第12話(後編)
8000文字近くになってしまったため、前後編に分割しました。(後編)
「……うぅ、助かりましたぁ。もう一時間くらい、あそこでコウモリさんの気持ちを味わってたんです」
一時間か……。
この森で、無防備な状態で吊るされていたなんて、魔物に襲われなくて本当によかった。
でも、一つ疑問が残る。
「でも、どうして自力で脱出できなかったの? エルフなら魔法とか使えるイメージがあるんだけど……」
私が率直な疑問を投げかけると、フィエルさんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「そ、それがですねぇ……。実はここに来るまでに、しつこい魔物さんに追いかけ回されちゃって。おかげで、魔力がすっからかんだったんですぅ」
「そうなんだ……」
「命からがら逃げてきたところで、とっても綺麗な蝶々さんが飛んでたので、つい……」
足元に注意が及ばす罠に掛かってしまった、ということか。
それにしても、蝶を追いかけて罠にかかるエルフかあ……。
私の知っている「高潔な森の賢者」のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「そうなんですか……た、大変でしたね」
ミリアも心配そうにしてはいるものの、この状況を何としたものか、という表情だ。
「しかもその時、武器が全部落ちてしまいまして。……おまけにお腹も空いて力は出ない。もう終わりかと思いましたぁ」
フィエルさんは「えへへ」と力なく笑った。
なるほど。不運とドジと空腹が重なった結果、ということらしい。
でも、彼女の屈託のない笑顔を見ていると、なんだか毒気を抜かれるというか、なんというか。
とにかく不思議な愛嬌がある子だ。
そんな事を考えていた時。
ぐぅぅぅぅぅ……。
フィエルさんの言葉を証明するように、彼女のお腹から盛大な音が鳴り響いた。
彼女は顔を赤らめることもなく、「あはは、なっちゃいました」と笑っている。
「……ミリア、何か食べるものある?」
「はい、携帯食のクッキーとパンがあります」
ミリアは保存用のクッキーとパンを取り出し、フィエルさんに差し出した。
彼女は「ありがとうございますぅ!」と受け取ると、飢えた獣のようにそれにかぶりついた。
「はむ、はむ……はむ、はむはむ」
本当にお腹が空いていたんだろう。
ものすごいペースでパンとクッキーが口の中に吸い込まれていく。
しかし……。
「はむ、むぐっ……んぐぐ……ッ!?」
案の定、水分を持っていかれて喉を詰まらせる。
なんだろう、フィエルさんの場合、ある意味予想通りともいえるような……。
「ああっ、大丈夫ですか!? お水、お水!」
ミリアが慌てて革の水筒を差し出す。
フィエルさんはそれをひったくるようにして飲み干し、ようやく「ぷはぁ……生き返りましたぁ」と息をついた。
彼女の落ち着いた様子を確認すると、ミリアが私の方を見ていたずらっぽくウィンクした。
その意図を察して、私もニヤリとする。
そうだね。こういう時こそ、あれの出番だ。
私は腰のポーチに手を伸ばした。
取り出したのは、銀紙に包まれた一口サイズの生チョコレート。
「フィエルさん、これ食べてみて」
私は銀紙を剥いてフィエルさんにそれを渡す。
「これは? 黒くて四角い……土、のような?」
「土じゃないよ。甘くて美味しい、元気が出る食べ物。『チョコレート』っていうの」
ココアパウダーをまとったそれは、彼女にとって不思議な物体に見えたのだろう。
フィエルさんはクンクンと鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
まるで警戒心の薄い犬みたいだ。
「いい匂い……。じゃあ、いただきます」
パクッ。
彼女はチョコを口に含んだ。
次の瞬間。
「ん……?」
フィエルさんの瞳が大きく見開かれた。
そして、ピンと立っていた長い耳が、ピコピコと激しく動き出す。
「な、なんですかこれぇぇぇ!? 口に入れた瞬間、ふわっと溶けてなくなっちゃいましたぁ!」
「気に入ってくれた?」
「はいっ! こんな滑らかで美味しいもの、食べたことありません!」
フィエルさんは頬に手を当て「幸せですぅ~!」と、体をクネクネさせながら身悶えている。
その反応が新鮮で可愛くて、私とミリアは顔を見合わせて笑ってしまった。
「女神様のチョコ、効果バツグンだね」
「はい。フィエルさん、すごく幸せそうな顔してます」
チョコ一粒でここまで喜んでもらえると、あげた方としても嬉しくなる。
フィエルさんは名残惜しそうに口の中の余韻を楽しんでから、改めて私たちに向き直り、深々と頭を下げた。
「ハルナさん、ミリアさん。命を助けてもらった上に、こんなに美味しいものまで……。この御恩は、一生忘れませんっ」
「そんな大袈裟な。困った時はお互い様だよ」
「いいえ! エルフは受けた恩を忘れない種族なんです」
フィエルさんは拳を胸の前でぎゅっと握りしめ、強いまなざしで宣言する。
その姿は、先ほどまでのドジっ子ぶりが嘘のように凛々しく、高潔なエルフそのものだった。
そして、「あ、そういえば」と思い出したように手を打つと。
「そもそもお二人は、この森に何をしに来たんですか?」
フィエルさんの長い耳が、またしてもアンテナのようにピコピコと動く。
可愛いな。
お腹が満たされた彼女は、どうやら私たちの目的に興味津々のようだ。
「蜜リンゴを探しに来たの。この奥にあるって聞いたんだけど」
「蜜リンゴですか! それなら私、場所知ってますよぉ。さっき蝶々さんを追いかけてる時に見つけました」
「えっ、本当ですか!?」
ミリアが食いつく。
「はい。案内しますね! 恩返しさせてください~」
フィエルさんは立ち上がり、落ちていた武器を鮮やかな手つきで身に着けると、先導するように歩き出した。
◇
フィエルさんの案内で進むこと十分ほど。
藪を抜けた先に、甘い香りが漂う一画が現れた。
そこには、赤い実をたわわに実らせたリンゴの木が数本並んでいた。
「わあ! 蜜リンゴの群生地です! すごいです、こんなにたくさん!」
「えへへ、でしょう? 私、森の探索なら得意なんですよぉ」
フィエルさんが得意げに胸を張る。
さっきまで罠にかかっていた人が言うと説得力がない気もするけど、確かにこの場所は、地図だけでは見つけられなかったかもしれない。
「取りすぎには注意しようね」とだけ声をかけると、私たちは早速、蜜リンゴの収穫に取り掛かった。
高いところにある実は、私が風魔法で優しく落とし、それをミリアとフィエルさんがキャッチする。
フィエルさんは意外と身軽で(エルフだから当然か)、高い枝にひょいっと飛び乗って実を取るのもお手の物だった。
「はい、ハルナさん! こっちにも大きいのありましたよぉ」
「ナイス、フィエルさん! ミリア、そっちの袋に入れて!」
「はいっ! もう、大収穫ですね!」
三人での作業は楽しくて、あっという間に持ってきた袋がいっぱいになった。
作業を終え、木陰で休憩することにする。
私は早速、採れたての蜜リンゴを一つ、服でキュキュッと拭いてかじってみた。
シャクッという音と共に、濃厚な果汁が口いっぱいに広がり、鼻に抜ける香りが疲れた体を癒やしてくれる。
「んん~! 甘い!」
「最高ですね……。これなら、すごく美味しいパイが焼けます」
「ミリアさんのパイ……じゅるり。食べてみたいですぅ」
フィエルさんが目を輝かせてミリアを見る。
すっかり餌付けされた子犬のようだ。
そんな彼女を見て、私はふと気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、フィエルさん。この後はどうするの? やっぱり、エルフの里に帰るの?」
私が何気なく尋ねると、フィエルさんの動きがピタリと止まった。
さっきまでの明るい笑顔が曇り、長い耳がしゅんと垂れ下がる。
さっきからなんか可愛い! 生きているのだろうか……
彼女は食べかけのリンゴを膝の上に置くと、気まずそうに視線を泳がせた。
「……それが、そのぉ……帰れないんですぅ」
「え? 帰れない?」
「は、はい……。実は私、里を飛び出してきちゃったんです」
フィエルさんは指先同士をツンツンと合わせながら、消え入りそうな声で告白した。
「里の掟とか、修行とかが厳しくて……『もっと外の世界を見てみたい!』って、置手紙ひとつで家出同然に出てきちゃいまして……」
「い、家出……ですか?」
ミリアが驚きの声を上げる。
あー、なるほど。それで一人でこんなところにいたのか。
「はい。勢いで出てきたのはいいんですけど、お金もないし、知り合いもいないし……。里に帰ろうにも、今さらなんて顔して帰ればいいのか分からなくてぇ……」
フィエルさんは深くため息をつき、膝を抱えた。
「行く当てもないので、森で野宿しながら木の実を食べてたんですけど……また今日みたいに罠にかかったり、魔物に襲われたりしたらって思うと、少し不安でして……」
少し、というところが気になりはしたが、肩を震わせる彼女の姿は、とても小さく見えた。
高潔なエルフどころか、ただの迷子の女の子だ。
こんな子を、このまま森に置いていくなんてできない。
私はミリアに視線を向けた。
「……?」
ミリアは一瞬驚いた顔をするが、すぐに私の考えを察したように、優しく微笑んで頷いてくれた。
よし、決まりだ!
「ねえ、もし行く当てがないなら、私たちと一緒に街に来ない?」
私が声をかけると、フィエルさんはバッと顔を上げた。
「えっ? い、いいんですか? 私、家出っ子ですよぉ?」
「関係ないよ! それに、フィエルさんの森の知識があったら、私たちも助かるかもなぁ、なんて」
「そうです。フィエルさんがいてくれたら心強いですし……何より、賑やかで楽しそうです」
ミリアも後押ししてくれる。
「うん! 一緒にご飯食べたり、遊んだり! パーティーを組んで、もっといろんな依頼受けたりさ!」
「……パーティー。二人のお仲間になっていい、ということですか?」
フィエルさんが、きょとんとした顔で私たちを見る。
「もちろん!」「はい!」
じわじわと、彼女の顔が花が咲くように明るくなっていった。
大きな瞳に雫が光る。
「仲間……いい響きですぅ。私、お二人のこと大好きになっちゃいましたし、ぜひご一緒させてください!」
「じゃあ決まり!」
「ですね!」
そう言って、私たちはスッと手を差し出した。
「よろしく、フィエルさん」
「改めてよろしくお願いします、フィエルさん」
「はいっ! こちらこそ、ご厄介になりますぅ~」
フィエルさんは屈託のない笑顔で、私の手とミリアの手を両手で握りしめて、その手をブンブンと上下に振った。
……そうやって笑う彼女の真っ直ぐな瞳は、澄み切った湖のように綺麗だった。
帰りの道中。
フィエルさんは「あ、あそこにレアな薬草が!」「こっちの木の実も美味しいんですよぉ」と、次々に森の恵みを見つけてくれた。
そのたびに寄り道をして、森を出る頃には夕方になっていたけれど。
私たちの荷袋と心は、出発した時よりもずっと満たされていた。
こうして、私たちの「ハルミリア」コンビに、家出エルフのフィエルさんが加わった。
二人から三人へ。
賑やかさを増した私たちの旅は、きっとこれからもっと楽しくなる。
そう確信することができた。




