第1話「親父、農業始めるってよ」
俺の親父は、IT企業に勤めるプログラマーだ。
ひょろっとした体に眼鏡がトレードマークで、いかにも“それっぽい”見た目をしている。
正直、それまでは「オタクっぽい親父」くらいにしか思っていなかった。
でも、コロナ禍で在宅勤務が始まり、一日中ディスプレイとにらめっこする姿を見るようになった。
コーヒー片手に会議しながら、次々と指示を飛ばすその姿は、まるで現場を仕切る司令塔のようで、俺にはちょっとかっこよく見えた。
農業なんて、まるで縁がないと思っていた。
……そう思っていたのは、小学校高学年のある日までだった。
ある日、親父は突然、会社を辞めてこう言ったのだ。
「今日から俺は……農家になる!」
は? 何言ってんだコイツ。冗談かと思った。でも目は笑ってなかった。親父、本気だ……。
畑を借り、機械やセンサーをたくさん持ち込んで、“スマート農業”に挑んでいた。何やらpHとか温度とか、土の状態をいろんな機械で測っては、パソコンに記録しているらしい。
小さな倉庫の中には、プログラマーだったときと同じように、コンピュータと二つのディスプレイが並んでいた。横には、いつものようにコーヒーのカップが置かれていて、ディスプレイにはなにやらグラフや数値がずらりと並んでいた。何を見ているのかは、俺にはさっぱりわからなかったが、親父はそれを真剣な目で見つめていた。
──そして、週末。
俺も手伝いに駆り出された。
正直、最初は嫌だった。服は土で汚れるし、腰も痛くなるし、虫は多いし。
でも、不思議と悪くなかった。
風の匂いとか、土の感触とか、夕方の空気とか。
ちょっとだけ、自分が“役に立ってる”気がしたんだ。
それに、親父は何も言わなくても、俺が頑張ると小さくうなずいてくれる。
その姿に、少しだけ胸を張りたくなった。
親父は、バリバリの理論派だった。 土壌データや気温、湿度、それに日照時間の変化までグラフにして、作業手順を組み立てていく。 一方で俺は、そういうのはさっぱりだった。
だからこそ、よく作物を観察した。
葉の色や、茎の太さ、ちょっとした変化に気を配って、元気がない場所があれば報告していた。
すると、親父はぽつりと言った。
「お前は俺が気づかないとこに気づくな。……農業、向いてるんじゃないか?」
正直、うれしかった。
そのころ、ちょうど中学も高学年になって、進路のことを少しずつ考えはじめていた。
勉強は苦手だったけど、週末に畑で汗を流す時間は悪くなかった。
農業高校、っていう道も、もしかしたらアリかもしれない――そう思いはじめた、そんなある日。
畑で足を滑らせて転んだ。
ズブズブッ……と沈む感触。土じゃない。
気づいたとき、俺は見知らぬ場所にいた。
見上げた空は青く、だけどどこか現実味がなかった。
手には、さっきまで握っていたスコップがそのまま残っていた。
「……これ、まさか」
異世界転移?
目の前に広がるのは、荒れ果てた農地。枯れた作物。力を失ったような大地。
俺は、そっと地面に手をあてた。
その瞬間、土の状態が“感覚”として流れ込んできた。
「……ん? なんだこれ……リンが足りない? いや、そんなの、なんでわかるんだ?
それに……土が……生きてない……? いや、これは……焼き畑?
……うそだろ、何回も……繰り返した跡?
……わかる。いや、わかってしまう。理屈じゃない。これは……“感じる”んだ……!」
──わかる。なぜか、わかる。
それが、俺の“スキル”だった。
【スキル:大地との対話(農地解析)】
目で見ただけで、土の状態や成分が“感覚”として伝わってくる。
数字でも言葉でもなく、まるで自分の手のひらが土と会話しているような……そんな不思議な感覚だった。
親父が農業を始めたあの日から、俺も変わっていたのかもしれない。
この土地は、病んでいる。それだけは、はっきりと感じた。
ここで農業をやる。それが俺に与えられた役目なんだ、きっと。
荒れた土地を前にして、俺の中で何かが目を覚ました。
この手が、土の声を聞いてしまったから。
親父の背中を追いながら。
──異世界で、チート農家として。