第99話 虚実古樹の私から⑤
カーテンの締め切られた大窓と、明かりの灯っていない燭台とシャンデリア。ただでさえ夜だというのに、その玉座は神経質なまでに光が遮られていた。
その玉座に腰掛けているのは、夜を統べる王の1人。
私の歩く音が、暗い部屋に反響する。何が楽しいのか、暗い部屋にただ一人座っていた彼は、ずっとこちらを、視線だけで人を殺すことが出来るような、そんな視線で私を睨みつけた。
「やあ、久しぶりだね。『強靭なるヴラド』。」
その闇に、私の声が溶けて消える。
「久しいな。『適応のエディンム』。本日は如何様だ?」
低く、狼の唸るような声が闇に響いて、空間を威圧する。
「なに、たまたま散歩をしていたらさ、『ヴラドの城ってこの近くだったな』と思って。ついでにご挨拶でも、と思っただけさ。」
「門番がおったはずだが。」
「ああ。眠かったみたいだよ。私が来た時にはぐっすりさ。」
まあ、私が眠らせてあげたわけだが。彼は当然、自分に自信があるのだろう。相当下級の吸血鬼を門番にしていた。であればもちろん私の敵ではない。
「で、あるか。すまんが、急に来たとして、何の土産も持たせられぬぞ。」
「大丈夫だよ。君にはそういうのを期待していない。本当に君とは趣味が合わないからね。この前もらった皿も家畜用の餌入れかと思ったよ。流石犬っころだ。」
「泥人形にはお似合いであろう?」
お互いに無言で見つめ合い、数秒の無言ののち、私達は声を上げて笑いあった。しばらく笑った後、ヴラドは口角を上げてまた唸るような、けれどどこか愉快そうな声を発した。
「変わらず息災なようで何よりだ。」
「君は最近勢力を伸ばしているみたいじゃないか。順調そうで何よりだよ。」
ヴラドと出会ったのは、大体300年前。確か、ガーベラが死んだ少し後くらいだったはずだ。
眷属を全て殺した後、居城にも飽きた私はしばらく周辺の地方を放浪しており、その時彼の噂を聞いた。以前の私のように、城を構えている吸血鬼がいると。
私の眷属以外に、吸血鬼と呼ばれる種族を見た事がなかった私は、興味本位で見に行く事にした。そこで出会ったのが、ヴラドだ。
彼の元に行くまでに城内で彼の眷属を何人か斬り伏せたりはしたが、辛うじて死んではいなかった事、彼は私を殺したくない理由があった事などから、私達は話し合う事となり、そこから友人のような関係になった。
わたしにそういう人物ができたのは、ギル以来、約3000年ぶりだ。
 
「時にエディンム。城を構えて久しいが、汝は眷属を増やさぬのか?」
玉座に腰掛け、肘をついた姿勢でヴラドは訊ねた。
「面倒臭いじゃないか、そういう事。城を持つ事だって面倒だったのに。」
私は彼の前に敷かれた赤いカーペットに寝そべりながら答えた。これが、私達のいつもの会話風景。
「確か、『千里眼のマリア』の進言であったか。」
「そうそう。そのマリア・ベール様の指示だよ。大抵の面倒事は彼女のせいさ。」
私は思わず顔をしかめた。眷属の管理が面倒で、適当に色々な村や町を襲わせていた私に、『それではすぐに人間が絶滅してしまいます。最低限の管理が出来るよう、城を構えるべきです。』と彼女は何度も何度もしつこく言ってきた。
鬱陶しいから命令で従わせようとしたが、彼女は適当な人間に催眠をかけて、真名で命令させたらしい。
『城を構える提言のみ、エディンムが了承するまで提言し続けろ。』と。
私の命令よりも、真名での命令のが優先される。だから彼女は私の命令を無視することが出来た。こんな事をするのは、彼女くらいだ。
彼女は役立つから殺すには惜しかったし、仕方なしに了承すると、すぐにマリアが目星をつけていた城を眷属を引き連れて占拠することになり、あれよあれよという間にまた城を持つことになった、と言うわけだ。
私のそんな様子を見て、ヴラドは愉快そうな笑みを浮かべる。
「真祖たるエディンムも彼女の慧眼の前には形無しか。」
「全くさ。エリザベートの邪眼より恐ろしいね。」
エリザベートは数十年前に出会った、まだ100歳程度の真祖だ。まだ若さゆえの未熟さはあるが、目が合った者を硬直させる邪眼は、私にも真似ができない。まあ、適応能力のおかげで私には効果が薄いが。
「彼女は思慮に欠ける。真祖たる器ではない。」
そう言って背もたれに寄り掛かるようにしながら、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「別に階級じゃないんだ。君も彼女も、私でさえ自然発生の吸血鬼であるというだけさ。彼女が嫌い、という話なら共感できるけれどね。蛇って嫌いなんだ。嫌な思い出があってさ。」
私の慰めにもならない言葉を聞いて、彼は変わらず不愉快そうだった。数秒間黙ったあと、そういえば、と思い出したかのように口を開いた。
「話を変えるが、マリアの牧場。あれは素晴らしい。あれも彼女が?」
「ああ。『人間牧場』ね。土地が空いていたからさ。結構増えているみたいだね。興味ないけれど。」
居城して少しすると、彼女がまた提案をしてきた。『空いた土地で捕虜を家畜化してもよろしいでしょうか?』と。
また何度も言われると面倒なので、私は二つ返事で許可をした。きっと彼女は居城を提案した際に、既にその計画を考えていたのだろう。本当に、計算高い女だ。
「エリザベートが大層気に入っておるらしい。なにやら味が良いと。」
「へえ。まだ味見したことないけれど、今度試してみようかな。彼女が言うなら間違いないだろう。」
彼女はよく食らう癖に、味にもこだわりが強かったはずだ。そのエリザベートが言うならば、間違いはないだろう。
「我にはその違いは分からぬが、歩留まりが良い。狩りの不得手な眷属への餌として、適宜仕入れている。」
「へえ。知らなかったよ。人間牧場は全部マリアに任せているから。」
その話を聞いて、エリザベートが聞いたら憤慨しそうな話だ。と思わず苦笑する。自分の気に入っている食事が、ヴラドの所では下級吸血鬼の餌として扱われているのだから。
「汝は内政に関心を持つべきだ。でなければいずれーーー」
「ああもう!うるさいなあ。君までマリアみたいな事を言うのか。そんな人間の真似事はこっちは300年前に飽き飽きしているのさ。それに、マリアがあまりにもうるさいから眷属の管理とかはしているさ。これで満足かい?」
そもそも今日も、マリアがあまりにも鬱陶しいから城から抜け出して放浪の旅に出たついでにヴラドの城に寄っていた。そんな日に、お説教なんてされたらたまったものではない。
「………そのマリアが、今日家畜を我が城まで運搬しに来ている。」
「…………それじゃあ、そろそろ私は帰るよ。楽しかった。また、月が綺麗な夜に会おうじゃないか。」
私はそう言ってそそくさと立ち上がり、正面扉に踵を返した。
「そして、そのマリアが今目の前にいます。我が主よ。」
目の前に、彼女がいた。祈るような姿勢で、いつものように、黒いレースの布で目を隠しながら。
『千里眼のマリア』こと、マリア・ベール。私の第3眷属。
月光に映える銀色の髪。黒いドレスは、死を悼む様にも、夜を祝うようにも見える。口元しか見えない彼女の顔は、いつも自らの永遠を喜ぶように、薄く微笑んで見えた。
「やあ、マリア。たまには城の外で見聞を広めるべきだ、そうは思わないかい?」
「主よ、仰る通りです。ですので、ヴラド様と更に親交を深めるべきだと、私めは考えております。その後は、共に貴方様の城へお戻りいたしましょう。こんなにも、月が綺麗な夜なのですから。」
こういう所がなければ、完璧なんだが。大体、目を隠しているのだから月なんて見えないだろう。
 




