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閑話④ 〜sideカイン〜

 手紙の内容は、何度も言われた父の言葉を思い出させた。


「カイン、あなたは私の真似などする必要はないのですよ」

「窮屈な思いをしてはいませんか?」

「あなたは、広い世界へいくらでも飛び込んで行けるのです」

「愛する人を見つけなさい。愛しい人と共にあれば、あなたの人生はより光り輝くでしょう」


 何度も言われた言葉だ。

 その一つ一つを、私は聞いているようで聞いていなかったのかもしれない。

 その言葉にどんな意味があるのか、終ぞ考えてこなかった。

 父は、どういう気持ちで言っていたのだろう。


 私の人生とは、一体…


「分からない…」

「何が分からない」

「……!?」


 突然かけられた声にびくりとする。

 寝ていたのではなかったのか。

 腕で頭を支え、こちらに顔を向ける青年の目はしっかりと開いていた。


「何が分からない?手紙を読んだら喜ぶか泣くかするもんだと思ってたが、お前はどんどん難しい顔になっていく。わけが分からない」

「見ていたのですか?何て悪趣味な…」

「せっかく届けものをしてやったのに相手の反応も分からないなんてつまらないだろう?」


 …何という男だ。ずっと寝たふりをしていたというのか。


「その手紙、悪いが俺も読んだ」

「………何ですって」

「悪かったと思ってる。だが、キリには良くしてもらったんだ。何とか息子に渡したいって思ったんだよ」


 手紙の内容だけじゃ息子を特定することは出来なかったが。青年はそう言って起き上がった。


「無神経なのは承知で言う。自分の人生を歩め、良い言葉じゃないか。何を迷うことがある」

「…本当に無神経ですね。それが分からないと言っているのです」

「自分の人生が分からない?親の命に従ってきたから?」

「馬鹿にしないでください!父に何かを強制されたことなど一度もありません!私が全て選んできたんです!全て…」

「なら何故そんなに虚ろでいる」

「虚ろ…?」

「ああ、空っぽじゃないか。お前」


 空っぽ。私が?


「楽しいことは何だ。悲しいことは。腹の立つことは?嬉しいことは何だ、言ってみろ。答えられないなら、やはりお前は空っぽだ」


 ………ああ、そうかもしれない。

 私の中には、何もない。


「お前の全ては父親だった。その父親を失い、お前は父親の人生をなぞれば良いと思っている。違うか?」


 ………そう、なのだろうか。

 いや、そうなのだろう。

 私は父のようになりたいと努めていたが、ただ模倣していただけに過ぎない。

 父が何故そういう行動に出るのか、その真意を理解しないまま、私はただ母や姉の言うことを聞くだけ。父の真似をしていれば、尊敬する父のようになれると信じていた。

 父の人生を生きることなど、不可能なのに。


 そんな私を、父はよく分かっていた…


「キリはお前に、自分の人生を歩めと言っている。さあ考えろ。お前はどうしたい?」

「私は…」


 私はどうしたい?

 私は、父のようになりたい。

 だが、父の生き方を模倣したとしても父のようにはなれない。

 私は私の人生を歩み、父のような誇り高い男を目指すべきだ。

 だがそれは、あの家にいなくては成し遂げられないことか?

 父はどこにいても父だった。私の尊敬してやまない父だった。

 であれば私はーーー


「私は、家を出たいと思います」


 父の背中を追う。

 それは、あの家での生活と同義ではない。


「良い顔になったじゃないか。なら一つ提案だ。俺と共にエルダー領へ行かないか?」






 その後。

 私は実家へ赴き、第一騎士団を辞めて王都を離れること、もう二度と家には戻らないことを告げた。

 事実上の縁切り宣言だ。

 案の定母と姉は怒り狂った。

 特に姉の怒りはすさまじく、自分から離れるなど許さないと、夫に命じて私を捕えようとした。

 だが、たかだか五人で私を捕らえようなどお笑い種だ。

 一人残らず叩きのめし、笑顔で別れを告げると、清々しい思いで実家を後にした。



 そうして私は父の言葉通り、広い世界へ飛び込んだ。

 実に晴れ晴れとした心持ちでエルダー領に向かった私であったが、騎士団長に就任したのがあの青年と知ったときには心底驚いた。だけでなく、後にその正体を知って更に肝を冷やしたのは言うまでもない。

 そんな私を見てニヤリとしたあの顔は今でも忘れない。


 それからずっと、私は愚直に父の背中を追い続けた。真面目に、勤勉に、自分の行動に責任を持って。

 そうしていたら、いつのまにか副団長に祭り上げられていた。雑務と団長のお守りが増えたことには閉口したが、忙しい日々は私にとって、とても有意義なものであった。

 父は今の私を、どう感じるだろう。

 一つだけ後ろめたい思いがあるとすれば、私にはやはり愛というものが分からないことだ。

 愛する人を見つけろと父は言ったが、愛を理解出来ない私に、そんなもの見つけられるはずもない。

 同時に思う。

 父は、母を愛していたのだろうか。

 愛しいとは、何だろう。





 エルダーに身を置いて五年ほど経ったある日、この辺境に突如として神子が降臨した。

 王都でも避けに避けてきた女性の登場に、私はどうしても苦い思いを拭えなかった。

 面倒なことだと、心の底から思った。


 だが、身に付いた習性というものは恐ろしい。

 姉のときと同様に、顔に出さず丁重に扱うことの出来る自分がいる。

 うんざりしつつそれはおくびにも出さず、丁寧にもてなした。


 関わりたくはないが、立場上それは叶わない。

 そう思っていると、団長から呼び出しを受けた。


「お前、外れても良いぞ」

「何のことですか」

「ハルのことに決まってる。女は苦手だろう」

「苦手ではありません」

「嘘つくな」


 嘘ではない。

 苦手なのではなく、母や姉を思い出してしまうだけだ。


「今は第二騎士隊と広魔隊が魔の森に、第三騎士隊は国境警備に入っています。隊長クラスの人間は私たちしかいないのですよ。私が抜けたらリアドとシドの負担が増えます」

「じゃあ俺が…」

「団長のあなたが?あなたにしか出来ぬ職務が腐るほどあるというのに?」

「うっ…それは、お前たちも一緒じゃないか?」

「リアドたちは副隊長に指揮を任せれば良いだけですし、私は直接隊を持っていません。私の仕事は主にあなたのお守りなので、お守りの対象が変わるだけです」

「お前…こっち来てから毒舌に磨きがかかってないか?」

「開放感からでしょうか。ありがとうございます、あなたのおかげです」


 にこりと笑って執務室を後にした。

 面倒なことではあるが、神殿から迎えが来るまでの話だ。

 彼女は行きたくないと言っていたが、騎士団での不自由な生活を経験すれば自ずと行きたがることであろう。

 それまでの我慢だ。



 だが、私の予想は大きくはずれた。


 神子…ハルは、私の知る女性とは悉く違っていた。

 まず、敬称をはずせと言う。

 そして感謝や謝罪の言葉を口にする。

 甘えてこないし、怒りもしない。

 男を気遣い、率先して動こうとする。


 最初に何か手伝いたいと言ったときは私たちを翻弄する罠かと思ったものだが、本心であったらしいと、しばらく後に気が付いた。


 要するに、私は混乱していた。

 いつか化けの皮が剥がれるのではないかと恐ろしくもなった。

 しかしハルは、いつになってもそんな片鱗を見せることはなく、ことあるごとに何か出来ることはありませんかと聞いてくる。

 お疲れ様と笑顔で迎えてくれる。

 些細なことにありがとうと言われると、くすぐったいような不思議な心持ちになる。

 その顔を見ていると、こういう顔を可愛いというのだなと思えてきて、何故そう思うのか不思議で仕方なかった。


 私はいつのまにか、ハルへの苦手意識を失くしていた。



 その日。


「カインさん、腕の釦が取れそうですよ」


 言って隊服の袖にある飾り釦を指差した。

 見ると確かに、ぶらぶらと心許ない糸で辛うじて引っかかっている状態だ。

 朝には気付かなかったので、ここに至るまでのどこかで引っ掛けたようだ。


「上着脱げますか?同じ糸はないけど、似たような色で良ければ縫いますよ」


 ハルはそう言って机の引き出しから小さなポーチを取り出し、中から針と糸を取り出した。

 私たちの誰も、用意した覚えのないものだ。


「これは…こんなもの、どこで入手したのですか?」

「?…ああ、針と糸ですか?針はこっちに来るとき付けてたヘアピンで、糸は着ていた服をバラしたものです。生成で簡単に出来ましたよ」


 さらりと言われた言葉に、愕然とした。

 自分の私物を、ましてやもう手に入れることの出来ない異界の服をバラしたと言うのか。


「何故…言ってくだされば針も糸も用意したのですよ?いえ、そもそも女性が繕いものをするなど…必要なら私たちに命じればよいものを」

「え?皆さん縫い物出来るんですか?剣も扱えて細かい作業も出来るなんて、すごいですね」

「男であれば当然です。ハルこそ、そのような技術をどこで」

「義務教育で習うんですよ。私の場合は役に立つことが多くて、必然的に得意になった感じです。ということでカインさん、脱いでください」


 はい、と手を差し出され、何度も遠慮したがまあまあと促され、渋々上着を脱いで渡した。

 どのような腕前なのかと恐ろしかったが、見ると器用に針を刺している。


「頂いたワンピースを引っ掛けてしまって、針と糸が必要だったんです。聞かなかったのは、まさか男の人ばかりの騎士団にそんな道具があると思わなくて。でも考えてみれば、絶対ありますよね」

「そのような理由で…縫わずとも新しい服を用意しますのに」

「そんなもったいない。縫ったら着られるんだから縫えば良いじゃないですか。別に大変でも何でもないですよ?」


 壊れたら新しく用意する。

 女性への対応はこれが正しかったはずだ。

 もったいないなどと、聞いたこともない。


「何だったらここで繕いもの工房でもやりましょうか?騎士さんたちのほつれた服とか、持ってきてくれれば縫いますよ。糸は用意してもらうことになりますけど」

「またあなたは何を…女性が働くことは出来ないと申し上げたでしょう?」

「仕事じゃなくてボランティア…慈善事業なんですが…まあ、だめですよね、はい」


 納得してるのか否か、唇を突き出してうんうん頷く表情を見て、思わず笑みがこぼれた。

 ハルの作る表情は、私の知る女性のどの表情とも違う。

 表情豊かだが、女性特有の庇護欲を掻き立てる表情であったり、蔑むような笑顔であったり、怒りに眉を吊り上げたりといった表情はしない。

 ときおり寂しげに笑うのが気になるところではあるが、基本は笑顔で、たまにこぼれ落ちそうなほど目を丸くして驚いたり、眉を八の字にしてしょんぼりしたり、怒るときも頬を膨らませてムスっとするくらいだ。それもすぐに苦笑に変化する。

 ハルの色んな表情を見る度に、何故か私も笑顔になる。

 彼女の満開の笑顔を見ると、胸が締め付けられて落ち着かない気持ちになる。


 これは、母や姉とあまりに違うことへの戸惑いから来ているのだろうか。


「はい、出来ました」

「ありがとうございます。どうお礼を言ってよいか…」

「大げさですよ、大したことじゃないです」

「いいえ、尊い神子様にこのようなことをさせるなど…なんと罪深いことでしょう。女神様はどう思われていることでしょうか」

「だから大げさですってば!カインさんみたいな美人さんに憂い顔でそんなこと言われたら、本当に何か起こりそうで怖いじゃないですか」

「本当にそう思っておりますので」

「ええー…カインさんって、そのお顔でその話し方だから、言ってることにすごく真実味があるんですよね…」


 胡乱な目で見つめられる。そんな目で見られるのも初めてだ。


「カインさんって、昔からそういう話し方なんですか?」

「そう…ですね。物心ついたときには」

「自然とそんな話し方に?」

「ええ。……私の父がこういう話し方だったもので…」

「カインさんのお父さんが?」


 へえ、とハルは興味を向けてきた。


「お父さんって、どんな方なんですか?」

「父、は…」


 父は、どういう人か。

 私にとっての父とは。

 話せるか?うまく…

 言い淀む私に、ハルは慌ててパタパタと手を横に振りだした。


「あ、ごめんなさい、何でもないです」


 気にしないでください、と裁縫道具をしまいにかかる。

 言い淀んだ私を、どう解釈したのだろうか。


「いえ、話したくないわけではないんです。どう話そうか考えていただけで…」


 ハルは手を止めて、じっと私を見た。

 その真っ直ぐな眼差しはいつかの団長を思わせた。だが団長のように心の内を覗くのではなく、注意深く窺うような、気遣いのある眼差しだ。


「無理しなくて大丈夫ですよ。不用意に聞いちゃってごめんなさい。私の世界でもそうだったけど、家族って一言では言い表せられない色んな面がありますよね。家族だからこそ、楽しいことも辛いこともありますもんね」

「色んな面…」

「カインさんが話したいときに教えてください。お父さんのこと」


 そう言って笑うハルの笑顔に、涙が出そうになった。ぐっと飲み込んで何とか堪える。


 聞いて欲しい。少しだけ。


「父は、私が尊敬してやまない人です。私を私たらしめたのは、間違いなく父です。優しくて、穏やかで、信念を曲げない強い人でした」

「……」


 過去形で話したことに、気付いただろうか。


「父の言葉を胸に、私はここに来ました。けれど私はまだまだ不甲斐なくて。父に胸を張れる姿は見せられていないのですよ」


 苦笑すると、ハルもにまりと笑って、


「その年で完璧だったら、お父さんもタジタジですよ、きっと」


 冗談のように返されて、やっぱり笑ってしまった。


「でも、カインさんのお父さん像が何となく見えてきました。カインさんを見ていたら分かります。カインさんはお父さんが大好きで、カインさんもお父さんにとっても愛されていたんですね」


 そう言われて、ハッとした。

 ーーー愛されて?

 私が、父に?


「愛…?」

「?ええ、はい」


 愛とは。父の言う愛とは。

 父に愛されていたのは…?


「愛とは…何でしょう…」

「え、急に哲学?」


 苦手ですよ、私。そう言って顔を仰け反るハルに、逆に顔を近付ける。


「あなたは、愛とは何だと思いますか?」

「あ、愛?というのは、えーっと………だめだ、愛が一番って頭で流れ出した」

「ハル、教えてください」

「ええ?んーと、愛って、いっぱいありますよね?恋愛とか家族愛とか友愛とか、あ、ペット愛とか?私も恋愛とかはよく分からないですけど、愛にも色んな形があるから、カインさんが愛だと思えば、それが愛なんじゃないですか?」


 知らんけど、と投げやりに言う。


 ………私が愛だと思えば…?


「…私は、父に愛されていたのでしょうか…」

「だからそう言ったじゃないですか。間違いないですよ」


 そうなのだろうか。

 私が父から与えられたものは、愛だったのだろうか。私がそうだと思えば、それは愛になる?


 ーーーそうかもしれない。

 父のあの笑顔は、愛だった。

 私の頭を撫でるあの手も、愛だった。

 私にくれた言葉も、あの手紙の内容も、父からの愛が溢れていたに違いない。


「え、カインさん?え?ええ?」


 ハルが慌てて浴室に向かい、タオルを持って戻ってきた。

 私の顔に押しつけるように渡してくる。


「これは?」

「拭いてください、これで!何だかよく分からないけど、全部出しちゃいましょ!」


 言われて初めて気が付いた。

 いつのまにか私は、涙を流していたらしい。

 自分でもただただ驚いた。

 でもこれは、あの家を飛び出したときに流したものとは違う。

 嬉しいと、幸せだと、人は涙が溢れるのだと知った。


「もう大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 言って笑ってみせるが、ハルはそれでも心配そうな顔を崩さない。


 泣いたせいか、その顔がキラキラと見える。

 憂いげなその瞳も。きゅっとすぼめるその唇も。腕の中にすっぽりと覆えてしまいそうなこの小さな身体も。

 全てがキラキラと、可愛くて。


 そのとき、唐突に理解した。

 愛とは何か。愛しいとは何か。




 愛しいは、


 今私の目の前にいる。


 



カイン過去編完結しました。

お付き合いいただきありがとうございます。

次話から本編に戻ります。

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