閑話 〜sideシド〜
ヴィルフィーレ伯爵家は、数代前に神子を娶っていて、その家の子は神子の血を引いている。
俺もその一人だ。
神子だったのは高祖母で、高祖母は曽祖母を産み、曽祖母は祖母を産み、祖母は母を産んだ。
要するに、この女性の出生率の低い世界で、神子の血を引く女性は女児を産む確率が非常に高いということだ。
だけどやはり血が薄れれば、その確率は減る。
高祖母は一人目に曽祖母を産み、曽祖母は二人目で祖母を産んだが、母は五人目にしてようやく誕生した。
血の薄まりが原因だと誰が見ても明らかだろう。
けれど他の家に比べれば驚異的な確率だ。
神子の血の流れる家系には女児が誕生する。我が家だけでなく、神子を娶った家のどことも共通するこの現象は、周りにも必然的に認知されていった。
だけどそれは同時に、女児を産むことを周囲から大いに期待されるということらしい。
神子の血を引く女性は、そういった重圧を抱えるものなのかもしれない。
俺がそう思うのは、事実母がそうだったからだ。
母は生まれつき身体が弱かった。
病気がちで、起きている時間より寝床に横になっている時間の方がよっぽど長かったという。
それでも母は、女児を産むことに関して意欲的だったらしい。俺からすれば、そうせねばと自分を追い込んでいたんじゃない?と思うけど。
母は俺を産んだとき、大層落胆したらしい。
かと言って、俺を蔑ろにしたわけじゃない。
母はよく、幼い俺を寝台に上げ、本を読み聞かせてくれたそうだ。ほとんど覚えていないが、その時間が、俺は好きだったように思う。
そんな時間は長くは続かなかったけれど。
俺が二歳のとき、母が妊娠した。
だがそのときはすでに、出産に耐えられる身体ではなかった。
父たちは堕ろすよう説得したが、母は頑として首を振らなかったという。
女児を産む。それが己の義務であると、信じて疑わなかったらしい。
果たして母は女児を産んだ。
そしてそのまま死んだ。
これが母の望んだ結果だったのか本望だったのか、俺には分からない。
二歳違いの妹は、俺によく懐いた。
幼い頃は、どこに行くにも付いて回る妹を変な生き物だと思ったものだ。
「おにいたまだーいすき」
舌ったらずでそんなことを言う妹が不思議でならなかった。
好きとは何なのか、俺にはよく分からなかったから。
妹はそれでも俺の側にいたがり、是とも否とも言ってないのに、常に近くをうろうろしていた。
そんな関係も、お互いの成長により少しづつ変化していった。
俺に付いて庭を転げ回っていた妹も、歳を経るごとにおとなしくなっていき、庭で剣を振り出した俺を、お茶をしながらただ側で見ているようになった。
何が楽しいのか、微笑みながらただ鍛錬を見学している妹が、やはり不思議でならなかった。
十三になると、俺は神官学校へ進学した。
神官学校は週の五日を学校と寮で過ごし、家に帰れるのは週末の二日だけとなる。
妹は十一になり、家で淑女レッスンを受けるようになっていたのだけど、俺の進学を最後まで反対していた。
「何故寮になど入らないといけないのです?学校に通わずとも、お兄様の血筋と魔力なら、神官になど簡単になれるでしょう?」
「なれないよ。そんな簡単じゃない」
「いいえ!お兄様なら成し遂げられます!それまでは家で勉強すればよろしいじゃありませんか」
何を根拠にそんなことを言うのか。
俺には妹の考えがまるで分からない。
妹の暴論に辟易として父たちを見るが、父たちは母の忘れ形見である妹を溺愛しているから、基本妹の味方だ。
けれど神子の血を引く俺を何としても神官にさせたいと思っているから、妹をなだめにかかる。
「まあまあセリーヌ。そんなことを言うものではないよ。四年間まるまる会えぬというものでは無いのだから」
「その通り。週末には帰ってくるじゃないか。そのときにたっぷり甘えると良い」
「そうそう。その二日間はセリーヌのわがまま全て、シドが聞いてくれるよ」
………この父は、何をバカなことを言っているのか。
「まあわたくし、お兄様にわがままなんて言ったことないわ!…でもそうね。お兄様が何でも言うこと聞いてくれるのね?それなら仕方ないわ。わたくし嫌だけど、我慢する」
俺の意思などまるで無視の会話にうんざりする。
俺たち親子の関係は終始こんな状態で、俺の犠牲と共に平和が成り立っていた。
それからの四年間、俺の週末がほぼ妹に奪われることとなったのは言うまでもない。
それでも週の五日は家のわずらわしさから解放される。
父たちの期待に反発するのも億劫で神官になることを目指したせいか、授業そのものは大して面白くもない。だけど、今まで自己流で振っていた剣を基礎から学べることはとても有意義だった。
神官はその立場上、神子との関わりが多いらしい。
何かあったとき、その身を呈して神子を守ることは神官の仕事の一つであり、その為の防衛力と対抗する力は神官にとって信仰心と同じくらい必要不可欠なものだ、と入学式に学長が言っていた。
神官学校ではその為、剣術や体術、更に魔力のある者には攻撃魔法や防御魔法などの基礎も教えてくれるのだと。
そんな中で俺は、神学や哲学や倫理など、神官になくてはならない知識面の成績は著しく悪く、逆に剣術や攻撃、防御魔法などの武力面での成績はトップという、極めてアンバランスな成長を遂げた。
そんな俺に教師も父たちも頭を抱えていたけど、まあしょうがない。
それでも最低限の知識は何とか身につけ、最終学年である十六の年を迎えたある日のこと。
その日、神殿の一室に貴族の子息が二十名ほど集められていた。皆俺と同じ十六の少年たちだ。
誰も彼も一様にそわそわと落ち着きがなく、頬を赤らめて周りとこそこそ話したりしている。
友人であるオーギュストも同じく、興奮したように赤い顔をして、椅子を立ったり座ったりと忙しそうだ。
このオーギュストという男、入学式で隣に座った縁からか、やたらと俺に付きまとうようになった何ともうっとうしい奴だった。だけどこの男はどんなに俺が無視しても、めげずに側に寄ってきてくだらない話を懲りることなく続ける。いつしか俺はこいつと一緒にいることに慣れてしまっていた。日が経つにつれ、口下手な俺の心理を、自分勝手な部分は大いにありながらも解釈してくれて、自分から喋らなくても良い楽な間柄となった。
「なあシド。俺、選ばれたらどうしよう」
オーギュストが鼻息荒く聞いてくる。
「さあ。がんばれば」
「お前は相変わらず動じないな。じゃあお前が選ばれたらどうするんだよ」
「………」
それは面倒だな。
そう思うけど、期待に胸を膨らませる友人に言うのははばかられる。なので、がんばる、それだけ言っておいた。
今日は二年に一度強制的に参加させられる女性講座の最終講義だ。
今は、およそ百人の令息たちが二十名づつに分かれ、それぞれに宛てられた部屋で待機中だ。
座学から実技まで実に面倒だった講義も今日で最後かと思うと感無量だ。…まあ、この表情じゃ誰にも伝わらないだろうけど。
ただ、最後にして最大の難関が今日でもある。
用意された椅子の前に不自然に置かれた寝台。
今日の講義はーーー
「お、おい、いらしたぞ!」
扉が開き、ざわつきが大きくなる。
現れたのはこの講義を担当する神官と、女性が一人。
その姿を見て驚いた。
目を見張ったのは、女性の肌がほんのり白光して見えたからだ。
一瞬のことだったから見間違えかもしれない。
だけど、妹含めそんな見え方をした女性は初めてだ。
「静粛に」
神官の一言ですぐにシンと静まりかえる。
「今日は講義の最終日だが…この部屋に選ばれた君たちは運が良い」
神官は一同を見渡してにやりと笑った。
「今日は神子様がいらしてくださった」
言って隣の女性に目を向ける。
文官の言葉に、驚きの声があがった。
その女性は、金の髪に青い瞳と、取り立てて珍しい色をしているわけではない。
けれど顔立ちは美しいみたいだ。その見目に、周りは浮き足立っている。
だけど俺が気になるのはそこじゃない。
神子?この人が?
……じゃあ、白光して見えたのは……
後に知ったことだが、俺はこのとき初めて、自分が神子の気配を感じることが出来る体質なのだと知った。
「今日の講義の内容はしっかり頭に入れているね?…では、講義を始めよう」
神官は言って部屋の隅に移動する。
代わりに、寝台の前に神子が立ち、俺たちを端から端までじっくりと観察するように視線を動かした。
「初めまして。私はあなたたちの講義を担当する…そうね、エイラとでも呼んでくれれば良いわ。よろしくね」
よろしくお願いします、と周りが一斉に返事をする。横にいるオーギュストの声が一番大きかった気がするのは、気のせいだろうか。
「それじゃあ、実技を始めましょう?」
目を細め艶っぽく視線で皆を見回す。
そんな表情はきっと、青少年にはたまらないのだろう。
それだけで股間を手で隠す奴らを、俺は不思議な気持ちで見ていた。
「じゃあ…」
エイラと名乗った神子は、探す風をしながら、真っ直ぐ俺の目を捕える。
「あなた、名前は?」
…ああ、面倒だ。
そう思っても、口に出すことは許されない。
「シド」
「シド、いらっしゃい」
言われて側に寄る。
エイラは俺の頬をその指で撫で、人差し指で引っ掻くように俺の唇をなぞる。
「さあ、私に口付けなさい」
エイラは、その赤い唇で綺麗な弧を描いた。
女性講座の最終講義。
その内容は、女性の身体を知りその触れ方、喜ばせ方を学ぶ実技授業だ。




