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閑話③ 〜sideカイン〜

「これは坊ちゃん。こんな時間にどうされました?」

「母上はどこです」

「へ?」

「母上は!どこにいるのです!」

「お、お部屋にいらっしゃいます!」


 大股で階段を上がり、乱暴に扉を開けると、そこには既に寝る体制に入ろうとする母と、いつもの父二人がいた。

 香を焚き、二人の父から身体を揉みほぐされ夢現だった母は、大きな音に飛び上がり、入ってきたのが私だと知ると顔を真っ赤にして怒り狂った。


「カイン!あなたどういうつもり!?こんな時間に、ノックもせず!わたくしの睡眠を妨害するだなんて、あなたはわたくしを殺す気なの!?」

「大変申し訳ございません。どうしてもお尋ねしたいことがあり、このような時間にお邪魔いたしますことどうぞご容赦ください」


 扉を蹴破る勢いで入ってきたにも関わらず、無表情で淡々と話す私を不気味に感じたのか、母は少しトーンダウンしたようだ。


「何なの一体。くだらないことだったら承知しないわよ」

「承知しております。…母上、私思うところがありまして、今朝キリアン父上の墓を暴いたのですが」

「は?」

「そこには父の骨一つなかったのですよ。どういうことか、ご存知でしょうか?」

「……墓を暴いたですって?」

「ええ」

「あなた、正気なの?何て罪深いことを…」

「もちろん、天罰を受けることは覚悟の上です。それにしてもおかしいでしょう?父上はどこに消えたのでしょう?」


 私が首を傾げると、母はスッと目を逸らした。


「さあ、わたくしは知らないわ」

「ではジェフリー父上、何かご存知ですか?」

「わ、私か?い、いや、わ、私は何も知らない」

「…へえ…では、モーリス父上はいかがです?」

「何も、何も知らん」


 とぼけ方の何と下手くそなことか。

 ある意味とても素直な人たちだと、おかしくて笑ってしまう。


「父上の遺体は発見されなかったのですね?そしてあなた方は、父を捜索しなかった」


 母はふんとそっぽを向くだけだが、二人の父は目に見えて顔色が悪くなる。


「ご存知ですか?父上はあの後奇跡的に命を取り留めていたのですよ」

「なにっ!」

「まさか!」


 驚く二人の父とは対照的に、母は目をぱちくりとさせた。


「あら、本当に?なら何故帰って来なかったの?あの人がいないおかげでわたくしがどれほど困ったか…生きているなら連れてきてちょうだい。お灸を据えてやるわ」


 グッと拳に力が入る。爪が刺さっているが、気になどしていられない。少しでも力を抜けば、この人を掴み上げてしまう。


「…父上の捜索をしないと指示したのは、母上ですか?」

「ええそうよ。だって崖から落ちたのでしょう?生きているはずないと思ったのよ。死んだ者をわざわざ探す必要があって?」

「ではあの墓は…」

「それこそわたくしの慈悲から作ってあげたのよ。感謝して欲しいくらいだわ」

「私は、あの墓の下に父がいると信じて疑いませんでした…一言でも遺体が発見されなかったとおっしゃってくだされば、私は父を探しに行けたのです…!」

「だからこそよ。あのときのあなたの仕事は領地を守ることでしょう?そんな無駄なことに時間を割かれたらたまったものではないわ」

「……っ」

「それに、結果あの人は助かったのでしょう?だったら別に何の問題もないのではなくて?」

「……父上は…その半年後に亡くなったそうです」

「あらそうなの?だったら別に探そうが探すまいが結果は同じだったじゃない」


 今更蒸し返して何なのよ、と面倒そうに言う。


 ああ駄目だ。もう無理だ。

 もう、限界だ…!


 ふらりと踵を返す私の後ろ姿に、母は何なのよ一体!とまたキーキー怒り始めたが、これ以上その姿を視界に入れることは出来なかった。


 ふらふらと廊下を歩いていると、前から姉がやってきた。


「なんの騒ぎかと思ったら、あなただったの?」

「申し訳ありません…」

「素直ね。まあいいわ、カインちょっといらっしゃいな」

「申し訳ありません姉上…今日は…」

「付いてきなさいと言っているのよ」


 これ以上ないくらいに疲れている。身体も、心も…

 それでも私には、姉に逆らう選択肢がない。


 連れていかれたのは姉の部屋だった。

 姉の世話も夫がするようになった為、この部屋を訪れるのは久し振りだ。

 促されるままソファに座ると、姉は何故か隣に座り、私の髪に手を伸ばした。


「やっぱり綺麗ね」


 うっとりと髪に指を通すその様子に、嫌な予感がしてならない。


「わたくしはこの色を手に入れることは出来なかったけれど、わたくしの子が引き継いでくれれば、きっと満たされると思うの」

「………はい?」

「わたくしどうしても、この色が欲しいのよ」

「欲しい…と言われましても…」


 いつのない距離の近さと、普段の刺々しさを隠した甘ったるい声。

 何を…何を考えている。


「どれだけ探しても、あなたと同じ色を持った男がいなくて困っているの」

「そんなことは…王都で何人か見かけたことがあります」

「あなた、わたくしに平民と結婚しろと言うの?冗談じゃないわ。貴族の中にも何人かいるけれど、どいつもこいつも既婚者なのよ、忌々しい。……だからもう、あなたしかいないの」


 そっと腕に寄り添ってくる姉にゾッとする。


「姉上、落ち着いてください」

「わたくしは冷静よ。さすがにあなたを夫になんて言わないわ。だからカイン」


 それ以上、言ってはいけない。



「わたくしの愛人になりなさい」








 気付けば家を飛び出していた。

 とても正気で家になどいられなかった。


 ーーー歪だ。とても歪だ。

 この家は歪んでいる。

 この家の者全員がぐにゃりと歪んでいる。

 私は、己の平衡を保てず、どちらを向けば良いのかも分からない。


 宿舎へ戻り、胃の中のもの全て吐きだした。

 と言っても昨日から何も食べていない。出るのは胃液だけだ。それでも吐き気は止まらなかった。


 ようやく治まってから、目の前の鏡を見る。

 涙や何やらでぐちゃぐちゃの顔がそこにあった。

 酷い顔だ。この顔を見れば、姉も考えを変えるのではないか。


「ふふ」


 おかしくもないのに笑いが込み上げる。

 同時に涙も出る。


 私はこれから、どうすれば良い。

 父上、どうすれば…



 コンコン。

 部屋の扉が叩かれた。

 もう夜中だ。こんな時間に部屋を訪れる者など心当たりがない。

 顔を拭き、剣の柄に手を当てながら聞く。


「誰です」

「俺だ」


 俺という名に覚えはないが、声で誰かは分かった。


「何の用です」

「とりあえず開けてくれないか」

「何故」

「疑り深い奴だな。渡したい物があるんだよ」

「……少しお待ちください」


 明らかに泣いたと分かる顔で出ることには抵抗がある。

 顔を冷水で洗って冷やしつつ、ついでに頭まで濡らし、上着も脱いで風呂上がりを演出する。

 …まあ、そんなことをしたところで分かってしまうだろうが。


「お待たせしました」


 扉を開けると、昨日会ったばかりの顔がそこにあった。

 青年は例の目で私を見るが、すぐに視線を外しズカズカと部屋に入ってくる。


「ちょっ…」

「邪魔するぞ」


 許可なく侵入し、あげく寝台にどかりと腰を下ろす様はあまりに尊大な態度に思え、今現在のぐちゃぐちゃな感情もあいまって、腹立ちが抑えられない。


「何故入るのです!さっさと要件を済ませて出て行ってください!」

「せっかく届けものをしに来てやったのに何たる言い草だ」

「だったら早く渡してください!」


 仕方ないな、と青年は懐から一通の手紙を差し出した。


「これは…?」

「お前の父親から、お前へ」

「父上から!?」


 ひったくるように手紙を受け取り、宛名を確認する。

 名前は書かれていない。

 息子へ、それだけだ。

 それでも私には分かった。この筆跡は父の字で間違いない。私の知る、几帳面で整った以前の文字とは違い、弱々しく控えめな筆跡であるが、これは間違いなく父の字だ。


「本当は昨日渡そうと思ってたんだ。それをお前は、何も言わず去りやがって」

「申し訳ありません」


 惰性で返事をしておき、封筒から中を取り出す。

 が、読もうとして、目の前の青年が邪魔になった。

 要件は済んだはずだ。いつまでいるつもりなのか。


「届けていただきありがとうございました」

「ああ」

「もうこんな時間なのでお引き取りください」 

「なんという奴だ。こんな時間にも関わらずわざわざ大事なものを届けた俺を、追い出すつもりか?」

「ええ」


 芝居じみた声で、なんという奴だ、と繰り返し、青年は靴を脱いで足までしっかりシーツを被った。


「お前の屋敷とここを行ったり来たりして疲れた。このベッド借りるぞ」


 言って寝る体制に入る。

 冗談みたいなやりとりに唖然としたが、そんな暴挙を許すわけにはいかない。

 さっさと寝台から追い出そうとシーツを捲り上げたが、青年は驚くことに既に寝入っていた。

 信じられない寝入りの早さに愕然としながら、声を掛け、身体を揺さぶり、あげく蹴飛ばしてもみたが、起きる様子はない。


 どうしようもない現状に頭を抱えるしかなかった。

 何故今日なのだ。

 私は疲れている。どうしようもないくらい疲れている。

 せめてこの部屋でくらいは、ゆっくり休みたかった。だというのに。


 深いため息を吐いて、ずるずると床に座り込んだ。もう立っているのも辛いのだ。


 ーーー手にある父からの手紙を見つめる。

 …何と書いてあるのだろう。


 恨み言でもおかしくはないと思う。

 私は父を見つけることが出来なかった。

 母たちの言葉を間に受け、居もしない墓に祈りを捧げ、父の死に目にも立ち会うことの出来なかった愚か者だ。

 そして何より、私は結局、父のようにはなれなかった。


 ………意を決して、震える手で手紙を開く。





 ーーー果たしてそこに、恨み言など一つも書かれていなかった。ただただ、私との思い出が何よりの幸福だったと書かれていた。

 剣の訓練をしたこと、勉強の合間に庭の芝で寝転んだこと、共に領地へ赴いたこと、馬で森を駆けたこと…


 それだけではない。

 私を不自由にしてしまったこと、自分がいないことで大変な苦労をさせてしまったこと、閉塞感を感じながらそれに気付けぬ私を救ってやれなかったこと、愛とは何なのかを教えてやれなかったこと、そんな言葉が、後悔として綴られていた。


 そして最後に。


 私は私の人生を歩んで欲しい。


 そう、締めくくられていた。




またもや完結出来ず…長くなり申し訳ありません。

次話で完結します。

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