第13話
フィエルさんが私たちのパーティーに加わってからは、森を包んでいた張り詰めた空気が、ふっと緩んだ気がした。
これまでは、どこから魔物が出てくるかわからない緊張感があったけれど。
今は彼女が、長い耳をピコピコと動かして周囲を警戒してくれているおかげで、とても安心して歩くことができる。
「あ、あそこの茂みにキラービーさんがいますねぇ。刺激しないように迂回しましょう~」
「了解!」
「さすがです! 頼りになりますね、フィエルさんは」
「えへへ、それほどでもありますぅ」
ミリアの素直なリスペクトに、フィエルさんは照れくさそうに笑うと、相棒である弓の弦を軽く弾いてみせた。
のんびりした口調の彼女だけど、その索敵能力は本物だ。
私たちは無駄な戦闘を避けながら、順調にカナンの街への帰路を進んでいた。
蜜リンゴが入った袋を三人で分け合って持っているから、足取りはどうしても少し重くなるけれど。
三人の会話が弾んでいるせいか、ちっとも苦にはならなかった。
――その時だった。
「……何か、来ますっ!」
先頭を歩いていたフィエルさんが、私たちを手で制し、姿勢を低くした。
耳はピンと立ち、表情も一瞬で真剣なものに変わっている。
「……! ハルナさん、ミリアさん、後ろです!」
彼女の鋭い声と同時に振り返ると、後方の藪がものすごい勢いで弾け飛んだ。
「ブモオオオオオオッ!!」
空気をビリビリと震わせる咆哮と共に現れたのは、まるで戦車のような重厚な影。
全身を赤黒い剛毛で覆われた、巨大なイノシシだ。
大きさは大型のワゴン車くらいあるだろうか。口元からは鋭利なナイフのような牙が二本、天に向かって突き出ている。
「な、なにこれ……でっかいイノシシ!?」
興奮しているのか、その鼻息からは白い蒸気がシューシューと噴き出している。
ぎろり、と充血した瞳が私たちを捉えた。
「『レッドボア』です! 気性が荒くて、突進されたら大木でもへし折っちゃいますよぉ!」
フィエルさんが早口で叫びながら、背中の弓を流れるような動作で構えた。
――直後。
「ブモッ!」
レッドボアが、その大きな足で地面を蹴った。
地響きを立てながら、一直線にこちらへ突っ込んでくる。
速い!
「ミリアは私の後ろに!」
「は、はいっ」
私は、あまりの衝撃に立ちすくんでいるミリアを庇うように前に出る。
「私が足止めしますぅ!」
「オッケー! 魔法ならいつでもいけるよっ!」
打ち合わせる時間なんてない。
けれど、不思議と呼吸が合った気がした。
フィエルさんが矢をつがえ、ギリリと弦を引き絞る。
その瞳は、さっきまでのドジっ子な雰囲気とは別人のように鋭く、獲物を見据えていた。
「そこっ!」
ヒュンッ!
放たれた矢は、吸い込まれるようにレッドボアの右目へと突き刺さった。
「ブギョオオオッ!?」
強烈な痛みに、レッドボアが悲鳴を上げてのけぞる。
突進の軌道が逸れ、そのまま横にある太い木に頭から激突した。
メリメリッという音と共に、木が大きく揺れる。
「今です、ハルナさん!」
彼女が作ってくれた、絶好のチャンス。
私は一歩前に踏み出し、右手を突き出した。
イメージするのは、鋼鉄すら切り裂く鋭利な風の刃。
私は横薙ぎに腕を振るった。
「『エア・スラッシュ』!!」
私の指先から放たれたのは、三日月状の真空の刃。
それは、キィィーンという甲高い音と共に空気を切り裂き、体勢を立て直そうとしていたレッドボアへと襲いかかった。
スパァンッ!!
風の刃が、その巨体を背後の木の幹ごと切り裂く。
一瞬の静寂の後。
「ブ……」
大木がゆっくり倒れるのと同時に、レッドボアは力なく崩れ落ちた。
そして、その巨体は黒い霧となってシュワシュワと霧散していく。
あとには、ラグビーボールほどの大きさがある赤い石だけが、ゴロンと地面に残された。
「よしっ! ……って、何あれ?」
私は魔物を倒したことよりも、地面に残された赤い石が気になってしまった。
以前ゴブリンを倒した時は、ミリアのことで頭がいっぱいで気づかなかったけど、魔物って倒すと何か残すのかな?
「あれは『魔石』ですよぉ! 魔物さんの魔力の核みたいなものです」
フィエルさんは歩み寄ると、その石をコンコンと叩いた。
「魔物を倒すと肉体は消えちゃうんですけど、この魔石だけは残るんです。ギルドに持っていけば、討伐証明にもなるし、換金もできるんですよぉ」
「へぇ、そうなんだ。……ってことは、これで報酬もアップだね!」
「はいっ! お見事でした、ハルナさん!」
フィエルさんがパァっと笑顔を見せる。
後ろで見ていたミリアも、ホッとしたように胸を撫でおろすと、パタパタと駆け寄ってきた。
「すごいです、ハルちゃん! あんな大きな魔物を一瞬で倒しちゃうなんて……」
「ありがとう、ミリア。でも、フィエルさんが足止めしてくれなきゃ外してたかも……あの流れるような動き、すごかったよ」
「えへへ、弓だけは得意なんですぅ」
フィエルさんは照れくさそうに長い耳を揺らした。
瞬時にけん制できるフィエルさんと、大火力を叩き込む私。
もしかして、すごく相性がいいのかも?
私は地面に落ちている魔石を両手で拾い上げた。
ずっしりと重い。これがレッドボアの命の核だったものか。
「……さて、と。これも持って帰らなきゃいけないけど……」
私たちは元いた場所に戻ると、足元を見やった。
そこには、戦闘の前に慌てて置いた蜜リンゴの袋が三つ。
それに加えて、この大きめの魔石だ。
これを持ってまた歩くのは、正直かなり骨が折れる。
「重そうですねぇ……。あ、私が持ちますよっ」
「フィエルさんも疲れてるでしょ? 無理しちゃだめだよ」
「そうです。お二人とも疲れてるでしょうし、私なら二袋くらい持てますから!」
ミリアも気を使って、そうは言ってくれたのだが……
うーん、どうにかならないかな。
アニメや漫画だと、こういう時に便利な魔法があったりするんだけど。
例えばこう、別の空間に荷物をポンと入れるような……。
私は何気なく、魔石を持ったまま空間に向かって念じてみた。
女神様からもらった「全属性」の中には、「闇」属性もあったはず。
闇ってなんとなくブラックホール的な、空間に関係するイメージがあるし、これでいけないかなぁ。
(うーん、イメージは……亜空間に広がる巨大な倉庫!)
私の意思に呼応するように、魔力が練り上げられる。
すると、目の前の空間がぐにゃりと歪み、黒い渦のような穴がぽっかりと口を開けた。
「「ええっ!?」」
私以外の二人が驚愕の声を上げる。
試しに、手に持っていた魔石をその穴に近づけてみると、スッと吸い込まれるように消えてしまった。
手応えはないけれど、頭の中には『レッドボアの魔石×1』という文字情報が浮かんでいる。
「……入っちゃった」
試しに「出ろ」と念じると、ポロンと魔石が手元に落ちてきた。
おお、これは便利!
「な、な、なんですかそれぇぇぇ!?」
フィエルさんが目を丸くして、私の顔と黒い穴を交互に見ている。
ミリアも口をあんぐりと開けたままだ。
「えっと……『アイテムボックス』? みたいな魔法?」
「アイテムボックスって……それ、失われたとされる『時空魔法』のようなものでは!?」
「えっ、そうなの?……なんかイメージしたらできたんだけど」
「い、イメージするだけ、て……」
フィエルさんが目を回して倒れそうになったところを、ミリアが慌てて支える。
「ハルちゃん……また、常識外れなことを……」
「あはは……まぁ、便利だからいいじゃない!」
私は苦笑いしながら、地面に置いてあった蜜リンゴの袋を次々と黒い穴――アイテムボックスへと放り込んだ。
重かった荷物が一瞬で消え、身軽になる。
「これで帰り道は楽々だね! さあ、帰ろう!」
私が明るく言うと、二人は顔を見合わせ、やれやれといった感じで、でも嬉しそうに笑った。
◇
手ぶらになった私たちは軽やかに歩き出す。
森を抜けると、空は茜色から紫へとグラデーションを描き、広々とした大地を濃い黄金色に染めていた。
「……ねえ、みんなで手を繋ぎませんか?」
ミリアが私を上目遣いに見ながら、ふとそんな提案をしてきた。
私は両隣を歩く二人の顔をそれぞれ確認する。
「えっ、私が真ん中?」
「はい! ハルちゃんはリーダーですから!」
「私は異存ありませんよぉ~」
両側からミリアとフィエルさんが、私の手をぎゅっと握ってくる。
ミリアの手は少ししっとりとして温かく、フィエルさんの手は少しひんやりとしていた。
違う温度が、私の両手を通じて心にまで染み込んでくる。
「えへへ、両手に花、みたいな……なんか照れちゃうな」
「ふふ、ハルちゃんが花の中心ですね」
「それじゃあ、私たちは花びらですかねぇ?」
三人の笑い声が、夕暮れの空に溶けていく。
「あ、そうだ。依頼の報告だけど……今日はもう遅いし、ギルドに行くのは明日にしない?」
私が提案すると、二人はすぐに頷いた。
「そうですね。ギルドに寄ってたら、宿の夕飯に遅れちゃいます」
「それに、お腹もペコペコですぅ。やっぱり温かいご飯が食べたいですよぉ」
フィエルさんが大袈裟にお腹をさすると、まるでそれに答えるように、ぐぅ、と可愛い音が鳴った。
それにつられて、私とミリアのお腹も小さく鳴る。
「あはは! みんな腹ペコだね」
「ですね! 帰りましょう、陽だまり亭へ!」
「レッツゴーですぅ!」
私たちは顔を見合わせて笑い合うと、カナンへの道を少し早足で歩き出した。
ギルドへの報告も、報酬の山分けも明日のお楽しみ!
今はただ、三人で囲む温かい食事のことだけを考えていた。




