第4話
森を抜ける道中、ミリアちゃんの視線はずっと私の背中と顔を行ったり来たりしていた。
チラッ、チラッ。
そんな音がしそうなくらい、彼女は私の顔と背中を交互に見ている。
先ほどゴブリンが霧散した場所を通る時だけは、ギュッと私の服の裾を掴んで震えていたけれど。
それ以外は、とにかく申し訳なさそうな、それでいて不思議なものを見るような目だ。
「あの、ハルナさま……」
ミリアちゃんがおずおずと声をかけてくる。
「本当に、その……カゴまで持ってもらってしまって……」
彼女の視線が、私の背負っているカゴに向けられる。
中には薬草や山菜がぎっしり。見た目以上にずっしりと重い。
これを背負ってあの怪物たちから逃げていたのかと思うと、彼女の細い手足が痛々しく思えてしまう。
「いいんだよ、これくらい。私、体力には自信があるから」
私は隣を歩く彼女の方を向き、ニッと笑いかけた。
まぁ、実際は魔法で強化されているからなんだけど!
「それに、ハルナ『さま』はやめて。そんなに偉い人じゃないからさ」
すると、ミリアちゃんは頬を林檎のように赤くして、視線を泳がせた。
「で、でも、命の恩人ですし……あんなにすごい魔法を使える方を、呼び捨てにするなんて……」
「じゃあ、様付け禁止! 呼び捨てが恥ずかしいなら、ハルナさんでいいよ」
私は歩調を合わせて彼女と目を合わせると、ウインクをして人差し指を立てた。
「その代わり、私もあなたのこと……ミリアって呼んでもいいかな?」
さっきまではつい「ミリアちゃん」と呼んでいたけれど。
もっと彼女と距離を縮めたいな、という気持ちが自然に湧いてきていた。
私の提案に、彼女は一瞬きょとんと目を丸くした。
それから、恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに俯く。
「……はい。ミリア、で。……えへへ」
「ん? どうしたの?」
「なんだか、ハルナさんにそう呼んでもらえるの、すごく嬉しいです」
はにかむような笑顔。
木漏れ日に照らされたその表情が、とても可愛らしい。
「……それに、なんだか、特別な感じがして……」
消え入りそうな声だったけれど、私の耳にはしっかりと届いた。
特別な感じ。
その響きに、なんだか私の胸も少しだけくすぐったくなる。
「わかった。これからよろしくね、ミリア」
「……っ! はいっ、よろしくお願いします、ハルナさん!」
名前を呼んだだけで、彼女の表情は、ぱぁっと華やいだ。
その笑顔が眩しくて、私は少し照れ隠しに前を向く。
なんだろう。
可愛い女の子を口説いてるみたいな気分になっちゃうな、私。
◇
森が途切れ、しばらく歩いた頃には、空はすっかり茜色に染まり始めていた。
視界が開けた先には、夕日に照らされた、穏やかな田園風景が広がっている。
緩やかな斜面に沿って、レンガや木材で作られた可愛らしい家々が並び、それぞれの家の煙突からは、夕飯の支度を知らせる細い煙が立ち上っていた。
どこか懐かしい、一日の終わりの気配。
風に乗ってパンを焼く香ばしい匂いや、規則正しく何かを打つような音が聞こえてくる。
「あそこが私の村、ノール村です。織物が盛んなんですよ」
ミリアが誇らしげに教えてくれる。
村に入ると、家路につく村人たちがすぐに私たちに気づいた。
「おや、ミリアじゃないか。薬草摘みから戻ったのかい?」
「ミリア、そちらの方は……? 妙な服を着ているが……」
珍しそうに視線を送ってくる村人たち。
私のセーラー服は、やっぱりこの世界では浮いているらしい。
ミリアは私の前に立つと、一生懸命事情を説明してくれた。
私が森でゴブリンから彼女を助けたこと。
それから、私がとても強い魔法使いであることを。
「おお、そうだったのか! ミリアを助けてくれて、本当にありがとう!」
「ハルナ様、どうか今夜は村でゆっくりしていってください!」
村の人たちは、驚くほど温かかった。
ミリアに案内されて辿り着いたのは、赤い屋根の可愛らしい家だった。
窓からは温かなランプの光が漏れている。
「ただいま戻りました!」
ミリアが扉を開けると、中からはパンの香ばしい香りと、穏やかな話し声が聞こえてきた。
奥から二人の男女が姿を現す。
優しそうなお母さんと、日に焼けた逞しいお父さんだ。
「おかえり、ミリア。……あら、そちらの方は?」
お母さんが私を見て、目を瞬かせた。
ミリアは私の腕にぎゅっとしがみつくと、胸を張って、まるで自分の宝物を自慢するかのように声を張り上げた。
「お母さん、紹介するね! この方はハルナさん。森でゴブリンに襲われていた私を、すごーい魔法で助けてくれたの!」
「……えっ?」
「ゴ、ゴブリンに……!?」
その言葉を聞いた瞬間、両親の顔色が一変した。
ドタドタと足音を立てて、二人して私の目の前まで駆け寄ってくる。
「滅多に魔物なんて出ない森なのに……! ミリア、怪我はないか!?」
「はい、大丈夫です。ハルナさんが、一瞬でやっつけてくれたから!」
「ああ、そうですか、無事でよかった……本当によかった……」
お母さんはへなへなと座り込みそうになるのを堪え、涙目で私を見上げた。
お父さんは、ゴツゴツとした厚い両手で、私の手を包み込むように握りしめた。
「ハルナ様……! 本当に、本当にありがとうございます! ミリアが無事なのは、あなた様のおかげです……!」
その手は熱いくらいに温かく、そして少し震えていた。
「娘が助かってよかった」という安堵と感謝の熱量が、私の胸の奥までじんわりと伝わってくる。
「い、いえ、当然のことをしただけですから……! 頭を上げてください」
恐縮しきりで私が言うと、お父さんはハッとして顔を上げた。
「いいえ、ハルナ様は命の恩人です! どうか、何かお礼をさせてください!」
「そ、それより、その『ハルナ様』っていうのはやめてください。私、そんなに偉い人じゃないので……『ハルナさん』で大丈夫ですから!」
私が慌てて訂正すると、横にいたミリアが「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
彼女は私の腕をさらに強く抱きしめる。
「そうだよ、お父さん。ハルナさんはすっごく強い魔法使い様だけど、とっても気さくで優しい人なんだから! ……ね、ハルナさん?」
上目遣いで同意を求めてくるミリアの瞳が、ランプの光を反射してキラキラと輝いている。
その距離の近さと、甘えるような視線に、私は少しだけドギマギしながら頷いた。
「は、はい。だから、普通に接してください」
「まあ、なんて謙虚なお方……。わかりました、ハルナさん」
お母さんが涙を拭いながら、ようやく柔らかな笑顔を見せてくれた。
「せめてものお礼に、今夜は我が家でゆっくりしていってくださいな。何のお構いもできませんが、温かい食事とベッドなら用意できますから」
◇
お言葉に甘えて、お邪魔することになった。
家の中は、木製の家具と柔らかそうな布製品で溢れていて、とても落ち着く空間だった。
「お母さん、今日のご飯は私が作るね。ハルナさんに私の料理を食べてほしいから!」
ミリアがエプロンの紐をきゅっと結び直し、調理場へと向かう。
お母さんは「あらあら」と微笑みながら、私の方を見て言った。
「ミリアがこんなに張り切るなんて珍しいわ。ハルナさん、この子、料理の腕だけはあるんですよ」
「……お母さん、もうっ! それだけじゃないのに! ハルナさん、座って待っててくださいね!」
顔を真っ赤にしたミリアが、パタパタと忙しなく動き出す。
トントントン、と軽快な包丁のリズム。
背中からは「誰かを喜ばせたい」という一生懸命な気持ちが伝わってくるようだった。
やがて、家の中にたまらないほど食欲をそそる良い香りが充満した。
「お待たせしました。ハルナさん、お口に合うかわかりませんが……食べてください」
テーブルに並べられたのは、たっぷりの地野菜と干し肉が煮込まれた熱々のスープ。
そして、表面がカリッと焼き上がっているパンだ。
私は添えられた木の匙を手に取り、まずはスープを一口飲んだ。
「…………っ、美味しい!」
じゅわ、と胸に染み渡るような深い味わい。
野菜の自然な甘みと、肉の塩気が絶妙なバランスで溶け合って、素朴で温かい「家庭」の味がした。
「本当ですか……? よかった……」
ミリアはホッとしたように胸をなでおろし、私の隣で嬉しそうに見守っている。
お父さんもお母さんも、そんな娘の様子を温かい目で見つめていた。
私はこの世界の、そしてこの家族の温かさに、心から癒やされていた。
◇
食事を終えた後、ミリアは奥の客間へと私を案内してくれた。
清潔なシーツがかけられたベッドがあり、窓からは月明かりが差し込んでいる。
「ハルナさん、今日は本当にありがとうございました。……私、ハルナさんに出会えて、本当によかったです」
部屋の入り口で、ミリアが静かに微笑む。
揺れるランプに照らされた彼女の横顔は、昼間の震えていた時とは違い、とても凛として見えた。
「私の方こそ。こんなに温かく迎えてもらえて嬉しいよ」
私がそう言うと、ミリアは一瞬だけ躊躇うように視線を泳がせた後、私の服の袖をちょんと掴んだ。
「……あの、明日も、少しだけ村を案内させてもらってもいいですか? もっと、ハルナさんと一緒にいたいです」
上目遣いで、期待と不安の混じったような瞳。
そんな顔をされたら断れるはずがない。
「もちろんだよ。楽しみにしてるね、ミリア」
「……っ! はい!」
ミリアはパァっと花が咲くように笑った。
その笑顔を見ていると、私の胸の奥が温かくなる。
そうだ、お礼にこれをあげよう。
「ミリア、手を出して」
「え? はい」
私はポーチから一粒のチョコを取り出し、彼女の掌に乗せた。
銀紙に包まれた、小さな宝石のような一粒。
「おやすみの前の、おまじない。枕元に置いておくと甘い夢が見られるよ」
「あ……ハルナさんの、チョコレート」
ミリアはそれを大切そうに両手で包み込んだ。
「ありがとうございます。……勿体なくて、食べられないかも」
「ふふ、食べないと溶けちゃうかもよ? なんてね。おやすみなさい、ミリア」
「……はい! おやすみなさい、ハルナさん!」
嬉しそうに自室へと戻っていくミリアの背中を見送りながら、私は貸してもらったベッドに横たわった。
窓の外には、日本の夜空よりもずっと近くに感じる、満天の星空。
慣れない異世界の夜。でも、壁の向こうにはミリアとその家族がいる。
その安心感と、微かに残るチョコの甘い香りに包まれて、私はすぐに深い眠りに落ちていった。




