閑話 〜side リアド〜
リアドがハルに恋をするまで…のつもりが、前置きが長過ぎて一話で終わりませんでした。
二話完結予定です。
会話文があまり無いので、読み辛かったらすみません。
ティーチ公爵家の六男として誕生した私は、両親たちから惜しみない愛情を注がれた分、兄たちからは疎まれつまはじきにされる幼少期を過ごした。
その当時はまだ、子供のやることなので大したことではなかったのだけれど、幼かった私は兄たちからの嫌味や罵倒に一つ一つ傷付いては、泣いて過ごしたものである。
誤解をしないでほしいのが、両親は私だけを溺愛してきたわけではなく、兄たちにも愛を十分に注いできたということだ。だがその愛が全員に等しく同じだけ、というのは六人も男ばかりの子供相手には難しかったのであろう。
その中で私がより可愛がられたのが、末子であるというただそれだけの理由であれば、兄たちも面白くないながら納得したのかもしれない。だが私が両親から、とりわけ父たちから愛された理由は、この容姿が美しい母によく似ていたから、というのは大きな理由の一つであることは間違いない。その美しさを受け継げなかった兄たちは、幼い私と自分たちとを比較しては、自分にないものを持っている私に醜い嫉妬を向けたのだった。
「母上に似ているのは今だけだ!どうせ大人になれば醜男になるに決まってる!」
こう言われたのは確か私が七歳の時分であり、この頃には兄の仕打ちに幾分か慣れていた私は、こう思ったものだ。
曰く。
男の私から母の面影が消えてゆくのは当然のこと。そうなれば、私は父たちの誰かに似ていくはずであるし、更に言うのであれば、今現在父たちの血を濃く引き継いでいる兄たちとも似ていくに違いない。ならばこの兄は、自分も醜男になると言っているに等しいのでは、と。
この妄言を吐いたのはすでに十五になる長兄であり、この齢でこのように頭の弱い発言をするような男に任せて、公爵家は大丈夫なのであろうかと不安になったものである。
正式には長兄の配偶者となる女性が公爵位を継ぐことになるわけだけれど、領地経営や実務を担当するのは長男であるこの男であり、彼は今まさしく経営学や統計学を学んでいる最中であるはずだが、どうにもその成果は見られない。
ひたすらに愚鈍な男。私の長兄に対する評価は、この頃から今も変わることはない。
ただしこのときの私はまだ幼く、八つも歳の離れた兄と比べて身体の大きさの違いはどうにもならずーー頭の回転では決して負けてはいなかったがーー言葉で罵った後にくる実際の暴力へと対抗する術はまだ持っていなかった。
頭の弱い兄でも、私が痣や怪我を作ると両親に咎められると分かっているので、跡の残らないような方法で、次兄らも引き連れての虐めが長く続いた。
池に落とされたときは本当に死ぬ思いだったので、その日以降湯浴みの際に泳ぐ練習を欠かさず行ったことは今でも良く覚えている。
そんな日々が続き、妄言を吐いたときの兄と同じ十五となった私は、兄の予想とは裏腹に母の面影を色濃く残したまま成長した。更に、幼い頃から兄たちの暴力に対抗すべく身体を鍛え剣の腕を磨いたことで、この頃になると武芸に関して私に勝てる者はいなくなった。
力では敵わぬと判断せざるを得なくなった兄たちは、ネチネチと嫌味を言うくらいしか出来なくなり、さぞや鬱憤の溜まったことであろう。
私が十五ということは長兄は二十三になるわけで、そろそろ結婚をと両親が見合いの席を幾つも用意しているようだが、どうにもその性格の悪さが顔と態度に表れているらしく、うまくはいっていないらしい。
次兄以下は、長兄よりはずる賢く振る舞うことが出来るが、取り立てて秀でるものもない凡庸な者ばかりで、長兄のおまけとしての機能しか備わっていない。
私も随分と性格が悪くなったものだと思うけれど、この環境では致し方ないこと。大人になったと思ってほしい。
そんな私は、十五になってすぐ第一騎士団へと入団した。兄たちは文官になる為に公爵家のコネを使ったが、私は一から試験を受け、厳正なる審査のもとで入団を許された。実力でその立場を得たのである。
母が公爵として口添えすればもっと楽に事が運んだのであろうが、私には兄たちと同じ措置など全く必要がなかったのだ。これは偏に、私をここまで努力させてくれた兄たちのおかげと言っても良いだろう。
第一騎士団は王宮と大神殿の警護が主なので王都の屋敷から通うことは可能だけれど、騎士団に入れば夜勤もある関係で、広くはないが休息を取れる個室も完備されている。うるさい兄たちと関わらずに済むようになったことに、私は心から感謝した。
そうして私の足は自然とーーあるいは必然的にーー公爵邸から遠ざかっていった。
剣技を磨き、同じ齢どころか、二つ三つ上の者をも打ち負かせるようになると、私は私自身の人生を歩めているのだと誇らしい気持ちになる。
騎士として訓練に励むことは、私の自尊心を大いに高めてくれた。
そうして騎士としての成長を実感すると共に周囲からの評価も上がり、十八になる頃には私に勝てる者などいないのでは、と自負するくらいの実力は身につけていた。
だがその頃から、私への評価を公爵家の力であるなどと揶揄する者も増えていった。更に私の容姿は相変わらず母の血を良く受け継いでいて、その見た目で権力者に色目を使っていると言う者たちまで現れる始末だ。どこにでも醜い嫉妬を向ける者がいるのだと辟易した。
だがこの容姿だからこそ、そして騎士としての地位を確立していたからこそ、私は女性の少ないこの国であるにも関わらず、女性に不自由することが無くなっていた。
女性との交際は等しく結婚を意味するのがこの国の常識であるが、私の場合相手の女性に決してのめり込まず、のめり込ませず、駆け引きをしてうまく付き合えていたように思う。
女性は皆可愛らしく柔らかで、男としての欲求を満たしてくれたが、気は荒々しく傲慢で、ときに兄を彷彿とさせうんざりすることもあった。
なのでとても結婚などとは考えられず、父たちのように一途に妻を愛するなど、とても自分に出来ることではないと思っていたものだ。
そんな折、年に一度の剣技の大会で、二つも歳下の少年に完膚なきまでに叩きのめされた。
その少年は、まだ幼さの残る顔を歓喜に染めることなく淡々と闘技場を後にした。
これほど圧倒的に負けたのは初めてであり、屈辱に感じて良いものを、私はなぜだか爽快感でスッキリとした心地であった。
確か彼は、クライスト子爵家の令息ではなかったか。クライスト家といえば、女性の出生率が少ない中で令嬢が誕生した希少な家である。あの少年は、そのご令嬢の弟であったはずだ。
第二騎士団でその実力を評価されていると噂では聞いていたが、まさかこれほどの実力とは思っていなかった。このままいくと彼が優勝をもぎ取るかもしれない。
そう思っていた私の予想は見事に裏切られた。更なる実力を持ち合わせた者が、決勝で彼を打ちのめしたからだ。
優勝したのはクライスト子爵令息よりも一つ下の、まだ十五歳の少年で。初めて見る顔に驚いて騎士団の仲間に聞くと、その少年はまだ第一にも第二にも所属していないのだという。自己の努力で優勝を勝ち取ったという事実に皆驚愕を受けた。後に公爵家の情報網により彼の正体が第九王子殿下だと知って、更に驚いたのは言うまでもない。何故か彼は自分の身分に箝口令をしいているらしく、謎の少年のまま噂だけが一人歩きすることとなった。
その後、大会で殿下にも子爵令息にも勝てぬまま数年が過ぎたある日、自主訓練を終えて着替えに戻ろうとしたところで王子殿下に出くわした。
第一騎士団の本拠地は城内にあるので、別にいても不思議ではないのかもしれない。騎士団の建物内も特に許可なき者は通さぬ聖域、というわけではない。現に騎士目当ての貴族女性たちが男漁りに来ていたりもする。
だが、そこにいるのが身分を隠した王族であるとなると、思わず棒立ちになってしまった私の心中は察していただけるのではないだろうか。
束の間固まっていた私は、すぐに自分を取り戻して跪こうとし、
「やめろ」
静かに止められた。
「公爵家の者が得体の知れない俺に礼を取ったら騒ぎになる」
確かにその通りだ。
すぐに体制を戻すと、王子殿下は私の側まで寄り、「付いてこい」と肩を軽く叩いて促した。
初めて拝見したときは幼さもあり、また遠目であったことから随分と小柄に見えたものだが、あれから五年経った今、背の高い方である私が僅かに見上げるほど、背が伸び立派な体躯となっていた。
周りの騎士仲間が興味津々とあからさまな視線を寄こす中、人のあまり通らぬ裏手まで移動すると、王子殿下は開口一番言い放った。
「俺と一緒にエルダー領へ行かないか」
「……は?」
「言葉の意味が分からないのか、衝撃を受けているのか、どっちだ」
「……恐れながら両方でございます」
エルダー領といえばこの国の北東に位置する辺境だ。隣国との国境にあり魔の森を有す、王都の民はあまり関わりを持ちたくない場所である。
そこへ、何故私が誘われているのか。
王子殿下の一言ではどうにも理解に苦しむ。
「さっきの礼といい、その話口調といい、お前俺が何者か知っているな」
さすがに公爵家には口を閉ざせなかったらしい、と、王子殿下は面倒そうに呟く。
「申し訳ありません」
「他へ漏らしていないのなら良い。それで、返事は?」
「ご命令とあらば」
「命令じゃない。あとお前、分かってないな?俺は別に辺境への視察にお前を連れて行こうって言ってるわけじゃない。エルダー騎士団に入らないかと提案しているんだ」
「エルダー騎士団…ですか」
愕然とはこのことかもしれない。
エルダー騎士団は確かにこの国で重要な役割を担う存在であり、自分の力を思いきり発揮したいという猛者が集まる場所でもある。ただしそういう者たちはすべからく王都の家族や友人と決別し、エルダーに骨を埋めるという覚悟を持たなければならない。そうでなければ、王都の民からの嫌われ役など引き受けたりはしない。
「何故…私なのですか」
一番気になるのはそこだ。
まさか王子殿下の不興を買ったのかとも思ったが、殿下は自らと共にと言った。
であれば、ただ腕を買われたと、そういうことであろうか。
「お前の腕が欲しいのは確かだ。あとはまぁ…」
殿下の視線が私に真っ直ぐ突き刺さる。
「お前がいつも窮屈そうだから、かな?」
そう言って口端を持ち上げた。
何もかも見透かされたような視線と言葉に、妙な苛立ちを覚える。
この方は一体私の何を知っているというのか。
窮屈?そんなことーーー
「なんだ、無自覚か?」
「私はっ…!
「ならまだ良い。無理矢理連れて行くつもりはないしな。しばらく考えて答えを出せ」
そう言って、王子殿下は去って行った。
後に残された私は、このぐるぐるとした感情を発することも出来ずに放置され、ますます苛立ちがつのった。感情がこのように昂るなど、しばらくないことであったのに。
あの傲慢な態度は兄を思い起こさせる。
たちが悪いのは、あの方が兄のような愚鈍な人間ではないからだ。
兄相手であれば嘲笑を返せば済むものを…!
ふつふつとした怒りを感じていると、急に風が流れ、さわさわと草木を揺らし始めた。日が翳ってきたなと思ったら、あっという間に大粒の雨が降り出す。
慌てて建物の下に駆け込んだが、そこそこ濡れてしまった。まぁどうせ着替えるつもりだったのだから別に良い。問題なのはここがゴミ置き場であり、建物への入口がないことだ。匂いが気になるから早く部屋に戻りたいのだが、完全な濡れ鼠になっては廊下を歩くこともはばかられる。
向こうの空を見ると青空が広がっているから、これは通り雨なのだろう。止むまでここにいるしかない。
溜息を一つ吐くと、色々とどうでもよくなって身体の力が抜けた。
雨が己を冷静にさせてくれたようだ。
殿下は、窮屈そうだと言った。
そんなことを言われたのは初めてだから、きっと他の者にはそう見えていないはずだ。
では窮屈なわけではないのか。
ーーーいいや。私は窮屈で仕方ない。
家族とのしがらみも。努力で得た評価を家や容姿と結びつける妬みの感情も。見せるためにまるで余興のように剣を振るうことも。
殿下には、そんな私の本音が見えたのだ。
だから私に王都を出る提案をした。
それが簡単なことではないと分かっていてなお。
いくら六人兄弟の末子といえど、公爵家の人間が辺境へ行くなど、勘当を覚悟せねばならないことを、殿下は承知のはずだ。
むしろ殿下自身こそ、その覚悟を持って行こうとしているのだろう。
王子という立場にありながら何故そんな茨の道を行こうとしているのかは甚だ疑問だが、簡単なことではなかったはずだ。
現に今、私はどのように両親を説得しようかと悩んでいるのだから。
ーーーん?
私は今、何を考えた?
両親を説得?
何故そんなことを思った?
己の思考が理解出来ず混乱する。
わざわざ辺境へ嫌われに行くなど、冗談ではない。母も泣くに違いないし、日々の癒しである女性の肌を感じることもできなくなる。
そんな場所へ自ら選択して行くなど愚の骨頂。兄も腹を抱えて笑うに違いない。
けれど私はーーー
ーーー行きたいと思っているのか?
どれだけ思い悩んでいたのか、気付くと雨は上がっていて。
濡れた服を着替えて、私は公爵邸へ戻ることにした。
殿下から打診があったことを両親に話そうと思ったのだ。両親はきっと私を止め、辺境へ行く選択肢など潰してくれるに違いない。そうなれば私は、今と同じ生活をまた続けていけば良いだけだ。
それがきっと、一番良い。
そう思って邸へ帰ったこの選択が、その先の私の運命を決定付けた。