閑話② 〜sideカイン〜
その日、私は焦っていた。
領地でトラブルがあったらしいと報告を受けたのは大会の始まる直前で。
よっぽど棄権しようかと思ったが、父は毎年、この試合を観戦することを楽しみにしていた。
昨年は父の死と重なり出場出来なかった為、今日は騎士となって初めての実戦形式での試合だ。
ーーー父の前で華々しく優勝することが夢だった。
今父はいないが、ようやくその機会が巡ってきたのに棄権するなど、やはり考えられない。
であれば、最速で終わらせるしかない。
最速とはもちろん早々に負けることではなく、圧倒的速さで相手を討つことである。
一回戦二回戦と、余裕で圧勝出来た。三回戦四回戦も、危なげなく勝つことが出来た。
自分の中での最速で進めていると思う。
だが、準決勝はそういうわけにいかなかった。
試合相手である公爵令息は、飄々としているかと思えば大胆で、かと思えば繊細な剣捌きで私を翻弄した。
それでも、負けられない理由が私にはある。
父との鍛錬を思い出し、父をも唸らせた技をかけ、辛くも勝つことが出来た。
公爵令息は何か言いたげであったが、私に話している余裕などない。早々に試合場を後にした。
そして決勝戦。
相手は私より更に一つ年下の少年で、しかも第一にも第二にも所属していない。おそらくどこかの貴族のお抱え騎士か、その息子なのだろう。
それでも彼の今までの試合を見る限り、圧倒的強さで決勝まで上りつめていた。
彼は強い。簡単にはいかないであろう。
ーーー結果はまさしく、私の負けで終わった。
小柄な身体のどこにこんな力が。そう思うほど彼の剣は強く、重く、かつスピードも兼ね備えていた。少しづつ、じりじりと追い詰められ、最終的に首筋に剣を突きつけられて、私は降参をよぎなくされた。
同年代に負けるなど、初めてのことである。
呆然と少年を見ていると、手を差し出されたので反射的に握ってしまった。
わっと今大会一番の歓声が上がった。
少年は綺麗な翡翠の瞳をしていた。
だがその瞳でまっすぐ見つめられると、私の内を覗かれているような、妙な感覚に陥る。
たまらず視線を逸らした。
「似ているな」
少年はぼそりと呟くように言った。
「…は?」
「いや、お前のその色、どこかで見た覚えがあるなと」
この髪と瞳の色は、確かにこの国では珍しいが、別に全くいないわけではない。
どこかでそんな人を見かけたとしても不思議ではないだろう。
「そうですか」
私はそう言って手を離すと、少年に背を向けた。
表彰式も辞退し、急いで領地へ向かう。
幸いトラブル自体は大した問題もなく、速やかに処理することが出来た。
思っていたよりずっと早く終わったので、私はその足である場所へ向かった。
ーーー父の墓である。
領地にあるこの墓には、こういうときでないとなかなか来ることが出来ない。
白のカーネーションを供え、私はそこで小一時間ほど、ただボーッと立っていた。
父は、安らかに眠れているであろうか。
私を不甲斐なく思っているのではないだろうか。
私にはどうしても、父のような心根で家族を想うことが出来ない。
こうして父の墓参りに来るのが私だけであることに、憤りを感じてしまう。
あの人たちは、何故!そう思う気持ちがどうしても拭えない。
私は弱い。とても、弱い。
それから五年のときが流れ、私は二十一になっていた。
姉は無事結婚し、夫の数を順調に増やしている。
私のつなぎとしての役割もほぼ完了し、騎士の職務に集中することが出来ていた。
家との関わりが減ってきたことに、正直ホッとしている自分がいて、それを自覚する度苦い気持ちになる。
時間に余裕が出来てくると、騎士仲間から遊びに誘われる機会が増えた。
だが誘われるのは大体女性との出会いを求めるような場所が多く、私は辟易とした思いで固辞し続けていた。
私にとっての女性とは、母であり、姉である。
彼女たちへの使いや世話も今ではかなり減ってはきたが、未だに些細な要件で呼び出しを受けては、我が儘を言って私の心労を増やしている。
そんな状態で別の女性と出会いたいなどと、誰が思うものか。世話する者が増えるだけだ。
そういうわけで、私にはどうしても女性がよいものとは思えず、出来る限り避けて生きてきた。
後に運命の出会いがあるなどと、このときの私は露ほども思っていなかった。
剣技の大会では、あれ以降必ずといって良いほど決勝であの謎の少年…いや、今では立派な体躯となった青年とぶつかり、二度勝ち、二度負けた。初めての試合を合わせてもまだ負け越している。次は絶対に勝利し、引き分けに持ち込まねばならない。
そんなある日、私は思わぬ場所で謎の青年と出会した。
その日私は、父の馬車が崖崩れに巻き込まれた場所を訪れていた。
山の中腹を通る砂利道は舗装されておらず、防護柵もなされていない為、上から岩が降ってきてはひとたまりもなかったであろう。
馬車ごと崖下へ投げ出された父を思い、胸が痛む。
本来であれば領地へは、平坦な街道だけで向かうことが出来る。
けれどあの日、父はこの道を選んだ。この道の方が早く領地へ着けるからだ。
理由は後に知れた。
父は、母が夜会で着けるブローチを取りに行ったのだという。
領地へ避暑に行った際忘れたブローチを、二日後に迫った夜会にどうしても着けていくのだと、母は頑として譲らず、父はどうにか間に合わせようとこの道を選択し、事故にあった。
使用人がこっそり打ち明けてくれたときには、衝動的に怒鳴り込みに行くところであった。周りが必死に止めてくれたので何とか踏みとどまれたが、あのときにはもう、私は父のようにはなれぬと諦めが付いていたのかもしれない。
崖下には川が流れており、その先は小さな滝になっている。馬を繋ぎ、徒歩で山道を下り滝を見上げる。
水の勢いはさほど強くないが、その下の滝壺はかなり深いのか底が見えない。昔は水量が今よりあったのだろう。
父は馬車の中から発見されたと父たちは言っていたが、もし馬車から投げ出され川に流されていたら、この滝壺から父を見つけ出すことは出来なかったかもしれない。そう考えると、少しホッとする。
そんなときだった。
「お前…」
声を掛けられ、ハッと振り返る。
人の気配など感じなかった。感じないまま後ろを取られたことに驚愕する。
そしてそこにいた人物を見て、更に驚いた。
「あなたは…」
何故、こんなところにあの謎の青年がいるのか。思ってもいなかった遭遇に、驚き戸惑う。
「何故ここに?」
私が聞くと、それはこっちの台詞だ。そう言いつつ返してくれた。
「この近くに知り合いの家があるんだ。お前は?」
「私は…」
尋ねておいて何だが、こんな得体の知れない相手に父の話をしようとは思えない。
何と言おうか考えあぐねていると、やたらと私の顔をジロジロ見る青年と目が合った。
例の、見透かすような目だ。
「やっぱり似てるな」
「…何がです?」
「いや、あのときはただ色が似てると思っただけだが…この場所でお前を見てると、ますます似てる」
「だから、誰と似てると言うんです」
何の話をしているのか分からず苛立ちが募る。
「お前、この上で馬車が崖崩れに巻き込まれた事故を知ってるか?」
「!?何故あなたがそんなこと知っているんです!」
「やっぱりお前の身内か」
「誰と…まさか…!」
「お前、ちょっと付いてこい」
そう言って青年は私の答えなど聞かず、踵を返してスタスタと歩き出した。
山道を私が来た方向とは逆に登り始める青年の後を追いながら幾度となく質問を繰り返したが、行ってから説明するとしか返してくれず、黙って付いて行くしかなかった。
それなりの急斜面を登りながら行くと、やがて木々が途切れ視界が開け、その先に小さな小屋が現れた。木こりの家かと思ったが、入口に診療所という看板が下げられている。
小屋の前には小さな畑があり、そこで中年の男が屈んで収穫をしていた。
「よう」
青年が声を掛けると、男は目だけでこちらを見やり、ああ、と返してまた収穫に戻る。
何とも愛想のないことだが、青年が気にする様子はない。
青年はそのまま小屋を素通りし、裏手に回った。
小屋の裏には小さな野原があって、そこには大きな石が等間隔に並べられていた。その一つの前に立ち、青年は言った。
「この下にいるのが、お前の父親だ」
ーーー何を。
「あの事故があった日、滝の側で男を発見した。恐らく川から落ちてきたのだろうが、滝壺に潜り込まなかったことは奇跡だった」
淡々と続ける男の話は、耳では聞こえてくるが理解が出来ない。現実のものとも思えない。
何の話をしているのだ。
「まだ息があったから診療所に運び、処置をした。生死をさまよっていたが、三日後に意識を取り戻した。大怪我で身体を動かすことは出来なかったが、意思の疎通は出来たから何があったのか尋ねた。崖崩れに巻き込まれて馬車ごと転落したのだと言った。俺はすぐに事故現場に向かったが、そこには残骸を片付ける農夫がいるだけで、馬車の持ち主を尋ねても、農夫たちは金を渡されて片付けを命じられただけだから、どこの誰かは分からないと言う。戻って男に伝え、家名を聞いたが、事情を知った男はただ笑うだけで答えなかった」
そこで一度、青年は大きく息を吐き出した。
ただ聞き入るばかりだった私は、ハッとして声を荒げた。
「それが私の父だと?そんなはずはない!」
「まあ最後まで聞けよ」
私をいなすように手で制し、青年は続ける。
「滝には男の鞄も流れ付いていて、中には金貨が入っていた。男はそれをおっさんに見せて、しばらく入院させて欲しいと言った。まずは家を教えろと言ったが、頑なに教えない。おっさんは仕方なく、金を受け取って男を診ることにした」
「だが、男の容体は良くならなかった」
青年とは別の声が、後ろからかけられた。
先ほど畑にいた男だ。青年の言うおっさんとは、この男のことか。
「男はキリと名乗った。聞き覚えは?」
「……」
キリ…キリアン…
先程から、父である可能性しか出てこない。
そんなはずないのに。
「とても礼儀正しい奴だったよ。どこぞの貴族であることは間違いなかった。キリは病を抱えていた。怪我は治ったが、病は手遅れなほど進行していた。本人も承知の上で、余命宣告も受けていたらしい」
「そんな…」
「いい奴だった。息子がいると言っていた。大事な息子だと。なら連れてくるから家を教えろと何度も言ったが、その度に首を振られる。これ以上息子の負担を増やしたくはないと。息子は自分のせいで大変な苦労を負っている。自分にはこういう生き方しか出来なかったが、息子は違う、苦しい道を歩ませてしまったのは自分の責任だと」
「何を…そんなこと…!」
「キリはうちに来てから半年後に死んだ。最後に息子の名を呟いていた。カインと。お前の名か?」
…そんなはずはない。そんなはずはない!!
父は、事故で死んだのだと!母たちは言っていたではないか!
その後も生きていたなら…私は父の死に目に立ち会えたというのか…?
…そんなはずは…
青年の前にある石を見る。
“キリ”
そう刻まれている。
嘘だ。違う。そんなはずはない。
これが父の墓だと言うなら、領地にあるあれは何だ。
母たちは葬儀を済ませてあそこへ埋葬したのだろう?
父が、こんな場所に眠っているはずなどない!
私は青年たちに背を向け走り出した。走って走って、馬を繋いであった場所に戻ると、そのまま領地まで夜通し駆け抜けた。
朝方に辿り着き、朝露で濡れた墓地を闊歩して父の墓の前まで来ると、墓石を力いっぱい押す。かなりの力が必要だったが、やがて鈍い音と共に石が動き、その下が顕になった。そしてーーー
そこに、父はいなかった。
すみません…
終わりませんでした…




