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目覚めてスマホを見ると午後三時五十分と表示され、思わず二度見する。アパートへ戻ってきたのが午後五時近かったから、ほぼ丸々一日眠っていた計算になる。通知にはいくつも着信表示が出ていた。すべて潤一だ。SNSを開くとメッセージか入っている。
――おい、仕事のオファーが来たぞ。すぐ電話をくれ――
何の仕事なんだよと思いながら電話をするが、なかなか出ない。十回コールで切ろうと思ったらようやく潤一の声が聞こえてきた。
「ずっと電話したんだぞ。アパートへ行っても出てこないし。何やってたんだ」
「今起きたところ。疲れてずっと寝ていたんだよ」
「だったらアパートにいるよな」
「ああ」
「スゲえことが起きたんだ。とうとう俺にも運が回ってきたんだぜ」
「仕事のオファーか。紹介するけど登録料に五万円かかるってやつか」
「違う違う。今からそっちへ行って説明するから待ってろよ」
電話が切れた。腹が減っていたので、放り投げておいたツナマヨパンを取って食べる。一緒に買ったメロンパンとピーナッツバターサンドは消費期限切れだったので、そのままゴミ箱へ突っ込んだ。
五分ほどしてドアを叩く音が聞こえてきた。ドアを開けると潤一が入ってきた。
「やれやれ、昨日はひでえ目に遭ったぜ」
潤一は散乱したゴミを蹴散らし、隙間へどっかりと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「ひでえじゃねえよ。俺の方がもっとひでえ目に遭ったんだからな。ほんとあのときは殺されると思ったぜ。なんで言い出しっぺのお前じゃなくて俺に向かってきたんだ」
「運が悪かったな。あの熊、きっとカメラを向けられたのが気に入らなかったんだろうな。ヒヒヒヒ」
潤一がひとしきり笑った後、真顔に戻る。
「そりゃそうと、仕事の話だ」
潤一は携帯電話を取りだしてメールを開き、和希に見せる。
ジュンちゃん様
突然のメールで失礼します。私、東京でウイズクエストというマーケティング会社を経営している嶋本と申します。
このたび、ジュンちゃんさんの動画を拝見しましてメールをさせていただきました。ついさっきアップした動画(残念なことにすぐ削除となってしまいましたが)について教えていただきたいことがございます。
お手数ですが、下記電話番号へご連絡をいただきたく存じます。
070‐XXXX‐XXXX
「警察から戻ってから、お前が取った動画をアップしたんだけど、人の死体とか写ってただろ。そのせいで、すぐにBANされちゃったんだ。だけどメールの通り、それを見ていた人がいたのさ。で、昨日電話したんだ。そうしたら、仕事のオファーだったんだよ」
にやけ顔の潤一を、和希が胡散臭そうに見る。「何の仕事だ?」
「それなんだよ」
潤一はアイフォーンを操作して動画を表示させた。昨日和希が撮影した動画だ。警官が倒れている男を屈んで見ている。そこで動画を止める。
「ここだ」画面を二本指で拡大させた。
警官の上に、真っ黒な鳥が映っていた。
「そういえばこんな鳥がいたな。カラスじゃないのか?」
「俺もそう思ったんだけど、この鳥、ずっとオマワリの上にいるだろ。カラスは空中で止まれないらしいんだ」
「だったら一体何なんだよ」
「どうやら南米生まれの新種らしいんだ。とある研究機関が研究のために日本に持ち込ん段だけど、逃げられたそうなんだ。で、俺たちにこれを捕まえてくれって言うんだ」
「へえ」
「へえじゃねえよ。お前も一緒に探すんだからな」
「ちょっと待て、俺は関係ないぜ」
「いやいや、お前も一緒に探すっていう契約なんだよ」
「そんなもん、お前が勝手に決めたんだろ。俺は関係ない」
「そんなこと言わないでくれよ」潤一は困ったように眉根を寄せた。「仕事を受ける条件が二人だったんだよ。もうお前の名前も連絡しちゃったし、金も入金されちゃったんだ。ほら」
潤一が携帯電話を操作して、入出金明細を見せた。入金欄に二十万円と表示されていた。
「マジか……」
「見りゃわかるだろ。ちゃんと入金しているんだ。しかも必要なら追加で送るって言ってるし」
「いや、お前みたいな男にいきなり二十万も振り込むなんて、怪しすぎないか?」
「お前みたいなってどういうことだよ」
「だって高卒で仕事はバイト、配信のフォロワーは三十五人でほぼ全員知り合い、華のないニキビ面――」
「うるせえ、それ以上言うな」
「しかも直接会ったこともない男にだよ、いきなり二十万も振り込むか?」
「ま、そうだよな」強気だった潤一が腕を組み、一転して心細げに目を泳がせる。「やばい仕事とかさせようとするのかな」
「返金した方がいいんじゃねえのか?」
「そうだよな。って言うか、どうやって返金するんだ?」
「知らねえよ」
「そんな無責任なこと言うなよ」
「口座番号を教えたのはお前だろ、俺には責任ない」
「頼むよ、友達じゃねえか」
和希がため息をつく。「ウイズクエストはどこにあるんだ?」
「えーっと」潤一が、必死な面持ちでメールを開く「東京都港区――」
「だめだ。そんなとこまで行く金なんかねえよ」
「じゃあどうすんだよ」
「取りあえず、メールで仕事はしない、金は返すって返事をしたらどうだ?」
「わかった」
潤一が画面を睨み付けるようにしてタップしていく。
「これでよし」
潤一がほっと息を吐いたのもつかの間、すぐにアイフォーンがバイブレーションする。
「うわっ、返信だ」
「なんて書いてあるんだ」
画面をスワイプする潤一の顔がみるみる青ざめていく。「こっちに来たってよ」
「来たって……こっちにもういるっていうのか」
「この文章だと、そうなんだろうな。ほら」
差し出した携帯の画面には、はっきりと過去形で書いてある。
「お前……自分の住所とか教えたのか?」
潤一が黙って頷く。
「押しかけてきたらどうすんだよっ、ていうか、確実に押しかけてくるぞ」
携帯電話がバイブレーションし始め、潤一の顔がこわばった。「結香からだ」
画面をタップして電話に出る。話を聞いていた顔が更にこわばっていく。
「俺にお客さんなんだって。どうしよう」
「どうするも何も、家に帰るしかないだろ」
「だって変な難癖付けられたらヤバいだろ」
「じゃあ結香と親父さんはどうするんだ。そいつらがヤバい奴らだったら大変だぞ」
「だってさあ……」
思い切り目が泳いでいる潤一が掴んでいるアイフォーンから「早く答えなさいよ」と若い女の声が聞こえてくる。
今度は和希の携帯電話がバイブレーションし始めた。電話に出る。
「和希、お兄ちゃんはそこにいるんでしょ」
キンキンした若い女の声が聞こえてきた。
「ああ、いるよ」
両手でバツを作っている潤一を無視して答える。
「悪いけどあいつを家まで引っ張ってきてくんない? お客さんが来て待っているんだから。仕事をお願いして、打ち合わせに来たんだって」
「その人って、どんな人なんだ? ヤバい奴か」
「はあ? 何言ってんの。穏やかそうな女の人よ。ちょっと代わるね」
「もしもし、八田さんですか」柔らかな中年女性の声が聞こえてきた。「私、嶋本と申します。突然申し訳ありません。大浜さんにご依頼させていただいた仕事について、打ち合わせをお願いしたいと思いまして」
再び結香の声が聞こえてくる。
「わかったでしょ。変な人じゃないのよ。あたし、もうバイトへ行かなきゃならないんだから、早く来いって言ってちょうだい」
電話が切れた。
「結香はもうバイトへ行かなきゃなんないんだってさ。来た人も中年のおばさんみたいだったぞ。別に怖くないんじゃないのか?」
「でも、旦那がヤクザだったりするかもしれないぞ」
「そこまで考えてもしょうがないだろ。ほら行くぞ」
和希は立ち上がった。脱ぎ捨ててあったGUのチノパンとトレーナーを着て、手鏡で寝癖がないか確認する。潤一はまだ座ったままなので、襟を掴んで上に引っ張った。
「こらっ、シャツが伸びちゃうじゃねえか」
「じゃあ立て」
「わかったよ」
渋々といった様子の潤一を玄関まで連れて行き、外へ出た。ささくれた午後の日差しがまぶしくて、思わず目を瞬く。旧東海道へ出て西へ向かう。清水銀座を横切り、橋を渡ってすぐ右にあるマンションへ着いた。マンションといっても、築三十年以上は確実に経過している三階建てで、くすんだ白の建物だ。エントランスといったしゃれた物はなく、裏へ回るとスチールのドアが並んでいる。潤一は一階の前から三番目のドアを開けた。
「遅い」
腕を組んだショートカットの若い女が、入ってきた潤一を睨み付けた。化粧気はなく、グレイのパーカーに細めのブルージーンズを穿いている。潤一の妹の結香だ。
「悪い悪い」潤一がヘラヘラ笑いながら靴を脱いで部屋に入った。「お客さんは……」
「この人」
結香がダイニングテーブルに座っている女性を見た。やや小太りの丸顔で、ベージュのスーツを着ていた。目尻の皺から推し量ると、歳は五十歳前後だろうか。朗らかな笑顔を浮かべながら立ち上がった。和希と潤一は部屋に入り、靴を脱いだ。室内は香水のきつい匂いが漂っている。結香が香水を付けた記憶はないので、この女性が付けているのだろう。
「このたびは急に押しかけて申し訳ありません」
女性が頭を下げると、潤一は自分が優位になったと思ったのか、急に仏頂面になった。
「そうだよ。俺だって忙しいんだからさ、急に来られても困るんだよ」
「お兄ちゃん、年中暇そうにしてるくせに、偉そうなこと言わないでよ。仕事をもらえるかもしれないんでしょ。ちゃんとしなさい」
頭ごなしに怒鳴られて、潤一がたじろぐ。
「結香さん、事前にアポもとらずに来た私が悪いのですから、潤一さんを責めないでいただけますか」
「この人、優しくするとすぐつけあがるんですよ。バイト先もしゃらくさいとか言われてクビになるし、付き合ってた彼女からも見限られちゃったし」
「うるせえ、余計なことをべらべら喋るんじゃねえよ」
「じゃああたし、行ってくるからね。和希、後はよろしくね」
ニコリと微笑む結香に和希は「ああ」といって微笑み返した。一転して潤一を睨み付けながら、「ほら邪魔だからどいて」と押しのけ、スニーカーを履いてバイトに出かけた。
「本当なら、喫茶店で待ち合わせした方がよかったのですが、申し訳ありません」
「いいよ。家にいるのは親父とあのバカ女だけだし。それより仕事の話をしようぜ」
「まずは自己紹介させていただきます」
女性はテーブルの上に置いてあった黒革の名刺入れを手に取り、二人に名刺を渡した。(株)ウイズクエスト 代表取締役 嶋本順子と記載されている。
潤一が椅子に座った。和希も隣に座り、嶋本も「失礼します」と言って向かいに座った。
「早速ですが、仕事の話をさせていただきます」
嶋本は床に置いてあった黒のトートバッグからタブレットを取りだした。テーブルの上に置いて操作する。和希が撮影した動画が表示された。警官が屈んでいるところで画像を止め、右上を拡大させた。黒い鳥が映し出される。
「画面に映っている鳥は、クロハチドリモドキという南米に生息する鳥です。この鳥を大浜さんたちに探していただきたいのです」
「わかりました。すぐに探索しま――」
「ちょっと待ってください」前のめりで頷く潤一の肩を掴んで引き戻す。「探すにしても、鳥なんて翼があるんですから、どこへ飛んでいったのかわからないんですよ。もうこの辺りからいなくなっているかも知れないし」
「もちろん、その可能性はあります。ところがこの鳥というのは、特定の人の臭いに反応することが知られているのです。この鳥はアマゾンに奥地に生息するハゲウアカリという猿と共生関係にあることが知られています。ハゲウアカリの皮膚に生息している寄生虫を好んで食べるのです。このため、クロハチドリモドキはハゲウアカリ群れと一緒に行動し、彼らの臭いに敏感なのです」
「でも、このあたりにはハゲウ……なんとかというのはいないだろ」
「ところが、日本人の一部にハゲウアカリと極めて臭いか近い人がいるのです。クロハチドリモドキはそうした臭いの人に近づくのです」
「だとすると、俺たちがハゲなんとかっていう猿みたいな臭いがするというのか?」
「その可能性が極めて高いと考えております。もちろん警官の臭いがハゲウアカリに近いかも知れませんが、もう一度画像を確認しいただけますか」
和希と潤一は画面をのぞき込む。
「クロハチドリモドキはどこを見ていますか?」
「カメラ目線だ。お前か」
潤一が和希を見た。
「ええっ……俺か?」
嶋本も頷いている。
「要するに和希が臭いで鳥をおびき寄せて、俺が捕まえるって訳だな」
「その通りです」
「よしっ決まりだ。早速――」
「ちょっと待て」
前のめりになった潤一を再び引き戻す。
「そもそもな話になっちゃうんですけど、何で俺たちなんですか? 俺がハゲなんとかっていう猿の臭いに近いのはわかりましたけど、俺に頼む前に、動物園の人とか、プロの猟師とか、頼む人はいっぱいいるでしょ。SNSとかで情報を募るっていう方法もあるし」
「それが……」嶋本は少し口ごもる「内密に話を進めたい事情がありまして」
「はっきり言ってくれよ。でないと協力できない」
「そうですね。では正直にお話しますが、今探しているクロハチドリモドキはペルーから密輸しているんです」
「それで、俺たちに捕らせようってしたんだ」
「もちろん密輸は私のクライアントが行ったことでから、皆さんは密輸の罪に問われることはありません」
「そうなんだろうけど、ちょっと嫌な感じたよな」
「料金は着手金としてそれぞれお二人に五万円、経費が十万。先ほど大浜さんの口座へ振り込みさせていただきました。この他に、捕獲できた暁には成功報酬として二十万をそれぞれにお支払いします」
「二十万」ゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうですか。受けていただけますか」
「はいっ、喜んでやらせていただきます」
「八田さんはいかがですか」
満面の笑みを浮かべている潤一が、テーブルの下で蹴りを入れてくる。勢いに気圧されて思わず頷いた。
「ありがとうございます」嶋本は柔らかな微笑みを浮かべながら頭を下げる。「よいお知らせをお待ちしております」
嶋本は潤一のアパートを出た。ドアが閉まり、内側で鍵がかかるのを確認すると、すっと顔から笑みが消えた。鋭い視線を周囲に投げかけながら、誰もいないのを確認し、目の前にある古びたブロック塀に右手をかけた。ブロック塀は嶋本の背丈と同じくらいだ。
腰を沈め、滑らかな動きで跳躍した。
体型からは想像も出来ない勢いで飛び上がり、上半身が軽々とブロック塀を越える。両足をピンと空へ向けながら背面で塀を乗り越え、向こう側へ消えていった。




