第7話「気持ちよさそうに寝てるみたい」
朝、水をまくのは思っていたより大変だった。
畑一面にジョウロで水をかけていると、腕がパンパンになる。しかもこの世界、ホースも水道もない。
「……これ、毎日やってたら筋肉つきそう」
(異世界農家で筋肉無双……第3章がはじまったな)
信次郎は汗をぬぐいながら畝の間に腰を下ろした。
ふと、小学生のころ親父が畑でやっていた、マルチを思い出す。黒いビニールで畝を覆うやつだ。親父が実験で、透明のビニールマルチ、黒いビニールマルチ、それに、稲わらを加えたわらマルチ、それらの組み合わせを作って、いろいろセンサーで測ってたな。
「雑草除けかと思ってたけど、あれって、保水とか、保温のためでもあるのかな?」
さっそく納屋にあった使い古しのわら束を引っ張り出し、畝に敷いてみる。重ねていくと、ちょっとだけ畑らしくなってきた。
「これで水持ちがよくなってくれるといいけど」
「……そうやって、畑のこと考えてくれるの、ちょっと意外だった」
振り返ると、ユウナが桶を持って立っていた。声をかけるタイミングをうかがっていたらしい。
(俺のことなんだと思ってたの? うんこをあっためる人?)
「え、俺? いや、なんか、親父が昔やってたの思い出して」
「うん。でも、嬉しいよ。水をまくのって、ほんとに大変で……これで少し楽になるかも」
ユウナが、わらの敷かれた畝を見て微笑んだ。
「なんか、布団みたいだね。……植物が、気持ちよさそうに寝てるみたい」
昼前になると、もうひとつの目的地——あの“湖”、いや、緑池へと向かう。
今日はザルも持ってきた。狙いは、水草……と、もうひとつ。
ざぶん、と足元をかき混ぜると、ぴょんっと小さな影が跳ねた。
「いた! エビだ!」
やっぱり、こういう泥の池にはいると思ったんだよな、こういうやつ!
ザルに向かってばしゃばしゃと足で追い込む。ザルを上げると、泥がおちて、ぴょんぴょんとエビがはねている。
「やった、とれたぞ」
(異世界でも、エビがとれるとは……。あぁ、うなぎくいたい。蒲焼き……タレ……。うなぎとれないかな。)
「タンパク源、確保!」
(うーん、この追い込みもユウナにやってもらいたいけど、足が泥だらけになってしまうな。うん、これはいかんよ。おすすめできない。おすすめしたいけど!)
手のひらの上で跳ねる小さなエビ。どことなく、ヌマエビに似ている。
これは嬉しい誤算だった。水草と一緒に持ち帰れば、晩のおかずにもなる。
帰り道、桶に泥を多めに詰めて帰った。
……が、泥、重い。水より重い。いや、マジで重い。
納屋の隅でその泥を広げて干す。時間がたつと、水気が抜け、濃い茶色だった泥がじわじわと灰がかった土色へと変わっていく。
「……なんか、独特な匂いがするな」
どぶ川からする異臭のような……。
泥は確かに発酵していた。でも、馬糞とはちがう匂いだった。
〈大地との対話:分解過程・好気発酵進行中、硫黄毒素発酵により無毒化中〉
「え、そのままだと毒素があったのか? この臭いは硫黄か?大地との対話よ、教えてくれてありがとう」
しばらく乾かしておいたほうがよさそうだな。
「好気発酵……ってことは、空気を混ぜろってことだな」
(気があるってことじゃないよね、違うよね)
……よし、エビの話に戻ろう。
ユウナにエビを見せる。
「え、これエビじゃない?」
「多分……焼けばいけると思うんだけど」
ユウナはぱっと顔を明るくした。
「食べれるよ! お父さんがよく取ってくれてた! やった、楽しみ!」
ユウナの笑顔に少しだけ胸が熱くなった。
(重い泥を運んだかいがあったぜ)
……が、すぐに鼻を押さえ、顔をしかめる。
「そっちの泥、なに? う、くさっ……」
「あー、またこの流れか……」
泥と馬糞と水草。
信次郎は、異世界の発酵のかたちを少しずつ掴み始めていた。