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Chapter 4: False 4-1

僕は世界を一変してみせます。それによって破壊者と呼ばれても構わない。むしろ光栄なこと。

                                      【日報ワールドオンライン「小田川翔吾に聞いてみた」より】




                   4‐1

 マナーモードにしていたスマホが、バイブレーションをしている。吉田はスラックスのポケットからスマホを取り出して画面を見た。自宅からだった。

「はいはい、ちょっと待ってくださいよ」

 吉田は独り言を呟きながら立ち上がり、足早に閲覧室を出た。公衆電話の前で通話ボタンをタップすると、母親の声が聞こえてきた。

「豊さん、今どこにいるんですか」

「国会図書館だよ」

「大浜さんが来ているんです。すぐに戻ってきてちょうだい」

「うん、わかったよこれから電車に乗って――」

「電車じゃなくて、タクシーを使いなさいっ。一刻も早く帰ってきてちょうだい」

 いつも冷静な母親が、今日はいつになくヒステリックだ。吉田は勢いに気圧されながら電話を切った。資料を返し、国会図書館を出た。アプリでタクシーを呼んで乗り込み、世田谷にある自宅へ行くよう頼む。

 結香さんが僕に連絡もしないで家に行っただなんて、一体どういうわけなんだろうな。さっきの母親のヒステリックな声と相まって段々と不安になってくる。今度は吉田から電話をかけてみた。しかし着信音が鳴ったままで、一向に受話器を取る気配がない。一旦切ろうかと思ったら、ようやく繋がった。出て来たのは父親だ。

「豊か。お母さんはちょっと取り込んでいてな」

 珍しく口ごもったような言い方だ。

「結香さんに何かあったの?」

「電話じゃ詳しいことは言えん。ともかく早く帰ってきなさい」

 一方的に電話を切られてしまった。何だよと思いながら、更に不安になってくる。三十分ほどで自宅へ到着して、リビングに行った。そこには父親が一人いるだけだった。

「結香さんはどこにいるの?」

「来客用の部屋にいるんだが……ああっ、ちょっと待て」

 早速歩き出した息子を、慌てた様子で止めに入った。

「どうかしたの?」

「大浜さんに会う前に、お前と話をしなければならないんだ。ちょっと母さんを呼んでくるから、待っていろ」

 父親は慌てた様子でリビングを出ていった。吉田が物心ついてから今日まで、こんなにうろたえた様子の父親は見たことがなかった。呆気にとられていると、父親が母親を連れてリビングへ戻ってきた。

「豊、そこへ座りなさい」

 吉田は言われるままにソファへ座った。両親もローテーブルを挟んで、向かいのソファへ座った。父と母はいつになく硬い表情をしていた。

「豊さん」母親が話し出す。「確認をしたいことがあるの。あなた、大浜さんに妙なことをしていないでしょうね」

「は? 変なことも何もしていません。何度か話をしたことがあるだけだし、話をしたときも必ず八田さんがいたし」

「彼女に触れたこともないんだな」

「うん」

 母親が大きく息を吐いた。「もちろん豊さんが変なことをする人じゃないのは、お父さんもお母さんもわかっています。でもね、状況がひどくやっかいなのよ」

「ついさっきのことだ。私が種をまいたコスモスの様子を見に庭へ出たら、大浜さんが倒れているのを発見したんだ。しかも彼女は全裸だった」

「お父さんに呼ばれて私も見に行ったんだけど、本当に仰天したわ。息はしていたけど、立てないくらい衰弱していてね。取りあえずシャワーを浴びさせて、奥の部屋で寝ているわ。一体どうやってここへ来たのと聞いても、豊さんでないと話せないというのね」

「セキュリティを確認したが、異常はなかったし。そもそも、裸でこの辺りをうろつくなんてあり得ない。どこからか飛んできたなら話は別だが」

 腕を組んで両親の話に聞き入っていた吉田が口を開く。「案外、飛んできたのかも知れません」

「はあ?」

 唖然とする父親を横目に、吉田はスマホを取り出して和希へ電話をかけたが、電源を切ってある旨のアナウンスが聞こえてきた。電話を切り、母親を見た。

「お母さん。いつも作る倍の量で食事を作ってください」

「いいけど……誰が食べるの?」

「結香さんです」

「でも、結香さんは体が弱っているのよ。ご飯なんか食べられないでしょう」

「最初は流動食みたいなのしか食べられないと思うんだけど、そのうち食欲が出てくるはずなんだ。僕がこれから軟らかい食べ物と栄養ドリンクを買ってきますから、少しずつ結香さんに食べさせてあげてください」

 困惑している両親を置いて、吉田は早速コンビニへ行き、スポーツドリンクと栄養ドリンク、カロリーメイトのゼリーを買い込んで、自宅へ戻った。母親と共に、結香がいる部屋へ行った。結香は母親のパジャマを着て、布団に横たわっていた。顔は青白く、頬骨がこけて眼窩が落ちくぼんでいる。目を閉じて動かないので、見た目は死人だ。

「結香さん、豊が来ましたよ」

 母親が耳元でささやくと、結香はゆっくりと目を開け、わずかに微笑みを浮かべた。

「ありがとう……ございます」

 かすれた声でささやくように言った。

「ポカリスエットを買ってきましたよ。飲みますか?」

「はい」

 母親が結香の背中に手を差し入れて、半身を起こした。吉田がコップに入れたポカリスエットを口に近づけた。結香は顔と同じく骨と皮だけになったような手でコップを取り、ポカリスエットを飲み始めた。途中、少しむせたが、それでもすべて飲みきった。

「結香さん、やっぱり救急車を呼びましょうよ」

 心配そうに声をかける母親に、結香はゆっくりと首を振った。「申し訳ありません。病院へは行けないんです」

「でもね、若い娘さんがこんなに衰弱しているなんて、普通じゃないわ。病院へ行って診てもらわないと、取り返しのつかないことになるかもしれないのよ」

「母さん、僕からもお願いです。病院には連絡しないでください。結香さんは栄養を摂れば必ず元気になります」

「そんなことを言ってもねえ」母親は不審げに二人を見た。「その体じゃあ、すぐに栄養をなんかとれないでしょう。病院で点滴を打った方がいいわ。死んじゃったらおしまいよ」

「明日まで待ってもらえれば、結香さんは元気になるんだ」

 結香はゼリーを食べ始めた。「あんまり早く食べると吐いちゃうわ」という、母親の心配をよそに、買ってきた三個を十分かけて、すべて平らげてしまった。最後に栄養ドリンクを飲み干した。

「あらあら、全部食べちゃったわ」

「だから大丈夫なんだ。母さん、悪いけど、さっき言ったように、いつもの倍の食事を作って欲しいんだ」

「結香さん、本当に大丈夫なの?」

「はい、食べたらちょっと元気が出て来ましたし」

 言葉通り、結香はさっきより、少し頬に赤みが差しており、母の手を借りずに起きていられるようになっていた。

「わかりました。ただ、結香さんの様子が少しでもおかしくなったら、反対されても救急車を呼びますからね」

 母は吉田と結香を軽く睨み付け、部屋を出ていった。

 吉田は、ほっと小さく息を吐き、結香に向き直る。「一体、何があったんですか」

 結香は潤一に再会したこと、シャチに襲われ、佐山という男と潤一に拉致されたことを話した。

「それで、彼らから逃げてきたんですね」

「はい……」結香が視線を下に向ける。

「どうしたんですか」

「あたし……佐山っていう人を殺しちゃったのかもしれない……その時、凄く怒っていたの。お兄ちゃんの姿をした男とか、車を運転している佐山とかに。そうしたら、体が鷲になっていったの。怒りが抑えられなくなって、佐山の首をくちばしでえぐっていたわ。走っていた車がひっくり返って……あたし、パニックになって空へ飛んでいった……夢中になって飛んでいったら、どこかで見たことがあるような家が見えて……そこで力尽きて落ちたら……」

「ここで倒れていたってことなんだね」

「うん……ご迷惑をかけて済みません」

 結香はうなだれるように頭を下げた。

「いや、ここを見つけられてよかったよ。変なところで力尽きたら死んでいたかもしれないし」

「本当にそう」結香は大きく頷いたあと、再びうなだれる。「でもあたし、人を殺しちゃった」

「人を殺したと考えるのは早急ですよ。その佐山も潤一さんも、クローンで作り出された生命体である可能性が高い。もちろん彼らも人間かもしれませんけど、結香さんたちに身の危険が迫っていたわけですし、正当防衛の範疇ではないかと」

「わからない。わからないわ」

 結香は力なく首を振った。

「ともかく、私たちはやらなければならないことが三つあります。和希さんの行方を捜すこと、島名さんがこの件に関わっているか。そしてなにより、結香さんの体力を戻すことです。まずは母の手料理をたらふく食べてください」

「はい」

 結香はこっくりと頷いた。

 午後六時、母親に呼ばれて吉田と結香はダイニングテーブルに着いた。テーブルの上には焼き魚、ステーキ、肉じゃが、サラダ、鶏の唐揚げと言った料理が所狭しと並んでいた。

「統一感のない料理でごめんなさい。冷蔵庫のストックが基本三人分だから、量を作るとこんな感じになっちゃったのよね」

「こんなに作っていただきまして、申し訳ありません」

「いいのよ。ただ、無理しないで食べてね。残したってぜんぜん構わないから」

「はい」

 最初はゆっくりと食べ始めた結香だが、急速にペースを上げていく。吉田の両親はその様子を呆気にとられて見ていた。四合炊いたご飯も、あっという間に平らげてしまった。

「もう大丈夫? 出前で何か頼みましょうか」

「いえ、もういいです。ありがとうございます」結香はぺこりと頭を下げた。「すいません、なんだか急に眠くなっちゃって……ちょっと休ませてください」

 ふらつきながら立ち上がり、もう一度お辞儀をして部屋へ戻っていった。

「痩せの大食いとか言うけど、そんなレベルじゃないよな。相撲取り並みの食事量だよ」

「彼女は特異体質なんです」

 息子の説明に納得がいかない様子だったが、そう言うほか仕方がなかった。翌日、きっちり十二時間眠った結香が起きてきた。以前見たときよりは痩せていたものの、寝る前より明らかに体全体がふっくらとして、肌の色艶もよくなっていた。

「これが特異体質ってやつなのか」

 吉田の両親はそのあまりの変わりように目を丸くしていた。結香は朝食もご飯を三杯軽く平らげてしまった。

「弱ったわねえ、多めに炊いたけど、もう足りないわ」

「納戸にシリアルがあったでしょ」

 結局結香は朝食の他にシリアルを一袋平らげてしまった。

「段々と力が湧いてきました。ありがとうございます」

「もう普通に歩けるの?」

「はい」

「でも、何か病気を持っているかもしれないから、病院に行った方がいいわ。それに、家の庭で倒れていた理由も教えて欲しいの」

「それは……」

 困った顔になって吉田を見る。

「病気に関して言えば、問題ないと言えます。僕も生物学者の端くれですから。庭に倒れていたのは……僕の研究に関わることが含まれていまして、今のところ公表は出来ないんです」

「警察沙汰になる話はないんだな」

「はい、大丈夫です」

 それは嘘だと思うけれど、恐らく父が想像している警察沙汰とは違う。だから、いいんだろうと自分に納得させた。両親はまだ何か言いたそうだったが、やらなければならないことはたくさんあった。母親にスエットと下着を用意してもらい、結香が着替えた後、二人でアルトに乗って外へ出た。コンビニの駐車場に車を止めて、吉田はほっと息を吐いた。

「取りあえず、事実関係を整理しましょう」吉田はスマホを取り出して、ブラウザを起動させた。「まず、清水で橋が破壊された事件がニュースになっています」

 吉田はブックマークしてあったニュースを見せた。

「ここよ、大正橋。シャチが暴れた場所よ」

「事件が起きたのが先週の木曜日、一週間前です」

「そんなに日にちがたっていたんだ」

「事件が起きてから家で意識が戻るまで、記憶はありますか」

「ちょっとだけ。空を飛んだり、家の屋根で休んだり……カラスを捕まえて食べたりもした」

 結香は言いながらおぞましげに顔をしかめ、ぶるっと体を震わせた。

「六日前から巨大な鳥が飛んでいる画像や動画がSNSに投稿されています。これです」

 吉田がスマホを操作して、SNSを立ち上げる。【これ、相模原市で撮影したんです。どんな鳥かわかりますか?】というコメントと共に、空を飛ぶ鳥の動画が表示された。鳥は黒と白の翼を広げている。くちばしと爪は黄色だ。鳥はマンションのベランダに止まり、その大きさがわかった。小学生の子供ぐらいある。リプライには【それはオオワシです】【関東にいるなんてあり得ない】といったコメントが並んでいる。

「他にありますか」

「そうね」結香は目を閉じ、ギュッと眉間に皺を寄せて考え込む。「太陽光パネルの屋根が見える……いっぱいあるわ……前に白い塔……ああ……なんだか心臓がドキドキして息苦しくなってくる」

 結香は目を開け、荒く息をし始めた。

「どうしたんですか」

「塔が頭の中に浮かんだら、急に頭が痛くなってきて……どうしたんだろう」

「太陽光パネルの屋根というのは、一般住宅ですか?」

「うん。住宅地みたいな感じ」

 吉田はスマホを操作する。「もしかして、塔というのはこんな感じじゃないですか」

 スマホの画面を見た結香が、あっと声を上げ、大きく頷く。「これよ。間違いない」

「藤が丘シティにあるフィーチャータワーです」吉田は再びスマホを操作しながら話し出す。「藤が丘シティの家は、すべて太陽光パネルが標準装備だそうですよ。結香さんが見たのは藤が丘シティに間違いありません。どうしてそこへ行ったのでしょうか」

「ここへ行けば助けてくれるような気がして……でも、危険だと思った」結香が胸を押さえる。「また心臓がドキドキしてきた」

「救出と危険。藤が丘シティに対して、アンビバレンスを抱いているという事ですか。よくわかりませんねえ。その辺りはペンディングなして、取りあえず、和希さんの行方を捜さなければなりません。きのう、興味深いニュースを拾ったんですよ」

 吉田がまたスマホを操作し、画面を見せる。


 早朝の住宅地で野犬が目撃される 静岡県沼津市井出地区。

 沼津市井出地区の住宅地で散歩をしていた同地区の住民が、野犬らしき犬を目撃しました。体長一メーターを超える灰色の大型犬で、周囲には飼い主らしき人はいなかったとのことです。これまで三人から目撃されているのに加え、食われた形跡のある猫の死体が発見されています。こうした状況から、住民からは不安の声が上がっています。

 これを受けて、地元警察が注意を呼びかけると共に、同地区での警戒を強化しています。


「先週木曜日に東名高速の愛鷹エリアで大きな事故が起こっています。単独事故で、上り車線から、中央分離帯を越えて対向車線の路側帯に突っ込んで炎上したそうです。これで男性二人の焼死体が発見されました。車は盗難車で、亡くなった人の身元はまだわかっていません。恐らく結香さんが乗っていたのはこの車でしょう」

「死んでいたのは佐山とお兄ちゃん」

「間違いないとおもいます。SNSで拾った情報ですと、事故が起きたとき、近くに大型の犬がいたそうです。沼津で目撃された野犬というのは、事故で発見された犬ではないでしょうか」

「その犬が和希なの?」

「僕はその可能性が高いと思います。まずは野犬を探さないと」

「でも、どうやって見つけるのよ。警察だって捜しているんでしょ。あたしたちが行ったって見つけられないわ」

「そうなんですよ。でも、その犬が和希さんだったら見つけられるかも知れません」

 吉田はにっこりと微笑んだ。


 夜の帳がおり始める。俺は下草の中から体を起こし、こわばった筋肉をほぐしながら歩き始める。見上げると、生い茂った木々の枝の向こうに、うっすらと輝きを放つ上弦の月が見えていた。

 腹の奥から強烈な飢餓感が突き上げ、牙が獲物を求めた。耳が獲物の歩く音を探そうと、感覚を広げていく。鼻孔からは、湿った土の臭いや、成長する草が発する青臭い刺激を感じるが、獣の臭いは皆無だ。確実に獲物へありつくには、下へ降りていくしかないだろう。

 ふくよかな体つきの猫。天敵を知らないないかのように、ゆったりと歩く姿。熱く柔らかな内臓の感触を思い出すと、口の中から唾液が溢れ、顎からしたたり落ちる。

 しかしあそこは危険だ。敵意に満ちた人間たちの目。奴らが俺を追い立てる。だが、このままでは力尽きてしまう。人間が棲む場所へ行き、猫を食べるしかない。俺は斜面を下っていく。途中で沢にぶつかり、舌で水面を叩き、水をすくい取って飲んだ。空腹が少しだけ紛れる。

 沢を伝って坂を下ると、木々の間から強い明かりが見え、目を瞬いた。家の窓から漏れる明かりだ。あの近くに熱く柔らかい内臓を持った猫がいると思うと、腹が叫びを上げる。同時に懐かしさのようなものを意識したが、食欲にかき消されてすぐに消えていった。

 その時、鼻孔へわずかな刺激臭を感じ、足を止めた。

 かつて嗅いだことのある匂い。しかしそれは明らかに人間のものだ。匂いの主を思い出そうとするが、頭の中に靄がかかってわからない。しかしそれは、なによりも大切なものに思えた。本能は危険信号を発したが、匂いの元へ行ってみようと思う。俺は沢から出ると、斜面を登っていった。


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