閑話② 〜side リアド〜
「見合い…?」
「ええ、次のあなたのお休みの日に令嬢をお呼びしているの」
屋敷に戻った私は、まず母の部屋を訪ねようとしていたところを逆に呼び出されるかたちで、両親たちと対面していた。母の横に並ぶのは、実際に公爵家を切り盛りしている三名の父だ。母には彼らとは別に、あと十五の夫がいる。
そんな父たちは、母がいるときは母の言葉を優先し、あまり口を挟むことはない。
そうして母が放った言葉が、私へのお見合い話であった。
「随分と急な話ですが…何故私に?」
当然のことながら私には五人の兄がいて、その全員が未婚だ。
特に長兄など、数多くの令嬢との出会いの席を用意してもらったにも関わらず、三十一歳になった今でも婚約者どころか恋人すらいない始末だ。
私などよりあの男をどうにかしなければ、公爵家が取り潰されてしまう可能性だってあるのではないか。
そんな疑問をそのままぶつけると、もうすぐ五十にもなろうかというのに未だ艶々と色気のある母は、憂い気にその綺麗な眉を下げた。
「私もね、本来であればあなたには自由に、好きな女性と結婚して欲しいと思っていたのよ。あなたであれば、きっと不可能なことではないでしょうしね」
「はあ…」
「でもね、ライルがね…」
思わず舌打ちがでそうになった。
またあいつか。
「兄上が、何です?」
怒鳴りたいのを何とか堪えて先を促すと、母は困り顔で夫たちを見る。
話の続きを託されたのは、前公爵の長男である父であった。
「ライルの見合いが上手くいっていないのは知っているだろう?なかなか縁がないようでな…」
「存じています。それが?」
「自分の容姿がいけないのだと、どうにも自暴自棄になっていてね。私たちに似たせいだと言われると、何とも言えなくてな」
実の父に何たる言い草だ。
それはただの言い訳にすぎないと、何故分からない。
父たちは決して容姿が悪いわけではない。
美麗さこそないが、精悍な顔つきは男らしく、頼もしさを感じるよい男ぶりである。
そんな父たちに似ていることを、どうして悪し様に言えるのだろう。実際父たちは、母という美しい妻を得たではないか。
自分の努力不足を嘆くならまだしも、言うに事欠いて父たちのせいとは!
あまりの腹立たしさに拳をぎゅっと握っていると、
「そもそもお前が悪い」
意地の悪い笑みを浮かべた長兄が、ノックもせずに入ってきた。
「ライル、母の前で不敬だぞ」
さすがに父もたしなめたが、長兄は軽く詫びただけで、私の横にどかりと腰を下ろした。
今一番見たくなかった顔に、唾を吐きかけてやりたくなる。
そんな私の怒りには全く気付く様子もなく、兄はギロリと私を睨みつける。
「お前が悪いんだ。お前のせいで、俺は今まで惨めな思いをし、受けなくてもいい嘲笑を浴びせられてきたんだ」
「………」
母の前だと言うのに、汚らしく鼻を鳴らして、兄は更に捲し立てた。
「お前はただ母上に顔が似ただけの能無しなのに、やたらと周りが騒ぐことをまるで自分の実力であるかのように振る舞っている。お前のそんな不遜な態度に周囲はまるで気付かず、俺を努力不足と侮る」
努力不足は事実だろうに、自分の棚を上げることがなんて上手なのだろう。
その後もずっと、兄は自分の正当性を主張しつつ私への罵詈雑言を続けた。
両親はその都度止めるが、自分は可哀想なのだと主張する長男をどう宥めればよいのか分からないようだ。
兄はずっと陰で私を虐めていたので、このように直接罵る姿は初めて見たことであろう。両親の戸惑いも尤もなことだ。
だが、言葉を重ねるにつれ、兄の様子がおかしくなってきた。
「俺はずっと耐えてきた。好き勝手やるお前に自由を与えてやったんだ」
「…何を言っているんです?」
「お前はそろそろ、俺の役に立たなければならない」
鼻息荒くただ自分の主張をする兄に、言いようのない気味の悪さを感じる。
まるでなにかに取り憑かれたように、正気の顔をしていない。
そうして兄は、言い放った。
「お前には俺の妻を作ってもらう」
………何を言っているのだこの男は。
私の怪訝な顔を、兄は喜ぶようにニヤリと笑う。
「お前のその顔を、俺の為に使え」
「何の話をしているんですか」
「お前の結婚相手は俺の妻になる女だ!!」
周囲がしんと静まり返る。
絶句したのは、声の大きさに驚いたからではない。
その内容に、おぞましさに、吐き気を伴う気持ち悪さに、喉から声が出なくなったのだ。
それをどう捉えたのか、兄は少しトーンを落として続けた。
「別に珍しいことじゃないだろう。父上たちだって、兄弟で母上と結婚したのだから」
ーーー確かに、貴族の家では兄弟が妻を共有することは珍しくない。
同じ血を持つ夫が複数いれば、その家の血を次代に引き継ぐ可能性が増える為である。
だが十も二十も夫を持つことが一般的となった昨今では、あまり意味を持たない。大事なのは血ではなく名であると、貴族の価値観も変わってきているのだ。
確かに父たちは三兄弟全員で母を娶ったが、それは血を残すことが目的というより、全員が全員、母に惚れていたからだ。
母もそれを受け入れたのだから、私は両親のそんな関係を悪くないと思っている。
ーーーだが。
それとこれとは話が別だ。
「兄上と妻を共有しろと?」
「そうだ。これは命令だ」
「兄上に何の権限が?」
「俺はこの家の長男だ。弟が兄の命令をきくのは当然だろう」
何を馬鹿なことを。
兄らしさのかけらもない男に命令される謂れなどない。
まして、兄と妻を共有?
この兄と、一人の女を愛でろというのか?
冗談じゃない!!
「公爵家がお取り潰しになったらお前だって困るだろう?」
その一言が、私に家族との決別を決定させた。
取り潰しになって困るのは、私じゃない。
「母上、父上、私はエルダー領に参ります」
その後。
慌てて止める両親を跳ね除け、怒り狂う兄は文字通り投げ捨て、周囲の反対を押し切り、私は殿下と共にエルダー領へ向かうこととなったのである。
エルダー領は思いの外居心地が良く、やっと息を吸えた思いで過ごすことが出来た。
解放された私は魔物討伐など実践を積むことで更に力を付け、第一騎士隊の隊長にまでのし上がることが出来た。
因みに騎士団長に殿下がおさまるのは何となく予想が付いたけれど、まさかあのクライスト子爵家の令息が、こんな辺境に来ただけでなく副団長になるだなどと、誰が予想したことであろう。
だが、とっつきにくかった彼がここで過ごすうちに自分を出すようになり、ぐっと話しやすくなったところを見ると、彼も王都で閉塞感を感じていた一人なのかもしれない。
殿下には感謝してもしきれないと、私は恩返しの為ますます剣技に磨きをかけるのであった。
そんな解放された時間を過ごす中で。
大きな転機が訪れた。
殿下と同じ黒髪の少女が、私たちに新しい風を運んできたのだ。
「やった!やった!やった!」
扉をノックしようとしたところで、興奮したようなはずむ声が聞こえてきた。
本来この寮内では絶対に聞くことの出来ない、高く柔らかい声。
軽くノックして部屋に入ると、声の主である少女が、何故か同僚と手に手を取ってステップを踏んでいた。
「何をやっているの?」
明らかに振り回されている同僚はいつも通り無表情で、操られた人形と化している。
そんな大男を振り回しているのは、小動物かと思うほど小柄な少女で。
少女の名はハル。何故か辺境に降り立ち、夫作りを拒み、様はいらないと固辞する変わった神子様だ。
神子様は執着心の強い方が多く、面倒なことにならぬよう極力関わってこなかった私にとって、ハルは人生で一番距離の近くなった神子である。今のところは、だが。
ハルは、その顔に満面の笑みを浮かべて私の名を呼んだ。
「リアドさん!」
その無防備な笑顔にドキリとする。
多くの女性と関係を持ってきた私だけれど、こんな表情で見られたことはない。女性が私に向ける笑顔というのはもっと、色気を含んだり、意味ありげな視線で欲求を満たそうとするものであったはずだ。
一体この少女はどういうつもりで、男にこんな笑顔を向けているのか。その意図が分からず、どう反応すべきか悩む。キスしろというサインなのか、それとも他に要求があるのか。あれだけ女性と関係を持ってきたのに、笑顔一つに戸惑う自分の、何と情けないことか。
ハルはシドの手を離すと、テーブルに置いてあった鍋を持ってグイと私の目の前に差し出した。
「見てください!」
「…これは…?」
「お味噌!私の故郷の調味料なんです!」
「調味料…」
これが?
口には出さないよう努めたけれど、これは…人が口に入れてよいものなのか?
そんな私の心中にはとんと気付かないようで、ハルはその得体の知れぬ泥のような物体をスプーンで掬い、はい、と渡してきた。
「舐めてみてください!」
「これを!?」
私は試されているのか?
この笑顔は私への強要を意味しているのか?
女性の頼みは原則として断れない。
勇気を振り絞りスプーンを手に取り口にする。
「これは…塩味が強くて独特な風味だけれど…まろやかでとてもコクがあるね。泥を舐めさせられたものと驚いたけど、とても美味しいよ」
「泥!?そんなもの舐めさせるはずないじゃないですか!」
おっと、失言してしまった。
けれど、この少女は表情でぷりぷりすることはあれど、本気で怒るところは見たことがない。
それもまた、この国の女性と違うところだ。
あの普段は温厚な母ですら、父が意に沿わぬ発言をすれば鬼の形相となったものだ。
私が謝る前に、まぁ良いですけどねと言って、ハルは別のスプーンで味噌を舐める。
チラリと見える赤い舌にドキリとして、そんな自分にゾッとした。
私は今、何を考えた?
いけない。欲求不満なのかもしれない。
エルダー領に来てからとんと女性を抱いていない。そのせいに違いない。
次に長い休みが取れたら遠出をして、一夜の遊戯を楽しめる女性を探さなくては。
そんな内心はチラとも見せず、この調味料をどのように作り上げたのかを説明する少女に相槌を打つ。
シドは私と交代で訓練場に戻ることになっている為、ここで退室だ。
ありがとう、と手を振る姿を横目で見下ろし、やはり私の知る女性とは別の生き物だと感じる。
女性が感謝を述べるなど、聞いたこともない。
どのような環境に身を置けば、ハルのような女性に育つのだろう。
「わたしのようなって?」
「え?」
「今言ってたでしょ?」
ボーッと考えていたら、思考がそのまま口に出ていたらしい。
どこから口に出ていたのかと焦る。
「いや、この国では女性が男に感謝を伝えることなどないからね。どのように育てばハルのような女性になるのかなと思っただけなんだ」
そう言うと、ハルは怪訝な顔をした。
「誰かに何かをしてもらったら感謝を伝えることは当たり前ですよね?リアドさんもありがとうって言ったことあるでしょ?」
「それはあるけれど、私は男だから」
「感謝に男も女もないでしょう?女性側はしてもらって当たり前って思ってるから、感謝の言葉が出ないんじゃないですか?」
「それは…確かにそうだろうけれど…」
「私は、当たり前なことって無いと思ってます。してもらって当然なんて思えないし、今まで当たり前だと思ってたことがずっと続く保障なんてどこにもないもの。だからこそ、誰かに何かをしてもらったらありがとうって言うし、悪いことをしたら謝るし、頑張ってる人がいたらすごいねって言いたくなるし、成果を出した人がいたら頑張ったね、やったねって一緒に喜びたくなるし…………あれ、なんか話変わってる?」
「………」
「と、とにかく、誰かが何かをすることにはちゃんと意味があって、当たり前にしていることじゃないんだよってことで…………いや、あれ?そういう話だったっけ?ねぇリアドさん…リアドさん?おーい」
当たり前ではない。
そう、私が兄からの妬みを受けることは当たり前なことでなかった。
暴力に対抗する為身体を鍛えたことも当たり前なことではなかったし、努力を否定されることも当たり前ではなかった。
当たり前でないことを、必死に堪え、当然だと虚勢を張ってきた。
それでも誰かに、私は言って欲しかった。
「ハル…私はね、このエルダー騎士団に来る前、第一騎士団にいたのだよ」
急に話を変えた私に、ハルは目をぱちくりさせていたが、そのまま聞く体制になる。
十五で入団したこと。大会でそれなりの成績を収めていたこと。団長からエルダー騎士団へ誘われたこと。兄たちの話は家の恥なので話さなかったけれど、それ以外の、私が努力を重ねて今に至るまでの全てを話した。
彼女なら、言ってくれる気がして。
話し終えると、ハルは楽しそうに笑っていて。
「リアドさんすごい、今まですごく頑張ってきたんですね」
心からそう思っているのだと、その笑顔が語っていて。
嬉しくて嬉しくて、泣きそうになった。
ああ。私は、その言葉を待っていた。
当たり前じゃない。頑張ったのだと。
「リアドさん、今、幸せですか?」
「…うん」
「ならその幸せは、リアドさんが努力して掴み取った証ですね」
ああ参った。
私はこの日、初恋を知ったのだ。




