第22話
チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。
窓から差し込む朝日の眩しさに、私はうっすらと瞼を持ち上げた。
「……んぅ」
見慣れない天井? ……じゃない。
これは、私たちが作った『クローバーハウス』の天井だ。
そうだ。
昨日はみんな疲れてて、カナンで買った出来和えの夕飯を食べて、すぐ寝ちゃったんだっけ。
寝返りを打つと、広々としたベッドの感触が心地いい。
「そっか……もう、自分の部屋があるんだよね」
ふあぁ、とあくびをして、もう少しだけ二度寝を楽しもうかと思った、その時だった。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「ハルちゃん? おはようございます。起きてますか?」
扉の向こうから聞こえるのは、ミリアの可愛らしい声。
私は慌てて布団を整え、ベッドから飛び降りた。
「あ、起きてるよ! 入ってー!」
ガチャリ、と扉が開く。
そこには、白いフリルのついたエプロンを身に着け、お盆を手にしたミリアが立っていた。
朝の光を背負ったその姿は、まさに天使……じゃない! なんだろう? 若奥さん?
「おはようございます、ハルちゃん。昨日はよく眠れましたか?」
「おはよ、ミリア。うん、ベッドが変わったからどうかと思ったけど、ぐっすりだったよ」
「それはよかったです。あの、顔を洗うお水、持ってきました」
ミリアがお盆に乗せた木桶とタオルを差し出してくれる。
以前ミリアの家でお世話になっていた時は、これが彼女の日課だったことを思い出す。
それが新しい生活になり、こうしてまた世話を焼いてくれることが嬉しくて、私は頬が緩むのを止められなかった。
「ありがとう。……ん? なんか、いい匂いがする」
顔を洗っていると、リビングの方から甘くて香ばしい香りが漂ってくることに気づいた。
「ふふ、分かりますか? 今日は新居での初めての朝ですから、ちょっと気合入れて作っちゃいました!」
「えっ、本当? 楽しみだなー」
「お料理するのは大好きですから!」
ミリアは少し照れくさそうに、でも誇らしげに胸を張った。
できた子すぎる! 朝から尊すぎて胸が苦しい。
「じゃあ、私はフィエルさん起こしてくるね」
「あ、フィエルさんなら、たぶんこの匂いで……」
ミリアが苦笑いしてドアの方を向いた瞬間。
向かい側のドアが勢いよく開いた。
「くんくん! こ、この甘い香りは何ですかぁ!?」
長い金髪を爆発させ、寝巻き姿のフィエルさんが飛び出してきた。
まだ目は半分しか開いていないのに、鼻と耳だけが何かを求めるように動いている。
「おはよう、フィエルさん」
「ふふっ、おはようございます。フィエルさん」
「はっ! ハルナさん、ミリアさん、おはようございますぅ! 夢の中で、お菓子のお風呂に埋もれてたんですけど、現実の匂いだったんですねぇ」
よだれを拭いながらフラフラと近づいてくるフィエルさん。
そんな彼女の様子を見て私たちは顔を見合わせると、ふふっと笑い合いながらリビングに向かった。
◇
広々としたリビングのテーブルには、湯気を立てるお皿が並べられていた。
そこにあったのは、こんがりと黄金色に焼かれたパンケーキのタワーだ。
上からはたっぷりの蜂蜜がかかり、以前森で採った色鮮やかなベリーが添えられている。
「わぁー! すごい! お店みたい!」
「えへへ、以前ハルちゃんに教えてもらったメレンゲを生地に混ぜてみました」
「さすがミリア! ふわふわで美味しそうっ!」
「眼福ですぅ、至福ですぅ!」
フィエルさんが目を輝かせて席に着く。
私たちもそれに続き、手を合わせた。
「「「いただきます!」」」
ナイフを入れると、生地は驚くほど柔らかく、湯気と共に甘い香りが溢れ出した。
一口食べた瞬間、口の中に幸せが広がる。
「んん〜っ! ふわふわ! 口の中で溶けちゃうよ!」
「甘くて美味しいですぅ! 朝からこんなご馳走、贅沢すぎますぅ」
二人の反応に、ミリアがパァっと花が咲くような笑顔を見せた。
「よかったぁ! 頑張った甲斐があります」
「ミリア……本当美味しすぎだよ! 毎日食べたいくらい」
「ま、毎日だなんて……でも、が、頑張りますっ」
顔を真っ赤にして俯くミリア。
窓の外の湖を見ながら、大切な仲間と食べる手作りの朝食。
幸せだなぁ……
食事を終え、淹れたてのハーブティーを飲みながら、私たちは今日の予定について話し始めた。
「さて、と。今日はこれからカナンへ買い出しに行きたいんだけど……今までと違ってちょっと時間かかっちゃうよね」
私が切り出すと、ミリアが少し困ったような顔で窓の外を見た。
「そうですね。歩いて一時間半ほどかかりますし……結構な時間になっちゃいますね」
そう、それがネックなのだ。
湖畔のこの場所は景色も環境も最高なんだけど、街までのアクセスがちょっと悪い。
毎日往復三時間は、冒険者活動をする上でも少しもったいない。
「馬車があればいいんですけどぉ、維持費もかかりますしねぇ」
フィエルさんがティーカップを両手で持ちながら首を傾げる。
うーん、馬車かぁ。
それもいいけど、もっと手っ取り早い方法がある気がする。
私はふと、この異世界に来た初日の事を思い出した。
人のいる場所を探したくて……そう、高く浮かび上がって遠くに見えるノール村を見つけたんだ。
あ、そうだ! というか、ノール村を出るときに自分の足で! とか言って、それから完全に頭から抜けていた。
なんで忘れてたんだろ……
私はニヤリと笑って、カップをテーブルに置いた。
「ねえ、二人とも。歩くのが大変なら……『飛んで』いけばいいと思うんです!」
「えっ?」「はい?」
二人の動きがピタリと止まる。
ミリアはきょとんとし、フィエルさんは「またまたぁ」と手をひらひらさせた。
「ハルナさん、冗談がお上手ですねぇ。人は翼がないから飛べないんですよぉ?」
「でも、風魔法があるでしょ!」
「風魔法ですかぁ? うーん、確かにジャンプする補助をしたりはできなくはないと思うんですけど、空を自由に飛ぶっていうのはちょっと聞いたことないですねぇ」
フィエルさんは人差し指を立てて、エルフとしての魔法知識を語り始めた。
「魔法は精霊さんの力を借りますが、それで発現するのは出力が違うとはいえ決まった形の魔法です。そもそもハルナさんみたいな細かい制御とか応用は普通出来ないんですよ」
「そういうものなんだ……」
やっぱり、この世界でも「飛行」は一般的じゃないらしい。
「じゃあ、ちょっと外に出てみようか。実験実験!」
私は二人を促して、庭――というか、家の前の広場へと出た。
◇
広場に出ると湖から吹き抜ける風が心地いい。
私は背伸びをして、深呼吸をした。
空を飛ぶイメージかぁ……飛行機とか、ヘリコプター?
ううん、もっと直感的なやつだ。
風が私を包み込んで、重力から解き放ってくれる感覚。
見えない『風のクッション』に乗るような……あるいは、私が風そのものになるような。
よしっ!
(風よ。私を空へ連れて行って)
魔力を練り上げ、体の周りに渦巻く風を感じる。
それは以前、森で高くジャンプした時よりも、もっと濃密で優しい力だ。
ふわっ。
私の体が、重さを失ったように浮き上がった。
地面が遠ざかっていく。
1メートル、3メートル、5メートル……。
「え……?」
「うそぉ……!?」
下から見上げている二人の顔がどんどん遠ざかっていく中、驚愕で目を見開いているのが見えた。
私は空中で静止し、プカプカと漂ってみせた。
「おーい! 二人ともー! 眺め最高だよー!」
手を振ると、フィエルさんが口をパクパクさせながら叫び返してきた。
「な、な、なんで浮いてるんですかぁぁ!?」
「ハ、ハルちゃん! 危なくないんですか!?」
私は風を操作して、ゆっくりと二人の目の前まで降りていった。
着地もふわりと、羽根が舞い降りるように。
スタッ。
「どう? これならカナンまでひとっ飛びでしょ?」
「確かにそうですけど……相変わらず、非常識なことをサラッとやってのけますねぇハルナさんは」
フィエルさんが呆れたように、でも興味津々で私の周りをくるくると回り始めた。
長い耳をピコピコさせながら、私の周りの空気を手で触ろうとしている。
「風の魔力が、ハルナさんを包み込んでるみたいですぅ……これって私にもできるんでしょうか?」
「うーん……フィエルさんも風魔法は使えるし、コツさえ掴めばできそうな気はするんだけど」
「ほ、本当ですかぁ!? 自力で、空を!」
フィエルさんの瞳が、期待でキラキラと輝き出した。
私は例外かもしれないが、フィエルさんも風魔法に関する潜在能力は高そうだし、出来なくはない……と思う。
「よーし! 私、ハルナさんの飛び方をじっくり観察して、技を盗んじゃいますよぉ!」
「うんうん、今度練習してみよう!」
「さすが師匠ぉ~! ぜひお願いしますぅ」
フィエルさんは満面の笑みで抱きついてくる。
その拍子に、彼女の柔らかな膨らみがむぎゅっと押し付けられ、その弾力がダイレクトに伝わってきた。
エルフ特有の甘い香りに、思わずドキッとしてしまう。
……いやドキッ、じゃない! 私はブンブンと首を振って邪念を追い払った。
「はいはーい、フィエルさん、でもそれはまた後でね」
ぴったり密着しているフィエルさんをゆっくり引きはがし、今度はミリアの方を向いた。
一人で飛べたことだし、次はもちろん二人でのチャレンジだ。
「ミリア、一緒に飛んでみない?」
「えっ!? わ、私ですか!? 無理です無理です! 私、風魔法なんて使えませんし」
ブンブンと首を振るミリア。
可愛いなぁ、もう! 何というか彼女には小動物的な可愛さがあると思う。
と言う話はさておき、ここは優しくエスコートしなくては。
「ミリアは何にもしなくて大丈夫だよ。私がしっかり支えてるから。……私を信じて?」
私が手を差し出すと、ミリアは一瞬躊躇った後、恐る恐るその手を握り返してくれた。
「ハルちゃんがそう言うなら……信じます」
「よし! じゃあ、ちょっと失礼して」
私はミリアの腰に手を回し、ぎゅっと抱き寄せた。
華奢な体がビクッと震える。
甘い匂いが鼻をくすぐり、柔らかい感触が胸に伝わってくる。
「ひゃうっ! ハ、ハルちゃん! 近いです……」
「離れないように、しっかりつかまっててね」
「は、はいぃ」
ミリアは顔を真っ赤にしながら、私の首に腕を回し、ぴたりと体を密着させてきた。
心臓の音が伝わってきそうだ。
「じゃあ、いくよー!」
私は二人分を包み込むように風の魔力を広げた。
ふわり、と足が地を離れる。
最初は低く。
「きゃっ!」
ミリアが悲鳴を上げて、さらに強く私にしがみつく。
そして私たちは徐々に高度を上げ、上昇していった。
屋根の高さを越え、木々の梢を見下ろす位置へ。
「ミリア、目を開けてみて。怖くないよ」
私の耳元でギュッと目を瞑っていたミリアが、恐る恐る目を開ける。
「わぁ……」
朝日に輝く広大な湖と、遠くに広がる緑の森。
さっきまで見えていた景色も、視点が変わるだけでこんなにも違って見えるんだ。
「すごい……私、本当に空を飛んでます!」
「でしょ? 綺麗だよね」
「はい。それに……ハルちゃんの腕の中、なんか安心します」
ミリアが上目遣いで私を見つめる。
背景には青空と輝く太陽。
遮るもののない空間で見つめ合う。
「……」
ミリアの潤んだ瞳に、私が映っている。
「……ハルちゃん」
吐息のような声で名前を呼ばれ、胸がトクンと跳ねる。
腕の中の体温が、少しだけ熱くなった気がした。
「ミリア……」
自然と名前を呼び返すと、ミリアの頬がほんのりと朱く染まる。
ただお互いの温もりを感じながら、風に身を委ねる時間。
なんだか私たちだけが世界から切り離され、二人だけでいるような感覚。
あれ? なんか、私……
と、その時だった。
「おーい! そろそろ交代してくださいよぉ~!」
地上から、フィエルさんが叫んでいるのが聞こえた。
その声にハッと我に返った。
あ、あれ?
な、なにしようとしてたんだ!? 私!!
「あ、えっと……そ、それじゃあ降りようか。フィエルさんも待ってるし」
「そ、そうですね。戻りましょうか」
お互いに顔を見合わせ、照れくさそうに笑い合うと、私たちはゆっくりと地上へ降りていった。
「おかえりなさいですぅ! いいなぁ、私も飛びたいですぅ!」
待ち構えていたフィエルさんが、羨ましそうに飛び跳ねている。
なんか私じゃなかったような、新しい私になったような、初めての気持ちだった。
ちらっとミリアの方を向くと、彼女も頬を染めて俯いていた。
(あ、あれれ!?)
ま、まぁともかくだ!
二人での浮遊も大成功。
次は三人で飛べるかを試さないとね! うん。
私は気を取り直して、「よしっ!」と気合を入れた。
「じ、じゃあ次は三人で飛んでみようか!」
「えっ、三人でもいけるんですかぁ?」
「任せて!」
そういってウィンクをすると、私たちは円陣を組むようにして向かい合った。
「二人とも、私の手にしっかり掴まっててね」
右手にミリア、左手にフィエルさん。
私は二人の手をぎゅっと握った。
「準備はいい?」
「「はいっ!」」
「それじゃあ、テイクオーフ!」
ヒュオッ!
風が私たち三人を包み込み、一気に大空へと舞い上がった。
今度はさっきより高く、早く。
「うわぁぁぁ! 高ーいですぅ! 鳥さんになったみたいですぅ!」
フィエルさんが歓声を上げる。
エルフの視力なら、遠くの街まで見えているのかもしれない。
「あっちがカナンですね! 上から見ると、城壁の形がよくわかります」
ミリアももう怖くないようで、楽しそうに遠くの景色を指差している。
三人で空を飛ぶ。
まるでアニメや漫画の中の出来事みたいだけど、これは現実だ。
「これなら、カナンまで10分もかからないかもね」
「すごいです! これなら朝ごはんをゆっくり食べても間に合いますねぇ」
「はい。お買い物も楽々です!」
私たちは空中で顔を見合わせ、笑い合った。




