第23話
しばらく空の旅を楽しんだ後。
カナンの城壁が見えてきたあたりで、私は高度を下げ始めた。
そのまま街の上空を飛んで入るのは、さすがにまずい。
「よし、この辺で降りようか」
私は街道から少し離れた、人目のつかない草原を選んで着地した。
ザサッ、と軽い音を立てて三人同時に降り立つ。
「ふぅ……到着です」
「空の旅も楽しいですけどぉ、やっぱり地面に足がつくとホッとしますねぇ」
私たちは風で乱れた服を整え街道に戻ると、そのまま徒歩で正門へと向かった。
門の前には、入門手続き待ちをする商人の馬車や旅人の列ができている。
けれど今の私たちは、堂々と『冒険者・ギルド関係者専用レーン』へと足を進めることができる。
門番さんにギルドカードを提示すると、彼女は顔なじみになった笑顔で道を空けてくれた。
「あら、おかえり『クローバー』のみなさん。今日はお仕事?」
「今日は買い出しなんです!」
「あら、そうなのね。ごゆっくり」
彼女はそう言うと、笑顔で手を振ってくれた。
門番さんで女性は珍しいと思うけど、ここのレーンはいつも彼女が対応してくれている。
「ありがとうございまーす!」
私たちも手を振り返すと、賑わうカナンの街へと入っていった。
◇
カナンでの買い出しを終えた私たちは、行きと同じ草原まで戻ると、再び空へと飛び立った。
帰り道は、行きよりもずっとスムーズだった。
風に乗って滑るように進み、あっという間に我が家へと到着する。
私はゆっくりと高度を下げ、家の前の広場へと降り立った。
「ハルちゃん、おつかれさまです」
「いえいえ。全然疲れてないし、大丈夫だよ」
ミリアがねぎらいの言葉をかけてくれる一方で、フィエルさんは名残惜しそうに空を見上げている。
そして、興奮冷めやらぬ様子で何やらブツブツと呟き始めた。
「イメージ、イメージ……風を纏って、重さを忘れる……」
どうやら彼女は、浮遊の感覚を自分の中に取り込もうとしているようだ。
フィエルさんはあまり得意ではないというが、エルフは元々風魔法が得意な種族らしい。
なのでこの短い時間ではあるが、彼女の中でも何か掴めるものがあったのかもしれない。
「ハルナさん、私もちょっとだけ、一人でやってみていいですかぁ?」
「お、何かつかめた?」
「わかんないですけどぉ……なんとなく、コツが分かった気がしますぅ」
そう言うと、フィエルさんはスッと背筋を伸ばした。
目を閉じ、意識を集中させている。
彼女の周りに、優しい緑色の風が渦巻き始めた。
「風の精霊さん……私をふわりと、浮かせてください」
彼女の長い金髪が、重力に逆らうようにふわりと浮き上がる。
そして――。
ふわっ。
フィエルさんのブーツが、地面から数センチだけ浮いた。
「あっ! フィエルさん、浮いてます!」
「すごーい! できてるよ、フィエルさん!」
私たちが声を上げると、フィエルさんは驚いて目を開けた。
「えっ? 本当ですかぁ!?」
自分の足元を見て、地面との隙間を確認する。
「うわぁ! やったぁ! 私、浮いてますぅ!」
喜びのあまり、空中でバタバタと足を動かすフィエルさん。
すると、バランスが崩れて――。
「あ、あれっ? わわわっ!?」
くるんっ!
空中で一回転し、そのまま頭から地面に突っ込みそうになる。
「危ない!」
私は咄嗟に風魔法を放ち、彼女を受け止めた。
「むぎゅっ」
見えないクッションに顔から突っ込んだフィエルさんは、アヒルのような変な声を上げて止まった。
「ぷはっ。あ、ありがとうございますぅ。調子に乗っちゃいましたぁ……」
「大丈夫? でもすごかったよ! ちゃんと浮いてた!」
「はい! 見よう見まねでできるなんて凄いです」
私たちが駆け寄って褒めちぎると、フィエルさんは照れくさそうに頭をかいた。
「えへへ……ハルナさんのイメージのおかげですぅ。これなら、練習すればもっと自由に飛べるようになるかもしれません!」
彼女の瞳には、新しい挑戦への炎がメラメラと燃えていた。
◇
午後はそれぞれ、思い思いに過ごすことにした。
というか、ここしばらく怒涛の日々だったので、久しぶりの完全なオフだ。
フィエルさんは、日当たりのいいリビングの窓際で、クッションを並べてお昼寝タイム。
「むにゃ……幸せですぅ……」と幸せそうな寝息を立てている。
ミリアは広々としたキッチンで、買ってきた食材や調理器具を嬉しそうに並べ、配置を考えているようだ。
その様子は、新しいおもちゃを買ってもらった子供のようで微笑ましい。
私はというと、自分の部屋に戻りベッドでゴロゴロ。
窓から見える青い空を眺めながら、ただただぼーっとする贅沢を噛み締めていた。
「……」
◇
「――はっ!」
ふと目を覚ますと、窓の外はもう茜色が引いて、深い藍色が空を侵食し始めていた。
あ、いつの間にか寝ちゃった……。
私はベッドから立ち上がり、髪を手櫛で軽く整えると部屋を出た。
すると「寝ちゃってましたね?」と、エプロンを掛けながら、いたずらな笑みを浮かべるミリアがいた。
ちょうど食事の準備が終わったところらしい。
「あはは、ついウトウトしちゃってたよ……もう夕飯?」
「はい! 昨日の夕食は忙しくて出来合いの物でしたから、今日は張り切っちゃいました!」
リビングには、ミリアが腕によりをかけて作ったご馳走が並んでいた。
「わぁ! すごい!」
湯気を立てる焼きたてのハンバーグ、具だくさんのスープ、彩り豊かなサラダが食欲をそそる。
「冷めないうちにいただきましょう。ハルちゃん、フィエルさんを呼んできてもらえますか?」
「あ、フィエルさんもまだ部屋かな?」
「はい。お部屋の整理をするって戻ったまま静かになっちゃって」
「ふふ、私と同じで寝ちゃったかな。了解、起こしてくる!」
私はフィエルさんの部屋へと向かった。
コンコン。
「フィエルさーん、朝……じゃなくて、夜だよー。ご飯できたよー」
ノックをして声をかけるが、返事がない。
予想通りではある。
「入るよー?」
そっとドアを開けると、夕闇に沈む部屋の中で、ベッドの上に丸まったシーツの塊があった。
「すーすー……むにゃ」
気持ちよさそうな寝息が聞こえる。
長い金髪が枕元に広がり、どこか神秘的なのに、口元が緩んでいるのがフィエルさんらしい。
「おーい、フィエルさん。起きないとご飯なくなっちゃうよ?」
私が枕元で囁くと、長い耳がピクリと動いた。
「……ごはん?」
「そう、今日はミリア特製のハンバーグ!」
「!!」
その単語が聞こえた瞬間、毛布の塊がバッと跳ね起きた。
「は、ハンバーグ!? 食べますぅ! 起きますぅ!」
フィエルさんは瞬時に覚醒し、ベッドから飛び降りると、目にも留まらぬ速さで髪を整え始めた。
食い意地……いや、食への情熱が凄まじい。
「ささっ、行きましょうハルナさん! 冷めないうちに!」
「あはは、早いなぁ」
私たちがリビングに戻ると、ミリアが笑顔で迎えてくれた。
「ふふ、フィエルさん、おはようございます」
「おはようございますぅミリアさん! んん~っ! いい匂いですぅ!」
フィエルさんは席に着くなり、ハンバーグを前にして目を輝かせた。
私たちも席に着き、手を合わせる。
「「「いただきます!」」」
ナイフを入れると、肉汁がじゅわっと溢れ出した。
「ん~っ! 美味しい!」
「お肉が柔らかいですぅ! 口の中で解けますぅ!」
肉汁たっぷりのハンバーグに、新鮮な野菜のサラダ、そして具だくさんのスープ。
どれもこれも美味しい!
私たちはわいわいと話をしながらも、あっという間に完食してしまった。
◇
そして食後は、お待ちかねのバスタイム!
「わぁ! 広いですぅ!」
「窓からお星様が見えますよ!」
自慢のお風呂には、私が火魔法で適温にしたお湯がたっぷりと張られている。
三人で入っても余裕の広さだ。
「まずは体を綺麗にしましょう!」
ミリアが椅子を持ってきて、私の後ろに座った。
「ハルちゃん、背中流しますね」
「うん、ありがとう。じゃあ、私はフィエルさんの髪を洗ってあげようかな」
「えへへ、お願いしますぅ」
フィエルさんが私の前にちょこんと座る。
私は彼女の長い金髪にたっぷりとお湯を含ませ、石鹸で泡立てていく。
「わぁ、泡がいっぱいですぅ。帽子みたいですねぇ」
「動かないでねー。目に入っちゃうよ」
指で頭皮を優しくマッサージすると、ほんのり赤く染まった耳がふにゃりと垂れてきた。
相変わらず可愛い。
背中からは、ミリアがタオルで丁寧に洗ってくれる感触が伝わってくる。
「ハルちゃん、痛くないですか?」
「うん、大丈夫。気持ちいいよ」
「よかった。もっと綺麗にしますね」
そんな風にお団子みたいにくっついて、お互いの体を洗い合う。
異世界に来た当初はものすごーく恥ずかしかったけど、今では一緒にお風呂に入るのが当たり前になっている。
慣れってすごいよね!
肌と肌が触れ合う温もりと、石鹸の優しい香り。
(なんか安心する……)
一通り洗い終わると、私たちは湯船に浸かった。
「ふはぁ……気持ちぃ~」
お湯に肩まで浸かると、溜まっていた疲れがじゅわ~っと溶け出していくようだ。
「ふふ、やっぱり広いお風呂はいいですね」
「ですねぇ~。手足を伸ばしてもぶつかりませんよぉ」
フィエルさんがバタ足をして、お湯を跳ね上げる。
「こらこら、暴れないの」
私は苦笑いしながら、大きな窓の外に目を向けた。
そこには、空いっぱいに広がる満天の星々が見える。
「うわぁ……」
誰からともなく感嘆の声が漏れる。
「月が、とっても綺麗ですね」
「本当だね」
「星も降ってきそうですぅ」
湯気越しに見るその景色は幻想的で、日本にいた時の写真や、画面越しでは見ることのできない、本物の輝きがそこにあった。
「こんな景色を毎日見られるなんて、贅沢だよね」
「はい、本当に……少し前まででは考えられなかったです」
「ずっと三人でこの景色を見ようね」
「はい!」「もちろんですぅ!」
◇
お風呂から上がり、ポカポカに温まった体でリビングに戻った私たちは、妖精の風で髪を乾かし合う。
ドライヤーは現代のもの以上にハイパワーで、髪もあっという間に乾いていく。
そして少し雑談をしたのち、それぞれの部屋に戻ることにした。
「おやすみなさぁい、ハルナさん、ミリアさん」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ!」
新しい自分の部屋。
真新しいシーツの匂いがするベッドに潜り込む。
静かだな。
宿屋の時とは違う静寂。
湖のさざ波の音だけが、遠くから微かに聞こえてくる。
「ふぅ」
一人で寝るのは、いつぶりだろう。
快適なはずなのに、広すぎるベッドがなんだか少しだけ寂しいような気もする。
そんなことを考えて、うとうとし始めた時だった。
コンコン。
控えめなノックの音がした。
「ハルちゃん? 起きてますか?」
「ミリア? どうしたの、入っていいよ」
ガチャリとドアが開き、枕を抱えたミリアが顔を覗かせた。
月明かりに照らされた彼女は、少し恥ずかしそうに俯いている。
「その、お部屋が広くて静かで……なんだか落ち着かなくて」
ミリアは抱えた枕に顔を半分埋めながらこちらを見つめた。
「今日は一緒に寝ても、いいですか?」
トクンッ!
不意打ちの可愛さに、心臓の音が聴こえた気がした。
寂しかったのは、私だけじゃなかったんだ。
「も、もちろん! 入って」
少しドギマギしながらも布団をめくって手招きすると、ミリアは安堵したように目元を緩ませた。
「はいっ!」
トテトテとこちらに走り寄り、慣れた様子で私の隣に潜り込んでくる。
「あったかいです」
「うん、落ち着くね」
ぴったりと身を寄せ合うと、ミリアの体温と甘い香りが私を包み込む。
「ねえ、ハルちゃん。明日は何をしましょうか?」
「んー、そうだなぁ。せっかくだし、庭の手入れでもしようか? フィエルさんがお花植えたいって言ってたし」
「ふふ、いいですね。私、ハーブも育ててみたいです。料理に使えますから」
「いいね。採れたてハーブの料理、楽しみだなぁ」
「はい、お料理頑張りますね」
私の腕の中で、ミリアが嬉しそうに微笑む気配がした。
「あ、少し庭のお手入れしたら、私はギルドで簡単な依頼を受けてこようかな。お金もしっかり稼がないとだしね」
「私たちも行きますよ?」
「ううん。明日はゆっくりしててほしいんだ。一人でもできそうなのをサクッと片付けてきちゃうから!」
「ふふ、ハルちゃんは働き者ですね」
そうしてしばらく、とりとめのない話していると、ミリアの声がだんだんとゆっくりになっていく。
「ずっと、一緒ですよ……ハルちゃん」
安心しきったその吐息が、私の胸元をくすぐった。
「うん。ずっと一緒だよ、ミリア」
「えへへ……おやすみなさい」
ミリアは私の胸に顔を埋め、すぐに安心したような寝息を立て始めた。
彼女の柔らかな髪を梳いていると、その手触りの心地よさに誘われるように、私の意識も微睡みの中へ沈んでいった。




