第27話「ラベンダーは淑女のたしなみ」
豆の収穫をひととおり終えたその足で、信次郎はユウナとともに町へ向かっていた。
澄んだ朝の空気が、収穫後の余韻を包みこむように静かだった。
だが信次郎の心の中では、まだ、昨日の決闘の残り火がくすぶっていた。
道すがら、何度も口を開きかけては、言葉を飲み込む。
(……聞こうかな。やっぱり、リオンのこと。決闘のあと、どう思ったんだろう。ユウナは)
でも、結局なにも言えないまま、町の入り口が見えてきた。
町の入り口、馬つなぎ場に着くと、顔なじみの教会職員が手を振ってくれた。
「おう、あんたか。こないだの決闘、評判だったぜ。聞いてるぜ、通っていいぞ」
「なんでも、教会のぼっちゃんと“彼女”をかけて一騎打ちして、勝ったんだってな? なぁ、彼女って言っていいのか? 奥さんか?」
信次郎は口をぱくぱくさせながら、「いや、まだ、そういうんじゃ……」とだけ絞り出した。
(は、まだって、俺なにいっちゃってんの!)
ユウナはと言えば、顔を少し赤らめて黙っていた。
「あ、まだなの? そっかぁ〜、ふーん……」
(なにがまだなんだよ!めっちゃからかってくるじゃん、この人)
「あのー清潔魔法を……」
ごまかすように信次郎は言った。
「そうだったな、あなたは――」
職員は一呼吸置いて、演技じみた大げさな口調で唱え始めた。
「やめるときもぉ、
すこやかなるときもぉ、
愛し合うときもぉ……
糞まみれのときもぉ……」
そして、満面の笑みで締めくくる。
「――まぁ、がんばれよっと!」
その声に合わせるように、馬糞と荷物に柔らかな光が舞う。
(なんて呪文だ!来るたびにからかわれそう!)
荷物を押しながら、ふと思い出す。
(あのとき市場で見た、揚げ物……。あれって、油があるということだ。ということは、絶対にある。米の糠に次ぐ、チート――油の搾りかす、油粕が!)
ノリが軽めの教会職員に教えてもらった、教会の厩舎を目指す。
そこには、白馬のたてがみを撫でているリオンの姿があった。今日は作業着だ。馬のブラッシングも様になっている。
ユウナはリオンの姿に気づくと、一瞬だけ足を止めた。
そして、そっと背筋を伸ばすように姿勢を整えると、何事もなかったように歩き出す。
その視線の先では、白馬のたてがみを丁寧に整える彼の横顔は、どこか涼しげで、貴族的な美しさがあった。
リオンはこちらに気づくと、静かに口を開いた。
「やぁ、昨日はいい戦いだったな……。」
「馬糞はここに集めておいたぞ。困ったことがあったら、何でも相談してくれ。力になる」
(おお、なんという、心もイケメンだ……惚れちゃいそう!)
信次郎はというと、手押し車に馬糞を積み込む準備をしながら、ちらりとユウナの反応を気にしている。
(リオンの貴族のような横顔に比べて、手押し車に、糞まみれの俺……さすがに、ユウナは嫌じゃないか?)
だがユウナは、そんな信次郎を一瞥し、「気にしてない」とでも言いたげに、そっと手伝いを始めた。
(ユウナ、黙々と作業してるな……昨日の今日だし、まさか、俺と同じ? 無心で仕事したい気分?)
リオンは二人の様子にちらりと視線を送ると、二人の間に流れる空気を察したようだった。
「油粕もいるんだったな。それなら、あっちの教会だ。鐘楼のある建物、見えるか?」
信次郎が「助かる」と言いかけたそのとき――
ふと、リオンの表情がわずかに硬くなり、目が泳いだのを見逃さなかった。
(……ん? なんだ、今の顔。教会に何かあるのか?)
思わず口を閉じた信次郎だったが、リオンはわずかに目をそらすと、
少しぎこちない口調で言った。
「ま、まぁ、気をつけてな」
(……なんだか、歯切れが悪いな)
信次郎は軽く会釈し、教えられた方向へと歩き出す。ユウナも、無言のまま後をついてきた。
教会の一角にある、小さな建物にたどり着く。中からは石臼を回す音と、香ばしい匂いが漂っていた。
中へ入ると、そこには見知った美人の姿があった。――伯爵令嬢と信次郎が勝手に呼んでいる、主教の娘だった。
「あなた、あの時の」
信次郎は、少し照れくさそうに頭をかきながら言った。
「今日は、油を搾ったあとの粕をもらいに来たんです」
彼女は少し驚いたような顔をしたあと、すぐに表情を和らげた。
「ちょうどいいわ。見せてあげる。こっちに来て」
案内された裏手には、大量の油粕が積まれていた。表面に白いカビのようなものも見える。
「これ、早めに処理しないとね。放っておくと、腐らせてハエだらけになるのよ。教会では、清潔魔法をかけて、乾かしてから燃やすの」
「燃やした灰は、石鹸をつくるときの材料にしているわ。油と混ぜるのよ。」
信次郎は、その灰が再利用されていることに驚いた。
「そうだ、あなた、清潔魔法は嫌いだったかしら。ちょっと待ってて」
(いや、嫌いどころか、毎朝晩お願いしますってレベル!)
(かけていく美人のなびく髪……綺麗だな。風にふわって……なんか、眩しい)
信次郎は油粕に触れてみる。
〈生物分解感知〉 ――栄養素 中、発酵:中。温度:中、〈害虫の卵を感知〉
(栄養豊富だ、すでに発酵が始まっている!でも、やはり、ハエやらなんやらの卵がすでにあるようだ)
(……前はこんな詳細まで出たっけ?いや、これは……スキル、進化してる?)
戻ってきた彼女は、小さな包みを取り出した。中には淡いラベンダー色の石鹸が入っていた。
「これを使って。わたしが作ったの。香りも、いいでしょう?」」
(……ほんのり花のような香りがする)
ユウナが少し目を見開いた。「でも……こんな高いもの、もったいないです」
令嬢はふっと笑って言った。「いいのよ、これは、お詫びとお礼ってことにしておきましょう」
信次郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
(いや、嬉しいけど……俺、何かしたっけ?婚約者ぶちのめしただけじゃん……ん?そこ?)
信次郎は、油粕の山を指さした。
「あの、この搾りかす……いただいても?」
「ええ、好きにしていいわ。あなたがどう使うのか、ちょっと楽しみだもの」
(灰と油で、石鹸がつくれるのか、異世界で貴族御用達のアロマ石鹸や、アロマキャンドルを作って……)
(異世界でアロマの力で貴族令嬢を虜にしています!第16章はこれだ!って逆だろ、異世界で教えられてどうする!)
退出しようとしたとき、令嬢が立ち止まった。 「ちちょっと待って。そのまま町に行ったら、大変なことになるわ」
信次郎はハッとする。虫が湧くかもしれない油粕の山、手押し車に山盛りの馬糞が積まれており、蓋なしのまま持ち運んでいたことを思い出す。
(……そりゃ、におうよな。次はちゃんと蓋付きの容器を作ろう)
振り返った彼女は、ちらりと信次郎を見ると、いたずらっぽく微笑んだ。
そして、すぐに魔法に集中する。
「我、聖なる風をもってこれを包み、天の祝福を、地にもたらさん」
エリア清潔魔法が発動する。淡い光が馬糞と油粕を包み込み、匂いがすっと引き、空気がまるで新しい風に入れ替わったように感じられた。
発酵の熱気も、虫の気配も、いつのまにか消えている。
(あぁ……聖なる風、気持ちいい……くせになっちゃう。合法? だよね、きれいになってるだけだし!)
「教会の主教の娘として、あなたを汚れたままでは、帰せないわ」
(ああ、毎回、清潔にしていただけるのですか、むしろ褒美!ありがとうございます!)
(さりげなく自己紹介した?次はお名前教えてください)




