閑話 〜side ヒューイ〜
僕は王都の平民の家に生まれた。
毎日カツカツの生活でろくな教育も受けられず満腹になどなったことのない僕らは、平民でも底辺の部類にいた。
父は三人で全員が兄弟。母は当然一人。
子供は十人で僕は八番目。当然全員男。
女を一人でも産めば貴族に良い値で売れるらしく、母はそれに賭けてポンポン子供を産んだ結果、ただ食い扶持を増やしただけだった。
母は実家に常にいて、僕らと同じ生活はしていない。
子供の面倒も生活も全部父たちに任せ、自分は悠々自適に暮らしている。
実家から生活費を援助してくれるわけでもなく、女でなければ僕たちに価値はないと、会いに来ることもなければ会いに行くことも許さなかった。
僕はわずか五歳にして、自分に母などいないと悟った。
でもその三年後、僕は母から涙ながらに抱きしめられることとなる。
八歳になると、貴族平民に関わらず国民は皆魔力測定をされる。
兄たちもそうであったのと同じように僕も父に神殿へ連れて行かれた。
僕と同じ歳の子供たちが順番に名前を呼ばれ、皆言われるままに黒いガラス玉に手をかざす。
魔力を持つ者はそう多くないと父に聞かされていたけど、なるほどなかなかガラス玉に変化は見られない。
そのとき、周囲がざわついた。
見ると一人の少年の手の先にあるガラス玉がポォッと仄白く光っていた。
どうやらあれが魔力のあるサインらしい。
その後およそ二十人に一人ほどの割合でガラス玉が光るのをぼーっと見ていたところで僕も名前を呼ばれた。
父も母も兄たちの中にも魔力を持つ者はいない。
そもそも魔力を持つ者は大抵が貴族だというから、僕がやってもどうせ光りっこない。
そう思いながら片手をかざしたが、その瞬間
ものすごい光が目に飛び込んできて咄嗟にもう片方の腕で目を隠した。
恐る恐る確認すれば、そこには元の黒色が確認出来ないほどの真っ白な光を放つガラス玉があった。
まさか、僕がこれを光らせているの?
驚いて父を振り返れば、父も信じられないという表情で僕とガラス玉を凝視していた。
その後の展開は早かった。
いち早く僕の魔力に目を付けた貴族が、僕を引き取りたいと言い出したのだ。
そうなって僕はようやく母の実家へ連れて行かれ、生まれて以来初めて母と再会したのだ。
母は綺麗な人だった。
そして綺麗な服を着ていた。
見たこともないキラキラした宝石を身に纏い、真っ赤な口紅をしてニコリと笑った。
「ヒューイ、私にそっくりでなんて綺麗な顔をしてるの。しかも魔力持ちだなんて…あなたは本当に素晴らしいわ」
母はソファに深く腰を下ろしながら、向かいに座る僕を満足げに見た。
母の両隣には、やはりキチッと身なりを整えた男たちが座っている。
この人たちも僕の父親なのだという。
母の実家は裕福な商家で、同じような家柄の息子や男爵家の次男など何人もと結婚し、僕には見たこともない父がたくさんいるということをこのとき初めて知った。
苦労もせずひもじい思いもせず立派な格好をして高価なソファに座るやつらなんて、父だとはとても思えなかったけど。
それは母に関しても同じことだ。
父や僕たちの苦労なんてまるで意に介さず贅沢三昧をする女が僕の母だなんて、とても信じられなかった。
けれど母が言った通り、風呂で磨かれ新品の服に身を包む僕は、鏡で見た自分の見た目が母にそっくりだと確かに感じていた。
これが僕の母親。
期待なんてしてないと思ってたけど、落胆は思っていたより大きかった。
当然、母は僕に愛情を向ける為に呼んだのではない。
より高く売るため身綺麗にしただけだ。
間もなく僕を引き取るという貴族が現れ、応接間で顔合わせをした。
貴族は僕の見た目に満足したらしい。
聞いたこともない金額を母に提示して、後日支払うことを条件に僕を連れ帰ることとなった。
母はそこで初めて僕に触れた。
うるうると目に涙を浮かべ僕を抱きしめると、どうか元気で、と言い頬にキスをして手を離した。
初めての母の抱擁。
茶番だと分かっていても心が動いた。
……離しざまに口元をニヤリとするのを見るまでは。
僕を買い取ったのはゼンケル侯爵で、その夫であるアルバートさんに連れられ僕は初めて馬車に乗った。
その道中で僕を引き取った目的を説明する。
価値があるのはやっぱり僕の魔力で、まずは勉強して魔力のコントロールを身につけ、いずれ神官のトップに立てと言われた。
ゼンケル家は代々神官の家系で曾祖父は神殿長になるほどの傑物だったそうだけど、アルバートさんの父の代から魔力を持つ子が生まれなくなったのだそうだ。
魔力がゼロでは神官にはなれても神殿長にはなれない。
神殿長になれないのならとアルバートさんもお父さんも神官になることを諦め文官になったそうだ。
何としてもゼンケル家に魔力を復活させねばならないと、アルバートさんは怖いほど真剣に力説した。
その為には僕がゼンケル家の一員として神殿長を目指し、更にその家の娘と結婚して魔力を持つ子を作ることが重要なのだと語気を強めて言った。
八歳の子供によくそんな話をしたなと思うけど、何となくは理解できた。
要するにいっぱい勉強することと、その娘と仲良くしろということだ。
勉強はやれるだけ頑張る。
女の子と接したことはないけど、つい最近講義を受けて簡単な挨拶や接し方などは教わった。
僕の一歳下だというから、まさか母のような女ではないだろう。
あんな人じゃなければ何でもいい。
そう思って了承した。
何か言っておきたいことはあるかと聞かれたから、一つだけお願いがあると言った。
それさえ聞いてくれればなんだって言うことを聞くからと頭を下げたら、話してみなさいと言われた。
「僕を買ったお金を、僕の育った家に渡してください。そしてお金を受け取ったら父に、すぐ離婚の手続きをするよう言ってください。そうすればお金が母の手に渡ることはないからって」
母たちは十分な暮らしをしている。
せめてそのお金だけは父たちや兄弟に使わせてあげたい。
僕の気持ちが伝わったのかは分からないけど、アルバートさんも何かしら思うところがあったのだろう。
「分かった。円滑に離婚出来るようこちらで手配も整えておこう」
そう言ってもらいホッとする。
「そのかわり、何でも言うことをきくと言ったことを忘れるな」
「はい」
後で聞いたが、父たちは無事母と離婚し、もらったお金で母の目の届かぬ場所へと引っ越したらしい。
今さらながらもう二度と会えないことに落ち込んだけど、皆が少しでも貧しい生活から脱却出来たのならそれで良い。
その後僕は正式にゼンケル侯爵家の養子となった。
侯爵家での生活は、この世は誰しもが平等ではないということを思い知る日々だった。
アルバート養父を含め他の養父も養母も義兄妹たちも、母たちより更に煌びやかな衣服を纏い何の苦労もせず食事にありつきあまつさえ残したり捨てたりする。
あるところには余るほどあるのに、何故僕たちはボロを纏い隙間風だらけの家で空腹に耐えなきゃいけなかったんだろう。
現実を目の当たりにする度、父や兄弟たちに会いたくなった。
でもそれは許されない。
僕は貴族の一員として、この家に尽くさなきゃいけないから。
もう一つ分かったことは、貴族にとって平民は蔑む対象であるということ。
それは侯爵家の娘マルグリットを見ても明らかだった。
マルグリットは明らかに僕を嫌っていた。
見た目が嫌いなわけじゃないのは、初めて僕を見たときに頬を染めてピタリとくっついてきたから分かってる。
だけど僕が平民であることを聞いた途端態度はあからさまに変わった。
汚いものを見るような目で僕を見て、存在を無視するようになったのだ。
養父たちはそんな僕を庇うわけでもなく、何とかしてマルグリットを振り向かせる努力をしろと言った。
そう言われれば努力せざるを得ない。
僕はいずれ彼女と結婚しなきゃいけないのだから。
けれど関係はいつまで経っても平行線のままだった。
ゼンケル侯爵家には息子も三人いて、義兄に当たるそいつらも僕の存在が疎ましかったようだ。
平民のくせに侯爵家に入り、しかも将来の結婚相手が決まっているのだから面白くないのは当然だろう。
自分たちはこれから何とかコネを使えるだけ使い、苦労して相手を見つけなければならないのだから。
それを義兄たちが段々と実感していくにつれ嫌味や嫌がらせなどを受けるようになり、養母や養父たちもそれを止めるでもなく、僕は侯爵家で確実に孤立していった。
この時点で僕には彼らが家族だという認識は無くなった。
それでも僕のやることは変わらない。
だって約束したのだから。
僕は勉強して神官のトップを目指し、マルグリットにどうにか心を開いてもらって彼女と結婚をする。
その為の努力を惜しんではいけないんだ。
その条件で僕は買われ、そのおかげで今父も兄弟も飢えることのない生活を出来ているんだから。
だけど努力とは裏腹にマルグリットとの距離は一向に縮まらないまま数年が経ち、僕は十三歳になり神官学校へと進学した。
学校でもまた僕は異質な存在だったようで、同級生からも何なら教師からも遠巻きに見られていた。
僕の桁違いに多い魔力量と、すでに学校で習うはずの学業を全て習得していたことの二つが大きな原因だろう。
引き取られてから始めた神官学の勉強はとっくに上級神官の分野にまで及んでいたらしく、僕が学校で新しく学ぶことといえば武術面での実践授業と魔力を使った研究分野くらいなものだった。
僕が全ての科目でトップを走り続けてしばらくした頃、周りの僕を見る目が少しずつ変わっていった。
初めは圧倒的な魔力と知識を持つ僕を遠巻きに見ていただけの同級生たちの目に侮蔑や見下す色が見え隠れするようになったのだ。
どうやら平民出なのがバレたらしい。
誰が広めたかは分からないけど、出どころはどうせ義兄たちだろう。
こんなところでまで僕を貶めるなんて随分暇なやつらだと呆れるほかない。
この頃には、能力も学力もない義兄たちが養父からとっくに見放されているのだと気付いていた。
なのでやることさえやっていれば僕の反撃も養父たちは見逃すと分かり、嫌がらせの大半は僕の反撃で義兄たちが悲鳴をあげるようになっていた。
居場所を与えられ飢えることなく勉強までさせてもらってる感謝はあれど、必要以上の理不尽には対抗させてもらう。
義兄は思うように僕を痛めつけられないことに鬱憤を溜め、こういったかたちで発散したのだろう。
くだらない。
僕は家でも学校でもずっと一人だ。
今さらそんな噂をばらまいたところで大した変化なんてないのに。
そう思っていたけど、確かに多少の変化はあった。
態度も頭も顔も悪い連中にちょいちょい絡まれるようになったのだ。
嫌味程度なら慣れてるから気にならない。
だけど、暴力で僕を制しようとするやつらには辟易とした。
体質的な問題か僕はどれだけ鍛えても身体が大きくならないから、ヒョロくて簡単に勝てそうに見えるらしいので、分かりやすい因縁を付けてくる。
そういう輩には仕方なく対抗した。
体術も剣術も攻撃魔法の成績もトップだというのになんで勝てると思うのかが分からないけど、泣いて謝るくらいなら最初からやらなきゃ良いのに。
平民に負けている時点でお前らにどれほどの価値があるって言うんだ。
そうやって貴族のお坊ちゃんたちを軽くいなしていたある日、とうとう問題だとして学校から侯爵家へと連絡がいき、養父から実家に呼び戻された。
「お前は学校に何をしに行っているんだ」
「神官になる為の学問を学びに行っています」
「友人への暴行も学びの一環か?」
「あれは友人ではありませんし、暴行を働いたのは彼らです。僕は防御魔法でそれを跳ね返しただけです」
「その結果が手足の骨折だぞ。度を越していると思わないか」
「障壁を張らなければ僕が骨折していました。度を越しているのは彼らです」
確かに彼らの攻撃なんてただ避ければ良いだけの話で、障壁に二倍返しの付与を付けておいたのは度を越していたといえばそうかもしれないけど、そんなことをわざわざ言う必要はない。
やるやつはやられる覚悟を持たないといけないのだから。
アルバート養父はため息を吐いて、次からはもっと手加減するようにと忠告し話を終わらせた。
学校に戻るか考えたけど、どうせ明日で今週も終わる。一日授業を休んだところで僕が遅れを取ることなんてないのだしと、そのまま自室に戻ろうとしたところでマルグリットと出会した。
「あら、帰ってたの」
「ええ、先ほど戻りました」
僕の存在を無視し続けていたマルグリットも、最近では少しづつ僕と会話をしお茶を飲んだりもするようになった。
養父の言うところによれば僕の見た目が彼女お気に入りの本の王子と類似しているらしく、そこから僕への拒否感も緩和されたらしい。
養父にその王子のように振る舞えと本を持たされたことは記憶に新しい。
マルグリットは僕が帰ったときまず一番に挨拶をしに行かないと機嫌が悪くなる。
案の定少しムッとした顔で僕を睨んだ。
「私への手土産一つないのかしら?」
「もちろんありますとも。ですから姫君、どうか機嫌を直して?」
言って手を取りその甲にキスをする。
実にばかばかしい茶番だけど、この“ごっこ”が今の彼女のお気に入りだ。
頬を染めてならいいわと機嫌良くテラスに向かうマルグリットの後を追う。
手土産の菓子はポーチに入ってるけど、以前ここから取り出したときはそんな気持ち悪いところに入っていたものいらないわと大層怒られた。
見えてないうちにこっそり取り出しておかなければと後ろ手に手を突っ込む。
面倒ではあるけど、マルグリットとの関係は概ね順調といえた。
このとき僕は、養父との約束を叶える為のステップを着々と歩めていることに安堵していた。
ーーー後にそれは大きな間違いだったと思い知らされるのだけど。




