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第十二面 美晴と神夜


 美晴の母は頑固で、ひとたび決断した後の行動は、とても大胆になる人だった。

 気弱だが心根の優しい男に惚れていた母は、政略結婚を嫌がり、最終的に男と駆け落ちすることを選んだ。


 しかし、美晴が生まれて数年が経った頃──母は突然病に倒れ、この世を去ってしまう。

 母と祖母は絶縁状態にあったものの、せめて葬式だけは故郷でしてやりたいと、父は美晴を連れ田舎の地を踏みしめていた。


 幼い美晴に、葬式のことはよく分からない。

 母が傍にいなくて寂しい、つまらない、遊んで欲しい。そんな気持ちを抱えながら、黒い服ばかりを着た大人が行き交う屋敷の隅で、美晴はじーっと裏山を眺めていた。

 美晴の心にぽっかりと空いた穴が何なのかさえ、その時の美晴には理解できていなかったのだ。


 美晴の大胆さは母親譲りだった。

 時に転がり、尻もちをつきながらも、興味を惹かれると一目散に駆けていく。そのため、美晴の身体には常に生傷が絶えず、服は数日もすれば使い物にならなくなった。


 その日、美晴は草むらの陰に、ふわふわと揺れる尻尾らしきものを発見した。

 尻尾の持ち主は、美晴が駆け寄ってくるのに気づくと、急いで裏山の方へと逃げていく。裏山には決して近づかないよう言われていた美晴だが、尻尾を追いかけているうちに、いつしか見覚えのない山中に迷い込んでいた。

 

「あれー?」


 首を傾げた美晴が、不思議そうに辺りを見回す。

 消えた尻尾を探し、美晴が近くの茂みを覗き込もうとした瞬間だった。


 踏み外した足が宙を舞う。崖から真っ逆さまに落下した美晴は、恐怖で身体を縮こまらせた。

 直後、ふわりとした浮遊感に包まれる。

 目を開けた美晴の視界に、人影が映った。


「……きつねさん……?」


 呟いたのも束の間、再び落下していく身体に、美晴はぎゅっと瞼を閉じる。

 なかなか襲ってこない痛みに薄目を開くと、美晴の視界いっぱいに狐のお面が飛び込んできた。


「ねぇ、君。大丈夫?」


 美晴を抱きかかえた青年は、黒い着物を纏っている。

 屋敷の大人たちと同じ黒い服装に、美晴は青年も葬式に来た人なのだろうと思った。


「おーい。聞こえてる?」


「きこえてるよー」


 青年の問いかけに、美晴はこくこくと頷いている。


「良い返事だね〜。じゃあさ、君がどうしてここにいるのか教えて欲しいんだけど、できる?」


「うん。あのね、きつねさんのしっぽをおいかけてたの。そしたらね、ここにいたんだよ」


 美晴の話に「なるほどね〜」と相槌を打ちながら、青年は横抱きにしていた美晴を片腕の上に座らせた。目線が高くなったことで、美晴は嬉しそうに周囲の景色を眺めている。


「本当なら、領域の近くまで来た人間を帰すわけにはいかないんだけど、君はまだ神の子だからね」


「かみのこ……?」


 きょとんとした顔で見つめる美晴の頭を、青年が優しく撫でた。


「君、名前は?」


「みはるだよ。うつくしいはれってかくの」


「美晴ね。僕は神夜だよ」


 親に教わった名前をそのまま話す美晴の姿が、微笑ましく映ったのだろう。神夜はくすりと笑みをこぼすと、何処かに向かって歩き始めた。


「じゃあ、かぐやくんってよぶね」


「なんかいいね、その呼び方」


「かぐやくんは、なんさいなの?」


「あー、とし……歳かぁ。いくつに見える?」


「きんじょのおにいちゃんとおなじくらいだから……じゅうご!」


「あはは。そんな風に見えてるんだ」


 小気味良く続く会話に、和やかな空気が流れる。

 美晴という存在から伝わる心地よさに、神夜は僅かな動揺と、それを遥かに超える安らぎを感じていた。


「美晴はいくつなの?」


「んーとね、ご……ろく? よんさい!」


「遡っちゃってるねぇ」


 はっきりとした年齢は分からなかったが、神夜は特に気にした様子もなく、楽しそうに話す美晴をお面越しに見つめている。


「このおめんをとったらどうなるの?」


「また違うお面が出てくるだけだよ〜」


 言葉の意味が理解できなかったのだろう。

 美晴は狐のお面にぺたりと手を当てると、きょとんとした表情で神夜を覗き込んでいる。


「かぐやくんのおかおは?」


 たとえ数多の(かお)を持っていようと、一番下にあるのは神夜自身の素顔だ。

 山吹のように鮮やかな瞳には、純粋な好奇心が浮かんでいる。美晴の眼差しを受けながら、神夜は何でもないことのように口を開いた。


「本当の顔は、忘れちゃった」


 ぱちりと、美晴の目が瞬く。


「どうして?」


「僕には運命の伴侶がいないからね〜」


「うんめいのはんりょ?」


 なぜ人間の──それも幼子に、こんな話をしているのだろうか。

 別の人格を演じることも、取り繕うこともせず、神夜は()()()()()美晴と話をしている。

 不意に浮かんだ思考に自分でも驚くほど、神夜は美晴に対して正直だった。


「僕にとっての半身であり、片割れみたいな存在のことだよ。僕たちは沢山の(かお)を持ってるけど、その分中身は空っぽだ。お面の現象()本質()のうち、表しかない。運命の伴侶は、そんな空っぽの裏を埋めて、本当の自分()を引き出してくれる」


 まるで、片翼で生まれた鳥のようだ。

 面妖には初めから、自らにとって重要なものが半分欠けている。


「ごめん、難しかったよね」


 険しい表情で唸る美晴だったが、おそらく一割も理解できていない。

 ただ、神夜には運命の伴侶が必要だ。そのことだけは、しっかりと焼き付いているようだった。


「どうやったらみつかるの?」


「生まれてくる時期はそれぞれ違うからね〜。何となくこの辺かなーって場所に行って、そこで待ち続けるしかないかな」


「じゃあかぐやくんは、ずっとここでまってたの?」


 刹那の静寂が、辺りを支配する。

 以前と変わらない森の風景を目にし、神夜はふっと笑みを浮かべた。


「そうだよ〜。もう何百年も待ってるんだけどねぇ」


 幼い美晴に、年月の長さなど分からない。

 けれど、一人で待ち続ける神夜の姿を想像した美晴は、小さな手を伸ばすと「いいこいいこ」と神夜の頭を撫でた。


「美晴は優しいね」


 お面の下で、神夜の目が愛おしむように細められる。


「ここを真っ直ぐ行けば、美晴を探してる人と会えるよ」


 神夜の視線の先には、村へ下りるための階段があった。

 遠くで微かに、美晴の名前を呼ぶ父の声が聞こえる。


「あそこにも、いない?」


 葬式を行うため、屋敷には多くの人間が集まっている。

 村の方を指差した美晴に、神夜は「うーん」と考えるような仕草をした。


「本来なら、一目見れば分かるらしいんだけどね〜。僕にはもう、自分のことさえ分からないから」


 ──たとえ居たとしても、気づかないかも。

 言外に滲む思いには、消えていく自分への諦めと、虚しさが込められていた。


 運命の伴侶を見つけられなかった面妖は、いずれ狂ってしまう。

 数多の(かお)を使い分けるうちに、自分という存在を失い、正気を保てなくなってしまうのだ。


 美晴をそっと地面に下ろすと、神夜は促すように背中を押した。


「かぐやくんはいかないの?」


「僕は行けないよ」


 今の神夜は、狂気という谷底の上を、綱渡りしているような状態だ。不安定なまま、領域に近い場所から離れるわけにはいかなかった。

 とてとてと走った美晴が振り返り、神夜に向けて大きく手を振る。


「あのね、かぐやくん! みはるね、またあいに──」


「え、ちょ! 美晴!?」


 手を振った反動でよろけた美晴が、階段横の斜面に背中から倒れていく。そのまま見えなくなった姿に、神夜は思わず駆け寄りそうになった身体を、すんでのところで押さえていた。


 咄嗟に伸ばした手が、空を彷徨う。声も出せないほどの大怪我を負ったのではないか。そう思うと、気が気ではなかった。

 ふと、小さな手が傾斜の上に覗く。ひょっこりと顔を出した美晴は、「えへへ」と笑いながらもう一度神夜に手を振った。


 神夜の中に、妙な感覚が広がっていく。

 泥だらけで笑う美晴の姿さえも愛おしく思えて、神夜は美晴が去った後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 

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