22 ビリッ。
「ウォルフさん、ウォルフさんっ」
ウォルフさんは少し意識を失っていたのか、ぼんやりと目を開けた。
「ウォルフさん、手を離してください。大丈夫、どこにも行きません。傷薬の材料が揃ったんです」
「これは…どうやって…?」
起き上がって材料の山を見て、ウォルフさんも目を見張る。
「カラクルちゃんが取ってきてくれたんです。この子天才です」
「こいつが…?」
「なあっ」
上手にお返事をして、カラクルちゃんは尻尾をゆらゆらとご機嫌そうだ。
「生成で傷薬を作ります。なので手を離してください」
ウォルフさんはわたしの手を見て、ゆっくりと離した。拘束が強かったせいか、手の跡がくっきりと付いている。
「すみません…」
「いいえ、気にしないでください。じゃあこれらを生成…」
いや、このままだと全部地面に落ちてしまう。何か器になるものは…
「そうだ、お弁当箱!」
みんながあっというまに平らげて空になったお弁当箱は、ヒューイさんがクリーン魔法で綺麗にしてくれた。ヒューイさんは攻撃魔法や防御魔法だけでなく、そういう生活魔法の研究もしているのだとか。四次元ポシェットもその過程で完成したものらしい。
ウェストポーチからお弁当箱を一段だけ取り出して、その中に薬草類を詰め込む。そして、生成、と心の中で傷薬を思い浮かべながら唱えた。
………正直、とても身体によいとは思えない茶色のドロドロが出来上がった。
これ本当に大丈夫?と思ったけど、鑑定したらちゃんと傷薬だったので、間違いないらしい。
「ウォルフさん。すみません、縛ってる布取りますね。少し痛いと思うけど…」
「待て、あんたがやる必要はない。自分で出来る」
「何言ってるんですかこんな身体で。大丈夫、薬を塗るだけです。沁みて痛いかもしれないからあっち向いててください」
「痛みなんてどうでも良い。不用意に男の身体に触れるんじゃない」
「不用意じゃないし、今は非常事態です。わたしが作った薬なんだからわたしが塗るのが筋でしょう?良いから大人しくしててください」
言って少し強引に布をほどき始めると、瞬間ウォルフさんは顔を顰めた。
「暴れると余計痛くなるので、動かないでくださいね?」
痛いだろうけど、少し膝を立ててもらって、布を取り去る。
どす黒くなった大きな傷跡に、心の中で呻いた。
こんな大怪我をしておいて、よくも正気でいられるものだ。
アルコールも除菌スプレーもないから清潔な手ではないけど仕方ない、と手で茶色のドロドロを満遍なく塗る。
あとは、清潔な布を当てて包帯を巻きたいけど…
そうだ。
「ウォルフさん、小刀か何かありませんか?」
「あるが…何に使う?」
「包帯を作ります」
「そんな布どこに…」
「良いから。…あ、これですね?」
右足のブーツに装着されている短剣を見つけ、奪う。
そしてウェストポーチと巻きスカートを取り去り、チュニックに短剣を突き立ててビリリと破く。
「っ!?…あんた何を!?」
「巻きスカートに隠れてた部分ならまだ汚れてないかなって。内側の面を傷口に当てれば、多分大丈夫だと思います」
大きめに割いた布を畳んで、傷口に当てる。
あとは包帯代わりに巻きスカートを巻くだけだ。
「待て。止めろ。それはちゃんと自分の足に巻け。そんなあられもない格好をあんたにさせたら、俺は本気で殺される」
「あられもないって…下にシュミーズ着てますよ?」
「下着だろ!?」
「大丈夫ですよ別に。足が丸見えってわけじゃないんだから」
…まあ、弱冠透けるかも…?だけど。
「良いから、もう十分だから!あとは上着でも巻きつけときゃ良い。だからそれは使うな」
「もう、しょうがないな」
ビリっ。
「!!?」
「こうやって割いた方が巻きやすいよね」
ビリビリと等分に割いていくと、ウォルフさんは愕然とした表情でわなわな震え、とうとう片手で顔を覆ってしまった。
信じられない、とか小さく聞こえるけれど、聞こえないふりをする。
ごめんなさい。でも大人しくしてくれてめっちゃ包帯巻きやすいです。
太もも全体を覆うように巻き、終わってからふう、と息を吐く。
達成感でいっぱいだ。
あとは薬の効果を信じるしかない。
消毒、抗炎症、傷の修復促進に加えて、治癒力を促す効果も書かれていたから、きっと大丈夫だろう。
気付けばとっくに日は暮れていて、辺りを薄闇が支配していた。
完全な黒でないのは、焚き火と月の明かりのおかげだろう。
カラクルちゃんも疲れたのか、側ですやすやと寝入っていた。
今日はここで野宿だ。
ウォルフさんが携帯していたパンを二人で分け簡単に夕食を済ませる。
「火は俺が見てるんで」
そう言ってわたしを寝かせようとするウォルフさんに、少し腹が立った。
「怪我人が何言ってるんですか。ウォルフさんこそ寝てください。火の番はわたしがしますから」
「あんたのおかげでもう大分良くなった。いいから早く寝てください」
「そんなに早く良くなるはずないでしょ?寝るのはウォルフさんです」
「強情だな」
「ウォルフさんこそ」
お互いに睨み合って。
どちらともなく吹き出した。
「じゃあ、寝た方が負けということで」
「ええ、負けませんから」
長い夜。不毛な闘いが幕を開いた。
翌朝。
けたたましいほどの鳥の鳴き声でわたしは目覚めた。
ーーーそう、目覚めた。
「起きました?」
耳元でウォルフさんの声がする。
「起きたなら、そろそろ離してもらって良いですかねぇ」
「…え?」
自分がどういう状態でいるのかに気付き、一気に目が覚める。
「ご、ごごごめんなさい!」
わたしはいつのまにか座ったまま、ウォルフさんの腕にすがりつきそれを枕にして寝てしまっていたらしい。
男の人にくっついて寝られていた自分に驚くけど、まずはそこじゃない。
バッと離して、平身低頭謝罪する。
徹夜で火の番するとか言ってたくせに、怪我人を抱き枕にするとか何してんのわたし!!
「ごめんなさいすみません申し訳ありません」
「いやそんなに謝らんでも」
「だってほんともう、負けませんとかどの口が言ったんだと思います!?怪我人さしおいて爆睡とか!しかも抱き枕とか!」
わたしってば、なんてやつだ!
ばかばか自分と、足をバンバン叩いていたら、ぶはっと吹き出す声がした。
見ればウォルフさんが肩を震わせていて。
「はは、すんません…ふっ、あんた…おかしな奴だな…」
一生懸命堪えようとして漏れた、そんな笑い方。
笑われているのはわたしなんだけど、心底おかしそうに笑うウォルフさんの笑顔に、なんだか嬉しくなった。
ウォルフさんはひとしきり笑うと、ひとつ大きく息を吐いた。
「ハル様」
「は、え?」
「先日の無礼な態度と言動について謝罪いたします。誠に申し訳ございませんでした」
「なんですか急に…」
急にあらたまって、どうしたというのだ。
笑った後の突然の謝罪に動揺する。
何かの冗談だろうかと軽いノリでウォルフさんを見ると、そこにはわたしの予想とは違う、後悔に揺れる瞳があった。
「俺はあなたを…傷つけたでしょう?」
ウォルフさんは後悔してる。あの夜のことを。
でも、それは違う。そんな必要はない。
「ウォルフさん、昨日も言ったでしょう?わたし、ウォルフさんに感謝してるんです」
「だがあのときあんたは…」
「わたしあのとき、全然自分に自信がなくて、みんなのことも信じきれなくて、先も見えなくて、すごく苦しかったんです」
ウォルフさんの目をしっかり見つめる。
嘘じゃない、そう伝える為に。
「でも、ウォルフさんの言葉がきっかけでクラウドさんとちゃんと話し合うことが出来て、自分を見つめ直すことが出来たんです。わたしはわたしのままでいい、そう思えるようになったんです。だから…」
にっこりと笑って。
「ウォルフさんのおかげです」
心の底から感謝しているのだと、笑顔で伝える。
ウォルフさんは目から鱗が落ちたような顔つきで、ぽりぽりと頭をかいた。
「それはつまり、俺があなたと団長たちの仲を確固たるものにした、ということですか?」
「ま、まあ、そうなりますかね…」
そうやって言葉にされるとちょっと恥ずかしい…
「それはなんとも…複雑ですね」
「はい?」
「いえ、なんでも」
ウォルフさんが何かぼそりと呟いたけど、何て言ったのか、聞いても教えてはくれなかった。
それよりも、ウォルフさんも納得してくれたようなので、これからのことを考えなくては。
「ウォルフさん、傷はどうですか?」
「ああ、それがもうすっかり」
言って立ち上がり、足を回してみせる。
「え、え?回復早すぎませんか?」
「いや俺もびっくりで。あなたの薬のおかげで間違いないと思いますよ」
え、そんな簡単な話?なんかヤバい薬だっんじゃないの!?
「いやいや、だって薬って、悪化を抑えたり自然治癒力をちょっと高めたりするだけでしょ?あの大怪我が治るなんてそんな…ちょ、ちょっと見せてもらって良いですか?」
「え?うわっ」
ウォルフさんの腕をむんずと掴んで下に引っぱり座らせる。
包帯に手をかけると、ひっ、と大げさなくらい驚くものだから、こっちもびっくりしてしまう。
別に傷口を確認するだけで無体なことしようってわけじゃないんだから、そんな声を出すのはやめてほしい。
「ハ、ハル様、離れてください…っ!」
そんな声を無視しながら無理矢理包帯を外しているとーーー
「おい、何してる」
背後から、地獄の大魔王のような低い声が掛けられた。




