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「ナノマシンが脳内へ影響を与えるのに、我々はエピゲノムを刺激する手法をとったんだ。我々はエピゲノムを刺激することにより、情動行動を司る遺伝子発現に影響を与え、感情や考え方を変えることに成功したんだ。理論上は上手くいくはずだった。しかし、臨床試験で欠陥が露呈した」


「島名先生、話の途中で申し訳ありません。臨床試験というと、もしかして藤が丘シティの住民に配賦したコイオスというドリンクの中に、ナノマシンを混入させていたのでは?」


「申し訳ない、その通りだ。倫理的に問題があることは承知していた」島名はか細い声で話し続けた。「しかし、当時の私は失うものがなかった。地位をなくし、妻は去って行った。研究者として活動できる時間も短い。悪名でも構わないから、世界に名を残して死んでいきたかったんだ。小田川君の性格は吉田君も知っているだろう。恐ろしく頭が切れ、常人では不可能な発想をポンポンと繰り出してくる。ただ、理想主義で浮き世離れしたところがある。多少の問題があっても、前へ進めば世界が変わる。世界が変われば法も変わらざるを得ない。そんな楽観主義が彼を支配していた。こうしてコイオスの計画は進められていった。脳からの送信は成功した。しかし、受信に問題が出てきたんだ。脳への働きかけにエピゲノムの刺激を使う事は話したね。その過程で、被験者の人格へ影響を及ぼすことが判明したんだ。些細なことで息が出来なくなるくらいに笑い転げるたり、号泣するほど激しく悲しんだりする人が出て来た。笑いや悲しみだけならまだよかったが、怒りも激しくなってきた。便座の蓋を閉めないことをきっかけに、殴り合いの喧嘩を始めた夫婦や、家から出た雑草に腹を立てて、フェンスを蹴った男とか、トラブルが続出したんだ。それでもコイオスのシステムが機能して、どうにか破綻は免れていた。だが程なくより大きな問題が発覚したんだ。コイオスにコンタミが生じていた」


「あの……コンタミって何ですか」結香が呟く。


「コンタミというのはですね」吉田が説明する。「製品に本来入れてはいけないものが混入してしまう事を言うんです」


「そう。まずはコイオスの構造から説明しよう。コイオスはマシンと名前が付いていても、金属ではなく、人間のヘルパーT細胞をベースにして開発されたんだ。そのヘルパーT細胞は小田川君の血液から採取された。小田川君のヘルパーT細胞は正常だという認識だった。しかし、その中には未知のウイルスが侵入していたんだ」


「それが和希さんや結香さんを動物に変えたウイルスなんですね」


「その通りだ。我々はこのウイルスをハクタクウイルスと呼んでいる。ここにかつて白澤寺があったのはもう知っているね。この土地を造成しているときに、土の中から奇妙なミイラが掘り出されたんだ。私もその画像を見たんだが、胴体は猪、顔は猿そして角が生えていたよ。しかも、なぜか首と胴体が分離していたんだ。時々、カッパのミイラとかいうものが、メディアで取り上げられるのは知っているだろ。あれはいろいろな動物の骨を組み合わせて作っているんだが、このミイラもその類いだろうという結論になって、焼却処分されたんだ」


「でも、実際は違っていた。すべて一つの体から構成されていたんですね」


「今となっては確証できないが、恐らくそうだったと思う。私も白澤寺についてはいろいろと調べたよ。住職の増山十一郎には、かつて息子がいたんだ。妻は早死にして父と息子の二人暮らしだったらしい。それが戦争中、息子が行方不明になったそうだ。私は行方不明になった息子が、掘り出されたミイラじゃないかと思っている。息子が発病して、動物の姿になった。住職はそれを白澤寺の鎮守神だと思い込み、密かに息子を殺害したうえにミイラにしたんだ。住職が殺されてまで、立ち退きを拒否したのもこれで説明がつくよ。ミイラになった息子を発見されたくなかったんだ。


 小田川君はこの家に移り住んで間もない頃、大雨で家の裏へ土砂崩れがないか調べに行ったんだ。そのとき転んで、ふくらはぎを五針縫う大けがをしたんだ。その後高熱を出して、三日ほど寝込んだんだよ。きっとその土壌にハクタクウイルスが潜んでいて、小田川君に感染したんじゃないかと思う。我々はその事実に気づかず、コイオスを藤が丘シティの住民に配布した。最初に発病したのは遠藤君、君だった」


 遠藤は首をくりくりと左右に動かす。


「君のストーカー行為はコイオスの副作用で感情の高ぶりが激しくなった結果だと思い、その対策を考えていた。ところが監視カメラに君が獣になっていく様子を発見して仰天したよ。そこで、密かに君の細胞を採取して調べたところ、ハクタクウイルスが確認されたんだ。このハクタクウイルスも、通常では滅多に人体へ影響を及ぼすことはない。だからこそ、これまで誰にも知られずにいたんだ。しかしコイオスがエピゲノムに影響を及ぼすことにより、DNAに転写されたウイルスの遺伝子にスイッチが入ってしまった。ここで我々はプロジェクトを停止してすべてを公表し、謝罪するべきだった。しかし、すべてを公表することは我々の社会的な死を意味していた。私はひどく悩んだ。だが、小田川君は更に一歩踏み込んで、すべてを解決しようと考えた。それが人類のアップグレードだ」




「馬鹿なことをする」


 平本は声を震わせて呟いた。


「なぜそう思うんですか? スマホと同じじゃないですか。スマホは定期的にアプリやOSをアップデートしていますよね。しかしスマホ自体の容量や機能がアップデートに対応しきれない場合は買い換えます。言わば遺伝子配列はソフトウェアで、人体はハードなんです。僕が作ったシステムにより、今までの記憶はそのまま維持されます。アップグレードした私は、以前の私より、より快適な生活を送ることが出来るのです。生命は進化しなければならない。しかし、自然に任せた進化は合理的ではないのです。自然は多くの間違いを犯してきた。巨大化した恐竜は寒冷化に適応できず絶滅した。疫病はその免疫がない者を多数殺してきた。不完全な脳は偏見を生み出し、時に虐殺にまで発展した。それらはすべて自然における進化のゆがみです。我々は合理的且つスピーディーに、より洗練した形で生命の進化を進めることが出来るのですよ」


 体がひどく熱くなっていた。少し目眩がする。さっき打たれた注射のせいだろうか。


「お前ら、俺に何を注射したんだ」


 今まで僕が話した文脈からわかりませんか? コイオスですよ。あなたと人工知能ウイステリアとは、既に繋がっているのです。


「俺はそんなものと繋がりたくない。今すぐコイオスを俺の体から出せ」


「コイオスは一年ほどで九十八パーセントが尿から排出されますが、どうしても若干量が残存してしまいます。もっとも人体への影響はありませんし、機能も停止します」


「そもそも、なんで俺にコイオスを注射したんだよ」


「データを取得するためです」


「何のデータだよ」


「僕の説明に対する平本さんの反応です。人類をアップグレードさせて、新たに理想的な社会を作り上げる。この崇高なプランを表明すると、アップグレード前の皆さんは一様に拒否反応を示す。僕はこの事態を大変残念に思っていました。そこで平本さんにアップグレードを施す前に、こうして説明をして、平本さんの反応を調べさせていただいたのです」


「お前……これがまともだと思っているのか」


「はい」小田川は穏やかな目で頷く。「僕が想像するのに、平本さんはアップグレードする際に、私が失われると考えているのではないでしょうか。しかし、それは思い込みです。人間の大半の細胞が日々入れ替わっているのはご存じですね。入れ替わらないと言われている脳細胞にしても、タンパク質の塊でしかありません。僕のファウンドリーでは、人体を高速かつ精密に再構成させることが出来るのです。その人体に平本さんの適切な遺伝情報を組み込み、記憶を注入する。これでアップグレードされた平本さんの誕生です」


「やっぱり狂ってるよ」


「ご理解いただけないのは残念です。しかし私はこの事業を進めなくてはなりません。少々心苦しいですが、処置を進めさせていただきます」


 ディスプレイが消え、一台のへミスが動き出した。平本の手前まで移動すると、頭部が開き、中から無機質な銀の輝きを放つアームが出て来た。先端には髪の毛よりも細い針が装着されている。佐山が平本の手首を掴み、シャツの袖をたくし上げる。針はむき出しになった腕に近づいていく。


「止めろって、俺は死にたくなんかない」


 平本は体をよじろうとしたが、佐山と嶋本の手は動かない。


「大丈夫です。現在資材不足で作業が滞り気味ですが、今回平本さんを優先いたします。三十六時間後には、アップグレードした平本さんが目覚めます」


 針が近づいてくる。


「止めろっ、お願いだから止めてくれっ」


 へミスの動きが止まった。


 針は平本に向けたまま、刺してこない。俺の要求を聞いてくれたのかと思い、荒い息をしながら小田川を見た。小田川は相変わらず穏やかに微笑んでいる。しかしその表情は、固まっているように見えた。


 まるで、動画がフリーズしたように。



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