第96話 午後8時、彼女は何故諦めなかったのか。
「今のは無効よ!そ、そうよ!3本先取にしましょう!?涼も納得できないでしょ、ねえ!?」
顔を赤くして、大きな身振り手振りを振るいながら、彼女は喚いた。
「私は勝った側だぞ。勝ち方にこだわりも別にない。」
それに、彼女目線では私は何も不正はしていないはずだ。
「~~~~~っ!!ねえ黎明、お願い!!あとだけ2戦だけ!」
「駄目です。未成年が出歩いていい時間じゃなくなりますよ。帰りが何時になると思っているんですか。」
「別にいいわよ!お願いだから!」
暗い森の中、アイリスは、まだ敗北を認めていなかった。先程殊勝な思いで彼女の健闘を讃えていた私が恥ずかしくなるほどの、立派な駄々だった。
「でもアイリス、凄かったのですよ。前会った時はまだ結界も出来ていなかったのに、今は飛翔も使えるなんて。」
「そ、そーだよ!私達びっくりしちゃった!やっぱりアイリスは出来る子だなーって。」
「で、でも、お姉様達のお役に立てていないもの…………。」
私達の予想と反して、アイリスは桜桃姉妹が褒めたところで、強情なままだった。何故そこまで強情なのか、アイリス以外の全員が理解できないようで、皆一様に顔を見合わせては、困ったような表情をして同じような説得を続けるだけだった。
とりあえず私はもう自分の役目は終えたと思っていたので、槿の横に座り、3人の説得を眺めることにした。
「涼はもういいの?」
隣に来た私見つめ、しばらく蚊帳の外で言い争いを眺めていた槿はそう訊ねてきた。『もうあの会話に混ざらなくていいのか』、という事だろう。
「ああ。私の役目は果たした。むしろ君の方がこのままでいいのか?一応、当事者だろう。」
「そのはずなんだけれど、なんだろうね、この蚊帳の外な感じ。」
そう言って彼女は疲れたように笑った。
それからしばらくの間、同じような会話をずっと続けていたのだが、ふと、雑草を踏む足音が少し離れた所から聞こた。
真っ直ぐこちらに向かってきており、その音の方を振り向くと見たことのない女がこちらに向かって歩いていた。
わざわざ教会から離れた森の中まで何の用だ、と私は警戒しながら彼女を観察する。
年齢は連花より少し上だろう。身丈が短く、へそが出ている半袖のTシャツにジーパン、身長は170㎝位だろう。細いが、筋肉質な肉体をしている。教団関係者だと思うが、外見からは予想がつかない。
武器になりそうなものは特に持っていない。恐らく、服の下にも隠してはいなそうだ。
「迷ってしまったのか?もし教会の場所が知りたければ案内するが。」
私のその言葉で、他の皆も彼女に視線を向ける。
「お気遣いどうも。せやけどうち、その子に用があるんよ。」
そう言って、彼女は顎でアイリスを指した。
「送ってくれるだけでいいって言ったじゃない!」
アイリスは半ば八つ当たりのような口調で彼女に文句を言った。てっきり電車か何かできたのかと思っていたが、そうか、目の前の彼女が送ってきたのか。はた迷惑な。
「『交代が認められたら』、っていう枕付いとるけどな。案の定、あかんかったみたいやし?」
彼女の言葉にアイリスは黙りこくり、悔しそうに唇を噛みしめた。
「氷良さん。お久しぶりです。」
「元気してた?あと背伸びた?」
「お!久しぶりやな。箱根温泉帰りの氷良さんやで。あと身長はもう伸びひんて流石に。」
桜桃姉妹との会話を聞いて、彼女が先程話に出てきた氷良だと気付いた。
アイリスを送るついでに彼女は温泉巡りでもしていたのか。何故人間がそこまでお湯が好きなのか、私からしたら理解に苦しむが、言われてみると確かに彼女はどこか上機嫌に見えた。
「で、その子が例の?」
そう言って、氷良は視線を槿の方に向ける。
「多分その例の、月下槿です。よろしくお願いします。」
いつもの人見知りが出たのだろう。少し警戒した様子で、槿はお辞儀をした。だが、彼女がそうなる理由も分かる。どこか氷良は口調とは裏腹に連花や一果、二葉のような温和な雰囲気とも、アイリスのような幼い子供のような雰囲気とも違う、人を突き放すような雰囲気があった。
「よろしゅうな。凍結氷良いいます。申し訳ないなあ、アイリスが迷惑をかけて。」
来てまだ数分しか経っていないが、既にアイリスが迷惑をかけたことを彼女は察したらしい。あるいは、元からそうなるだろうと予測していたのか。
「アイリスな、君に双子ちゃん取られると思っとるみたいなんよ。」
「へ?」
「ちょ、ちょっと氷良!」
間抜けな声を出して驚く槿を尻目に、アイリスは慌てたように、真っ赤な顔で氷良の口を両手でふさごうとするが、彼女に両手首を掴まれ、バタバタと暴れるが力の差があるのか、振りほどくことが出来ずにもがいていた。
「離してよ!ねえ!」
そのまま喚き暴れるアイリスを無視して、氷良は話し続けた。
「元々たまにしか会われへんかったけれどアイリスにとっては憧れのお姉様なんやて。で、そのお姉様が今君に付きっきりなのが寂しくて、わがまま言ってしもうてるんやと思うんよ。」
ひっくり返った虫のように暴れていたアイリスは、図星を突かれて恥ずかしくなったのか、捕らえられたまま顔を赤くして俯いていた。
ようやく合点がいった。2人の迷惑になると諦めていたのに来た理由、彼女が折れなかった理由、私が勝ったところで駄々をこね出した理由。
構って欲しかった、という子供そのものの理由だった、という事らしい。道理で彼女は諦めないわけだ。構ってもらうこと、そのものが目的なのだから。
「………そんな理由で、槿さんや涼にも迷惑をかけていたんですか?」
言い方から、連花が吹き出しそうな怒りを堪えているのが伝わった。アイリスは無言で、小さく頷く。
「あのですね、アイリス!そんなーーー」
呆れた調子ながらも、確かな怒りを噴火させた連花がそう彼女に詰め寄ろうとした瞬間、槿がアイリスに近寄った。
「アイリスちゃん、氷良さんの言った事で、合ってる、かな?」
小さい子供に声をかけるような口調で、槿はアイリスに聞いた。
一度槿の顔を見てから氷良はアイリスの手を離す。そのまま重力に従って手を下ろしたアイリスは、大して背も変わらないはずの槿と並んでいるはずなのに、小さな子供のように見えた。
彼女が恥ずかしそうに、申し訳なさそうに小さく頷くと、槿は彼女に優しく笑いかけた。
「そうなんだ。ごめんね。じゃあ、いつでも遊びに来ていいから、あと半年だけ、2人とも一緒にいさせて欲しいんだけれど、いいかな?」
恐らく、『いつでも遊びに来ていい』、という所が引っかかったのだろう。なにか言いたげにする連花を、二葉が手で制した。
「半年だけ?なんでなの?」
アイリスの、悪意のない純粋な問いかけが、私には辛かった。槿は優しい表情のまま、声色すら変えずに答えた。
「私、大体それくらいで死んじゃう予定だから。」
「………え、え?そんなに……」
そのあと、何を言おうとしたのかは分からない。『重かった』、なのか、『短かった』、なのか。だが、大して関わりも関係もないアイリスが動揺してしまう程の事を、なんの感情も揺らすこと無く平然と言えてしまう槿は、私の目にはやはりどこか異常に映る。
「うん。だから、それまでの間。だめ、かな?」
「駄目じゃ、ないけれど………。」
恐らく、多少連花から事情を聞いていたのだろうが、それでも彼女は動揺が隠しきれず、脳が追いついていないようだった。
「本当に?ありがとうね、アイリスちゃん。じゃあとりあえず今日は帰ろうか。もう遅い時間だし。また今度遊びに来てね?」
「え、うん………。」
そうして、氷良と槿の半ば力技でアイリスは納得ーーーしたかは微妙なところだが、とにかく、私達の長い一日は終わった。




