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Chapter 5: True  5‐1

今起きている事態は、イノベーションなんて言う生やさしい言葉では説明できないと思っているんです。

それは新たな進化です。

僕たちはその真っ只中にいる。

ワクワクしませんか。

【フィーチャーライフHPより 小田川翔吾メッセージ】


 フリーズした小田川の足元を、一匹のネズミが走り抜け、暗闇の中へ消えていった。その直後、小田川とへミスが再び動き始めた。同時に――緊急事態発生――という女性の合成音が繰り返し室内に響きだす。嶋本と佐山が平本の腕を放し、周囲を見回す。へミスから出ていた注射器が戻され、赤いLEDライトを点灯させた。

――研究所内に多数のネズミらしき動物が侵入し、電線を切断しています。このままだと藤が丘シティが機能不全に陥る可能性が出て来ます。早急に駆除を行ってください――

 嶋本と佐山、そして小田川も動き出し、暗闇の中へ消えた。平本一人が取り残される。

 早く逃げないと。平本はドアへ駆けより、開閉スイッチを探したが見当たらない。

「開けっ」

 パネルを叩いたが、ドアは反応しない。階段はないのか。周囲を見回すものの、LEDライトが照らす範囲は狭く、奥まで確認できない。暗い場所へ行ってみようかと思うが、何が出てくるかわからず怖かった。しかし、ここにいてもただ死を待つしかない。思い切って行こうかと思ったときだ。

 暗闇から数え切れないほど大量のネズミが現れた。

 ネズミ同士が積み重なり、一つの山となっていく。強烈な獣の臭いが鼻を突いた。その様子を唖然と見ていると、奥からへミスが現れた。

 へミスから、銀色に輝く金属のアームが伸びている。

 アームをネズミの山に突っ込んだ。ガガガと弾けるような音がした直後、ギィィィッという、金属をひっかいたような鳴き声が響き、山が崩れた。獣の臭いに、肉の焼ける臭いが混じってきた。思わず吐き気がしてくる。

 ネズミがへミスに襲いかかる。たちまちへミスはネズミに埋め尽くされていく。アームが折れ、灰色の毛の中へ埋もれていく。

 佐山も現れたが、あっという間にネズミに埋まっていった。

「うぐぐぐっ……」

 くぐもったうめき声が聞こえた後、ネズミの隙間から、大量の鮮血があふれ出す。それでも佐山はしばらくよろめきながらも立っていたが、やがてバタリと倒れてしまった。

 平本は腰の力が抜けて、尻を床に着けてドアにもたれかかった。心の底が逃げろと叫んでいたが、体はまるで別人のように言うことを聞かない。

「ネズミ……こっちへ来るなよ」と呟くのが精一杯だった。

 敵がいなくなったネズミは、再び重なり合い、山となっていく。それは揺らめきながら、天井に着きそうな程巨大になった。山からネズミ同士の境が消え、灰色の毛に覆われた一つの塊になった。表面から無数のシッポが突き出て、うねうねと蠢いている。

 山の形が変化していく。両腕のような物が伸び始め、下の部分も二本の足が出来ていく。頭部も形作られていく。シッポが縮まり体の中へ吸収された。体毛がバラバラと落ち、焦げ茶色の毛に生え替わりだした。頭部から口吻が突き出し、短い耳と肩が形作られていく。

 平本はその姿を唖然として見つめていた。

 熊だ。

 体長は軽々と二メーターは超えているだろう。天井に頭が着きそうな勢いだ。

 黒い眼窩からは表情が読み取れない。盛り上がった肩から伸びる太い前足には、灰色の鋭い爪が伸び、だらんと垂れ下がっている。

「ヴォォォッッ」

 熊が口を開き、凶暴な犬歯を露わにして咆哮を放った。

 その迫力に、平本は頭の中が真っ白になる。

 熊が右の前足を大きく振りかぶり、サーバーラックを横に払う。おもちゃのようにラックが吹き飛び、他のラックを巻き込みながら倒れていく。


 ドアの向こうは短い廊下になっていた。奥の左手のドアが開け放たれている。和希たちは中に入った。そこはシングルベッドが一つある狭い部屋だったが、床の中央に長方形の大きなハッチが開いていた。開口部には急な階段があり、奥から吉田と島名の争う声が聞こえた。和希と結香も中に入った。

 階段を降りきったところはビジネスホテルのシングルルーム程の空間があり、正面に人が通れるほどのトンネルがあった。吉田と島名はその境で争っていた。

「吉田君、これ以上来ちゃいかん。本当に危険なんだ」

「それでも僕は行きたいんです」

――あと二十秒――

「和希、行こう」

 結香の言葉に和希は頷く。「そうだな、行っちゃおう」

――あと十秒――

 吉田の背中に向かって、和希と結香が走り出す。

「ああっ」

 二人がぶつかり、吉田は押し出されるようにしてトンネルへ入っていく。島名は支えきれず、仰向けに倒れた。

――トンネルを閉鎖します――

 モーターのうなり声が聞こえ、両側からドアがせり出して閉まった。

 島名は起き上がると三人を睨み付け、吐き捨てるように呟いた。「馬鹿なことをした。死ぬ間際になって後悔しても遅いんだぞ」

「来ちゃったんだからしょうがないよ」

 トンネルの壁はむき出しのコンクリートで、LEDライトの冷え冷えとした光が内部を照らしていた。空気は肌寒く、息を吸うと少々かび臭さを感じた。先は暗く見通せない。

「ここで議論していても仕方ありません。奥へ進みましょう」

 四人は歩き出した。


「やめろ」

 暗闇から声がして、嶋本が現れた。右手には銀色に鈍く輝く刀を持っている。刀身は一メートル弱、ゆったりと反りが入り、柄と一続きだ。黒っぽい背から刃先に近づくにつれ、禍々しい銀色の輝きが増していく。刀を両手で持ち、中段の構えになって切先を熊に向けた。静かな目で熊を見つめ、すり足で、じりじりと間合いを詰めていく。

「ヴォォッ」

 弾けたように熊が短く吠えた。

 両腕を持ち上げ、鋭い爪を見せて嶋本を威嚇する。

 嶋本が刀を上段に振りかぶった。

「イヤァァッ」

 気合いと共に左足を踏み出し、一気に振り下ろす。

 熊がその巨体からは想像できない程の身軽さで反転した。

 刀が空を切った。

 熊は嶋本の横にいた。

 体を捻りながら刀を水平に払おうとした時、

 熊の右手が嶋本の顔面を襲う。

 大きくのけぞりながら攻撃を躱す。

 鋭い爪が鼻先をかすめた。

 間髪入れず、左手が振り下ろされる。

 嶋本が飛びすさる。

 右頬から三本の赤い筋ができた。鮮血が溢れ、顎からだらりと滴り落ちていく。

 再び上段の構えをとり、じりじりと熊ににじり寄る。

 熊が床を蹴り、跳躍した。

 巨体が天井をかすめながら、嶋本の頭上へ落ちていく。

 嶋本が刀を突き立てる。

 ドンと鈍い音を立て、床が揺れた。

 熊の背中から、刀が大きく突き出ていた。

 熊が四つの足で起き上がる。

「ヴォォォッッ、ヴォォォッッ」

 刀を突き刺されても、まるでノーダメージかのように力強く咆哮した。

 左脚の下には嶋本の胸があった。口から血を吐きながらも、逃げようともがいている。

 熊が覆い被さり、嶋本の顔を食い始める。

 ビチッ、ビチッ、ビチッ。

 ゴキッ、ゴキッ、ゴキッ。

 肉を引き裂き、骨が破壊される音が響く。

 嶋本の顔はえぐれ、鮮やかな赤色の肉が露わになっていた。頭頂部は生白い脳が露出している。

 平本は金縛りにあったように、その光景から目が離せない。

 このままじゃ、俺も殺されちゃうよ。逃げなきゃ。

 平本は立ち上がろうとしたが、腰に力が入らなくて、つんのめりながら倒れた。

 仕方なく、四つん這いで這うように熊から離れ、LEDの光が届かない場所に来た。

 左手に、柔らかくて生暖かい感触があった。粘ついた液体が付着して、ぬるりと滑る。

 何だと思い、顔を近づける。

 むせかえるような生臭さ。血にまみれ、むき出しになった真っ赤な肉。

 それがネズミにかじられた佐山の死体だと気づき、悲鳴を上げながら転がるように逃げた。必死で這っていく。もはや周囲は何も見えない。時折、金属の障害物にぶつかり、そのたびに方向転換したので、もう、自分がどれだけ熊から離れたのかもわからない。


 前方の角から白いワゴン車が曲がってきて、成実たちの前で止まった。中から防護服姿の男たちが出てくる。振り返ると、背後にもワゴン車がいて、防護服の男たちが出てくるところだった。

 両側を挟まれてしまった。しかも横には康孝がいる。どうしようと思っているうちに、防護服の男たちに取り囲まれてしまった。男たちは康孝の血だらけの顔を見ても、何の反応も示さなかった。

「康孝さん、この人は隔離対象です。我々が引き受けます」

 ああ……康孝の名前を知ってる。こいつらと康孝はやっぱりグルだったんだ。

「え? そうだったんだ。俺は彼女がアップグレードしていると言っていたから、てっきり信じちゃったよ」

「あたしは、アップグレードした成実よ」

 声が震えているよ。ばれちゃうじゃないか。

「そうなんですね」防護服の男は不審げな目で成実を見ていた。一応チェックさせてもらいますよ」

 男はワゴン車へ戻り、タブレットを取り出してきた。画面をタッチする。

「あれ? おかしいですね。ウイステリアが反応しません」

「そうなの?」

 康孝もタブレットをのぞき込んだ。「本当だ。こんなことってあるんだね」

「取りあえず、フィーチャータワーへ行きましょう。あそこならわかると思います」

「そうだね」

 防護服の男たちが車に乗り始めた。成実も康孝と共に、後ろのワゴン車の後部座席へ押し込まれた。そこには既に防護服の男が一人乗っていた。ワゴン車が動き出し、程なくフィーチャータワーへ到着する。後部座席に座っていた康孝と成実、防護服の男の三人が車から降り、他の者は警戒に当たるため、去って行った。通用口の前に立つと、シャッターが開き始める。

「タワーは正常に動いているんだな」

 中に入り、エレベーターに乗って地下三階へ降り、更に隠し階段を使って、下へ降りた。康孝が正面のパネルに手を当てると、ドアが開く。騒音と冷気が進入してくるが、その中に、前回とは違うものを感じた。

 生臭い。

 一体何だろうと思いながらも、防護服の男に背中を押され、前へ進んだ。最初に目に入ったのは、黒いサーバーラックが横倒しになっている光景だった。

「何だよこれ」

 康孝が訝しげな表情で下を見下ろしている。成実も視線の先を見る。

「ひぃっ……」

 思わず喉の奥から悲鳴が漏れた。

 仰向けに倒れた人がいる。

 顔がえぐれて何もなかった。顔面だった部分は鮮やかなピンク色の肉と、乳白色の骨が露わになり、額に当たる部分からは白い脳が露出している。周囲は血だまりになっている。

 闇が動き、何かが向かってくる。

 LEDライトの下に晒される。

 四つの脚で駆けてきたそれは、人間の体格を遙かに上回っていた。

 焦げ茶色の体毛。真っ黒な目。

「ヴォォォッッ」

 咆哮した口から、乳白色の禍々しい犬歯が露わになる。

 巨大な熊だ。

 その動きは重量感とは裏腹に軽やかで早く、押し潰されそうなほどの圧を放っていた。

 立ち上がった瞬間、康孝へ覆い被さるように襲いかかる。

 康孝は為す術もなく倒されていく。

 右前脚から伸びる鋭い褐色の爪が、康孝の顔を横に払う。

 肉が飛び散った。

 目と鼻があった部分はえぐれ、サーモンピンクの肉が露出した。血がにじみ出たかと思うと大量に溢れはじめ、湯気を立てながら床を汚していく。

「ヴォッ、ヴォッ」

 熊は防護服の男を正面から見据え、動き出す。

 突進する熊を、防護服の男は横に倒れながら間一髪で避けた。

 熊はそのままの勢いで成実の横をかすめた。成実は声にならない悲鳴を上げながら、風に煽られたごみ屑のように、横へ吹き飛ばされた。

 熊はドスッと鈍い音を立ててドアに衝突したが、反転し、倒れている防護服の男へ動き出す。

 男へのしかかろうとしたとき、顔をえぐられた康孝が起き上がる。叫び声の方向へ動き出し、熊の肩の毛を掴んだ。

 熊は康孝を再び押し倒した。

 その下から防護服の男が出て来て、背後から熊の首に腕を回して締め上げ始めた。

「グオォォッ……」

 熊は起き上がり、呻きながら体を左右に振って、防護服の男を振り払おうとした。

 成実は恐怖で体が動かない。拷問のようにその光景を凝視するしかなかった。自分の荒い息づかいが、遠い場所から聞こえてくる。

「こっちへ来て」

 耳元へ、誰かがささやいているのに気づく。

「誰……」

 あえぐように声を絞り出す。

「こっちへ来て」

 再び聞こえてきた。

「だめ……動けない」

 不意に背中へ強い衝撃が走る。一瞬息が止まり、床に倒された。

 無意識に起き上がり、金縛りがとれたのを知った。

 振り返ると、男が一人自分を見下ろしているのに気づいた。年は三十代ぐらいだろうが、子供のようなあどけなさが残った顔をしている。紺のポロシャツに茶色のチノパン。都心の小綺麗なオフィスで働いているIT関係の人みたいだと思った。どこかで見たような気がしたが、思い出せない。

「あんた……誰?」

「あなたの味方です。ここから逃げましょう」

「味方ですって言われても……」

 見た目は悪い人ではないけれど、アップグレードした康孝も悪い人には見えなかったし。

「詳しい説明をしている余裕はありません。早くしないとあなたも殺されます」

 すぐ横では、熊と男たちが血みどろの戦いを繰り広げている。

「さあ、立ち上がって」

 怖かったが、選択肢はない。成実はふらつきながら立ち上がると、歩き出す男の後を追った。


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