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住宅街へ戻っていく。後ろを振り返ると、ワゴン車で追いかけてくるのが見えた。成実を追い越して、道を塞ぐようにして車を止めた。同時に中から防護服の男たちが出てくる。背後からも走ってくる男たちがいた。成実はとっさに知らない家の柵を乗り越え、庭に入った。きっと家の構造は家と同じだろう。庭を横切り、隣の家との隙間に体を押し込んだ。防護服の男が追いかけてきたが、服がかさばって入ってこられない。成実は体をこすらせながら、裏の家の庭に出ることができた。走って柵を越え、道路に出る。今のところ誰もいなかったが、すぐに追っ手は来るだろう。
山の中へ逃げよう。奥に入ってしまえば探せやしないわ。走り出そうとしたとき、前方の角からふらりと男が一人出て来た。
康孝だ。
顔面の右側は血にまみれ、Tシャツも真っ赤に染まっている。しかし当人は痛みなど感じていないのだろうか、口元に笑みを浮かべていた。
「成実、こんなところにいたんだね。一緒にフィーチャータワーへ行こうよ」
康孝が血が付いた手を伸ばしてきた。きっと、あの手でチンパンジーを殴り殺したんだ。
「違うわ。あたしはアップグレードした成実。元の成実は家に戻ってきてあたしを殺そうとしたから、逆にあたしが殺したの」
「そうなんだ。着ている服が元の成実だったから、間違えたよ」
「もとの成実の服に着替えたのよ。だって、家にない服を着ていたら、恵輔たちが変に思うでしょ」
「確かにそうだよな」
「元の成実の死体が家にあるから、恵輔たちが来る前にフィーチャータワーへ持って行かないと。手伝ってくれる?」
「わかった」
心臓がバクバクと破裂しそうなくらい鼓動している。とっさについた嘘だが、今のところ信じてくれているみたいだ。
走って逃げたいという強い衝動に駆られる。しかし康孝がチンパンジーと戦っている様子からすれぱ、簡単に捕まってしまうに違いない。成実は敢えて康孝の右側に並び、一緒に歩き出す。恐怖で体が震え、歩き方もぎこちないが、右側が見えないから、多少はごまかせるかもしれない。
これからどうしたらいい? 必死で考えるが、頭の中は真っ白で、見当もつかない。
島名は話し続ける。
「小田川君は私の意見など、聞き入れなくなってしまった。最後は私を研究から外し、地下に引きこもってしまったんだ」
「小田川君は具体的にどんなことをしようとしたんですか」
「彼の目標は、地球上に存在するすべてのデータをストレージに保存したうえで、AIによってすべてのトラブルや課題を検討させて最良の答えを出す。そしてそれを実際の世界に反映させることだった。その核心が人間の改変だ。嶋本という女は中原さんのクローンだ。小田川君は恐らくクローンを作る際に、彼女のDNAを改変して肉体を強化した。それだけでない、彼は人間の記憶さえも人工的に保存することに成功した。彼は人間のクローンを作り、その人物に記憶を注入した。その過程で、既存の人間にあった不具合、たとえは異常性癖やトラウマになった記憶の消去、知能、認知能力の向上を進めることを可能にした」
「じゃあ、元々の人間はどうなるの?」
「廃棄処分、つまり殺されているはずだ」
「それって本当なんですか? 嶋本は死んだ中原さんのDNAを使っていましたけど、小田川君がそこまでするとは思えないんです」
「しかし、私は実際に過程を知っているんだ」吉田の質問に、島名が青ざめた顔で答える。「和希君たちが出会った佐山という男。あれの元は、我々と一緒に研究を行っていた秋川という医師だった。投資に失敗してね、億単位の借金を抱えていた。そこに目を付けた小田川君が高額報酬で彼を研究に引き込んだんだ。秋川はある日、藤が丘シティにある事務所で、別れ話のもつれから、付き合っていた女を殺してしまったんだ。それを知った小田川君は死体を処分しようと言って、死んだ女と秋川を研究室へ連れて行った。その後現れたのは、佐山と名乗る男だったんだ。しかし、顔や体型、皮膚の色など、すべて秋川そのものだった。秋川は横柄で鼻持ちならない男だったが、佐山は穏やかな紳士だったよ。いったい秋川に何をしたんだと問いただしたら、彼は秋川をアップグレードしたと答えた。秋川の遺伝子情報をベースにして、よりパーフェクトな人間を作り上げたというんだ。秋川は殺された女と一緒に処分したそうだ」
「ひどいことをする」
「しかし小田川君はそう思わなかった。同じ肉体、同じ記憶を持っている人間は同じ人間ではないかと考えていた。佐山と名乗る男も、秋川の記憶を持っていた。秋川の経歴に問題があったので、佐山という名前で活動することにしたそうだ」
「小田川君はどうしてそんな事をしてしまったんでしょうか。人間はスマホなんかじゃなく、生きている個人なんだ。個人の尊厳について、考慮しないなんて彼らしくない」
「私も議論をしたんだが、理論的に突き詰めていった結果だそうだ。宗教的な観点から言えば魂の存在が問題になるだろう。しかし、彼はそれを非科学的だと切り捨てた。意識はどうか。しかし意識は睡眠のたびに消失し、復活する。睡眠前と睡眠後の意識が同一であることを担保するのは記憶ではないのか。そうであるなら、アップグレードした人間とアップグレード前の人間、これは同じだというのが彼の論理だ」
「ちょっとなんだか訳がわからなくなってきたよ。ともかく小田川は既存の人類を殺して新しい人工的な人類を作り出そうとしているんだな。でも、そんな事が出来るのかよ」
「それがた――」
――みなさま、研究所へお招きする準備が出来ました。お入りください――
天井から女性の合成音が聞こえてきた。
「何?」
戸惑いながら全員が島名を見た。島名が顔をこわばらせて立ち上がる。
「いきなりどうしたんだ」
――あと二分で入り口が閉鎖されます。それまでに研究室内へ入るかご判断ください――
「今まで、ずっと研究室内はロックされていて立ち入ることが出来なかったんだ」
「て、言いますか、既に研究所は廃止されていたんじゃないですか」
不思議そうに問いかける吉田に島名は小さく首を振った。
「公式な研究所は存在しない。しかし、小田川君は藤が丘シティの地下へ密かに自分だけの研究所を作っていたんだ」
「そんなことって可能なんですか? 工事なんかしていたらみんなにバレちゃうでしょ」
「藤が丘シティ造成でのコンセプトの一つに、省人化があった。フィーチャータワーを作るときに行った掘削工事では、AIで制御されたシールドマシンが作られたんだ。小田川君はそのシールドマシンの開発から携わり、実際の運用も行った。そんな状況で、秘密の研究室は誰にも知られずに作られたんだ。もちろん壁や柱をはじめとする資材は必要になるけれど、彼はすべてのシステムにアクセスできたからね。帳簿を改ざんして、費用を捻出したそうだ」
――あと一分三十秒――
「私は行くが、危険だから君たちはここで待っていてくれ」
「僕も一緒に行かせていただきます」
吉田が立ち上がった。
「止めなさい。死ぬかもしれないんだぞ」
「でも、学者として純粋に興味があるんです。それに僕、小田川君のことが心配なんです。彼は夢想家で、常識外れなところもありましたけど、優しい人でした。彼が動物実験を嫌悪して、動物実験のコンピューターシミュレーションを進めていたのは、島名先生もよくご存じでしょう。そんな彼が簡単に人を殺せるとは思えないのです」
「しかし実際に彼は人を殺しているんだ。我々も容赦しないだろう」
――あと一分――
「時間がない、ともかく君たちはここで待っていてくれ。いや、この藤が丘シティから出て行ったほうがいい。ここは危険なんだ」
島名はそう言い残し、自分の背後にあるドアを開けて入っていった。
「待ってください」
吉田がその後を追いかけていく。
和希は結香を見た。「どうする?」
「あたしたちも行こう。きっと小田川っていう人があたしたちの秘密を知っているわ」
「そうだな、行こう」
和希たちも島名の後を追った。




