第8話 初めてのプロムナード
12月24日、水曜日。
冬の夜空に三日月が浮かんでいて、冬らしく雲ひとつなく澄んだ空気だった。
ホワイトクリスマスでなくてよかった。私は安堵する。
病人を外に連れ出すのに、雪では都合が悪い。
クリスマスイブだからか、やはりいつもより人が多い気がする。
11時に近い時間だが、道中多くの人が歩いているのを見た。槿の入院している病院の近くは、普段そこまで人通りの多い訳では無いが、やはり今日はちらほらと人が歩いている。
少し大きめの紙袋を持った私は、病院の敷地内に入り、時間外入口の場所を探す。
彼女を外に連れ出す為、今日はそこから入る必要があった。流石に病室の窓からは人が通ることが出来ない。
少し探すと、時間外入口を見つけた。ドアが閉まっており、外にインターホンが着いていた。インターホンを押すと、男性の声で「どうされました?」とインターホン越しに聞こえた。
入院患者への荷物を持ってきたふりでもしようかと思ったが、結局その後やる事は変わらない。面倒になって、最初から使う事にした。
「『私の命令に従え。』私が病院に入る事を許可しろ。」
もう一つの喉を使う感覚で、声を出す。以前催眠を使うコツとして、彼に言われた事を意識した。
「…………はい。どうぞお入りください。」
インターホン越しの声は、少し呆けた様子で言った。久々だが、上手くいったらしい。
ドアを開けると、すぐ真横には守衛室があり、先程催眠術をかけられたであろう男が一人いるだけだった。
よかった。他の人間に催眠術をかける手間が省けた。
「なあ、少し聞きいんだが。」
守衛室の男に声をかける。
「……はい。」
「入院棟に行くにはどうしたらいい?」
「……まっすぐ進んで、突き当たりの右手側に、階段があります。そこを登って、3階の右手側自動ドアの向こう側が、入院棟になります。自動ドアの向こうに入るには、電子キーが必要です。」
「君は電子キーを持っているか?」
「はい。」
「後で返すから、貸してくれ。」
「……はい。」
そう言って、彼はポケットから電子キーを差し出して、私に手渡す。
「ありがとう。それと、『君はこれから私と、私と一緒にいる女性を認識出来なくなる。』」
最後にそう催眠をかけて、私は彼に言われた通りに進んだ。自動ドアを開けて、少し進むと、ナースステーションと、中に何人かの人影が見えた。
恐らく夜勤の看護師達だろう。自分と関係の無い病人を世話をするために、夜中まで働く人間の勤勉さはほとほと頭が下がる思いだ。
自らの命すら投げ出したい私にはとてもできることでは無い。
「こんな夜まで、お疲れ様。」
私が、ナースステーションの外から声をかけると、全員がこちらを向いた。
直後、私は「『君達は、私の質問に答える。』」と催眠をかける。
「今日働いている病院関係者は、ここにいる人で全員か?」と改めて聞き直す。
どうやら他の場所にもいるらしい。詳しく聞いてから、再度その場の看護師達に催眠をかけた。
「『君達は、私と、私と月下槿を認識出来ない。』『月下槿がいなくなっても、普段通り日常業務を行う。』」
その後、先程看護師に聞いた他の場所、当直室などを周り、恐らく全員の病院関係者に先程と同様の催眠をかけた。
これで、槿を外に連れ出す準備は全て整った。途中で折り畳まれている車椅子を見つけたので持ち出し、槿の病室に向かった。
槿の病室のドアをノックして、ゆっくりと開ける。
音に気付いて槿がこちらを向き、私を見て、一瞬驚いたような表情をした後、またいつものように達観した笑みで、「今日は窓からじゃないんだ。」と言った。
「たまにはドアから入りたい気分だったんだ。」
「あと、ちゃんと今日来たんだね。明日来ると思ってた。」
槿にそう言われて、何故1日勘違いしていた事に気付かれたのか、思わず同様してしまう。
「普通、クリスマスイブの夜に来るだろう。」
精一杯平常心を取り繕いながらそう口にした。
「へえ、そうなんだ。」
何かを察した様に、楽しそうに笑う。なんとなく取り繕った様子がバレている気がして、どこか気恥ずかしい。
「とにかく、だ。」
ペースを取り戻そうと、わざとらしく咳払いをして切り出す。
「飛花落葉のあなたへ、素敵な夜のプロムナードをご案内致します。」
わざとらしく畏まって私は言った。思っていたより事が順調に運んだので、少し変なテンションになっている。
「あら、楽しみだわ。」
くすくす、と笑いながら、彼女は少し私に調子を合わせた。
「まずは、こちらをどうぞ。」
そう言って彼女に紙袋を渡す。中身は、白のダッフルコートと、黒のロングスカート、そしてスニーカーと靴下だ。
「ドレスコードがあるのね。」相変わらず調子を合わせて彼女は言う。
「まあ、寒いからな。患者衣の上から着るといい。」
あと、これから行く予定の場所は人がほとんどいないと思うが、万が一人と会った時に、患者衣では色々とめんどうだ。
「楽しいからもう少しさっきのテンションでいてくれてもいいのに。」
槿もクリスマスで気分が高揚しているのか、槿は珍しく少し拗ねた様子で言いながら私の渡した服を上から着た。
「着替えたよ。」彼女がそう言ったので、もう一度彼女の方を向く。とりあえずサイズは合っていたようだ。
「では、こちらに」そう言って、車椅子に座るよう、彼女に促す。
「別に、普通に歩いたりとかは大丈夫だよ。」
「まあいいだろ。恐らくこれから体力を使う事になる。無駄な体力は使わない方がいい。」
とりあえず納得したのか、彼女は車椅子に腰掛けた。
ドアを開け、車椅子を押しながら病室の外に出る。
「そういえば、どうやってここまで来たの?流石に見られそうだけれど。」
車椅子に乗ったまま、首をこちらに向けて槿は尋ねる。
「ああ、催眠を使ってな。今病院関係者は私と槿を認識出来ない催眠にかかっている。」
「吸血鬼ってそんな事できたの?」
「ああ。他にも、『変身』、『魅了』、『血液操作』、『飛行』等ができる。」
「多くない?」
「多いんだ。」
私がそう言うと、槿はまた楽しそうに笑った。
その時、前から1人の女性看護師がこちらに来ているのが見えた。
槿は一瞬身構えたが、すぐに私が認識出来ない催眠をかけたと言ったのを思い出したのか、すぐに力を抜いた。
直後、正面の看護師は「ひぃ!!」と短い悲鳴を上げた後、来た道を走って引き返す。
槿は少し呆然とした様子で、こちらに顔を向け、「見えないって言ってなかったっけ?」と言いたげな表情をする。
「見えないって言ってなかったっけ?」
実際に同じことを言われ、少し考える。
「もしかすると。」
「もしかすると?」
「私と槿を認識しなくなる催眠はかけたが、車椅子は特にかけていなかった。」
「と、言うことは?」
「彼女には、車椅子が独りでに動いているみたいに見えたのかもしれない。」
私がそう言うと、槿は声を出して笑った。私も釣られて笑ってしまう。
彼女を喜ばす為の日だ。彼女が笑うのならば、失敗も悪くない。




