Addendum
しかし遅いな。下川はネットの記事をだらだらと流し読みしながら、右下に表示されている時刻を見ていた。約束の時間は午後三時半時だったが、既に時刻は四時を過ぎていた。いつの間にか、右足が貧乏揺すりをしているのに気づく。妻から「ホントみっともないから止めて」と吐き捨てるように言われたのを思い出し、いらつきが更に加速する。
机に上に置いてあったスマホがバイブレーションした。通知を見ると、メールの着信だった。
有限会社フックアップPC 下山様
お世話になります。
遅くなりまして申し訳ありません。先ほどまで渋滞にはまっていまして、今、秋葉原に入ったところです。あと五分ほどで貴社へ到着できるかと思います。
平本
「はいはい」
下山は面倒くさそうに呟きながら返信する。
平本様
お世話になります。
わざわざご連絡いただきまして恐縮です。
ご来店を心よりお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
フックアップPC 下山
下山はメールを送信して、ほっと息を吐いた。今のところひやかしとは言えないが、まだわからない。常識のないパソコン小僧が、現物見たさに連絡してきたたげかもしれない。そうだ、購入前に撮影しようとしたら止めないと。勝手にSNSへ自分の物だと公表されたらいい迷惑だ。
きっかり五分後、内線電話が鳴った。下山は電話を取った。
「社長、店舗に平本様がお見えです」
「わかった。すぐ行く」
立ち上がる。ネクタイを締め直し、フックアップPCの刺繍が入ったスイングトップのジッパーを首元まで引き上げる。
「智人、行くぞ」
「はいっ」
奥でパソコンに向かっていた若い男が立ちあがる。下山はその姿をじっくりと眺める。
「智人、お前今何食った?」
下山が冷たい目線を注ぐ。
「え? エクレアを……」
「口の端にチョコレートが付いてる。すぐ拭け」
「すいません」
慌てて事務の女性からティッシュペーパーを受け取って口を拭う。下山はそんな自分の息子を見ながら、心の中で小さくため息をついた。今年で三十なのにこのザマだ。客に会うときは身だしなみをしっかりしろといっているのにな。今回の件も含めて、まだまだ成長が足りない。
下山は智人を引き連れて事務所を出た。階段を降りていくと、単調なハウスミュージックの音が響いてきた。カウンターの横を通り抜け、店舗の中へ入った。いくつものショウウインドウが並び、中古のスマホやノートパソコンが、まぶしいほどのLEDライトに照らされて輝いている。下山は電話をしてきた店員に声をかけた。
「あの方です」
店員が狭い通路の先を手で指し示した。
入り口近くに、度の強いメタルフレームの眼鏡を掛けた、のっぺりとした顔の中年男性が立っていた。紺のスーツにノーネクタイで、黒の革靴を履いている。明らかにパソコン小僧ではない。詐欺師という可能性もあるが、前金でもらえば問題ないだろう。
下山は男に近づく。「平本様でいらっしゃいますか」
「はい、遅くなりまして申し訳ありません」
平本は下山を見て穏やかな笑顔を浮かべ、僅かに会釈をした。
「とんでもございません」下山は大仰にお辞儀を返す「お待ちしておりました。では早速商品をご覧ください」
下山が先導して、カウンターの奥にある部屋へ案内した。そこは店に出ていない商品を置いてある物品庫で、壁の棚に大量のパソコンやスマホが乱雑に並んでいる。
「これが現物になります」
中央に作業台があり、下山はその上に置いてある一台のサーバーを指し示した。
「この商品は、サイトに掲載したとおり、CPU2基とGPU8基を搭載しています。もちろん中古ですので最新とはいきませんが、それでも現在普及しているGPUサーバーと比べても、遜色ないスペックであることはご理解いただけるかと思います」
「もちろん承知しております」
平本は頷きながらも、視線はサーバーに注がれ、熱心にをチェックしている。矢継ぎ早にしてくる細かな質問に対しては、智人が淀みなく答えた。さすがに高卒の自分と違い、大学を出ただけのことはある。ただし、こいつを独断で仕入れたのはだめだ。いくら割安だったからといって、販路がなければ売れやしない。うちみたいな個人向けの商売をやっている店で、こんなデータセンターで使うようなサーバーが、簡単に売れるはずがないだろう。販売価格は二千九百八十万。日進月歩で技術が進んでいくこの業界で、サーバーなんて時間が経てば経つほどスペックが古くなり、価値が減っていく。ヒヤヒヤした面持ちでホームページにこの商品を掲載したところ、程なく平本が問い合わせをしてくれたのだ。
「問題ありません。これを購入させていただきます」
「ありがとうございます」
下山は平本に向かって深々と頭を下げながら、心の中でほっと息をつく。これで売れなかったら、大損していた可能性が高い。
「それではこれから振り込みをさせてもらいますね。限度額がありますから、三つの口座から送ります」
平本が胸のポケットからスマホを取り出し、操作し始めた。
「これで完了です。ヒラモトトシフミ名義で入金されているかと思います」
「智人、確認しろ」
「はいっ」
智人が物品庫から駆け出していった。二人だけになった下山は、改めて平本を観察する。白髪交じりできっちりと七三に分けた髪型、かさついた肌で目尻には皺。歳は五十代前半ぐらいだろう。体にフィットしているスーツはオーダーメードか。丸の内辺りにいそうなエリートサラリーマンの風情だ。そんな男が、どうして個人名義でこんなサーバーを購入するんだろうか。
「あの……これは何に使用されるのでしょうか」
平本は笑顔を浮かべて答える。「秘密です」
「そうですか」
ヤバい国へ密輸出するんじゃないかと思ったが、それはうちの責任ではない。こちらとしては、確かに金を払ってくれれば問題ない。
程なく智人が戻ってきた。「平本様、ご入金を確認させていただきました」
「それでは、早速配送の手配を進めさせていただきます」
「配送は必要ありません。店の前に車を回しますから、積み込みを手伝っていただけますか」
「よろしいですか? 関東圏なら配送料は弊社負担で手配させていただきますけど」
「大丈夫です。これからすぐに使用したいので、自分で運んでいきます」
「ご承知かと思いますが、これは精密機械である上に、重量が五十キロございます。専門の配送業者を使った方が安全かと思いますよ」
「問題ありません」
「はあ」
そこまで言うなら下山も異存はない。二人の店員を呼んでサーバーを毛布で包み、四人で台車へ慎重に載せた。エレベーターで一階へ降り、段差を注意しながらビルの出入り口へ出る。冷たく埃っぽい風が吹き付ける中、周囲を見回した。道路に車は止まっていない。どうするのかと平本に声をかけようとしたとき、スバルのワゴン車が左折して入ってきて、下山たちの前で止まった。平本が後ろへ回り、ハッチを開ける。
「ここへ入れていただけますか」
運転席にはサングラスをかけた男がいる。歳は三十過ぎだろうか。シャープな顎のラインが知的な印象だ。まっすぐ前を向いたままで、下山たちに注意を向ける様子はない。
下山たちは台車を車の後ろに付け、サーバーを持ち上げて中に入れた。平本はサーバーにバンドを掛け、ハッチを閉じる。
「それではありがとうございました」
平本が会釈をして助手席へ乗り込むと、スバルは動き出した。下山は再び深々と頭を下げた。
「ねえ親父、運転していた人ってさ、小田川翔吾に似ていなかったか?」
横で智人がポツリと呟く。
「小田川? それって誰だ」
「ほら、藤が丘シティを作った人だよ」
「ああ……。夏に爆発事故を起こしたところか」
藤が丘シティ、小田川翔吾。下山の中で記憶が掘り起こされ、ネットで見た画像が甦る。事故当時は、戦場のように瓦礫と化した藤が丘シティの映像が、ネットやテレビで飽きるほど映し出されていた。同時に、藤が丘事件と創設者の小田川翔吾も改めてクローズアップされたのを覚えている。
言われてみれば確かに小田川に似ていた気もするが、サングラスをかけているので断言はできない。
「そいつって、ずっと行方不明なんだろ。こんなところに現れやしないさ」
「まあ、そうなんだろうけど」
スバルはウインカーを点滅して左折し、車で溢れる夕方の大通りへ吸い込まれていく。ビルの谷間から覗く空は明るさを失い、静かに夜の闇が溶け込み始めていた。




