今王都にいらっしゃるそうです。どんな方なんでしょうね?」
よりによってあの人の話題か。
ただ、初対面の肉食系残念美人という印象は最近では薄れ、ベックを治療してくれたり、悪魔を撃退したりとシエルさんは大活躍だ。勇者の面目躍如といったところだろう。
「う、うん……勇者と呼ばれるだけはある人なんじゃないかな」
「ひょっとして、ご存知なのですか?」
「実は少しだけ。変人だけど、信頼できる女性だと思いますよ」
「まぁ、それじゃあ勇者様は女性なんですか」
あ、これ言っちゃいけないことだったかもしれない。
「ミリア先輩、今のは内密にお願いします。勇者様は正体を隠してるんで」
「勇者様がいらっしゃるなら、切り裂き魔事件が解決するのも時間の問題でしょうか」
そういえばミリア先輩は、周囲の人が立て続けに切り裂き魔の犠牲になるという不運に遭っている。切り裂き魔逮捕を望むのは当然だ。
しかし……そういえば、シエルさんには切り裂き魔事件を捜査しようという意欲はあまり感じられないな。自身第五の事件の発見者であるにもかかわらず、俺やデヴィッド兄さんやコルゼーさんに近づいて捜査協力を打診するというようなこともなかった。
……考えてみれば不思議だ。シエルさんは何の目的があって王都に滞在しているのだろう?
とはいえ、
「勇者様もそうだけど、デヴィッド兄さんや俺も捜査に当たってる。必ず捕まえますよ」
「……そうですか」
俺がぐっと拳を握りこんでそう言うと、ミリア先輩は少し間を置いてそう答えた。
けたたましいベルの音とともに舞台の幕が上がり始めたのはその時だった。
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