侍女マリアの日常
5作目になります。【無気力令嬢の日常と宰相令息の苦悩】の侍女マリアのお話しです。先に前作をお読みいただいた方がわかりやすいかと思います。
お嬢様と初めてお会いしたのはお嬢様が十二歳で私が十九歳の時。
私は男爵家の次女だったから貴族学校に通えたのだけれど、あまり裕福ではなかったし、兄も姉もいたから卒業後は家を出て働いて自分の食い扶持くらいは確保したいと思ってた。結婚するにもお金がかかるし気は使うしね。同級生からは貴族令嬢ぽく無いってよく言われていたな。
一応学校では優秀な成績を収めていたから十八歳で卒業した後は王城で女官として働くことができたの。下っ端でほぼ雑用係で大変な仕事だったけれど、体力には自信があるし、衣食住に困らなければいいやと思いながら勤めていたら半年後に伯爵にスカウトされたの。
「伯爵家の侍女として働いて欲しい。」
とても条件が良いので一瞬怪しいと思ったけれど、伯爵は財務官で評判は良く変な噂も無い。伯爵家の経済状況も問題無さそうだったので転職を決めたの。
王城の女官を一年で退職して意気揚々と伯爵家に赴いたら知っている人がいた。貴族学校で同級生だった男爵令息が。
学生時代同じクラスになったのは一年の時だけだし、ほとんど話した事が無いから人となりはよくわからないけど、大きくて寡黙っていう印象だったな。向こうも私をチラチラ見てくる。多分知ってる人かもしれないって思ってそう。
「私はケインと申します。」
「本日からこちらで勤めるマリアと申します。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。あの…貴族学校で同級生だったのは覚えていますか?」
「ええ。」
「あぁ。良かった。知っている人がいると安心しますね。」
「そうですね…」
「実は私もつい先日こちらに来たばかりで少々不安になっていました。」
「…そうなんですね。」
体格の割には繊細なのかな。そう思っていたら年配の侍女の方に伯爵夫人から話があると呼ばれたの。
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伯爵夫人は所作の美しい凛とした女性だった。
「マリアさんよろしくお願いします。お仕事は一人娘の侍女をしていただきたいの。」
「かしこまりました。」
「伯爵から何か言われているかしら?」
「伯爵家の侍女として働いて欲しい。とだけ伺っております。」
「マリアさんは仕事が出来て冷静沈着、度胸があり周りに流されない方だと聞いています。」
「そうなのですね。」(そうなのかな。)
「そして猫好きだとも聞いています。」
「はい。とても好きです。」(どこでそんな情報を仕入れたのだろう…)
それからすぐにお嬢様の部屋に案内され扉を開けるとそこには黒猫がちょこんとソファに座っていたの。
(可愛い〜〜〜猫!お嬢様は?)頭の中では???となっていたがマリアは表情に出ないタイプだった。
「一人娘のセシリアです。今はリアだけれど…」と伯爵夫人は言った。
(???)「お嬢様。マリアと申します。よろしくお願いいたします。」と黒猫に向かって挨拶してみたら毛並みの美しい黒猫はソファから飛び降りて私の足に擦り寄ってきたの!
(か…可愛い!!)
黒猫は「にゃー」とひと鳴きしたかと思ったら目の前で人間になったの!艶やかな黒髪で透けるような白い肌に薔薇色の瞳!
(美少女がいる!)
マリアが見入っていると伯爵夫人が「驚いたでしょう?」と言った。
「…はい。」
「そうでも無さそうね。流石マリアさん安心してお任せ出来そう。これは他言無用なのだけれど…」
伯爵夫人は伯爵家の秘密を話し始めた。感想としては(昔は魔法もあったみたいだし有り得なくも無いかな。)くらいだった。それよりも美少女と黒猫のお世話が出来てお給金も良いし、住み込みだし、メリットしか無いと思っていたのだけれど…お嬢様の状態を聞いて気の毒になった。自分の出来る限りお嬢様をお守りしようと強く思ったの。
お仕えして数日だけれど、お嬢様は人懐こく、目をキラキラさせて貴族学校や王都の話を聞いてくる。とても学校に通いたそうだけれど、通えない事を理解しわがままも言わず、こんなに賢くて可愛らしいお嬢様に呪いが発現するなんて…。
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伯爵家ではお嬢様の身の回りの事だけでなく、様々な仕事をこなしているの。伯爵家は対外的にはお嬢様は病弱で療養中としているので、使用人は最低限の人数。お給金が良いのはこの為だったんだなって思ったけど、女官の下っ端の仕事に比べたら全く問題無いわね。
休憩時間には伯爵家の素敵な庭を散策できるし、美味しいおやつもある。日陰でのんびりしていると人影が目の前に現れた。
「休憩中ですね?」ケイン様だった。最近休憩していると結構な頻度で現れるんだよね。
「隣良いですか?」
「どうぞ。」
ケイン様の主な仕事は護衛騎士だけれど、やはりその他諸々の事をしており庭師のような事もしている。私と同じく伯爵からスカウトされたみたい。猫好きなのだろうなとぼんやり考えていた。
「伯爵夫人の侍女の方に頂きました。いかがですか?」王都の有名な焼き菓子店のクッキーだ。
「いただきます。」美味しくいただいているとケイン様はジッと見てくる。
「…美味しいです。」(見過ぎじゃないかな。)
「良かったです。とても美味しそうに食べていますね。」にっこり微笑むケインだがマリアは気になる事を伝えた。
「ケイン様。人の事を見過ぎるのはマナー違反ですよ。」
「そうなのですか?!」
「ええ。特に女性に対してはあまり良く無いと思います。」
「そうだったのですね。すみません…騎士の仕事ばかりしていたのでマナーには疎くお恥ずかしい…」しょんぼりしてしまった。
(もう少し遠回しに言うべきだったかな。でも素直ね。)
「今後気を付ければ大丈夫です。」
「あの…良かったらマナーを教えていただけませんか?今後、他の仕事もする時がくるかもしれませんので。」
「私は厳しいですよ。」
「厳しいくらいがちょうど良いです!よろしくお願いします!」
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それからマナー勉強会が頻繁に開催された。マリアとケインとセシリアで。
お嬢様はマナーはほぼ完璧なので勉強を教えたら、とても覚えが早くて基礎も応用も完璧!流石私のお嬢様!
一方ケイン様は大雑把な部分があるので洗練された所作を身につけるため徹底的にマナーを叩き込んだ。とても熱心で教え甲斐があったわ。
そんな日々が過ぎ、伯爵家に来てから半年程経ったある日、マリアは突然ケインにプロポーズされた。いつものように庭で休憩している時だった。
薔薇の花束を持ったケインが「私と結婚して下さい。」と片膝を付いたのだ。
(???)この状況に頭がついていけないものの至って表情は普通だ。
「受け取って下さい。」ぐいっと花束を差し出す。
(綺麗)ついうっかり受け取ってしまった。
「結婚してくれますね?」
「え。あ。はい?」ついうっかり返事をしてしまった。
「にゃー!」(やったー!)
「まぁ。素敵。」
「今日はお祝いしましょう。」
猫になっているセシリアと伯爵夫人と夫人の侍女がこっそり見ていたのを忘れ大騒ぎしている。
肯定したと捉えられたようだ。ケイン様はほんのり頬を染めている。
(ま、一生結婚出来ないと思っていたしいいか。ケイン様は穏やかで人が良くて素直だし。でも何で私なのだろう…)一瞬考えたが「よろしくお願いします。」とだけ答えた。
「ありがとうございます。」ケインは飛び上がり大喜びした。
その日の夜、伯爵家はお祝いムードでいつもはタウンハウスにいる伯爵も帰ってきた。夫人から報告を受け「収まるところに収まったか。」などと意味不明な事をしみじみ呟いていた。
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結婚してから半年が過ぎようとしていた。結婚したからといって特に変わった事は無く、二人共伯爵家に仕えている。私とケインは二十歳になりお嬢様は十三歳になった。
普段はわがままなど一つも言わないお嬢様が貴族学校に思いを募らせ、一度だけ見てみたいと言い伯爵も夫人も承諾し、私とケインが同行する事になったの。
そこでお嬢様が迷子になる事件が起きてしまい、猫のまま他の動物に襲われてたらどうしようとか、人間に戻っていて誘拐されたらどうしようとか不安になりながらも三人でそれぞれ探し回ったの。
「お嬢様!」見つけた時はホッとして涙が出そうになったわ。
人間に戻っていたお嬢様は貴族学校に通っているというルーカスという男性とお話しをしていたの。お嬢様が不安にならず楽しかったのならそれでいいんだけど…変な虫が付かないようにしなくちゃ。ルーカス…覚えたわ。一応お礼を言ってさっさと集合場所へ戻ったの。
領地に戻ったお嬢様はさらに勉学に励み、貴族学校の三年分の学習を修了しさらに独自で書類の書式を作成したの。すごくない!?私のお嬢様!!
お嬢様はルーカスの事がとても気になってるみたいだからこっそり調べたら宰相家の次男で、女癖が悪い噂があるみたい。はい!アウト!噂を鵜呑みにするのは良くないけれど、火のないところにって言うじゃない?
そんな事を考えているうちにお嬢様の呪いがだんだん酷くなり無気力に過ごすようになってしまったの。
お嬢様にとって暗黒期が五年ほど続き十八歳になったある日、伯爵が部下を連れて来たの。あのルーカス(様)を。お嬢様に悪さをしないか目を光らせていたら無類の猫好きのようだったわ。リアお嬢様の頭を吸ったのは許せないけどルーカス(様)の存在がお嬢様の力になり始めたみたい。お嬢様が良い方向に向かうのなら多少の事は目を瞑ろうと思ったわ。
領地の視察中に伯爵とルーカス様が落盤事故に巻き込まれる事故が起きてしまい、伯爵は軽傷、ルーカス様は一部記憶喪失になってしまわれた。伯爵家に滞在していた事も五年前の事も忘れてしまったよう。お嬢様が心配だったけれど、とても気丈に治療院のお手伝いをされていたの。
それからルーカス様が伯爵家で療養する事になったのだけれど、治療院で酷い事を言ってお嬢様を傷つけたの。怪我人で記憶を失っているのは気の毒だけれどこれは許せないわね。伯爵家で夫のケインが付き添うみたいだからビシバシ訓練してねと言っておいたわ。
そうしているうちに、何故か夫のケインとルーカス様は仲良くなったの。それから間もなくルーカス様の記憶が戻り、お嬢様の秘密にも気が付いたの。頭は切れる方ね女癖が悪くなければ…と思っていたら、それは本当に噂でさらに尾ヒレがついただけだったみたい。ま、貴族社会ってそんなものね。やはり噂は鵜呑みにしてはならないわね。…反省。
それからルーカス様は光の速さでお嬢様に婚約を申し込み光の速さでご家族が訪れたわ。流石宰相家やる事が早い。また皆様無類の猫好きで少々お嬢様にしつこかったの…でもお嬢様の婚約が歓迎されているならいいの…かな。
婚約してから屋敷内ではルーカス様がお嬢様にベタベタしていたわ。お嬢様は恥ずかしがっているけど満更でもなさそう。恥じらっているお嬢様可愛い。それからルーカス様は仕事の為に一旦王都に戻るみたい。お嬢様を連れて。私とケインも同行したのだけれど…。
ルーカス様のお母様である公爵夫人はものすごくパワフルね。淑女を絵に描いたような方だと思っていたけれど…お嬢様が絡むと冷静でいられなくなるみたい。後でルーカス様と一悶着ありそう。日中は公爵夫人がお嬢様に付きっきりなので私とケインは日中長めの休憩をいただいたの。
夫のケインと二人きりで街を歩くのは初めてだった。いきなりケインは手を繋いできたから驚いて顔を見上げたら真っ赤になっていたわ。…私の夫…可愛いわね。結婚して五年も経つのにね。「お嬢様も婚約された事だしそろそろ子供でもどうかしら?」って言ったら何も言わず固まってしまったわ。やっぱり可愛いわね。私の夫は。
それから王都で有名な焼き菓子店でクッキーを買って、宝石店でお揃いのネックレスを購入して(指輪は仕事の邪魔になるからね。)カフェでお茶をしたの。そうしたらケインがボソリとなにか呟いてた。よく聞こえなかったけれど。
(学生時代もこうしたかったな。)
ルーカス様は仕事を終わらせお嬢様と二人が出会った自然公園に立ち寄り改めてプロポーズしていた。遠くからでもやっぱりお嬢様は可愛らしいと思っていたら急にルーカス様に抱きついたわ。ルーカス様は真っ赤になって固まっている。ふふ。ちょっとうちの夫に似ているわね。お嬢様は意外と積極的なのねと思わず口に出したら、隣にいた夫はうちみたいに尻に敷かれるだの何だの言ってたからひと睨みしてやったわ。ふふ。あとでお仕置きね。
それからお二人は結婚して王都での生活が始まり、お嬢様は王都と伯爵家を行き来する生活になったの。それに猫になるのは真夜中の二、三時間だけのようだからリアお嬢様にはあまりお目にかかれなくなるのかも。少し寂しいけれどお嬢様がご負担にならないのが一番だからね。
私とケインは引き続き伯爵家に仕えている。そんな生活が数年経った頃、あまりの体調不良で数日寝込んでしまったの。健康だけが取り柄だったから不安になっていたらケインが優しく抱きしめてくれた。すごく落ち着くの。いざという時はとても頼りになる夫。
「おめでただよ。」ケインがにっこり微笑んだ。
それから夫は甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれ、伯爵夫人は身体の負担の無い仕事だけで無理をしないでねと優しく言ってくれた。伯爵家のサポートのおかげで夫によく似た元気な女の子が生まれたの。
夫の目は下がりっぱなしで娘のお世話をしてくれるし、産後のケアもしてくれる。「ケインと結婚して本当に良かった。益々好きになる。」って言ったら真っ赤になって固まってた。もうそろそろ慣れて欲しい。
そうしているうちにお嬢様が里帰り出産されるのでお迎えしたの。皆が無事を祈っていると元気な産声が聞こえてきたわ。お嬢様によく似た美形の男の子だったの。伯爵家一同と宰相家一同が集まり、それぞれの父親とルーカス様が号泣していたわ。男性陣はよく泣くのよね。
将来お嬢様のご子息と私とケインの娘を結婚させたいって伯爵家の皆様がおっしゃったの!とんでもない!!うちは爵位も無いし恐れ多いから遠回しに丁重にお断りしたの。そうしたらお嬢様が「爵位なんてどうにでもなるわ。」ってすこーしだけ悪い顔をしていたの!
「お…お嬢様?!」
マリアは伯爵家に仕えて初めて動揺を見せた。
(完)
涼しい顔してお嬢様LOVEの侍女マリアでした。もちろん夫もLOVEです。