4-5
アルトの車内では、華原朋美の「I BELIEVE」が流れていたものの、吉田はずっと押し黙ったまま、ハンドルを握っていた。助手席には黒い鳥の遠藤がちょこんと座り、後部座席では和希と結香が座っている。アルトは中央道を西に進み、もうすぐD市インターにさしかかろうとしていた。
「あたしたちって、一体誰なんだろう」
結香が前を見ながらポツリとつぶやく。
「誰ってどういう意味だよ」
和希は不安な目で結香を見た。
「わかっているでしょう」結香は悲しげに呟いた。「あたしのお兄ちゃんは作られたものかもしれないの。お父さんだってそうかもしれない。和希の戸籍は架空だった可能性が高い。あたしも和希も子供の頃の記憶が曖昧よ。それに、嶋本に言われるまで、どうして今まで藤が丘事件を知らなかったの? あんな凶悪事件を全然知らないなんてあり得ない。これって、あたしたちが人工的に作られたって事なんじゃないの」
「確かにな」
「ねえ、遠藤さん、あなたはあたしたちについて何か知っていないの?」
遠藤が羽ばたき、ホバリングをしながらあいうえおボードを突き始めた。
――しらない――
「そう。わかったわ」
「島名さんが事情を知っているかもしれません。島名さんを探しましょう」
インターチェンジを出て、ナビに従って市街地を抜け、ゆるいカーブが続く山道を北へ向かう。五分ほど走ると、住宅地が見えてきた。藤が丘シティだ。
白を基調とした清潔な印象の住宅で、どれも同じ形をしていた。通りに人影はない。奥へ進んでいくと、住宅の向こうにパールホワイトのタワーが見えてきた。フィーチャータワーだ。体の中を、すっと何かが吹き抜けていくような感覚があった。初めて見たにも関わらず、既視感があった。吉田は「売物件」の看板がある家の前でアルトを停めた。
「遠藤さん、もう一人の遠藤さんがどこにいるかわかりますか」
遠藤があいうえおボードを突く。
――ちかくにいるきがしますが はっきりとはわかりません――
「遠藤さんはもう一人の遠藤さんとテレパシーみたいなので繋がっているの?」
――よくわかりません でも ちかくにいるとそわそわするきになります――
「まだ立証されていませんが、脳細胞はお互い量子的なレベルで繋がって連動しているという説があります。もしかしたら、分裂した遠藤さんは時空を超えて繋がってるのかもしれません」
「よくわかんないけど、取りあえず、遠藤さんはその片割れを探すことができるってことだね。じゃあ、早速探してみようよ」
「ちょっとその前に、行きたいところがあるんです。そのリュックを貸してもらえますか」
和希が後部座席にあったリュックサックを吉田に渡した。吉田はその中からノートパソコンを取り出してキーボードを叩き始めた。画面に古い新聞記事が表示される。
神之里村で男性が殺害される。
三月十五日、大月市神之里にある白澤寺で男性の遺体が発見された。遺体は同寺の住職で、増山十一郎さんとみられる。増山さんの腹に刺し傷があるため、警察は殺人事件として捜査を始めている。
神之里村殺人事件で犯人が自首
三月十六日、大月市上之里村で殺された増山十一郎さん殺人事件で、D警察署へ犯人が出頭した。犯人は平屋組組員田川靖で、増山さんと寺の立ち退きを巡って話がもつれ、激高して殺したと供述した。
十一月一日 原川電気工業大月製作所の完成式典が開催され、関係者が出席した。
「最初の二枚が一千九百五十八年の記事で、完成式典の記事はその三年後のものです。原川電気工業大月製作所があったのがこの場所なんです。工場は二千十年に中国へ移転しています。その跡地をフィーチャーファンドが買収して、藤が丘シティが完成したわけです」
「それとあたしたちの件と同関わりがあるの?」
「白澤寺の白澤というのは、体は獅子で顔が人間の顔をした、中国に伝わる神獣なんです」
「えっ?」
「そうなんですよ。で、その白澤寺の由緒なんですが、こんな伝説があったそうです」
吉田は別の画面を表示させる。
上之里に住む木こりがある日、一匹の老いた猿を捕まえて食べました。ところがその翌日から木こりは苦しみはじめて、自分が猿になってしまいました。村人たちは猿の祟りじゃないかと噂していたところ、一人の行者が現れました。行者は猿の霊を鎮めなければ、村人全員が猿になってしまうとして、村の外れに寺を建立させ、住職に納まりました。
「この話は作り話ではないと思います。と言うのも、この事件が起きた年は記録に残っていまして、一千七百八十四年、いわゆる天明の大飢饉の年に起きたとされているんです。恐らく飢えた木こりが、見つけた猿を殺して食べたんじゃないでしょうか。行者の霊力は知りませんけど、木こりが食べた猿に、和希さんたちの中に潜むウイルスがいた可能性が高いと考えています」
「でも、どうして今になってそのウイルスが俺たちに感染したんだよ」
「そこなんです」
吉田は再びキーボードを叩き、古い地図を表示させた。
「これが藤が丘シティの百年前の古地図です。赤く印を付けたところが白澤寺で、今の地図と重ね合わせますね」
藤が丘シティの東北の端と寺が重なった。
「ちょっとここへ行かせていただきます」
平坦だった道が上り坂に変わっていく。同時に住宅が途切れ、左右に雑木林が生い茂る光景が広がった。
「ここが白澤寺のあった場所です」
道の先に一軒家があった。他の家と同じ作りで、色も白い。吉田はアルトのエンジンを切り、ノートパソコンを手に取って車外へ出た。
「間違いありません。ここが小田川君が住んでいた家です」
吉田が、キーボードを叩く。
「これがネットに残っていた小田川君の家の画像です」
画面に小田川が腕を組み、少し神経質そうな笑みを浮かべている画像があった。
「藤が丘シティの紹介記事で撮影したらしいんですけど、右隅にアカマツが見えるでしょ。あれですね」
吉田が指差した場所に、まっすぐ伸びた松の木があった。幹の太さ、枝の位置共に、画像と同じだ。
「小田川君はここで未知のウイルスを発見したのかもしれません」
「だけどそれって、どうやって調べるんだよ」
「残念ながら、僕もそこまでアイデアはありませんので」
「中に入って調べて見ようか」
「やめてください。それでは不法侵入になってしまいますから」
「いいじゃん、家主は行方不明なんだろ」
「いやいや、そういう問題じゃなくて」
入ろうとする和希の手を吉田が必死で引っ張る。
「ねえちょっと、今、そこのカーテンが揺れたわ」
結香が玄関の横にある小窓を指差した。和希と吉田はまじまじとその窓を見たが、変化は見られなかった。
もう少し観察しようと家に近づいたとき、カチャリと解錠する音がして、玄関のドアが開いた。出てきたのは、半袖のチェックシャツにグレーのスラックスを穿いた老人だった。ひどく疲れた顔をしていた。
「島名先生……」
「吉田君、黙って消えてしまって申し訳なかった」
島名は悲しげに目を伏せた。
「一体何があったんですか」
「ここへ来たのだから、白澤寺とウイルスの関連については気づいているね」
「はい」
「中に入ってくれないか。説明するよ」
吉田が和希と結香を見る。二人は頷いた。
三人と鳥は家の中へ入った。
福田は目を開けた。天井のLEDライトの光がまともに目へ入り、ひどくまぶしかった。あまりの痛みに意識が飛んでいたらしい。頭の中に泥が詰まっているような感覚がして、何も考えることが出来ない。ゆっくりと体を起こす。まだ節々に痛みはあるが、激痛というわけではない。ただ、体は相変わらず熱を帯びていて目眩がする。立ち上がろうとしたがふらついて尻餅をついた。バランスがとれない。まるで自分の体じゃないみたいだ。福田は自分の手を見た。
手の平は真っ黒で、手首まで黒く硬い毛がびっしりと生えている。
そんな馬鹿な。
福田は立ち上がりかけてまた尻餅をついた。仕方なく四つん這いになり、洗面所へ向かった。洗面台の縁に手を掛け、腕の力を使って、立ち上がった。
鏡に映った分の顔。
福田は声にならない悲鳴を上げた。
平本が運転するスバルは藤が丘シティへ入っていった。白で統一された住宅が立ち並ぶ中、ゆっくりとしたスピードで進んでいく。助けを求めようと周囲を見回すが、人の姿はない。もっとも、仮に人がいたとしても、隣の嶋本は穏やかな顔をして、とても犯罪者には見えない。しかし他人に声をかけようとしたら、躊躇なく刺してくるだろう。
「交差点を右へ曲がってください」
言われたとおり右折すると、フィーチャータワーが正面から見えるようになってきた。この女、俺をあそこへ連れて行くつもりなのか。
スバルは広場に出た。藤が丘事件の現場だ。中央にはフィーチャータワーがあり、根元の部分は車が一台進入できる程の開口部があった。
「あの中へ入ってください」
言われたとおり、開口部に入っていった。コンクリートがむき出しの殺風景な壁が見える。天井からはLEDの照明が冷たい光を放っていた。逃げ出すチャンスを窺っていたが、影になっているところから人が現れ、運転席のドアの前に立った。
画像で何度も見た男。佐山だ。
「さあ、車から降りてください」
言われたとおりドアを開け、車外に出た。佐山を振り切って逃げ出すことも考えたが、既に開口部はシャッターがおりかけているし、奴が武器を持っていたらアウトだ。
「平本さん、フィーチャータワーへようこそ。お待ちしておりました」
佐山は無機質な笑顔を浮かべ、平本を見ていた。電動シャッターから聞こえてくるモーターの音が止まった。室内は完全に閉ざされた。
いつの間にか、助手席から降りていた嶋本が横に立っていた。
いきなり背後から両脇に手を入れられて拘束された。
「止めろっ、離せよ」
平本は暴れるが、嶋本の腕は微動だにしない。
「少々お待ちを」
佐山が部屋の隅からキャスターの付いたスチールワゴンを押してきた。銀色のトレーが置いてあり、そこに注射器と薬剤が入っているとおぼしきアンプルが載っている。
「おい……まさかそれを俺に打つんじゃないだろうな」
「そのまさかなんですよ」
佐山はおどけた調子でアンプルから薬剤を注射器に注入した。一旦注射器をトレーに置くと、平本の腕を掴み、シャツの袖をたくし上げた。
「止めろっ」
平本は必死で抵抗したが、佐山に肘を掴まれ、関節が固定されたように動かない。佐山は空いた手で注射器を平本の肘の裏へ突き刺し、ピストンを押した。
「これでよし。さあ、行きましょうか」
嶋本が腕を放した瞬間駆け出したが、あっさりと佐山に腕を掴まれた。
「注射をした後に激しく動くと出血しますよ」
嶋本と佐山は、左右から平本の両腕を組むようにして拘束した。
「嫌だ、嫌だ。離せよっ」
平本は手を払おうとするかのように身をよじり、二人から逃れようとしたが、二人の腕は微動だにしない。脚を蹴っても、佐山は表情一つ変えなかった。
「平本さん、何をしても無駄ですよ。私はあなたのように柔な肉体じゃないんです」
佐山たちは柔和な笑みを浮かべて、暴れる平本をエレベーターへ連れて行った。
「助けて……助けてくれえ」
平本の声がむなしく響く中、エレベーターの扉が開き、中へ押し込まれていく。扉が閉まり、エレベーターは地下三階まで下降していった。
扉の向こうには、何もないだだ広い部屋があった。部屋に入ると佐山が正面の壁に手を押しつけた。ゴゴッと音がして、床のハッチが開き、階段が現れた。嶋本に促され、中へ入っていく。階段を降りきったところに小部屋があり、その奥にドアがあった。佐山が手を当ててドアを開け、中へ連れ込まれる。
薄暗い部屋だった。うっすらとサーバーラックらしき黒い大型のラックが立ち並んでいるのが見え、ファンの音が響き渡っている。機材を冷やすためだろう、かなり肌寒い。背後でドアが閉まった。
「俺をどうするんだ」
「さあ。私たちは平本さんをここにお連れしなさいと指示されただけで、これからどうするかまではわかりかねます」
「じゃあ、いったい誰がお前らに指示したんだよ。そいつを出せ」
「もうすぐいらっしゃいますよ」
暗がりが動き、奥から半円形の物体が床を滑るようにして現れた。家庭用の掃除ロボットを二回り大きくしたようなサイズで、二台いた。
「これか?」
「いいえ、もうすぐです」
再び暗がりが動いた。今度は人間だ。LEDライトに照らされて現れたのは、紺のポロシャツに、ベージュのチノパン姿の男だった。三十代くらいに見えるが、澄み切った目をして、高校生のようにあどけない笑みを浮かべている。体を切っても、血が出ないんじゃないかと思わせる無機質な顔をしていた。
「平本さん、初めまして。私、小田川翔吾と言います」
記憶の片隅から、小田川翔吾が藤が丘シティの最高管理責任者だったことを引き出した。確か、例の事件の前後に行方不明になっていたはずだ。
「俺を今すぐ解放しろ。そうでないと警察に通報するぞ」
「もちろん解放いたします。でもその前に、僕たちの活動を説明させていただけますか」
小田川は慈しみを帯びた目で、足元にある半円形の機械を見る。「へミス、よろしく」
小田川と二台のへミスが整列するような形で動いた。へミスの頭部が開くと、その上の中空に六十インチほどのディスプレイが浮かび上がった。ディスプレイには戦車が砲撃する映像や戦闘機が煙を上げながら墜落するシーン、路上で男たちが殴り合ってい映像が入れ替わり映し出されていく。
「人類が存在する世界は、常に憎しみや怒り、悲しみで溢れています」
画面が一転して、生まれたばかりの赤ん坊をうれしそうに笑いながら抱きかかえる女性が映し出された。次は肩を寄せ合い、うれしそうに何かを語り合っているカップルだ。
「一方で、愛や喜び、といった感情が存在しているのも事実です。この点は同意していただけますね」
「ああ。それがどうしたんだ」
「僕は物理学や生物学、医学、更には建築まで、いろいろな分野を渡り歩きました。節操がない奴だと馬鹿にする人もいましたが、僕が求めていたのは、人類が穏やかに、他人を尊重し、協調しながら生きていける世界なんです。多くの人がこんな世界を追い求めているはずですが、これまで一度たりとも望みが叶ったことはありません。問題の一つに、意思疎通があります。言葉は文節で表現される意味以外の思いを切り捨てる、極めて雑なシステムです。どんなに言葉を費やしても、百パーセント人の思いを伝えることは不可能と言ってもいいでしょう。そんな意思疎通の解決の一つとして、僕はこんなシステムを開発しました。人々がITと繋がり、AIを通じて、自動的に利害を調整していくのです。僕はこのためにコイオスというナノマシンを開発しました」
「コイオスって、健康飲料じゃないのか?」
「表向きはその通りですが、本来の機能ではありません。コイオスは経口摂取することにより、腸壁から血管に入り、最終的に脳へ到達します。脳内のコイオスは、脳波を受信して、指向性のある電気信号に変換し、外部のセンサーと通信させることに成功したのです。これにより、コイオスを摂取した人と、AIを繋げる事が出来るようになったのです。コイオスは脳内からの発信だけではありません。AIから発する信号を受信して、脳細胞のエピゲノムに刺激を与え、問題が生じたときに、人々の理解や共感を高め、解決に導くことが出来るのです。つまり、人々がITを通じて有機的に繋がり、集団が一つの生物のように振る舞うことを可能にした画期的なシステムでした」
画面にはCGに映し出されている。黒の背景に多数の光彩がランダムに動き回っている。中央にひときわ大きな球体が現れると、レーザービームのような線が放たれ、光彩に到達した。光彩が規則正しく動き始め、やがて、すべてが連動して、全体が一つのアメーバのように動き始めた。
「ところが、このモデルは根本的な問題を抱えていました。構成する人間一人一人の脆弱さです。千人の人がいれば、千通りの個性や考え方がある。それをAIによって考えを調整させるのがコイオスのコンセプトです。ところが、Aという人がBという人に危害を加えたいと思っていたらどうでしょう。金銭のトラブルなら調整が付くかもしれません。しかし、他者に対する支配欲や性的な嗜好が理由な場合、そういうわけにはいきません。Aを排除すればいいのですが、それではコイオスのコンセプトに反します。
そこで私が考え出したのは、人間のアップグレードです。
人間は多様な個性を持っていますし、その個性は最大限尊重しなければなりません。しかしその個性を行使することで法に抵触したり、公共に害を及ぼしたりすることは許されません。また、人間は病気や怪我に対してあまりに脆弱です。その点も改善する必要があります。このようなバグを、アップグレードによって矯正するのです」
「矯正? 去勢でもするのかよ」
「いいえ、まずは一人一人の遺伝子を解析し、不具合があれば改変します。その上で、人体そのものを再構成させるのです」




