5月2日
『みんな装備は外したかニャ』
恐らくは疲れもあいまってのハイテンションでミキニャが先導する。やっと4人揃ったお昼過ぎ、パーティは最果ての森という終盤のエリアに向かっていた。
『ユーリとミキニャはまだいいけど、俺とウワバミさんは結構恐怖だからね』
ついつい主張してからウワバミとうなずき合う。戦士であるユーリと武闘家のミキニャは革の服にアクセサリーはなし、神官のカナタと魔法使いのウワバミは布の服に木製の杖だ。物理攻撃系のふたりはともかく、そもそも防御力のないカナタたちは丸裸と変わらない。しかも、この森には特殊攻撃系のモンスターが山のように出現する。
『短時間で友好度マックスにするには、これしかないニャ。死ぬ気でがんばるニャ。大毒蛾が出たら秒でマックスニャ!』
『大毒蛾が出たら即逃げするよ!』
『なんでニャ!?』
『装備もナシでさすがに勝てへんわ!』
『だったら、ウワバミさんに風のブーツ装備してもらうニャ。最初に毒無効化の魔法で1ターンは稼げるニャ。そのあいだに装備したらいいニャ!』
『……儂の装備はできんがの……』
『やられたら次ターンでカナタが復活の呪文唱えるニャ』
『鬼やな……』
紅一点のミキニャが鬼畜な作戦を力説する。猫耳の少女はいつもと変わらないはずなのに、どこか目が据わっているように感じるのは気のせいだろうか。
しかし、それが最も効率的なこともみんな分かっていた。
『……儂とカナタは、支援強化と回復に努める。敵は任せたぞ』
ウワバミの声はいつになく硬い。なぜならここは金紋章パーティがようやくクリアできるほど高難易度エリアなのだ。そこに、あえての惰弱装備で挑むなど自殺行為でしかない。
しかし、攻略難易度が上がるほど友好度の上昇がアップするのだ。ミキニャががっつりパーティに入れるのは今日と、次はサ終直前しかなく、つまり今日が唯一のチャンスなのだ。
『とにかく、みんな「命だいじに」やで』
戦闘終了時に一人でも欠けていたら友好度が下がってしまう。ユーリのかけ声を合図に、4人は最果ての森に突き進んだ。
そこからしばらく、阿鼻叫喚の戦闘が続いた。なんども回復を繰り返していれば、精神的に疲労が溜まっていく。
『あかん。回復できてるはずやのに、どんどん疲れてく気ぃするわ……』
『俺も1日での復活呪文回数が過去一なのは確実だよ』
『つまり、1日で死んだ回数も過去一ニャ』
『こりゃ、老体にはハードすぎる……あと、何戦じゃ?』
魔物の出現しないエリアで小休止をしながら、現実の人間も水分補給などに努める。翼も、今年始めて部屋のエアコンを動かし、そのカビ臭さに顔をしかめながらも、背に腹は代えられないと、手汗で滑る手をなんども拭った。
『敵にもよるけど、うまくいけばあと2戦かなぁ』
2戦で終わってくれという強い願望を含ませた。フィールド移動時の全力疾走時間のような疲労パラメータは、戦闘時には設定されていない。それなのに、なぜかみんなのアバターは深い疲労が蓄積されているように感じられた。
『どないする? ここでしっかり休憩するか、一気に行ってから休憩するか』
『はいはいはーい! 一気に終わらせたいニャ。休むと気合いがどっか行きそうニャ』
元気よく挙手したミキニャの声が、語尾にいくにつれ萎んでいく。
『儂もミキニャに賛成じゃ』
『俺も』
止まると走れなくなる。そんな妙な感覚を全員が共有していた。
『ほな、最後。ふんばろか』
ふんっと立ち上がったユーリに続いて、みんなが気合いを入れ直した。アイテムの残りをチェックして、また森の中を進んでいく。
あと、1戦――。
カナタの予想どおりに友好度があがり、終わりが見えたことに全員がテンションを上げたそのときだった。
『は!? ウソ……』
全員がもれなく呆然としていたなかで、辛うじてミキニャが声をあげる。一瞬、固まっていたパーティが、その声を合図に、戦闘モードに入った。
『……!!』
すかさずウワバミが毒無効の呪文を唱える。これで3ターンのあいだは、敵の毒に冒されない。
『なんで今なんや!? 出るならもっとはよ出てきぃや!』
『気合いニャ! ここで死んだら後戻りニャ! それだけは嫌ニャーーー!』
『俺も、これ以上はムリ!』
この森でプレイヤーに最も嫌われている大毒蛾は、とにかく巨大で、出現すると画面の大半が隠れてしまう。その一撃目は毒の鱗粉と決まっていて、パーティでいちばん素早さのパラメータが高いウワバミがそれを防いだ。残りの3人はそのターンを犠牲に、外していた装備を身につける。
が、装備が後回しになってしまったウワバミが、大毒蛾の物理攻撃にダウンした。
『ウワバミさんっ!』
半泣きでウワバミを復活させ、ユーリが特殊攻撃で大毒蛾の攻撃を遅らせる。ミキニャが2回攻撃のアイテムをウワバミに使い、ウワバミがさらに速度アップの補助魔法を重ねた。
大毒蛾の攻撃で必殺技のパラメーターも一気に溜まっていく。
『ウワバミさん! 火属性かけてくれへん!?』
ユーリの頼みにウワバミが火属性アップの補助魔法をかける。
ミキニャが2回攻撃のアイテムをふたたびウワバミに使う。
カナタはパーティのHP・MP全回復のアイテムを惜しみなく使った。
『いっっっっっっけぇーー!』
ユーリの叫び声と同時に、最高位の必殺技が炸裂する。大毒蛾に大ダメージを与え、1ターンの行動不能効果が発動した。
畳みかけるように、ウワバミが火属性の大魔法をかけ、ミキニャもマックスになった必殺技を叩き込む。
そこでやっと大毒蛾を倒すことができた。
『死ぬかと思ったニャ……』
『儂は死んだがな』
『友好度は?』
立ち尽くす全員がパーティのパラメータを確認する。
『マックスや!』
『やったニャ! これで進めるニャ!』
疲れも忘れてはしゃいでいたところに、空気を読まない敵が出現する。
『装備ばっちりやったら怖くないしな!』
ドヤ顔のユーリが大剣を振りかぶる。そこは、ちょうど崖の際で……。
『ユーリ! ちょっと待って!!』
カナタの叫び声は間に合わなかった。
ユーリの大剣が敵をなぎ払い、衝撃で後方へと身体が動く。その身体を止めようと、カナタはユーリと崖とのあいだに飛び込んだ。障害物があれば勢いを削げるからだ。
『カナタ!』
『ユーリ!』
ミキニャとウワバミの声と同時に、カナタとユーリは崖の下へと落ちていった。
ゲームの世界において、落下の結果は様々だ。特になにもなく進む場合と、落下距離によってダメージを受ける場合、または落下を和らげる手段がある場合。ARK LEGENDはそのうしろ2つの複合で、落下直前に回避行動をすることでタメージを軽減させることができる。
『いたたた……』
別に自分が痛いわけでもないのについつい言葉に出てしまう。体力ゲージが半分になったのを確認しつつ、ユーリの姿を探した。
『ユーリ、大丈夫……そうだな』
振り返ったところで、きれいに起き上がったユーリが走って合流する。パーティは2人と2人に分かれてしまった。
『うしろ見とらんかった。ごめん』
謝るユーリに大丈夫だと笑い返して、さてどうしようかと考える。
『とりあえず、お香焚くね』
敵に遭遇しないようにするアイテムを発動させ、崖によりかかる。
『合流してくれるかな』
『ウワバミさん、回避苦手って言うとったもんなぁ』
2人でこの森を行動するのが困難なのは向こうも同じだが、ウワバミがいれば移動魔法を使うことができる。つまり、どうにかして合流しなければならない。いちばんは、同じ崖を落下してもらうことだが、ウワバミは落下後の着地が驚くほどに下手なのだ。
『あ、ミキニャからウィスコードにメッセきた』
ユーリの動きが一瞬止まる。
『こっち来るから、待っとってやって』
カナタが入れない場所でのやり取りに、忘れかけていた傷がまた少し疼く。
『よかった。じゃあ、ウロウロするとお香の効果なくなるし、ジッとしとこうか』
うなずき合って、崖に背中をもたれかけた。
ふと、視点を動かして高い崖のさらに上を眺める。
『カナタ、なにしとん?』
『空見てる』
ユーリが誘われるように同じ空を見上げた。
『昨日、結局城下町でボーッとしたまま終わっちゃったんだ。そのとき塔の上から夕焼けになってく空見ててキレイだなって……けど、現実だと空なんかわざわざ見ないなーとか考えてた』
『ホンマやな。俺も空とか見ぃひんわ……どうせビルばっかりやし、そういやどんな色しとんのかなぁ?』
しみじみとつぶやきながら、ユーリの視点はまだ空を眺めている。
『昔な……俺、じいちゃんとばあちゃんに育ててもらったんやけど、店にいっつも来る常連のおいやんがおって……』
『店?』
『焼き鳥とラーメンだけのちっこい店やっとってん。そこに週3日くらいくる、何しとるかよう分からんおいやんおってんけど』
不意に飛び込んできたユーリの生い立ちに、ドキリとした。
『そのおいやんがいっつも言うとったの……人は余裕があるときは上を向いて歩くけど、のうなったら下ばっかり見よる……ほやから、上見ときやって』
『なんか、深いね』
『俺はまだ小学生で、上ばっかし見よったら転けるやんとかヘリクツ言って……』
いつもより落ち着いたユーリの声が耳に心地良い。効果音で入る小鳥のさえずりもまた、この空気にマッチしているように思えた。
『そのあと、しばらくおいやんが来んようになって、2年くらい? ふらっと来たとき、どないしとったん、て聞いたら……上ばっかし見とったら転けてもたって、たまには下も見やんとアカンわって笑っとった』
『どうなってたか聞いてもいいとこ?』
おずおずと聞き返すと、ユーリがかすかに笑った。
『知らへん。おいやんはなんも言わんかったし、ばあちゃんの顔がいらんこと聞くなって言っとった。そやから、なんのオチもないんやけど、空見るって考えたら急に思い出してん』
やっと空から視線を戻したユーリと目が合う。カナタの大好きな顔がカナタを見つめてにっこりと笑った。
『俺、は……下ばっかり見てる気がするなぁ……』
空は思い出せないのに、いつもの道でアスファルトが割れているところなんかは、なぜか覚えているのだ。余裕がないのだろうか。そもそも、翼は自信を持って「ある」と言えるものがない。つまり、なにもないのだ。
『俺も。今度、外出たら、空見てみぃひん?』
『うん……』
次、外出たら……翼が次に外に出るのは連休明けの7日で、このゲームが終わる直前だ。きっとこんな穏やかな気持ちで見ることはできない。
『……終わりたくないなぁ……』
『カナタ……』
襞を抱えてうずくまったカナタの背中を、ユーリが優しく撫でてくれている。
終わりたくない。この世界から離れたくない。
『カナタ、お願いがあるんやけど……』
めずらしく遠慮がちなユーリに、思わず顔を上げた。
『5日の午前中ってログインできへん?』
『午前中? なんで?』
今のスケジュールでいくと、カナタもユーリも午後から夜中にかけてログインするため、午前中は遅くまで寝ている。
『10時くらいでえぇんやけど……理由は聞かへんと……ってのはアカンかなぁ』
理由はきっとあるのだ。だけど、言えない?
どういうことだろう。あたりまえに疑問はあったものの、翼にはそれを断る理由もない。
『10時だったら起きてるし、いいよ。なんか分かんないけど楽しみにしとく』
カナタの返答にユーリが一瞬黙り込んだことから、それはもしかすると楽しくない何かなのかも知れないと、少し怖くなった。
『ユーリー! カナター!』
声が先に届き、画面の端に走るミキニャの姿と、そのうしろからウワバミが現れた。
『待たせてすまんな』
『いやいやいや。俺がしょーもないミスで落ちたんやから……ホンマ、すみません!』
謝るウワバミに、ユーリが慌てて謝る。その姿は土下座せんばかりに頭が低い。
ともあれ、無事揃ったから急ごうと、ミキニャがせっつく。すでに景色はオレンジがかっていて、もうまもなく夜がくる。
『ハーミット城へ戻るぞ』
ウワバミが杖を高く掲げる。移動魔法だ。そう、時間がないのだ。
次の瞬間、4人はハーミット城がある街の入り口に立っていた。
『行こう!』
ユーリとカナタが先導して、地下水路の入り口へと駆け出す。しばらくぶりの、4人での冒険だ。
2人では苦労した水路のモンスターも、4人で進めば最果ての森に少し毛が生えた程度の難易度だった。はじめて入ったミキニャとウワバミが興味深そうに辺りを見渡し、ユーリとカナタが交互にマップの説明を付け加える。
ただ、すでにマップは完成しているのに、その先に進む方法は見つかっていなかった。
『端から手当たり次第方式かニャ?』
『けど、それだと時間がかかりすぎるよ』
そう、思った以上にこの水路のダンジョンは広いのだ。しかも、迷路のように入り組んでいる割に、アイテムなどがあるわけでもない。むしろ、入ってほどなく到着する、風呂のある隠し部屋が唯一の特色といっていい。
軽く探索をして、回復のために隠し部屋に案内した。
『お風呂だニャ』
『聞いてはいたが、これほどまでに風呂そのものとは……』
はじめて見つけたときの自分たちと同じリアクションに、ユーリと同時に笑った。
さすがにミキニャのいる前で装備を外すのは憚られたのか、ユーリもそのまま風呂に入って回復を済ませる。奥の部屋のコタツでふたたび驚きを見せたふたりを余裕の眼差しで眺めながら、さてどうしようかとユーリと顔を見合わせた。
『迷路のどこかに進む先があるとなると、ちょっと厳しいよな』
『ふたりが回っても何もなかったなら、手分けするんも意味がなさそうじゃ』
ミキニャの休日は今日だけで、4人揃って探索する時間を取ることは難しい。ここと決めた場所を運に任せて調べるしかないだろうか。
『みんな来てニャ!』
悲鳴のように呼ばれて、ふたり慌てて奥の部屋へと駆けつけた。
『え……』
『ウソやろ……』
入った瞬間、揃ってポカンと立ち尽くした。
視界には日本の古き良き家屋といった雰囲気の和室にコタツ。その部屋の角にあったテレビらしき箱が、映像を流していたのだ。
『リモコンみたいなのがあったから、調べてみたら動いたニャ……』
呆然とつぶやくミキニャと、一足早く我に返って動いたウワバミが、カナタたちを振り返った。
『しかし、テレビというより昔のゲームのような……』
ウワバミが恐らく映像を見ながらつぶやいている。
真っ黒な画面にタイトルのような文字が流れ、単音のメロディが流れている。
『全画面にできないかな?』
カナタもその内容が気になって、視点をなんども変えてみる。
『俯瞰や! 拡大できるで……っ!』
一足先に解読したユーリが、また呆気に取られたように絶句した。
『ARK LEGEND……?』
『けど、こんなタイトル画面知らないニャ。初期勢のウワバミさん、どうだニャ?』
『儂も知らんよ。タイトルのムービーが途中で変わったことは覚えておるが……こんなのは知らん』
『フミコンみたいだよね』
『それか、DOS時代のパソゲー』
単音のメロディーにドットで表されたキャラクター、順番に流れる文字に漢字はほとんど使われていない。タイトルが消えて、ドットで作られた4体のキャラクターが並んで足踏みをしている。多分、剣をもったのと、魔法使いっぽいのと――。
『なぁ、これって、俺たちじゃないかな?』
『ほんまや……たまたまやろうか?』
『ゲームスタート押せるかニャ?』
ミキニャが代表してリモコンを調べる。
『あ、これリモコンじゃなくて、コントローラーだニャ』
三角の矢印がGAME STARTの横に並ぶ。選択した文字が何度か点滅した。
『え……!?』
『なんじゃ!?』
『ここどこニャ??』
三者の驚愕が重なり、カナタも必死で周囲を見渡した。
画質が突然チープになったのだ。カクカクした荒い画像が拡大されてとても見づらい。そして、ドットで表現された平面のキャラクターが1体、2体……。そこに、さっきのスタート画面にいた、カナタらしき神官はいない。
『……これ、ゲームのなかに入ってるんじゃ……?』
いつもどおりコントローラーを操作すると、視界だけが動く。
『みんな、ちょっと試して欲しいんやけど……5歩右に進んでみてくれへん?』
ユーリの声に、視界のキャラクターが一斉に移動をした。
『マジかニャ……ゲームのなかの、ゲームの世界に入ってしまったニャ』
『これが最後の伝説……?』
とにかく前に進んでみよう。そう言い合って、それぞれがメニューを開くなど一通りの操作を試しつつ歩いていく。
『昔のRPGって感じだね』
『戦闘になったら選択とターンで動きそうじゃな』
水路と違って、ダンジョンはシンプルだった。途中の宝箱には金紋章がひとつずつ入っていて、それはふたたび全員の胸に装備される。ほどなくして、いかにもな扉が目の前に立ち塞がった。
『セーブできへんな』
『けど、もう行くしかないね』
準備も対策もなにもしようがない。扉にぶつかると、効果音とともに大きな扉が開いた。
「でんせつのしゅうえんにようこそ」
玉座のような椅子に誰かが座っている。その誰かは、椅子から立ち上がり4人に近づいた。
「このせかいのはじまりとおわりを、ともにむかえよう」
文字がぽつぽつと流れていく。読み終えたところで、画面が切り替わった。あきらかに戦闘開始と思われるメロディが勇ましく流れる。画面の上半分には、敵らしき姿がこちらを向いていた。ただ、それは二足歩行で両手両脚に人らしき頭があって……。
『モンスターっていうより人間みたいやな』
ユーリの疑問にみんなが同意する。いつもなら頷くアクションをするところだが、ドッとのキャラクターは一定の角度にしかならず、それも移動のときしか変わらないためしゃべることでしか意思疎通ができない。
「わたしがさいごのでんせつだ」
それは人間で男性だった。カナタたちのドットキャラクターと比べると、ユーリと同じくらいの背丈で、横幅はやや太り気味を描写しているように見える。モンスターというには、怖さのようなものは表現されておらず、身につけている衣類も現実世界の服装に見える。
『最後の、伝説……』
それは誰がつぶやいたのだろう。戦闘用のメニューが表示され、もっとも速いウワバミが一歩前に出ていた。そして、敵らしき男性のパラメーターには――。
『tsuki!?』
いくつもの悲鳴が重なる。
最後の伝説のボスは、開発者のtsuki本人なのだ。
最後の伝説・伝説の終焉は、tsukiを倒すことで完成する。
『勝手が分からんが、とにかく全力で倒しにいくで良いか?』
ウワバミの硬い問いかけに、全員で了解を返した。正解なんか分からないのだ。自分たちのレベルもどのくらいなのか、情報が存在しない。
ウワバミが勘で使った魔法がtsukiにダメージを与える。次いで、物理攻撃のミキニャ、念のためカナタは全員の防御力を上げ、最後にユーリがまた物理攻撃を選ぶ。クリティカルヒットが出たらしい効果に、tsukiが点滅をする。
どんな攻撃もダメージを与えられるし、どんな攻撃もダメージを食らう。つまり属性という概念がない戦闘だ。やがて、tsukiの身体がグラデーションのように消えていった。
『倒したのニャ?』
戦闘画面から元のフィールドに戻ると、玉座の前に倒れたtsukiが小さく動いている。
「ここまできてくれて、ありがとう」
tsukiの身体がキラキラと光る。そして、天に昇るように消えていった。
――でんせつのきろくをてにいれた。
その文字を消すように、ドットの荒い画像が消しゴムをかけたように徐々に消えていく。
『あ、戻った』
そこは、もとの隠し部屋の奥だった。いつものアバターが動くことをみんな自然と確認している。
『ドアや』
ユーリが部屋の奥へ進む。元々掛け軸らしきものが飾られていた場所に、いつのまにか扉が現れていた。まっさきに走ったミキニャが扉の向こうに消える。そのあとにウワバミ、そしてユーリ……。
カナタは動けずにいた。
これで、本当に終わってしまう。
消えそうなユーリの背中が、直前で翻った。
『カナタ。行かへんの?』
振り向いたユーリが、迎えに来たとばかりにカナタのほうへ戻ってくる。その手が、誘うように伸ばされた。
『……行くよ……けど、先に行ってて』
カナタにはまだ心の準備が必要だ。だって、終わってしまえばもうなにもない。ただ、最後の日を待つだけになってしまう。
『カナタと一緒に見たいから、一緒に待っとってえぇかな?』
『なんで……』
ユーリがもっとも強く、最後の伝説を探したいと願っていたはずなのに。
『カナタは、最後まで一緒におるって約束してくれたから、そやから一緒に見たい』
ちがう。伝説を探しに行く交換条件のように、カナタからユーリにそう頼んだ。最後までただ一緒にいたかったから。
『俺、カナタとおりたいねん』
『それ……は』
どういう意味で、なのだろう。怖くて聞き返すこともできず、翼は必死で深呼吸を繰り返していた。
『この奥……見ても、サ終までログインしてくれるの?』
『あたりまえやん。最後まで一緒におってや』
いつのまにか、一緒にいたいという欲求がユーリからカナタに向けられている。
『ふたりとも、入らんのか? ネタバレはせんが見てきたほうがいいと思うぞ』
興奮もあらわに戻ってきたウワバミが、いつもより早口にそう言った。
『心の準備しとってん』
『なんじゃそれは』
にこにこと応えたユーリに、ウワバミが笑う。ミキニャも両手足をバタバタさせながら戻ってきた。
『ユーリ! 最後の伝説探しに誘ってくれてありがとニャ! サ終は嫌だけど、これが見れただけでもミキニャは幸せニャ!』
一気にまくし立てたミキニャの声は、やや鼻声だ。感動のあまり泣いていたのかも知れない。
『さすがに部屋から出てこいと、さっきから怒られておってな……儂はいったん撤退じゃ』
『ミキニャもそろそろ寝なきゃニャ』
いつのまにか深夜もとうに過ぎている。食事も忘れてプレイしていたのだ。
『これからは自由に出入りできそうじゃし、儂はいったんログアウトするが……最終日にはみなとあいさつをさせてくれるかの?』
『ミキニャも同じくニャ』
合間を見てまたここに来る。ふたりがそう口を揃えた。
最後まで一緒にいたい。みんなにそう声をかけられ、翼は泣きそうになっていた。こんなに別れを惜しむような、惜しまれるような経験なんかこれまでなかった。
『では、10日最後にアンスターチェ山脈で会おう』
ウワバミが静かに宣言する。
『……うん……』
声が詰まりそうになりながらも、カナタははそれだけをやっと口にした。
ウワバミが消える。
『約束ニャ。絶対くるニャ』
ミキニャが消える。
隠し部屋にはまたユーリとカナタのふたりだけになった。そういえば、ミキニャとウワバミのあいさつに、ユーリは返事をしていたっけ? ふと、そんなことが気になって、隣を見上げた。そこには、いつも穏やかな表情を浮かべているユーリが、なぜか無表情に立ち尽くしている。
『ユーリ? どうかした?』
現実世界でなにかあったのだろうかと、恐る恐る声をかける。しばらく返答のなかったユーリが、10秒ほどして慌てたように動き出した。
『ごめん! ボーッとしとった!』
『大丈夫? 疲れたよな?』
いつも朗らかなユーリがボーッとするなんて、きっとかなり疲労が蓄積しているのだ。
『奥、一緒に行こう』
今日は休もうかと提案しかけて、カナタはにこやかな表情をあえてユーリに向けた。ここは、いくら疲れていても休むところじゃない。だって、ユーリはカナタの覚悟が決まるまで待つと言ってくれた。
『もう大丈夫なん?』
心配そうなユーリに、満面の笑みを向ける。こんなときアバターは便利だ。翼の内心とは別に、ここで作るべき表情をさせることができる。
『大丈夫。待たせてごめん』
迷いながらも、さっきのユーリに倣って、片手を差し出す。その手に、すかさずユーリの手が重なった。
もちろん、手を繋ぐシステムはないから、その手は気を抜くとすぐに離れてしまう。それでも、手を繋いだ位置を慎重にキープしたまま、カナタは扉の奥へと進んでいった。
そこは、まるで図書館みたいだった。
『これ……』
『すげぇ……なんや、こんなに……』
手は繋いだ位置のまま、呆然と視点だけを移動させる。調べるためのカーソルが現れ、その矢印を書架の端から合わせていく。
『アーレジェの設定資料!』
『キャラデザの初期設定……うわ、キャラメイクできる前のやつや!』
『tsukiさんの手書きメモ……試作ワールドもあったんだ』
『これ、4ちゃんのログちゃう? デモドリカエルさんが言っとった通りや』
『雑誌記事も』
『これ、初期のプログラム……!』
しばらくのあいだ、なにもかも忘れてその貴重な資料を貪った。先に入ったミキニャとウワバミも同じように興奮したに違いない。
ユーリはカナタにはちんぷんかんぷんな、プログラムコードに釘付けになっていた。気づけば、いつかのように朝が近づいてきている。
先に一通りを見終わったカナタは、ふと「そこ」に考えがたどり着いてしまった。それは、あたりまえの事実だったのに、今この瞬間になって、逃れられないことなのだと残酷にトドメを刺してくる。飲み込もうとした言葉は、息苦しくてどうしても喉を入ってはくれなかった。
『ユーリ……』
集中していても、ある程度落ち着いていたのだろう。ユーリが即座に振り返った。
『なんかあったん?』
いつもどおりのユーリは、なにも気づいていないのだろうか。
『……ホントに終わっちゃうんだね』
30年間、決まった人しか見ることができなかった資料の山が、惜しげもなく公開されている。あと数日、カナタたち以外にもここへたどり着くプレイヤーがいるかもしれない。そして、この部屋を見つけて、嬉々としてSNSに思いのたけをぶつけるのだろう。
ユーリがハッとしたように息を飲んだ。
『そやから、「最後の伝説」ってことなんやな……はじめから全部決まっとったんや……』
『すごいよね』
『うん。つき……さんはすごい』
つっかかりながらのユーリはなぜか誇らしげだ。心からこのゲームが好きで、だからIT業界に進んで、その結末をしっかりと受け入れているように見える。そして、この先の新しいゲームもあたりまえに受け入れていくのだろう。
カナタはまだ現実を受け止められない。ここまできても、終わることが嫌で、この先どうしていいかわからない迷子のようだ。
サ終まであと10日。
カナタはもうやることがなくなってしまった。
ユーリと一緒に過ごしたいと願った当初の願いは、一気に萎んで、今はただその熱量の落差に苦しくなっている。意味もなく一緒にいたところで、きっともっと苦しくなる。
それならいっそ――。
『あのさ、あのお願いやっぱナシで』
理想のアバターであるカナタが、にこやかな表情で顔を上げる。
『お願いってなんかあった?』
きょとんとしたユーリに、また胸が苦しくなる。カナタからのお願いが、いつのまにかユーリとの約束になっていたのだ。
『伝説が見つからなくても最後まで一緒にいてって頼んだヤツ』
『え、あ……うん。けどあれは……』
『っ……思ったより早く達成できたじゃん? せっかくだから、ゆっくりとひとりで浸りたいなぁって』
ユーリを遮り早口にまくし立てる。
『だからさ……っ』
『俺がしつこく連絡先とか聞いたから!?』
今度はカナタにかぶせるようにユーリが叫んだ。その予想外の声量に驚いて、思わず黙ってしまう。
『迷惑やったらもう聞かへんから……ホンマごめん!』
必死な声がカナタの胸に突き刺さる。ちがう、ユーリが謝ることなんか、ひとつも存在しない。罪悪感なんか持ってほしくない。むしろ、いい加減に意見を翻したカナタを軽蔑してくれるほうがいい。
『ちがうんだ! ユーリは悪くない!』
息が苦しい。でも、このまま後悔のようなものをユーリに残していくのだけは絶対に嫌だ。もう二度と会わないのだから余計に……。
『俺が! ユーリと同じ気持ちでサ終を迎えられないから……俺、ホントは最後の伝説なんか見つからなくていいって思ってたんだ』
それなら、カナタは必要とされたまま最後まで一緒に過ごす口実ができたのだから。
『前、に……俺、好きな人がいるって話しただろ? その人さ……ユーリにそっくりなんだ。俺は現実でなんか近づけないから、ここでならってユーリに話しかけた。だから、最後まで一緒にいて欲しいって言ったのも、こんな気持ち悪い理由なんだよ……ごめん……最後にこんなのキモくて、ごめんなさい』
ただでさえ、ゲーム内での男女トラブルなんか昨今大問題になるところで、ましてや男からそんな目で見られていたなんて、考えただけで気持ち悪いと思われる。
『それ……ホンマなん?』
『ホントにごめん……』
声が震えるのを止められない。VRのゴーグルの隙間から涙が染み出している。
『謝らんでいいけど、それってっ』
なにかの質問が投げかけられそうになって、怖くて慌ててメニューを開く。これで、少なくともユーリは自分のせいだと思わずに済むだろう。
『だから、俺もう抜けるな。身代わりみたいにして変な目で見てごめんなさい! それから、一緒に探索してくれてありがとう。それじゃ……!』
涙声で必死にまくし立てて、滲むログアウトボタンに目を凝らす。
『カナタ! 待って!』
ユーリの声が断罪のように聞こえて恐怖した。やっとログアウトボタンにカーソルが合う。
『っ5日の約束はなかったことにしとらんから! だから……!』
そこでユーリの声がぷつりと切れた。
タイトルロゴが真っ暗な視界に浮かび上がる。ヘッドセットを投げ捨て、翼はロフトベッドの底を見つめる。涙がどんどん流れ落ちていく。
「終わっちゃったよ……」
ノロノロと涙を拭いて、パソコンの画面を見つめる。設定の歯車マークを押して、そのメッセージボックスについた通知マークを見なかったことにした。
マイページを開いて、パーティ編集を選ぶ。
▶パーティから抜ける
「バイバイ……ユーリ」
続けてフレンドを全削除する。これで、もう繋がりはなにもなくなった。ユーリからもカナタにメッセージを送ることはできない。あの広いゲーム世界で、偶然会うようなことはもうないだろう。
「ミキニャとウワバミさんにあいさつできなかったな……」
夢みたいな時間だった。何もできない翼が、ゲームの中なら最高レベルの神官で、どんな敵だって倒せて、思うとおりに行動できた。
カーテンから淡く光が差し込んでいる。
ユーリはどこで朝を迎えただろうか。
「5日、なにがあったのかな……?」
もう果たすことのできない約束だけが、ほんの少し心残りだった。