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第六面 欲しかったもの


 玖狐の過去に通じる何かを感じ、美晴は無意識に胸元の服を強く握った。

 叔父夫婦の家で美晴が受けた仕打ちは、まさしく迫害と呼べるものであり、生きながらにして地獄を味わう辛さを美晴は嫌というほど経験してきた。


 時に、人間がどれほど残酷で、どれほど恐ろしいか。身をもって知る美晴だからこそ、玖狐が美晴という“人間”を憎悪することが、理不尽なこととは思えなかったのだ。

 悲しげに俯く美晴を、苑寿が心配そうに見ている。刀喰と玖狐は、まだ何かを言い争っているようだった。


「ただいま、美晴」


「神夜くん……」


 近くで聞こえた声に、美晴はそろりと顔を上げた。

 いつの間にか、傍に神夜が立っている。外行きの装いに身を包み、狐の面を被った神夜は、飄々とした雰囲気を僅かに鋭くしている。


「顔色が悪いね。それに、怪我も増えてる」


「あ……その、ごめんなさ──」


 反射的に謝りかけた美晴の唇に、神夜の指が当てられた。


「心配はしたけど、謝って欲しい訳じゃないよ」


 まるで、子供を諭す大人のようだ。

 普段よりも低く落ち着いた声が、美晴の冷えた心を温めていく。


「謝るのが癖になっちゃってるのかもね。じゃあ、こうしようか。美晴はしばらく、僕に謝るの禁止」


「ええ……っ!?」


 突拍子もない提案に、美晴が思わず声を上げる。


「一回破るごとに罰ゲームをさせるから、そのつもりでね〜」


「ばっ……無理です、むりむり……!」


「その代わり、直ったら美晴のお願いを何でも聞いてあげる」


 大きく首を横に振る美晴だったが、神夜の何でもという言葉にふと動きを止めた。

 美晴には一つだけ、どうしても気にかかっていることがあった。


 高校生活は家と学校を往復し、毎日勉強と家の雑務ばかりをしていた美晴だが、唯一友人と呼べる相手がいた。

 突然消えた美晴のことを、きっと心配しているに違いない。友人のことを思い出すたび、美晴は何とか連絡を取れないものかと考えていたのだ。


「返事は?」


「……わ、分かりました。やります」


「うん、いい子」


 甘さを含んだ声が、美晴の耳をくすぐる。

 お面越しに、神夜が微笑んでいることが伝わってきて──美晴はどきりと脈打つ鼓動を押さえ込むように、服を強く握り締めた。


「それで、苑寿と刀喰はともかく、玖狐はここで何をしてるのかな」


 美晴から庭園の方へと視線を移した神夜は、ここにいるはずのない眷属の姿に、ゆったりと問いを投げかけている。


「玖狐。面妖(僕ら)にとって伴侶が何を意味するのか、忘れた訳じゃないよね?」


「はい……申し訳ありません、主様」


 ぺしょりと耳を下げた玖狐は、深く落ち込んだ様子で項垂れている。

 そんな玖狐の姿がどうにも気にかかり、美晴が思わず声をかけようとした時だった。


「美晴様?」


 異変に気づいた苑寿が声をかけるも、美晴に返事をする余裕はない。

 強烈な目眩と吐き気。ぐらぐらと揺れる視界の中で、前に傾いた身体を苑寿が支えるよりも早く、神夜の腕が包むように美晴を受け止めた。


「美晴、ちょっと揺れるよ」


 状態を確認した神夜は、美晴を抱き上げ部屋まで運ぶと、苑寿が敷いた布団の上にそっと身体を横たえた。


「……ごめ……んなさ……」


 美晴の口からこぼれた謝罪に、神夜はどこか切なげな笑みを浮かべている。

 ──どうしてそんな顔をするの?

 脳裏に浮かんだ疑問は、暗闇に閉ざされた視界と共に沈んでいく。


 どこかで、カラカラと鳴る音が聞こえた。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 高熱にうなされる美晴の頬に、冷んやりしたものが当たった。

 探るように動かした手が、何かの布を掴む。冷たくないと不服を込めて引っ張ると、くすくす笑う声と共に、再び冷んやりしたものを当てられた。


 手で掴んだそれを、離さぬようぎゅっと握り締める。

 そうしていると、少し苦しさが紛れたような気がして、美晴はほうっと息をつくと、再び深い眠りに落ちていった。


「ごめんね」


 夢か現か幻か。

 落ちる直前、誰かの謝る声が聞こえたような気がした。




 ぱちりと目を瞬いた美晴は、部屋の中を見回すと、ゆっくり上半身を起こした。

 熱は完全に引いたようで、身体も軽く感じる。

 ふと枕元に花が置かれていることに気づき、美晴はその中の一輪を手に取った。


「失礼します」


 開かれた襖から、苑寿と刀喰が入ってきた。

 美晴と目が合うと、二人は安堵した様子で近寄ってくる。


「美晴様、お目覚めになられたのですね。お身体の具合はいかがですか?」


「軽い食事を持って参ります。食べたい物がございましたら、お気軽にお申し付けください」


 てきぱきと世話を焼く苑寿と刀喰の姿に、美晴はじんわりとした温かさを覚えた。

 叔父夫婦の家では、たとえ熱を出そうが骨が折れようが、誰一人として助けてくれる者はいなかった。


「この花は二人がくれたの?」


「いいえ。私たちではありません」


「直接謝罪する勇気もないどこぞの駄狐が、お休みの間に置いていったのでは」


 微笑む苑寿に対して、刀喰はどこか不機嫌そうな顔をしている。

 花をくれた相手の正体が分かり、美晴の目からぽとりと涙が零れた。


「美晴様……?」


「何かご不快なことでも──」


 焦る苑寿と刀喰をまとめて抱きしめた美晴は、堪え切れない嗚咽を漏らしている。そんな美晴の肩へ、苑寿は嬉しそうに頬を寄せた。初めは戸惑っていた刀喰も、もう片方の肩へ頬を寄せている。


 誰かと食べる温かい食事も、病気の時に看病してくれる優しい手も、美晴には長いこと縁のないものだった。

 幼い頃は家族と呼べる存在もいたのだろうが、歳を重ねるごとに薄れてしまい、今ではほとんど覚えていない。


 もう一生、家族の温もりなんて分からないままだと諦めていた。けれど、いつの間にか神夜や苑寿たちのいるこの場所が──美晴にとっての家であり、大切な居場所に変わっていたのだ。


 気づかなければ、良かったのかもしれない。

 契約結婚という仮初の関係は、いつか終わりが来ることを意味している。

 それでも、美晴は今この瞬間が、どうしようもなく愛おしかった。


 ずっと欲しかったものが与えられた子供のように、美晴はただ延々と泣き続けていた。


 

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