第18話「蚊帳の外」
朝。まだ涼しさの残る畑で、信次郎はユウナと豆の様子を確かめていた。
ユウナは、さやを軽く指で挟み、耳元で振ってみる。
「……うん、中でカラカラって音がする。たぶん、そろそろ収穫だと思う。これ以上乾くと、はじけちゃうかも」
(やばい、俺の心の中の何かがはじけちゃうかも?)
信次郎はうなずき、ふと、土の状態がきになって、豆の根元にそっと手を近づけた。
《大地との対話:農地解析》を発動する。
――窒素:やや高。リン酸:中。カリ:中。根粒菌活動:活発。
(少しずつ加えてきたたい肥が効いてるのか。それに、豆の根もけっこう頑張ってくれてる。……俺も、もっと頑張らないとな)
「よし、土の中にもまだ栄養が残ってる。豆を収穫したら、このまま刈り取って、すき込めば緑肥になるな」
(よし……これは、いけるかもしれない)
「すぐにたい肥化できそうだ。親父が言ってた通り……豆って、根に窒素をためるんだったよな」
ユウナは目を丸くする。
「へえ、そんなことまでわかるんだ。信次郎、ちょっとすごいかも」
彼は少し照れくさそうに笑った。
(俺すごい?今のは親父の知識だけど……農業のこと、ユウナのこともっとわかりたい!)
豆の根元をあとにし、たい肥置き場へと向かう。 前回切り返したたい肥は、湯気を立てながら熟成中。
鍬を入れると、もわっとした熱とともに、土と発酵が混じった、むせかえるような匂いが立ちのぼる。鍬を通して伝わる熱と湿り気――《大地との対話》で感じ取った限り、仕上がりは順調そうだ。
「……よし、これであと一週間ってとこだな」
気温が下がりはじめる前に、麦畝の準備を急がねばならない。
ふと、畑の端に目をやると――
「ん?」
雑草の間から、地面を這う一本のつるがのびていた。ぱっと見ではわからないが、どこか様子がおかしい。つるの雑草はやばいって、親父がいってたな。
「ユウナ、これ……どう思う?」
「あ、それ雑草じゃないかも」
ユウナがしゃがみこんで、つるの先を丁寧にたどっていく。
「……あ、それ、芋かも。葉っぱの形がそれっぽい。たぶん、うちの」
ユウナの言葉を聞いて、信次郎はつるの向こうを見やった。畑の外から伸びてきたそのつるは、放置されたまま、自然に育っていたようだった。
「放っておいた芋が、育ってたのか……」
しかし、つるは今まさに麦畑の予定地の畝にまで伸び、根を張ろうとしていた。
「いかん、栄養を取られる……」
信次郎は、かすかに記憶をたぐる。
(親父の記憶……なんだっけ、サツマイモのつるをばさーっと持ち上げてたな。つる返しだ。あれはつるから根が張るのを防ぐためだった。こっちの世界では、他の畑の浸食を防いでいる。つるの生命力おそるべし)
汗をぬぐいながら、麦予定地の畝からツルを引き離す。
(サツマイモは、ジャガイモとちがって、つるを保管して次に使うんだった。芋から伸びたつるを植えるのが一般的だって、親父が言ってたな)
信次郎は、その知識をそのままユウナに伝えた。
「すごい……つる、保管できるの?」
「うん。ちゃんと水につけておけば、しばらく持つって親父が言ってた」
ユウナは感心したように頷いた。
「サツマイモ、うちで育ってたなんて運がいいね。収穫もできそうだし、来年の分も取っておけるなら、一石二鳥だね」
「だよな」と信次郎は小さく笑った。
(……まさにつるの恩返し、か?いや、さすがに無理がある。でも言いたい。馬鹿野郎)
信次郎は頷きながら、鍬を手に取り、麦畑予定地に新たな畝を作り始めた。
鍬を振り下ろし、湿り気を含んだ土をゆっくりと起こしていく。土は鍬の刃に重くまとわりつき、それを振るい落としながら、信次郎は畝の形を整えていった。畝の間には、発酵途中のたい肥を均等にすき込んでいく。
俺は手袋をつけ、完成したたい肥を荷車に積み込み、畑へと運んでいく。車輪の軋む音が土の上に小さく響き、信次郎は目的の畝のそばで荷を降ろすと、鍬で少しずつ土に混ぜ込んでいった。
(うーん、手袋のおかげで、最近清潔魔法が遠ざかっている。自らの手を汚すべきか、汚さざるべきか。手袋ごとやってもらうか――でも、それでは触れ合いがない。)
家のほうで何か動きがあった。まぶしい陽射しの向こうに、誰かの姿が見える。
ユウナが、男と――誰だ? 向かい合っていた。少し離れた場所には、白い馬が柵に繋がれている。相手は司祭か、それとも……
(お祈りならデス・ブレス・プレイスでやってくれ……って、ちがう。あいつ、ユウナの手を――?)
信次郎は目をこらした。男の手が、ユウナの手首を強くつかんでいるように見えた。ユウナの表情はここからではわからない。
ユウナがこちらに気づいた。何かを口にしている。「離して」と言ったように見えた。だが男は手を離さない。
信次郎の中で、怒りと焦りがごちゃ混ぜになって、何かがはじけた。
「ユウナ!」
一声叫ぶと、足が勝手に動き出していた。畑を飛び出し、草を踏みしめ、風を切る。呼吸は荒く、心臓が早鐘を打つ。頭の中は真っ白だった。残ったのは――ユウナの腕をつかむ、あの手を振り払わねばという、ただ一つの衝動だけだった。
「ユウナ!」
もう一度叫んだその瞬間、信次郎は二人のもとにたどり着いた。肩で息をしながら、顔を上げる。
ユウナの視線は、男の顔をじっと見据えていた。俺に気づき、目が合った。その瞳は、今にも涙がこぼれそうだった。
「……やめてください」
俺にもギリギリ聞こえるくらいの声でユウナが言う。
見たことのない白衣――整いすぎたその装いは、まるで絵画から抜け出してきたようだった。銀糸で縫われた紋章が、日に照らされて不気味に光る。教会関係者か、それとも……。
背は俺より少し高い。だが、その手の力強さは、体格以上の威圧感を放っていた。
男がゆっくりとこちらを向く。まるで最初から、こちらの怒りと焦りを見透かしていたかのように。




