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4月26日②

『ユーリ! お待たせ。食事行ってきてよ』

 再開すると、そこは水路ではなく酒場に戻っていて、ユーリの前にはウワバミが立っている。どうやら、ログインしてきたウワバミに状況説明をしていたらしい。

 ちょっと行ってくると手を振ったユーリが自動行動に変わっている。

『どうするかの? 進むにはミキニャを待つのだろう?』

 長い髭を撫でる仕草が様になっている。見た目が老人のウワバミは、実際のところ何歳くらいなのだろうか。

『ウワバミさんは、最後の伝説探しを手伝ってくれるんですか?』

 もうなくなる世界で、ほかにやりたいことがあるかも知れない。おずおず聞くと、ウワバミが飄々とした仕草で笑った。

『もう大概のことはやり終えてるからの。むしろ最後の仕事として、伝説探しはもってこいじゃ。もっとも、おまえさんたちほどはログインできんだろうがの』

 そのあいだの時間は自動で引き連れてくれ。どこかずれたリアクションで同席するユーリのアバターを見つつ、ウワバミが肩をすくめる。

『ユーリからもう聞いてるんですよね? ウワバミさんはなにか心当たりとか、思いついたこととかありますか?』

『儂なりに考えたが、同じ結論じゃ。その情報が事実だと仮定すれば、最後の伝説があるのは少なくともこの街である、とな』

 やはりそう考えるのはみんな同じなのだ。掲示板が賑わったころに存在したのはこの城下町と周囲の狭い範囲で、それ以降のマップに仕掛けを作っているとは考えづらい。

『あとは、具体的にどこを調べるかじゃろうが……』

 ウワバミと向かい合ってふたりで考え込んだ。

『灯台下暗し』

『つまり、思いも寄らない根本的な場所かの……?』

 そもそも、ここでのイベントははるか昔のことで、記憶もおぼろげだ。必死に思い起こそうとしているところに、通知マークが点灯する。

『ミキニャ!』

 酒場に現れた猫耳の少女に、いつもより食い気味な歓迎をしてしまう。面食らいながらも、なにかあったんだろうとミキニャが、軽いステップで輪に加わった。

 自然とカナタが説明をする流れになり、話の3分の1くらいでミキニャが混乱を表しているのか謎のダンスを始めた。

『ミキニャは本業ショップ店員ってやつなのニャ! つまりゴールデンウイークは死ぬほど忙しいニャ。けど、最後の伝説はどーーーしても、見たい!』

 絶叫に近い声が泣きそうになっている。そりゃそうだろう。翼だって棚卸しの時期なら、さすがに毎日残業だし、家に帰ればバタンキューでなにもやる気が起きないような状況だ。そこに最後の伝説を探しに行くタイミングが重なったら……。

『最後の伝説を集めるには、ミキニャは絶対必要なんだ。だから、もし灯台もと暗しの謎が解けたら、ここの掲示板に書き込んでおくからなんとか合流してほしい。そこからなら、一時離脱しても一緒に連れていってあげられるから』

 今まさにユーリが謎のアクションをしているように。

 ミキニャが猫耳の頭をなんども上下に頷かせている。絶対に来るから。そう断言してから、おずおずと口を開いた。

『あのさ。ここだとログインしてなきゃ見れないから……その、ウィスコードとかって……』

 ゲーマー御用達のコミュニケーションツールを提案され、カナタは戸惑った。アカウントはあるが、交流という点においては一切利用していない。するつもりもない。それでも、日中でも情報が欲しいというミキニャの気持ちもよく分かる。

『儂はそういうのはからきしじゃ』

 ウワバミが先に断り文句を口にして、ミキニャの期待がカナタに向いてしまう。ムリだと言ってもミキニャは怒ったりしないだろう。長くパーティを組んでいればそのくらい分かるし、だからこそ長く一緒に冒険ができたのだ。

『俺、は……』

『おまたせ! あれ、ミキニャもログインしとるやん! もう聞いた?』

 おかしな動きをしていたユーリが、突然目覚めたように輪の中へと入ってきた。食事を済ませた直後なのか、どこかモゴモゴと言っている。

『早食いはよくないぞ。ところでユーリよ。おまえはウィスコードでミキニャに連絡をすることは可能か?』

 ウワバミの問いかけと、ミキニャの補足説明がすかさず行われている。

『ええよ。ちょっと待ってな』

 一瞬だけユーリの動きが止まり、またすぐに動き出す。

『今メッセのほうにID送ったし、あとでフレンド追加しといて』

『ユーリぃ! ありがとう!』

 抱きつかんばかりのリアクションに、ユーリがどういたしましてとおどけている。

 ユーリは現実世界の連絡手段を簡単に教えられるんだ。ミキニャだから? それとも、カナタが聞いても教えてくれるだろうか。

 繋がるつもりもないのに、そんなことがグルグルと脳内で渦巻いていく。ARK LEGENDがサ終になっても、ユーリとミキニャは繋がり続けられるんだ……。

『みんな揃ってこれからなんだけど、ミキニャは明日も朝早くて……一時離脱するから連れてってニャ』

『もちろん。早く休みや』

『どっちにしても、イベント開始時には来てもらう必要があるじゃろうし。今はムリせんようにの』

 大人の気遣いをサラリとしてみせたふたりとは対照的に、カナタはまだ声を出せずにいる。一致団結しているパーティのなかで、自分だけが裏切り者になったみたいだ。

『おやすみニャ!』

 あいさつを残したミキニャのアバターが、自動行動に切り替わる。

『ほな、作戦会議してもえぇ?』

 ユーリはワクワクが止まらないといった様子だ。

『アテはあるのか?』

 こちらはいつもと寸分違わないトーンのウワバミがヨイショとかけ声付きで椅子に座った。ウワバミの本体はそもそも座ってプレイしているだろうに、謎にリアルに寄せている。

 ウワバミの返しに、ユーリが唸った。特になにも考えついていないのだ。

『カナタはなんかない?』

 ユーリからのフリに意味もなく焦ってしまう。訳のわからない嫉妬心が収まらなくて、今はみんなと行動したくなかった。

『……手分けするのは?』

『手分け?』

『う、うん。灯台下暗しってやっぱりこの城下町を指してると思うんだ』

 理由、理由をなにか答えなきゃ。矛盾なく提案するにはなにがいいだろう。

『それは儂も同意じゃ』

『俺も』

『探索範囲は広くないから、しらみつぶしに探すなら手分けする方が効率がいい。けど、デメリットはパーティであることっていう条件があるから……』

 イベント発動条件に、4人パーティという状況が含まれているなら、むしろ手分けするのは遠回りだ。自分で言っておきながら行き詰まってしまった。

『ごめん、今のナシで!』

 慌てて意見を取り下げたカナタに、ユーリがなにやら考え込む仕草をしていた。

『……カナタの提案でいかへん?』

『けど!』

『確かにパーティの条件は達成できへんけど、そもそも友好度マックスも条件やろ? ミキニャが日中自動行動になるとしたら、どうやっても友好度は下がってまう』

『なるほど。そもそも友好度マックス状態で一緒に行動するのは不可能か』

『それと、これは俺の願望も含まれるんやけど……これまで、アーレジェで条件が満たされないと発現せんようなイベントってなかったやん? 扉が開かへんことはあっても、そこにあるイベントは隠されてない……みたいな』

 ウワバミが小さく笑った。

 ARK LEGENDがこんなに長い間愛されていたのも、そういうスタンスがあったからだと思う。どんなに難易度が高いイベントも、コツコツがんばれば必ずクリアできるようになっているのだ。

『儂らはとにかく小さなとっかかりを見逃さんように隅々まで調べること、か』

『すきまなくマップを調べるには、どう分けたらいいかな?』

 ミキニャが不定期になる以上、マップを三等分して、空白ができないようにしなければならない。

『中央プラス東西はどうじゃ? 城とその地下、西地区と東地区。これなら、境界線がはっきりしとるが』

 ということは。同意した3人のアバターが顔を見合わせる。意味のないアクションだが、こういう細かな動作があることで、ゲームがよりリアルに感じられる。

『中央は俺だよな。地下水路はアンデッドが多いし』

 この初期マップなら最高レベルの金紋章をもってすれば、職業がなにであっても危険なんて存在しない。ただし、新たなイベントが発動すればその限りではなくなるだろう。だとすれば、アンデッドの出るマップには浄化魔法が使える神官のカナタがもっとも適している。

『西の魔法街には儂が行こう』

『東の市場は俺』

『ミキニャは儂と西についてきてもらってもいいか?』

『もちろん。丘の廃墟は魔法封じやもんな』

『通常なら、杖の一撃で充分じゃが、念のためにな』

 それじゃ、進捗や何かあれば酒場の掲示板へ。そう確認しあうと、カナタとユーリは順にパーティを抜けた。残されたウワバミが自動行動のミキニャを連れて杖を振る。ふたりの姿が一瞬で消えた。

『移動魔法、便利やなぁ』

『俺たちはチマチマ足で移動だもんね』

 それじゃ。手を振りかけたところで、ユーリがカナタの前に立ち塞がった。

『なぁ! 別行動中ってひとりでヒマやん? 通話とかしながらできへん?』

 カナタはまたすぐに答えられなかった。

 ARK LEGENDの世界では、同じ画面内にいるプレイヤーとしか会話ができない。離れた場所にいる仲間と会話をするには、ゲーム外で繋がるしかないのだ。

 ユーリはミキニャだけじゃなくて、カナタともリアルで繋がっていいと思ってくれている。それだけで、くすぶっていたカナタの嫉妬心がスッと消えた。

『……ごめん。俺、ウィスコードとかやってなくて……』

 そう口にしてから、無理のある言い訳だったと気づいた。やってないなら始めればいいだけだ。そんなもの、5分もあればアカウントは作成できる。それを、やらないということは「繋がりたくない」と言っているのに等しい。

 しまった。焦りにコントローラーを握った手が汗ばんでいる。きっと気を悪くさせてしまった。せっかく一緒に最後の伝説を探そうと誘ってくれたのに。

『そっか。残念やなぁ。ほな、さっさとイベント見つけてまたパーティ行動しよ』

 ちゃんと、食事とストレッチすること。そう言い残したユーリが東の市場方面へと去って行った。

 翼は、一気に息を吐き出して、椅子の上で脱力していた。念のためマイクの音量をオフにして、ぬるくなった麦茶を飲む。

「……絶対、気分悪くさせたよな……俺ってなんでこんな……」

 自己嫌悪に陥りながらも別行動になったことにホッとしてしまう。少なくとも丸一日は探索にかかるだろうから、そのあいだに心を落ち着かせよう。

 一緒に過ごしたいと思っているのに、距離が近くなるたび怖くなってしまう。ゲーム内のカナタみたいな容姿だったら、リアルで繋がることにも躊躇しないのに。実際の翼はクソダサ陰キャで、カナタと比べられたくない。

 もっと違うアバターにすればよかった。現実には存在しない獣人だってキャラメイクできる。理想の自分なんて作らなきゃよかった。

 城下の街は、相変わらずプレイヤーが多く行き交っている。サ終を目前にログインしてきたにわか勢もいるのだろう。

 カナタは初期ストーリーで訪れたハーミット城に到着した。確か王様の演説中から始まって、プレイヤーが伝説の探索者に選ばれるのだ。イベント中には自由に動けなかった広場を隅から順に調べていく。王の信頼も厚い探索者は、城内への出入りも自由だ。

 シンプルな城内マップをしらみつぶしに調べ、王の間にたどり着いた。ここで王から伝説を探すように頼まれ、旅の支度をするため街に向かう。その途中で、牢に入れられる直前に逃げ出した盗賊がプレイヤーの目の前に現れる。それが最初の戦闘だ。

 ストーリーを思い出しながら、順に城内を歩く。そのあとは捕縛ギリギリで逃げた盗賊を追って、地下水路へと向かうのだ。水路への出入口は数ヶ所あって、最初に使えるのは北の城壁から路地を入っていったところだ。

 先日ユーリと入った水路は、ストーリーの中盤以降でしか入れない。

 初期イベントということもあって、水路内には逃げる盗賊の痕跡が分かりやすく残されている。カナタはまず、その痕跡を再度辿ることにした。

「懐かしいなぁ……」

 中学1年の夏休みだった。歳の離れた兄からもらったお下がりのパソコンに、ARK LEGENDが入っていた。

 学校は楽しくなかった。強いやつとつるんで馬鹿騒ぎすることがステータスな同級生男子に同調することもできず、気づけばやや孤立した地味でおもしろくない男子という位置づけになっていた。

「……あ、やなこと思い出した……最悪だ」

 水路に現れる敵はどれも初期レベルで、金紋章のカナタには襲いかかっても来ない。だから、余計に考える余裕がでてしまう。

 日直ノートの提出を終えて荷物を取りに教室へと戻った。数人の男子がたむろっていた。教室に入ってきた地味な同級生を見るや、楽しそうな顔でその手にあった雑誌を見せつけてくる。

 ――陰キャな田中くんにいいもの見せてやろうか。

 笑い声が響く。背後から羽交い締めにされ、背けた顔の前にそれを押しつけられた。

 ――やめ……気持ち悪い!

 裸の男女が絡まる写真には、女性の局部が大きく写されていた。それは一応モザイクがかけられていたものの、その形を想像するには充分で、翼はそのグロテスクさに雑誌を払いのけた。

 ――なに言ってんだよ。おまえホモかよ。

 頭の中が真っ白になって、とにかく教室から逃げ出した。

「そーだよ……ホモだよ。悪かったな」

 そんなこと今でも口に出すなんてできない。ただ、からかいを無視する程度には図太くて、反応もない陰キャを構いつけるのも面白くなかったのか、いじめられるようなことにはならなかった。

 ただ、ARK LEGENDのなかに、表には出せない自分自身を作ったのだ。

 理想の見た目、理想の行動。やればやっただけ強くなって、ゲームの中だけが翼のすべてだった。カナタは、翼がなりたかった自分だ。だけど、結局翼は地味で根暗な男のままで、どんどん理想との乖離が大きくなっていった。

 ゲームの世界があれば生きていける。そう、それだけが心の支えだったのに。

「もう、ずっとここにいれたらいいのにな……」

 水路を奥へと進んで、盗賊を追い詰めた行き止まりまでやってきた。ここで、はじめてのボス戦があって、勝つと城の兵士たちが盗賊を連行していく。この奥が城側からは入れなかった地下牢へと繋がっているのだ。

 地下牢には出してくれと繰り返ししゃべるだけのNPCが閉じ込められている。鉄格子の牢屋の奥は、城への階段に繋がる扉があるが、一方通行でこちらから城に出ると戻ってこられない。

「そういや、妖精の鍵って使えるのかな……」

 ストーリーの終盤で手に入る妖精の鍵は、イベントに関わらないあらゆる扉を開けることができる。ただ、牢屋の中に宝箱でもあれば戻ってきたのだろうが、ここにはなにもなかった。

 NPCの罪人がいる牢屋と、いない牢屋。そのうち扉が閉ざされているのが5ヶ所。手前の鉄格子から順に鍵を開け、なぜか初期にしか使わない薬草と少しの金貨を拾った。

 最後の部屋は入ったものの特になにもなさそうだ。

「やっぱり、そうそう上手くはいかないか」

 苦笑いで部屋の中を端から調べていく。

「ここだけベッドがあるのって、それなりの地位の人とか入れるためだったのかな……けど、そういうイベントもなかったし……」

 ゲーム内のことだから、ベッドのシーツも見た目はきれいなままだ。こういう、一カ所だけ不自然さのある状況は、イベント発生の予兆になっていることが多いはずなのに。

 諦めきれずに、再度部屋を探し回る。視点を変えて天井を見渡し、意味のない場所でジャンプをしてみる。

 そのうちに、時折発生する小さな「パキッ」という音に気づいた。

「壁の、ここと……ここ?」

 特定の石壁を押すと小さな引っかかり音がする。カナタはかがみ込むと、床までを丹念に調べていった。埃が積もったベッドの下が、なぜか淡く光っている。地下にあるこの場所に光が入ることはない。

「動くかな……?」

 半信半疑でベッドを押してみると、それはいとも簡単に動いた。効果だろうか、色の違う床が姿を見せる。その部分を丹念に調べると、そこでも小さな引っかかり音が聞こえた。

 ドクドクと心臓の音が大きくなっていく。少なくともここにはなにかがあって、それはまだ誰も経験していない。

「押す順番? それか、まだ鳴る場所あるかな?」

 音の鳴る場所は壁に2ヶ所と床に1ヶ所。条件のパーティであることを踏まえれば、4ヶ所あるかも知れない。

「けど、さすがに天井は調べられないし……あとは、鉄格子?」

 牢屋の入り口に戻って、開きっぱなしの鉄格子をまた調べる。

「なんにもないよな……」

 つぶやきつつ、妖精の鍵で開けた鉄格子の鍵穴を覗き込んだ。

「あれ……これ……」

 頑丈な鍵の底になにかくぼみがある。ひっくり返すと、それはどこかで見たような形をしていた。

「金紋章だ」

 ものは試しと、カナタが持つ金紋章をそのくぼみにはめてみる。すると、小さな地響きとともに、牢屋の一角の床が消失した。

「ってことは、ほかのとこも」

 引っかかり音の鳴る壁に駆け寄り、妖精の鍵をかざす。すると、そこにも同じように金紋章型のくぼみが現れた。入り口に戻って自分の金紋章を外そうとする。

「え、まじで……これ取れなくなってる?」

 紋章をはめる場所は残り3ヶ所。友好度マックスのパーティであること……さっきミキニャと別れたばかりのパーティはまだ友好度がマックスだった。

「早く教えなきゃ……!」

 慌てて地下水路から戻ると、城下町は夜の闇に沈み込んでいた。現実世界の時刻とゲーム世界はリンクしている。集中してたせいでどれだけ時間が経ったかも分からない。メニュー画面を呼び出すと、時刻はすでに夜中の3時を過ぎていた。

「今、誰がいる!?」

 フレンドメニューを開くと、ウワバミはすでにログアウトしていて、自動行動のミキニャも一緒に停止中、ユーリは――。

「起きてるじゃん!」

 急いで掲示板に書き込むと、カナタは東の市場へと走り出した。しばらく走ってしばらく歩く。神官であるカナタの体力ゲージがさほど高くないせいだが、それでも現実世界の翼の体力よりずっと高い。

 メイン通りを駆け抜け、路地裏の貧民街へと足を踏み入れる。初期は油断していると金品を掏られてしまう嫌な場所だったが、今となってはなにも怖くない。

 向かいから、この時間には珍しくプレイヤーが近づいてくる。道を譲ろうと端に寄ると、そのプレイヤーが一気に距離を詰めてきた。長い黒髪をターバンで巻き留め、細身の身体には防御力の低い布製の衣服が装備されている。武器はダガーナイフ。

「マジかよ!」

 プレイヤースキルは盗賊。盗賊はこの貧民街でなら、他のプレイヤーからものを盗むことができる。ただし、試合形式の戦闘に勝てばだ。

 攻撃を難なく躱して、反撃に出る。驚いたようなアクションをしたプレイヤーが、会話リクエストを送ってきた。ターバンの横にはコマとプレイヤーネームが表示されている。

『よお! 紋章なしなのになんでそんな強いんだ?』

 アバターに似合いの軽い口調は、わざとだろうか。会話中は戦闘が中断になるため、翼はコントローラーを握る手から力を抜いた。

『保管庫に入れてるだけだよ』

 増えすぎたアイテムは持ち運ぶことができないため、基本は売るか捨てるかしてしまう。なかには、必要だが今はいらないアイテムがあって、そういった場合は酒場で自分専用の保管庫に収納しておけるのだ。

 だけど、この言い訳は通じない。紋章はアクセサリー扱いで、その装備をわざわざ解除する理由がないからだ。言いたくないと察してくれたらありがたい。そう、コマのほうを見つめたところで、違和感に気づいた。

 コマはカナタを紋章なしで強いと言った。いきなり攻撃されたカナタはそれなりに手加減なしで反撃した。それなのに、コマにはダメージひとつ与えられていないのだ。そして、コマの身体のどこにも紋章は見当たらない。金紋章はもちろん、銀も銅もだ。

『まさか……』

 呆然としたカナタに、ニヤニヤと笑いながらコマが近づいた。

『あんたも見つけたんだな? もうひとつの地下水路』

 この、コマもまた地下牢に紋章をはめたのだ。そして、あの階段の下は地下水路なのか。

『惜しいよな。パーティ状態で行かなきゃ、同じイベントとして紋章を認識できないんだもんな』

 つまり、自分の行動として紋章をはめてしまえば、すでに同じ行動をしたプレイヤーとはパーティが組めない。幸い、カナタたちは別行動を選んだおかげで今すぐ他のメンバーがあの場所に気づくことはない。それでも、万が一ということはある。

『急がないと!』

 駆け出すカナタをコマが追いかけてくる。

『ついてくんなよ!』

『その慌てよう、だれか紋章持ちがいるんじゃねぇの? 俺にも口説かせてくれよ』

『やだね!』

 振り返りざまに睡眠系の呪文を唱える。うまく作用すればしばらく眠りについてくれるはずだ。神官ではほかのプレイヤーに攻撃する系の行動は設定されていない。

『金紋章同士でそんなん効くわけないじゃん』

 呆れたように笑うコマが憎らしい。それでも、コマに構いつけている時間はない。ゲーム内では早朝5時に1日のリセットがかかって、友好度も1日分下がってしまう。そうなれば、カナタ以外はまた友好度を上げなければ、あの奥へは進めない。

 ついてくるコマを完全に無視して、市場の隅々を探して回る。

『あとは……高利貸しの屋敷か』

 あそこは入り組んでいて、人捜しに入るには向いていない。それでも、フレンドメニューのユーリはまだログイン状態になっている。

 屋敷に飛び込み、襲いかかる高利貸しの手下を瞬殺しながら奥へと進む。ただし、屋敷内には仕掛けがそこかしこにあって、いちいち足止めをされてしまう。

 途中、ひとりがスイッチを押しているあいだにもう一人が扉を開ける仕掛けで進めなくなった。ユーリだって一人行動なんだからこの先には行けないはず、そう予想しながらも、ユーリなら出会っただれかと即席パーティを組んで進むくらいはやりそうだ。そう、コミュ障のカナタと違って。

『ほい』

『は?』

 ガタンという音と同時に扉の鍵が上がる。振り返ると、コマがスイッチのレバーを持ち上げていた。

『早く開けろよ』

 開けて、コマがここに来る前に閉めてしまえば……そんなことが頭をよぎりながらも、手伝ってくれたという事実に実行できなくなる。

『いっこ貸しな。パーティ交渉させろよ』

 してやったりと笑うコマを軽く睨んで、カナタはまた屋敷の奥へと進んでいった。この先には領主の隠し部屋があって、ボス戦が始まる場所だ。

 扉を蹴るように開けると、室内には見慣れたユーリと見知らぬプレイヤーが立っていた。

『カナタ!? どうしたんや?』

 同じ画面上に入ったことで会話が成立する。

『ユーリ急いで! 5時までに……友好度下がるから!』

 気づけばもう4時を過ぎている。移動魔法が使えないカナタたちは同じ距離をまた走るしかないのだ。

 支離滅裂なカナタの言葉でも、なにか察してくれたのかユーリが駆け寄る。

『了解! どこ行けばえぇ?』

『こっち、ついてきて!』

『ちょっと、ちょっと! おい!』

 走り出すカナタに焦ったコマの声がかかる。反応したのはユーリのほうが早かった。

『あんたベテランさん? ちょっとそこの子、助けたってよ』

『はぁ!?』

『パーティの仲間がログインできへんようになったんやって。最後の噴水も2人以上やないと仕掛け解除できんし、手ぇ貸したって』

『なんで俺が!?』

『もう1週間ほどしかないやん。せっかくやったら、アンスターチェ山脈のイベントまでクリアして欲しいもん』

 ほな、よろしく。

 コマの返事を聞くより先に、ユーリが部屋から走り出る。その背中を慌てて追いかけながら、ホッとしたと同時にうれしくなった。

 ユーリは優しい。

 アンスターチェ山脈のイベントをクリアすると、山頂から360度の景色を見ることができるようになる。それは、もう10年以上前のグラフィックでありながらも、いまだに語り継がれる美しさなのだ。

『俺も久しぶりに見に行きたくなったな』

 屋敷を出たところで体力ゲージがなくなったカナタに合わせて、ユーリも足を緩める。

『見に行く時間あるとえぇなぁ』

『ウワバミさんが合流したら移動魔法が使えるし、きっと行けるよ』

 みんな最後に見たいと思うような気がする。

 真っ暗な市場を並んで歩くと、この世界にふたりだけが取り残されたように感じる。実際は、昼夜逆転のプレイヤーとちょこちょことすれ違っているのだが。

 体力ゲージが回復するのを待って、また走る。それを繰り返しながら城に着く頃には、説明もしっかりと終わっていた。

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