9 じゃあ、わたしのせいじゃん…
このままではいけない。
甘えることにこれ以上慣れてはいけないのだ。
わたしは奮起した。
“神子”であること以外の価値を、なんとか作らなければならない。
そうだ、わたしのスキルが使えるのでは?
わたしが作った調味料で、この領主館と騎士団では料理のプチ革命が起きている。
たくさん生産して売るとかどうだろう?
うまくいけば、わたしが表に出なくても収入を得られるようになるかもしれない。
夜、クラウドさんと二人になったときにそう提案したら、にべもなく一蹴された。
「無理だ」
クラウドさんの返事は容赦ない。
「一人で出来ると?」
「そりゃ、材料の確保とかはお願いしなきゃいけないから、そういうツテを教えてもらえたら…」
「駄目だ。他の男と接触させられない」
「で、でも、騎士団の領にいた頃は料理長さんとお話させてもらったりとか、他の騎士さんとも少しは話したりしてたでしょ?」
食材を譲ってくれるよう、料理長さんにはわたしから直接お願いさせてもらってたし、基地内を歩くときはすれ違う騎士さんと挨拶を交わしたりもしていた。
クラウドさんは腕を組んで眉間に皺を寄せる。
「あのときは結婚していなかったから仕方がない」
「既婚女性は他の男の人と喋っちゃダメなの?」
「そうじゃない!そうじゃなくて俺たちがっ!!………悪い。……怖かったか?」
「だ、大丈夫」
大きな声に無意識に身体がびくりとして、それに気づいてクラウドさんはすぐに声のトーンを落として謝った。けれど、髪をくしゃりと掻きむしる姿はとても苛立たしげだ。
「仮に俺たちが食材を揃えて、販売出来るだけの個数をハルが作れるとしても、どうやって売る?売るのだって、どうあっても商人を介さないといけない。運搬や金勘定の出来る者を雇う必要も出てくる。必然的にそういう奴らを屋敷に出入りさせなきゃならなくなるんだ。そんなんじゃお前の身の安全が保証できない」
「………」
ぐうの音も出ない。
「確かに思いつきだけで提案してしまったけど、そんなに全否定しなくても…」
「ハルが自分の利益のために言い出したんじゃないことは分かってる。今までだって何かにつけ手伝うとかやることないかって聞いていたしな。どうせ俺たちのためにとか恩返しとか思ったんだろ?だが、その提案は無理だ。調味料の作り方を教えて他の者に託せるなら話は別だが、そうではないだろう?」
「そうだけど…」
「ハル、分かってくれ。お前を危険にさらすようなことは許可出来ない」
「……分かりました」
いつになく強い口調に、もう絶対に無理なのだなと思い知らされる。
せっかくこんな能力があってもみんなの役に立てないのであれば意味がない。そう痛感して落ち込む。
他の神子さんたちはどんな能力を持っているのだろう。きっとわたしよりも役に立つ有益な力を持っているのだろう。
「そうですよー。神子特製の品なんて、恐れ多くて誰も買えやしませんよ」
突然の知らない声の乱入にビクッと身体が震えた。見ると、扉に背を預けた男が一人、不適な笑みをこちらへ向けていた。
二十代後半くらいのガッシリとした体型に、軍服とは違う上下黒の衣服を身につけている。動きやすさを重視した伸縮性のある黒服は、シンプルだが男によく似合っている。
その黒とは対照的に髪色は鮮やかなオレンジで、肩ほどの長さの癖のある髪をひとつにくくっていてまるで動物のしっぽのようだ。
「ウォル、勝手に入るな」
「嫌だなぁ団ちょー。俺がいるの分かっててまるっと無視してくれちゃって」
「取り込み中だ」
「有事の際にはいつ何どきでも報告しろって言ってたのは団長ですよ?」
「……別室で聞くから待ってろ」
クラウドさんがそう言っても、オレンジ髪さんは出ていこうとはしない。そんな彼にクラウドさんから痛烈な舌打ちが聞こえてきて、こっちがおどおどしてしまう。
「この方が有名な団長たちの奥様ですか?俺にも紹介してくだいよ」
言って大股で近づいてくる。身体もガッシリと重そうなのに足音ひとつたてないことにびっくりする。
「初めまして。俺はウォルフと言います。この団の…まぁ、諜報員みたいなもんですかね?」
おどけた話し方でにんまりと笑う。でもこの人、目が笑っていない。
「…初めまして、ハルです。よろしくお願いします」
「いやぁ噂に違わずお可愛らしい!そのお顔で団長方をたぶらかしたんで?」
「えっ?」
「うちの男前集団をたちまち夫に据えるなんて、さすが神子様。お手が早い」
「ウォルフ!!」
何を言われたのか頭で処理しながら、ウォルフさんに掴みかかりそうなクラウドさんの腕を引く。
が、ウォルフさんの口は止まらない。
「神子様、あなたのおかげで我々エルダー騎士団の立場は、地に落ちましたよ」
………どういうこと?
処理が追いつかずウォルフさんを凝視するが、笑顔のその目がやっぱり笑っていない。毛色のせいか、まるで虎に睨まれているようだ。
「ウォルフ!いい加減にしろ!」
「どういうこと?聞かせて」
ウォルフさんの襟を掴んでそのまま部屋から追い出そうとするクラウドさんの腕にすがって止める。
「ハル、後で説明する」
「今聞かせて。お願い」
今、彼らではなくこの人から聞かなくてはならない。そんな気がする。
わたしの真剣な気持ちが伝わったのか、クラウドさんが躊躇していると、襟元を捩じ上げられているにも関わらずウォルフさんはヘラヘラと笑っていた。
「ちゃんと説明しますよ?俺から」
「……お願いします」
「ですって。団長、手、離してもらえます?」
再度盛大な舌打ちをして、クラウドさんは手を離した。かなりの力だったと思うのだけど、苦しくなかったのだろうか。
「さて神子様。我がエルダー騎士団の評判がよろしくないことは、ご存知でしょうか?」
「…はい」
本人たちからも聞いたことがあるし、神殿のおじいさんたちの態度も酷かった。
「野蛮だなんだと低く見る者が多いんですよ。まあそれでも、魔物や隣国の脅威からの防波堤になっていることも事実。遠巻きにはされるが、俺たちを表立って排除しようなんて奴はいない。だがそんな辺境に、あんたがやってきた」
そう、わたしが来た。そしてここに置いてもらった。結婚をして、おじいさんたちもそれを渋々だけど認めてくれて…そこにどんな問題が発生していたというのか。
「そう、あんたはこの辺境に降り立っただけでなく王都行きを拒み、辺境騎士団の人間と結婚した。それがどんな意味を持つか、あんたには分からないんだろうな」
「どういうことですか」
フッとウォルフさんは鼻で笑う。
とても感じが悪いが、それ以上にわたしはとんでもないことをしたのかもしれないという恐怖にじわりじわりと支配されつつあった。
その様はきっとウォルフさんの満足いくものだったのだろう。さも楽しそうな顔を寄せて言った。
「優先順位ってのがあるんだよ、神子の結婚相手には」
「優先順位?」
「公にはされてないが、家柄や能力を考慮して、国と神殿とで優先的に神子へあてがう男を決めてるんだ。神殿の仕事の一つがそれさ。あんたも薦められたはずだろう」
「それは…」
確かに、分厚いプロフィール帳を見せられた。
つまりあの載っていた人たちが、選ばれた者だというのか。
「本来であればそこから選ばれるはずだった男たち。今か今かと順番を待っていた貴族の坊々たちのプライドを、あんたはズタズタにした。それだけじゃない、その怒りはどこへ向くと思う?分かるだろう?あんたが屋敷でのほほんと囲われてる間に、俺たちはとんだ盗人集団にされちまったよ」
待って欲しい。それはあまりに理不尽じゃないだろうか。だってそんなの、知らなかった。あのプロフィール帳にそんな意味があったなんて誰も教えてくれなかったし、まさか結婚待ちの優先順位があるだなんて思いつくはずもない。
それに、もし優先順位の話をされたからってわたしがその中から誰かを選べたとは思えない。
ーーーでも、そもそもそんな説明をされる前に、わたしは王都行きを拒否した。おじいさんの必死の懇願も困ったなとしか思わなくて、どこかでクラウドさんたちがあの場をおさめてくれないかなと考えていたかもしれない。結果あの場でわたしにとっては最善の提案をしてくれて、それに乗っかって…
クラウドさんたちがどんな立場になるのかなんてまるで考えてもいなかった。
ちゃんとおじいさんたちも交えて、先を見据えた話をしなければいけなかったのに…
つまり、わたしが考えなしに流されたことで、騎士団の立場を悪くした…?
じゃあ、わたしのせいじゃん…
「貴族の坊ちゃんたちは相当妬ましかったんだろうな。神殿と一緒になって王都の民に触れて回ってたよ。俺たちが不当に神子を拉致し、閉じ込め、無理矢理婚姻を結んだんだと」
「そんな…」
「民はそれを真に受けて、辺境騎士団を廃すべきだと嘆願書の署名を集めている。王都の商人たちもその勢いに押されて辺境への不売へ動いている」
わたしのせいだ。
わたしが、取り返しのつかないことをしてしまった。
手が震えて、胃の腑がきゅうと締め付けられたように痛む。
わたしが辺境を選んだことが、そんなふうに王都を揺るがす事態になるだなんて思いもしなかった。
どうしよう。どうしたらおさまるの?
すると、大きな手がわたしの両頬を包んだ。
「ハルのせいじゃない」
「クラウドさん…」
目の前で翡翠の瞳が痛ましそうに揺れていて、なんだか泣きそうになった。
「俺たちが嫌われ者なのは元々だ、教えただろ?ハルのせいじゃないよ」
「でも…」
「地に落ちていた立場が更に落ちることなどあるものか。何も変わりはしないさ」
「変わるに決まってんでしょ。物資の供給も停止寸前なんですよ。今は王家が何とか抑えてますが、こんな辺境で物資や武器の補充が途絶えたら俺たち騎士を続けられませんよ」
「ウォルフ」
クラウドさんから、今まで聞いたこともない低い凍りつくような声が漏れた。
ゆっくりとウォルフさんに顔を向けるクラウドさんの表情はわたしからは見えなかったけど、ウォルフさんが目を見開き、初めて少しだけ動揺したような表情を浮かべた。
「お前はもう黙れ」
怒鳴るでもなくゆっくり吐き出された言葉は、それだけで強制力をまとっていて、ウォルフさんはくっと眉根を寄せて押し黙った。
「報告ご苦労。お前には後で腐るほど褒美をくれてやる。別室で待て」
ウォルフさんは黙ったまま扉に向かい、開ける寸前で、
「団長」
無ともとれる読めない表情をクラウドさんに向けた。
この期に及んで…と喉の奥で唸りながらクラウドさんが剣呑な目で見やる。
「第一騎士団の一隊がこちらへ向かってます。二週間と経たず到着するでしょう」
そう言い残して部屋を出て行った。




