8 やっぱりまつ毛も赤いんだなぁ
お屋敷に引っ越してからの日々は、問題なく平和に流れていた。
ーーーわたしの心の安定を除いては。
「はい、これも美味しいよ」
「………」
目の前に差し出されるフォークに、じとりと横を見やる。
それはそれは美しいご尊顔が、さも嬉しそうに微笑んでいて。窓から差し込む陽の光でキラキラと銀色に輝く瞳がとても眩しい。
だからといって、あーんとはならない。
「自分で食べられます」
「そんなこと言わないで。ほら」
「~~~っ」
フォークを受け取ろうとしてもやんわり避けられ、空いてる手でわたしの利き手を封じる。
軽く睨んでもなんのその。リアドさんのにこにこは変わらずで…再びフォークは目の前に戻ってきて、そのままいつまで経ってもどいてくれない。
…やむなしと、カットされたソーセージにかじりつく。ジューシーで美味しい。
ーーー美味しいけども!
「もう食べたからいいでしょう?手、離して」
「気持ち悪い?」
「そんなことないけど…」
「なら良いでしょう」
「よくない。食べられないでしょ」
「だから私がいるのでしょ」
いやなんだその理屈…
いつのまにか取られた手は恋人つなぎをされてるし、色気たっぷりのオーラに当てられて、朝だというのに胸焼けしそうなほどの甘ったるさだ。
何がどうしてこうなったのだろう。
あの宣言以来、四人の距離が明らかに近くなった。わたしが本気で嫌がらない程度のスキンシップが増え、いつでも抱きしめられるくらいの距離をキープする。絶世といっても過言ではない美形集団に、体温を感じるほどの距離で甘く囁かれ続け、本当の本気で心臓がもたない。
あのシドさんですら、言葉は少ないながらわたしをべろべろに甘やかしてくるのだ。自分の顔の良さも声の良さもわかってやってるに違いない。
不快には感じない。感じないから困るのだ。
抵抗することを諦めて、仕方なし、と差し出される食べ物に口をつける。まるでひな鳥になった気分だ。
「ここって女性が少ないんですよね?」
「ハル、敬語」
「あ」
結婚してからもずっと変わらず敬語で接していたわたしに、いいかげんやめてとお願いされたのが一週間ほど前のこと。
バイト先で上下関係を叩き込まれているわたしに、年上へのタメ口はなかなかハードルが高かったけど、確かに夫婦で敬語なのはいかがなものかと了承した。
ちなみに、クラウドさんが二十五歳、カインさんは二十六歳、リアドさんが二十八歳で、シドさんは二十三歳だそうだ。
敬語期間が長かったから、たまに戻ってしまうのは許してほしい。
わたしも直したのだからとお願いしたけど、カインさんの敬語は変わらずだ。自分の場合は直そうとして直せるものではないと言われてしまった。
「どうしたの、急に。女性が少ない話は何度もしたでしょう?」
「いや、それにしてはみんな、女性の扱いが手慣れすぎてないかなと」
「ああ、なるほど」
おかしくて笑うときのリアドさんは、その瞬間だけ少し幼くなる。普段は正統派美青年なのでそのギャップがかかわいい。
「男はね、皆一定の齢になると女性へのマナーや扱い方を学ぶんだよ。そうしておかないと、いつ誰が不敬を働いて女神様の怒りに触れるか分からないからね。かなり昔から慣習化されているんだ」
「へえ」
エチケット講座みたいなものだろうか。
紳士への道もなかなか大変だ。
「どんなことを学ぶの?」
「それはもう色々。一気に学ぶのではなくて、二年に一度の一週間くらいかな、そのときの齢に応じての女性への話し方や接し方を講義や実践で。私の初めての講義は確か八歳だったな。女性への挨拶の仕方から教わったよ」
「へええ」
それだけの時間をかけて学び続ければ、そりゃあ女性への対応も懇切丁寧になるというものだろう。
だけど、色気の振りまき方なんてそんな場で習うものだろうか…
「…じゃあこういうのも、そこで教わったの…?」
ガッチリ繋がれている右手を見て、そしてリアドさんの顔をじとりと窺う。
「これは私がしたいからしているのだけど…そう思ったってことは、女性への扱いとしてはまんざらでもないってことかな?」
「へ?いや違うよ?」
否定したのに、なぜかリアドさんの色気がぐんと増した。艶っぽい眼差しでじっとわたしを見つめてくるものだからドキリとしてしまう。
「嬉しいな。ハルが喜んでくれることが、私は何より嬉しいのだよ」
言って、フォークを置いた手でわたしの頬に触れる。
一層距離が縮まって、リアドさんの顔がぐっと近づいた。銀の瞳にわたしの姿が映りそうなほどだ。それだけでも未だかつてないくらい近いのに、どうしたことかその顔がさらにぐんぐんと近づいてきた。
……えっと?
頭の片隅で警戒警報が鳴り始めた。だけど、その瞳に捕えられてリアドさんから目が離せない。
緊急事態であろうにも関わらず、そのまつ毛の一本一本まで認識できる距離まできてもなお、ああやっぱりまつ毛も赤いんだなぁ、なんて考えていて…
その綺麗な顔が文字通り目と鼻の先まできたとき、
「いいの?口付けても?」
その言葉がたっぷり三秒かけて脳に到達したところで、わたしは勢いよく立ち上がった。勢いがよすぎて椅子が派手に倒れたが、そんなことに構っちゃいられない。
ぶんぶんと腕を振り回してリアドさんの手から逃れると、ダイニングテーブルの反対側まで距離をとった。
警戒度MAXなわたしは、全身毛を逆立てた小動物のようであろう。
「残念」
くすくすと笑う姿が憎らしくもかっこいい。
何をしてもかっこいいなんてずる過ぎる。
それにしても、だ。
ドキドキ鳴り止まぬ心臓に手を当てて、自分に問う。
あのまま声をかけられなかったら、わたしどうしてた?
ーーーキス、しちゃってた!?
間近まで迫ったあの瞬間を思い出して、その先を想像してしまって、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
なんて破廉恥!
ぶんぶんと頭を振って脳内の記憶を追い出す。
「ごめんね。もう何もしないから戻っておいで。まだ食事が残っているよ?」
リアドさんは笑いを噛み殺しながら椅子を戻している。
正直ご飯どころではない。
もういらない!とか言いたいけどご飯に罪はない。くそぅ。
「もう本当に何もしないでくださいね。あーんもしないですよ!」
「承知しました、お姫様」
「何でそんなに余裕なんですか!?」
「ほらまた、敬語に戻っているよ?」
今はそれどころじゃないのでは!?
そう思いつつもぐぅと言葉に詰まって、しぶしぶ席に戻る。もちろん椅子はズラして距離を取り、隣への警戒は怠らない。
ドキドキやらハラハラやらで鳴り止まない心臓を押さえつつ、もう味も何も分からない朝食をひたすら咀嚼して飲み込むのだった。
もうずっと、こんな時間を過ごしている。
ーーーそう、リアドさんだけでなく他の三人とも似たようなやり取りをしているのだ。
みんな大人で余裕しゃくしゃくで、わたしの反応を楽しんでいるようにしか見えない。
はたから見たらとても愛され甘やかされている奥さんなのだと思うけど、夫婦になるための道のりが、本来経ていく過程をまるっとすっ飛ばして高速エレベーターに乗ったようなものだから、まるで実感が湧かない。湧かないし恋愛初心者だしで、みんなの接し方にどう返せばいいのかが分からない。
いや、分からないのではなく、返すことができないのだ。
嫌なわけじゃない。
距離感はバグりまくっていると思うが、彼らはとにかくすこぶる優しくて、わたしが本当に嫌がることは決してしない。
触れるときも、必ず嫌でないか確認してくれる。
だからこそ、申し訳ない。
妻の義務であろう夜の…を拒否しているわたしになぜここまで尽くしてくれるのか。
女性が希少だから?小さい頃からそういう教育をされているから?それだけであんなに甘い雰囲気を出せるものだろうか。
ーーーじゃあ、好きだから?
それこそまさかと笑ってしまう。
わたしのどこに、彼らが好きになる要素があるというのか。
彼らと出会ってもうじき二月経とうかというところだが、わたしがしたことといえば調味料を作って軽い料理革命を起こしたことと、契約書にサインをしたくらいだ。
あとは全て、彼らに与えられるものを享受するだけのまるでひきこもりニートなのである。
屋敷の外に出るにはせめて彼らのうち二人以上と、プラス信頼のおける騎士さんを何人か伴わないと許可できないとのことなので、ひきこもりに関しては致し方ないとしても、邸内にいる間も必ず誰かしらがわたしの側にいて、かいがいしくお世話をやいてくれるのだ。
何も生み出さないわたしに、大の男が四人も。
冗談みたいな話だ。
なぜそこまでするのか?
堂々巡りになる問いに、最終的に出てくる答えはいつも同じで。
ーーー神子だから?
結局いつも、わたしには理解のできない“神子”という価値を作ることで、疑問を終わらせる。
そしてむなしくなるのである。
わたし自身に価値なんてないのだと改めて実感せざるを得なくて。
じゃあ、神子でなかったら?
シドさんはそうだというけど、女神様に会っていないのに本当に神子といえる?
神子でなければ、価値はない。
だから、みんなの好意を素直に受け入れて返すことができない。
いらない、といつ言われたっておかしくはないことをわたしは知っているから。
「ハル?」
いつのまにか手が止まっていたらしい。
リアドさんが心配そうに窺ってくるが、大丈夫と笑ってみせた。