第86話 繁栄と衰退
「常盤司祭。一つお伺いしたいのですが。」
彼の話にどうしても気になることがあり、私は問いかける。
「教会が盛衰を分けた、という事は分かりました。ですが、もし私が信仰心を持ったとして、『救世主のような奇跡を起こしてみたい』、と考えるように思います。そして、決してそれは少数派ではないと思うのですが。であれば、道を究めることが出来る『求道派』の方に鞍替えをする人間もいると思うのですが。」
私は、彼ら信者にとって神がどういった存在なのかはわからない。だが、その道の到達点が天界であるならば、少しでも神に近い存在となりたい、と思うのは自然なことではないのだろうか。
「そうですね。実際、そういう考えの方も多くいらっしゃるでしょう。」
常盤は私の言葉に静かに頷く。
「では、まず具体的な説明の前に、1つ、ご覧になっていただきたいものがあります。」
そう言うと、常盤はキッチンの方に向かい、銀のナイフを持ってきて、机の上に置いた。
「少し、こちらを見てくだされ。」
そう言って、ナイフを見るように促す。私と槿が見つめると、常盤は胸元の十字架を両手で強く握り、祈りを捧げた。
瞬間、そのナイフは宙に浮かび、10㎝ほど浮いた空中で制止した。
「これは、飛翔の奇跡と呼ばれる『聖十字の奇跡』の一つです。」
常盤が目を開き、祈ることを辞めると、ナイフは静かに落ちる。確か、少し前アイリスもその奇跡が出来るようになったと言っていたな、と思い出す。
「私は、この奇跡を起こす為に、15年の歳月がかかりました。しかも、先程の高さが精一杯です。」
思わず、常盤の顔をまじまじと見てしまう。確かに、凄い事には間違いないのだろう。だが、どう考えても15年というかけた歳月に見合ったものではない。
「もちろん、昇霊などは問題なく行えますが、私が18歳から約50年間信仰し続けて身に着けた『聖十字の奇跡』は先程の飛翔、そして酒清の奇跡、つまりワインのアルコールを浄化する奇跡の2つのみです。」
間違いなく、酒清は死に物狂いで身に着けたのだろう。そしてそう考えると、実質彼が身に着けることが出来た奇跡は1つだけだ。これは、やはり『啓蒙派』だからここが精一杯だった、ということだのだろうか。
「では次に一果司祭。同じく飛翔の奇跡を起こしていただけますかな?全力で。」
「この流れ、凄い嫌なんだけど…………。」
顔をしかめながら、一果は渋々従う。
服の中にしまっていた恐らく金色の、小さい石がいくつも着いた十字架を取り出し、それを右手で握ると、彼女は薄目を開けたまま祈りを捧げる。
常盤の目の前にあるナイフは浮き上がり、さらにキッチンにしまってある他のシルバーも次々と引き出しから飛び出し、十数本の銀食器が彼女の空いた左手の動きに従うように、私達の頭上を宙を泳ぐ魚のように縦横無尽に飛び回る。
「凄い……。」
槿は、目を輝かせてその現実離れした光景を呆然と眺めた。槿の反応を見て、少し気を良くしたのか、少しだけ笑ったあとそれぞれを辺として、人型や花の形にして動かしたり、槿の周りを飛び回されたりして遊んでいたが、もう数分すると、
「常磐司祭。もういいデスかー?」
と常磐に訊ねる。
彼女が祈ることを辞めると、ピタ、と空中で銀食器は動きを止めた。
「ええ。相変わらず素晴らしい腕前ですな。」
「ドーモ。」
再び祈ると、再度彼女の動きに従うようにして、しまってあった引き出しの中に吸い込まれていく。最後に歩いて一果が引き出しを閉めると、まるで何事もなかったかのように元通りになった。
「一果司祭。あなたが起こすことのできる『聖十字の奇跡』を教えていただけますかな?」
「…………まあ、『叙述譚』に載っているのは大体?使わないのも結構あるけれど、20個くらいかな。『起日譚』のは流石に無理デスけど。」
常盤が出来ない、という話の後なので、流石に少し言いづらそうに一果は答えた。彼女がいつから修練を行っているのかは知らないが、精々20年そこらだろう。それなのに、常盤とこれだけ出来ることに差がある。
「この先は私が説明しましょう。」
割り切ったような表情をして、連花がそう申し出る。常盤もその言葉を待っていたのか、笑顔で続きを促した。
「言っておきますが、常盤司祭と一果の差は、決し道を究めるためにかけた時間だけではありません。もちろん、その事による差がある、という事実も宗派の違いと存在しますが、他に決定的な要因があります。」
「その、決定的な要因って…………?」
「有体に言えば、素質ですね。」
冷めた表情で連花は答えた。
「奇跡を起こし、その範囲や規模を決める要因は大きく3つです。まず一つ。『本人の要因』。これは言うまでもありません。本人の信仰心、修行にかけた時間や密度が大きく影響します。次に、『家系としての信仰心』。長く一族として信仰しており、深い信心をもった者が多い家系であればあるほど、その子孫にも受け継がれます。そしてこれは、個人の要因より大きく重要とされています。」
「そして最後、これが一番重要です。『主からの寵愛』です。この場合の主は、唯一神を指します。流石にほとんど有り得ませんが、主に見放された家系であった場合、奇跡を起こす事はどれだけ努力をしたとしても不可能です。そして、この寵愛、というものは平等ではありません。」
「いいのか、そんな事を言い切って?」
イメージだが、教団の人間は『神の愛は平等だ』、というようなことを言っているような印象を持っていたのだが、目の前の司教はそれを堂々と否定した。
「もちろんです。神は、我々に試練を与え、それを乗り越えられるか、それにより何を学ぶかを見定めます。であれば、当然大きな試練を乗り越え、その上で信仰を選べる者こそが主から強い寵愛を受けることが出来ます。」
分かるような、分からないような理屈だ。だが、きっと彼が言うのならばそういうものなのだろう。神を信じていない私には理解できないが、そこは深く考えない事にした。
「……つまり、どんなに頑張っても産まれ持った才能や不確定な部分が大きい、って事ですか?」
「槿さんの仰る通りです。しかも、除霊を行える程度の規模の奇跡を行える者は、長く続く家でない限り、ほとんどいません。ヴァンパイアハンター等の対化物部隊は例外的に奇跡をほとんど用いないので、化物が跋扈した時代にはそういう良家の産まれでない『求道派』も多くいたそうですが。」
「そう……なのか?」
過去に結界を何度か張られた記憶があるのだが、あれは気のせいだったのだろうか。
「ええ。たまに奇跡を起こせる者もいますが、化物には効果がない事がほとんどなので、どちらかといえば他の体術などを磨く事がほとんどです。結界等が必要な場合は一般のエクソシストにお願いする事が多かったそうです。」
この前の連花のようなものか。そういえば、彼が奇跡を使ったのを見たことがない。
「ちなみに、私は奇跡を起こせますよ。一応、これでも司教ですから。」
私の心を読んだかのように、連花は私の目を見つめながらそう言った。彼は続ける。
「話を戻しますが、先程の話に加え、現実的な話として、命の危険があります。給与もよくありません。休みもほとんどありません。涼の言うようなミーハー精神で続けられる者は皆無です。」
説明の流れでさらっと貶されたが、彼の言うことは一理ある。
「加えて、『求道派』は自発的な布教もしませんから、一般信徒でも知らない人も少なくないはずです。教団信者でない方はほとんど存じないでしょう。現に槿さんもエクソシストという存在自体は知っていたとしても、『求道派』については存じていなかったようですし。別に、それが悪い、と言うわけではありませんから、本当に気にされなくて結構ですよ。」
そう言って今更愛想笑いを作るが、今まで真顔で喋っていたので逆に不気味に見える。槿も同じ気持ちだったのか、顔が少し引きつっていた。
「そしてそんな『求道派』と『啓蒙派』を繋げたのが、桜桃雄三大司教、つまり一果と二葉の曾祖父です」




