第79話 12時、何故アイリスは納得しないのか。
頭を抱えながら、連花は机を指で叩く。その音を聞いて、一果は少しだけ困った笑みを浮かべて小さく頷いた。
「ねえ、アイリス。そのお話もいいんだけどさ、折角久しぶりに会ったんだし、私と少し遊ぼー?」
そう言われたアイリスは、両手を胸の前に持ってきて、私と一果を交互に見つめ、嬉しさと迷いが混じった表情をする。
「え、で、でも…………。」
「この前お化粧に興味持ってたでしょ?私もまだだし、一緒にやろーよ。色々教えてあげる。」
「…!うん!一果お姉様に教えてもらえるなんて、嬉しいわ!」
「おっけー。じゃあ私の部屋行こっか。」
「うん!」
そう言って、手を繋いで2人はリビングから出ていく。その際のアイリスの満面の笑みは、もう勝負の事など忘れているのではないか、と思う程に幸せそうだった。できればそうであってほしいものだ。
それにしても、机を叩くだけでこれだけの意思疎通が出来るというのは、凄いを通り越して恐怖すら感じた。
「私には、彼女の言っている事が一切理解できませんでした。アイリスはもう少し物分かりの良い子だったと思うのですが…………。」
少しすると、頭を抱えたまま連花はそうぼやいた。
「数歳違うと、全く別の生物だと言う。彼女の言っていることが理解できないのも仕方がないことだ。」
「数百歳違う本当に別の生物から真っ当な意見を言われるとどこか釈然としませんね…………。」
「数千歳違う同じ生物の事が理解できないままここまで生きてきたんだ。経験則なのだから、真っ当な意見には間違いないだろう。」
「お願いだから尺度を人間に合わせてください。6歳差が誤差すぎて小さな悩みに感じます。」
「それは…………いい事ではないのか?」
「…………そうですね。エディンムと比べたら、なんとかアイリスに歩み寄れそうな気がしました。」
どこか納得しないような表情をしているが、一応、慰めにはなったらしい。ただ、正直連花の話には全くの同意見だ。アイリスが何故そこまで頑ななのか、私には全く理解できない。19歳の槿の言っていることは理解が出来るので、問題は年の差ではないはずだ。
「6歳差の私が思うに、多分、アイリスがあそこまで頑ななのは私達のせいなのです。」
二葉が、申し訳なさそうな口調で溢した。
「確かに2人に憧れているみたいだけれど、それにしても頑なだな、って気がしたけれど。2歳差の私から見ても。」
槿が不思議そうに小首を傾げる。
「数百歳差の私も同意見だ。何故かは分からないが、『そこだけは譲れない』、とでも言いたげなほど意固地に見えたな。」
「歳の差の話はもういいですよ……。しかし、やはり二葉からしてもアイリスの態度はいつもと違うものに見えましたか。」
二葉は、連花の言葉に頷く。
「自分で言うのも恥ずかしいですが、むーちゃんの言う通り、アイリスは私達に憧れてくれているのです。ただ、その気持ちが強すぎて、たまに、少しだけ、というか、かなり暴走気味になる時がたまにあるのです………。」
「そうなのですか?私はあのようなアイリスのすがたを初めて見たような気がするのですが。」
右上に視線を動かし、思い出すような仕草をするが心当たりがない、というような様子だった。
「めーちゃん結構鈍いですよね。普通に見たことありますよ。毎回『仲がいいなー』って顔をした後修行に励んでました。」
その言葉を聞いて、ああ、あれかと納得した様子だった。そんな連花を無視して二葉は続ける。
「恐らく、今アイリスは『私達の力になりたい』という気持ちと『久しぶりに会ったから成長した姿を見せたい』という気持ちが暴走しているんだと思います。」
確かにそれだと、一応説明はつく。それにしてもアイリスの言っていた理屈は滅茶苦茶だったように思えるが、きっと彼女なりの理屈があるのだろう。
「とりあえず、理由はわかった。それで、この後どうするつもりだ?今は一果が時間を稼いでくれているが、戻ってきたらきっとまた同じ事を言い出すぞ。」
私のその言葉を聞いて、二葉はまた申し訳なさそうな顔をする。
「それなのですが、結局、涼が勝負をするのが一番手っ取り早いと思うのです。」
思わず顔をしかめる。ただでさえ眠いというのに、そんな面倒な事をしなければならないのか。
「え、でもそれって………。」
「やりたくないし、それにその作戦には問題がある。まず、私の身体能力は人間とかけ離れている。どんな勝負でも、彼女が私に違和感を覚える可能性が高い。それに、そもそも彼女は本当にそれで諦めるのか?かなりの執着に見えたが。」
「だから、涼にはギリギリ勝てる程度まで力を抜いてもらいたいのです。結果は2勝1敗でも、3戦全勝でもいいです。とにかく、アイリスも力を出せた状態にしてくれれば、あとは私達がとにかく褒め殺して満足させます。きっとそれで納得してくれるはずです。」
「片八百長のようなものですか。確かにそれならば涼の身体能力も隠せますし、アイリスも納得しそうではありますね。」
私の意見をよそに、すっかり二葉と連花はその作戦で行くつもりになっている。仕方がない。私は深くため息を吐いた。
「分かった。それでいい。さっさと終わらせるぞ。」
「え、でも涼……」
槿が心配そうな顔で私を見つめる。
「大丈夫だ、槿。何も問題はない。君は安心して待っていてくれればいい。」
「あ、えと………うん。」
何やら釈然としない様子だったが、槿は首を縦に振った。
少しして、一果とアイリスが戻ってきた。アイリスの満足気な表情と、彼女から漂う化粧品の匂いから、先程話していたように一果から化粧の仕方を教わっていたのだろう。
「待たせたわね!えっと……。」
「岸根涼だ。」
「岸根涼!私と勝負よ!」
自信満々に指を差す彼女が、少し哀れに思う。この場にいる彼女以外の全員、私の勝利を疑っていないのだから。
「わかった。それでいい。連花もそれで構わないな?」
わざと分かっているのにそう訊ねる。
「ええ。仕方ないでしょう。」
「アイリスがどれだけ成長したか、楽しみです。」
「2人共怪我だけは気をつけてねー。」
「………。」
思いの外、あっさりと勝負が受け入れられた事に少し驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうな表情になり、アイリスは大きな声でこう言った。
「いい度胸ね!じゃあ今から、表に出なさい!」
今日は、春らしい陽気で雲ひとつない晴天の過ごしやすい日だ。人間からしたら、だが。
「すまない。やっぱり争いは何も生まないと思うんだ。」
「どうでしょう、1戦目はオセロとかで決めませんか?」
「アイリスの成長は見ただけで分かったのです。流石ですアイリス。」
「やっぱり安全第一でしょ。危ないことはしない方がいいって。」
「こうなると思った……。」
先程から槿が何か言いたげにしていたのは、この事だったのか。とにかく、これで私はこの勝負を受ける訳にはいかなくなった。
 




