閑話② 〜side シド〜
女性の裸のシーン、身体を触る描写が出てきます。
苦手な方はご注意ください。
指示通り口付けると、エイラは満足そうに目を閉じた。
そのまま唇をくっつけ合う動作を繰り返す。
そのうちにエイラが唇を開いたから、ああこのタイミングかと舌を入れる。
前の座学で教わった通りの手順で舌を絡ませていくと、エイラもそれに応えた。
しんとした部屋の中で、ぴちゃぴちゃと水音だけが響く。
音の主二人を中心に少年たちがそれを食い入るように見る様は、何とも異様な光景だろう。
そんなことを考えていたら、動きが疎かになっていたらしい。
「ちょっと、集中しなさいよ」
鼻先を付けたまま、エイラはジロリと睨む。
「すみません」
「……まあいいわ。次、口付けをしながらわたしの服を脱がせなさい。良い?もたもたしちゃダメよ。私が今どういう服を着ていて、どう脱がせるのが正しいか、ちゃんと確認しておきなさい」
言って一歩下がり、俺の前でくるりと回る。
「本当なら私が入ってきた段階で確認すべきなのだけどね」
あなたたちはまだひよっこだから仕方ないわね、そう言ってまた近づき、俺の手を胸元のリボンへ導く。
難しそうに言っているが、エイラが着ているのはナイトドレスだ。随分と脱ぎやすそうな服を着ていることに呆れる。
この女はこの授業を、真底楽しんでいるのだろう。
口付けながら、胸のリボンを解く。
レースのシュミーズの上に重ね着している水色のナイトドレスはそのリボン一つで合わせがはずれ、簡単に脱がせることが出来る。
最後に残されたシュミーズも、肩紐をずらせばそのままストンと下に落ちる。
シュミーズの下は、何も身に纏わない、女性の身体。
綺麗だな、とは思った。
男の肌なんてどんなに磨いたところでこのように肌理細かい質感にはならないだろう。
腕も腰も足も細く華奢なのに、つくところはたわわで、男の身体との違いをありありと感じる。
誰かがゴクリと喉をならす音がする。
目を離すと怒られそうだから見ないけど、男たちの興奮が見ずとも伝わってきた。
エイラに手を取られ、その豊満な胸へ誘導される。
その思っていた以上の柔らかさにドキリとした。
こんなに柔らかいものに触れたことなどないから、壊してしまいそうで怖い。
「優しく。力を入れてはダメよ」
俺の手の上から自分の手を重ね、力加減を教える為か自ら揉みしだく。
俺は操り人形の如く、手の動きを委ねるのみだ。
エイラはもう片方の手を俺の頬に当て、そのまま下へ下へと艶かしく撫でていく。
だがその手が下半身までたどり着くと、あら、と言ってぴたりと動きを止めた。
「あなた不能なの?」
一ミリも反応していないであろう俺のオレを掴んで、ギロリと睨みつける。
「いえ…」
朝は毎日元気です。
そう言ったらどうなるだろう…
「あなた、失礼な子ね」
口に出さずとも何となく分かったのだろう。眉を吊り上げて、俺の身体をトン、と押した。
「交代よ」
言って別の男を物色し始めたので、ホッと息を吐く。
助かった、と心から安堵した。
席に戻ると、オーギュストから小声で残念だったな、と声を掛けられ同情の目を向けられた。
何が喜びで何が残念なのか。
この部屋の中で俺だけが彼らと違い唯一浮いた存在であることに、呆れなのか諦めなのか、何とも言えない気持ちになる。
その後も講義という名の公開セックスは続き、選ばれた何人かの男と絡んだエイラは、最後まで色気を振り撒いて颯爽と去っていった。
選ばれなかったオーギュストは心底悔しそうで、次第に選ばれた俺をなじり始めたので、うっとうしくなって置いてさっさと家に帰った。
そう、今日は週末。家に戻る日だ。
だがそのときはまだ、帰って更にうっとうしいことになろうとは思いもしていなかった。
「お兄様の不潔!!」
五日ぶりに会った妹は、開口一番そう罵倒した。
「ふけつ?」
「そうよ!いやらしいわ!最低よ!」
何のことか全く分からない。分からないまま罵倒されるのはさすがに納得がいかないが、こんな妹に話が通じるとも思えず父たちを窺い見る。
その顔は何とも情けないほど眉尻が下がっていて、ああ、この人たちが何か余計なことを言うかするかしたのだなと悟った。
「父上?」
「いやすまん…女性講座の内容をどうしても知りたいとセリーヌにせがまれてな…」
「ごまかしてたんだが、だったら他で聞くと出て行こうとするものだから…」
「………」
呆れた。
まだ十四の妹にあんな内容を教えたのか。
「俺は別に…」
「お兄様は選ばれたの!?」
「それは…」
「選ばれたのね!?…なんてけがらわしい…っ!」
「………」
もうこれは駄目だ。何を言っても駄目なやつだ。
俺は寮へ戻るまでの二日間、止まらぬ妹の罵倒を諦観の境地でやり過ごしたのだった。
そして二日後、やっと寮に戻れたときは心底ホッとした。開放感からか、その後の授業も難なくこなせた。
あまり好きじゃない座学も面倒に感じないほどだから、一度地獄を味わうと何にも動じない精神力が身につくのかもしれない。…まあ、普段から動じないと言われるから周りは変化に気付かないだろうけど。
だけど時の流れとは残酷だ。
あっという間に次の週末になってしまい、頭を抱える。
俺はまた、あの家に罵倒されに帰らなきゃいけないのだろうか。
「珍しいな。お前が頭抱えるなんて。何か悩みか?」
「オーギュスト…」
悩みがあるなら聞くぞ、と言ってくれるが、男兄弟しかいないオーギュストに、この苦しみは伝わるだろうか。
話して楽になる問題でもない。それよりも俺は逃げ場が欲しい。
「明日、お前の家に泊まりたい。無理?」
唐突な質問に目をきょとんとさせる。が、すぐに首を横に振る。
「悪いが無理だ。母上は客を呼ぶのを嫌がるんだ」
「そうか…」
残念。
だったら別に用はないと立ちあがろうとしたら、おい、と慌てて腕を掴まれた。
「本当にどうした?お前が頼みごとをするなんて珍しいじゃないか。他に俺に出来ることはないか?」
「ほかに…」
オーギュストに頼めることなど、他に思いつかない。逃げ場がないなら帰るしかなく、帰れば妹の猛攻を甘んじて受けなくてはいけなくなる。
それをオーギュストに止めることなど…
………そうか。
「俺の家はどう?」
「は?」
「俺の家にオーギュストが泊まる。だめ?」
オーギュストを連れて帰れば、妹も少しはおとなしくなるかもしれない。
そしてあわよくば二人で喋っててくれないだろうか。
どうか、妹の猛攻を阻止して欲しい。
そんな思いで必死な眼差しを向ける。
「わ、分かったよ、行くって。行くから、そんなに睨むなよ」
………睨んだつもりはないんだけど。
でもこれで、協力者を得ることが出来た。
オーギュストがうまくやってくれることを祈るしかない。
果たして、オーギュストはよくやってくれた。
妹を見るや否や、女性講座で学んだ全ての作法を発揮して見事に妹をリードする。
二日間、飽きもせず容姿から何からを褒め称え続け、妹の側を離れようとしなかった。
妹も、まだ社交を経験していないこともあって歳の近い異性と関わるのは初めてであり、自分を褒めまくるオーギュストに、戸惑いつつ嫌な気はしていないようだった。
俺は今までのこいつへの認識を改めた。
オーギュスト。出来る奴。
面倒ごとが一気に解決されたことに、俺は歓喜していた。
そんな俺に、オーギュストがこそりと耳打ちしてくる。
「シド、俺がセリーヌ嬢の夫になることを許可してもらえないだろうか?」
「は?」
「頼む!こんな気持ちは初めてなんだ!あんな可憐な女性、見たことない」
ほんのり頬を染めてこれまでにない真剣な眼差しで告げるオーギュストに、思わず胡乱な目を向けてしまう。
可憐?あれが?
オーギュストの目に映る妹と俺の見ている妹は、随分とかけ離れているらしい。
それでも、二人がそうなってくれるならこんなに楽なことはない。
「別に、好きにすれば」
言えば、オーギュストは輝かんばかりの笑顔で俺の手を取った。
「良かった!ありがとう!じゃあこれから毎週末お前の家に遊びに来るから!よろしく!」
ライバルのいない今がチャンスなんだ!そう言って、また意気揚々と妹のもとへ向かった。
その言葉通り、オーギュストは本当に毎週あらゆる贈り物を持って家に顔を出し、妹との時間を過ごしていた。
妹を溺愛する父たちは初めのうちオーギュストを悪い虫だと排除しようとしていたが、そのうちにその熱意が伝わったようで、仕方なしと静観するようになった。
そしてそれから二年。
十八になった俺は、第一騎士団で王宮の警護をしていた。
ーーーそう、俺は神官の道へは進まなかった。
騎士団へ入団すると言った俺に、父も教師も何とか思いとどまるよう説得したけど俺は決して頷かず、彼らを大いに落胆させた。
だけど、女神や神子を神聖視する環境に信仰心のない俺が身を置くのは違うと思った。
卒業前に神官の見習いとして一日体験したことも大きかった。あんなまずい飯を毎日食べるなんて、冗談じゃない。
戒律で神官は甘いものを食べてもいけないなんて、ますます冗談じゃない。
そんなわけで、俺は卒業と同時に第一への入団試験を受け、合格して今に至る。
学校でトップだった剣術と攻撃魔法の組み合わせは、騎士団でも十分に使えるレベルで安心した。
一方オーギュストはそのまま見習い神官となり、つい最近見習いから昇格したところだ。
妹へのアプローチも変わらず続け、そしてとうとう婚約者の地位を得た。
男からの求婚は禁止だが、アプローチは許されている。
オーギュストのしつこいほどのアプローチに、妹もほだされたのかもしれない。
というのも、妹からはオーギュストと同じような熱量を感じないからだ。
オーギュストの訪問時も、何故か俺と三人でいることにこだわり、二人きりになることは稀だった。それでも俺の負担はかなり減ったのでありがたいと言えばありがたかったけど。
婚約式のときに、妹がチラチラと俺を見ていたのも気になった。
オーギュストへの不満を俺に伝えたかったのかもしれないけど、そんなものは本人に言えば良い。俺に言われたってどうしようも出来ない。
まあ、オーギュスト自身がニコニコと幸せ全開で、不満など耳に入っていなかったのかもしれないけど。
それでもめでたく二人は婚約し、オーギュストはヴィルフィーレ家への引っ越しを終え、結婚式へ向けての準備を進めている。
順風満帆だ。
そんな家に俺が一緒に住むのもおかしな話だろう。
なので俺はもっぱら騎士団の宿舎で寝泊まりしている。
だけど、何故か妹はそれが気に入らないらしい。
事あるごとに俺を呼び出し、何でもない時間を共に過ごそうとする。
婚約者もいるのだから、いいかげん俺をわがままを言う対象にするのはやめてほしい。
その日も、せっかくの休暇に妹からの呼び出しで家へ帰ることとなり、うんざりした思いで帰路についた。
………その後に起きたことを思い出すと、今でも苦い気持ちになる。
ああなってしまったのは、きっと俺が原因なのだと思う。
それでも俺は、どうすれば良かったのかが今でも分からない。