第93話 午後7時、3戦目どちらが勝つのか③
アイリスの放ったナイフは、頭上の紙風船をめがけて飛んできた。
先程、連花が言っていたように速度はそれほど速くはない。だが連花から聞いた際は『クロスボウの矢と同程度』と聞いていたが、それより幾分劣るように見えた。
考えてみれば、彼女は普段、悪霊を相手にこの武器を使っているのだから、人間にその刃を向けたことなどないはずだ。刃先には鞘をつけているが、当然その切っ先は鈍り、速度は落ちるのだろう。
直線上に飛んでくる6本の刃を横に躱し、その勢いのまま彼女から離れて森の方に逃げる。視線だけはナイフから逸らさないようにした。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
慌てたように言いながら一度逸れたナイフは空中で慣性を失ったかのように停止して、その場で方向転換して背面より頭上を狙うが、すぐ近くに木があるところまで逃げることが出来ていた私は、その樹を自身とナイフの軌道の間におき、それを防いだ。
カカッという固いものが木に当たる音が後方で聞こえる。だが草の上に何かが落ちたような音がしないことから、刺さっているような音でもないし、飛んできたナイフも刃先にはレザーケースが付いていた。
恐らくその場で静止しているのだろう。ここは彼女から死角になっているから、狙いが定まらず無理に動かすやみくもに狙うと私を傷つけるかもしれない。であれば、これ以上は様子を見るしかないのだろう。
流石というか、連花の言っていたことは正しかったらしい。
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「飛翔の奇跡、これは銀製の物質を浮遊させ、操作することが可能です。速度もアイリスでしたら1時速120㎞、クロスボウより少し遅い程度まで出すことが出来ます。最大質量は人によって異なりますが、同時に操作する個数、形状はその範囲でしたら制限はありません。」
現在より数分前、連花は桜桃姉妹と談笑するアイリスを気にしながら、まくし立てるように説明をした。
「つまり、先程一果がやっていたことと同じと言う訳だろう?。」
「連花さんの話だと、それって人間がなんとか避けれるようなものじゃない気が…………。」
槿は言い方は自信なさげではあったが、目には明らかな不信の色が滲んでいた。『人のふりをしたまま避けられるのか』、という事が言いたいのだろう。
「涼は夜目が効きますし、動体視力も高いですから問題ないと思いますよ。木々を盾に出来るよう、結界を少し広めに張ってもらう予定ですし。」
「木に隠れたくらいで防げるものなのか?単純に回り込まれるだけのような気がするが。」
「ええ。先程の質問にも関係があるのですが、飛翔の奇跡には大きな弱点がありますから。」
「弱点?」
「ええ。『結局、操るのは人間だ』、という事です。」
時間がないというのに、連花はやたらともったいぶった言い方をした。
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当然だが、その弱点は彼女にも当てはまった。
つまり、『使いこなせない』、という圧倒的な欠点がある、という事らしい。
複数の物を同時に操作する、という行為は人間にとってはかなり難易度が高いらしく、さらにそれを時速100㎞近い速度ともなれば、単一での操作や、外した場合の軌道変更は難しいらしい。
一応決まった型のような動きも出来るとのことだったが、それも全てが連動して動く、有機的というより無機的な動きに近く予想が容易とのことだった。
さらに、当然有視界でしか厳密な操作は難しい。つまり、今回のような月明かりしかないような森であれば、直線的な軌道が中心となる。
そういった点からも、私が当たることは考えづらい、とのことだった。
ヴァンパイアハンターが何故使わなかったのか疑問であったが、これならば納得だ。
あまりにも私達を殺すのに向いていない。何より速度が遅い。
そこまで鬱蒼と木々が生えているわけでもないが、距離というアドバンテージを捨てたくはないのだろう。遠くから威嚇するように木の上部をナイフで揺らしているが、しゃがんで木々を移動している私からすれば全く脅威でなかった。
だが、あくまでそれは回避に専念すれば、と言う話だ。
この十数メートルの距離を詰めるには、人間のふりを辞めなければ難しそうだ。流石に遮蔽物がない中を突き進むのには限界がある。
連花に渡された『これ』を使って終わらせてもいいが、まだ彼女の実力を引き出したとは言い難い。
つまり、結界を使わせていない。だが結界を使ってもらうには、やはり近寄る必要がある。
どうするか、などと考えていた私は、気が付くのが少し遅かった。やたらと、この森が静かになったことに。
いつの間にか、アイリスのナイフが木々を揺らす音は消えていた。あの方法で探すのは諦めたのか、などと考えていると。
「へえ、そうやってしゃがんでいたのね。」
すぐ近くで、その声が聞こえた。驚いて声の方を見ると、アイリスがいつの間にか近くに来ている。
まずい、と思いながらも、だがこれはチャンスだ。と私は一気に距離を詰め、多少無茶な動きをしたとしても、近距離ならば気づかれないはずだと、私は素早く手を伸ばす。
だが、アイリスの30㎝ほど手前で見えない壁、つまり結界に阻まれた。
「『結界の奇跡』。これであなたの負けよ!」
アイリスがそう言うと、ナイフが四方から私の頭上を狙う。私はしゃがんで躱すが、その動きを呼んでいたのか、そのまま真下に追撃をしてきた。紙風船を潰さないよう、転がりながら躱し、私はまた彼女の死角へ逃げるように、木々を挟んで距離を取る。
考えてみれば、彼女の結界を私は『破れないことになっている』。であれば、彼女が距離を取る必要は全くない。なんなら、距離が近い分、ナイフの操作が容易まであるだろう。
しかし、2つの奇跡を同時に使えるなんて聞いていない。
何より、やっぱり『口語祈祷』になんの意味もないじゃないか。




