第3話「うんことスキルと俺」
翌朝、俺は馬小屋の前に立っていた。
昨夜、少女——名前はまだ聞いてない——に事情を話すと、母親らしき女性が出てきて言った。
「じゃあ、あんた、そこで寝ていきな」
指さされたのは、屋敷の外れにある小さな納屋。正確には納屋というより、かつての馬小屋らしい。干し草の匂い、木の壁、隅に転がる桶。雨は凌げるが、断熱材も何もない。寒さと虫だけが友達だ。
でも文句は言えない。泊めてもらえるだけありがたい。
朝になると、少女がやってきて言った。
「はいこれ、朝ごはん。あと、馬の世話しておいて。餌と水と、掃除もね」
パンのようなものと、ぬるいスープの入った器。それを手に、俺は馬小屋の扉を開けた。
馬がいた。大きい。でかい。
見下ろされて、一瞬ビビる。
「……よ、よろしくな」
手を伸ばすと、馬はひくっと鼻を鳴らしたあと、意外にも大人しく撫でさせてくれた。
ちょっとだけ、ホッとする。
と、馬が突然鼻を近づけてきた。
「うお、近い近い! 距離感ってもんが……って、うわ、鼻水!」
顔を拭いながら、馬小屋の奥を見やると、木桶のそばには、干し草の束と水桶、そして柄のすり減った鉄製のシャベルが立てかけられていた。
餌はたぶんこれ。水はこれでいいとして……掃除って、どうすんだ?
見ると、藁の下に黒っぽい塊が転がっていた。あれだ。見なかったことにしたい。でも、できない。
覚悟を決めて、農具を手に取り、藁をどけ——
「……うわっ!」
ズルッと滑って、思わず手が出た。直でつかんでしまった。
ぬるりとした感触。鼻をつく匂い。ああ、終わった。俺の尊厳が——
……その瞬間だった。
手のひらが、じんわりと温かくなった。
《スキル〈大地との対話:生物分解感知〉が発動しました》
頭の中に、声が響いた。
同時に、情報がなだれ込んでくる。水分量、繊維の残留率、含まれる窒素とカリウム、分解に必要な微生物の活性度——
「な、なんだこれ……」
糞が、見える。分かる。
こいつはまだ未熟だけど、水と藁、草を加えれば、堆肥としては悪くない。
むしろ、いい土になる。生きた土を作れる。
さらに、手のひらに力を込めてみると——
《サブスキル〈微発酵促進〉が発動しました》
糞の表面が、ほんのわずかに蒸気を立てた。分解の熱だ。
ほんの少しだけ、発酵が早まったらしい。
「……おお……」
感動も束の間、ふらりと膝が崩れた。
ズシンと全身に疲労が押し寄せる。力を抜いたわけでもないのに、肩で息をするほど消耗していた。
(くそ……すげえ力だけど、これは一日一回が限界だな……)
「おい……すげえぞ、このうんこ」
思わずつぶやく俺の背後で、少女が絶句していた。
「なにしてんの、あんた……手ぇ、その、ふんだらけだけど」
俺は振り返り、少し誇らしげに言った。
「……たぶん、俺、畑の力を取り戻せるかもしれない」
(こんな俺でも、何かの役に立てるかもしれない……)
うんこまみれの手で、少女に訴える。
少女は目を見開き、顔をしかめた。
「くさっ!」
けれど、少女の口元は、ほんの少しだけ笑っていた。