第73話 朝9時、どうしてこうなったのか。
リビングには、当然のことながら私の食事は用意されていなかった。まあ、人の食事を用意されたところであとで吐き戻すだけだし、かと言って私用の食事として人間を用意されても困ってしまうのだが。
「常盤と連花はいないんだな。」
食事も3名分しか用意されていないことから、あとで2人が来るわけでもなさそうだ。
「常盤司祭は教会の方にもう行ってますよ。めーちゃんは二日酔いでダウンしているのです。」
「『教会の奇跡』でアルコールは分解されるんじゃないのか?」
「あくまでワインだけです。めーちゃんはそれ以外のアルコールでやられました。」
「お酒弱いのに、なんでそういう飲み方するんだろーね。」
そういって一果はため息を吐くが、昨日大量に彼に酒を飲ませていたのは一果だ。他人事のような言い方をする彼女に、私と二葉は冷めた視線を向ける。
その後、桜桃姉妹が用意した食事を3人が食べ始めたので、疎外感を覚えた私は少し離れたところの日差しが当たりづらそうな壁に寄り掛かる。
一応、全ての窓のカーテンが閉まっているが、室内の空気の動きでカーテンが揺らめき、私の身体に当たらないとも限らないので、やはりどうしても気になってしまい、日差しが当たらなそうな所を探してしまう。
人間からしたら今日は、春らしい陽気で雲ひとつない晴天の過ごしやすい日なのだろうが、私からしたら死の恐怖に怯える日だ。
当たり前だが、そんな事を気にする様子などなく食事を摂る3人を、少しだけ羨ましく思いながら私は眺めていた。
少しすると、力無くリビングの扉が開いた。
「おはようございます………。気持ち悪い………。」
青白い顔をした連花が、昨日の服装のままリビングに入ってきた。普段のきっちりとした様子とは異なり、服はよれており、足取りはふらふらとしていて、あからさまに二日酔いをしている様子だ。
「れーくん、顔色凄いことになってるよ、大丈夫?」
一果が心配そうに訊ねるが、彼がこうなった原因の多くは彼女にある。
「吐くならトイレでしてください。」
二葉は自業自得だ、と言いたげな様子で食事を続ける。
「水を飲みにきただけです……。吐いたことはありませんので安心してください。」
そう言いいながらキッチンの方に向かい、グラスに水を注いで飲み干す。深い息を吐いたあと、もう一度グラスに水を注いだ。
「そういえば、槿さん。浅黄院長が野球ボールとミットを忘れていったのですが、どういたしますか?」
本調子では無い声色で、彼は槿に訊ねる。世間話なのか、それとも『自分は大丈夫だ』と精一杯の虚勢を張っているのかは定かでは無い。
「ご迷惑をかけてすいません…………。処分しちゃってください。」
口に残っていたご飯を一生懸命飲み込んでから、そう言って申し訳なさそうな顔をする。
「捨てるくらいなら私がもらってもいいだろうか?気に入ったんだ。」
私の声を聞いて、2杯目に飲んでいた水を連花は吹き出す。
「な、なんで涼が今いるんですか?」
困惑しながらも少し警戒している様子で、少し半身をとってこちらを向く。どうやらちょうど視界から外れていたらしく、今私がいることに気が付いたらしい。
「朝もめーちゃんに言いましたよ。二日酔いで聞いてなかっただけです。」
「そ、そうでしたか…………。いや、流石に吸血鬼が教会の施設で一泊するのは…………」
言いづらそうに私を見ながら二葉に指摘する。彼の言うことはごもっともだ。最も、今更そんなことを気にするのか、という気もしなくもない。
「今更じゃない?れーくんだってずっと前から教会の敷地内で特訓とかしてるでしょ。」
案の定、一果にそれを指摘されて少しもごもごと口を動かすが、何も言い返せなくなっていた。少しだけ桜桃姉妹と連花の間にピリついた空気が流れたのを察して、思わず私と槿は顔を見合わせる。
私のせいでもあるし、穏便に収めようと口を挟もうとした瞬間。
「邪魔するわ!」
勢いよくリビングの扉が開けられる。見たことの無い女で、この教会の関係者なのかと思い他の人の反応を窺う。
「アイリスじゃん!久しぶりー。元気だった?」
「久しぶりです。少し背が伸びましたか?」
一果と二葉は少し驚いた表情をしたが、その後すぐ親しげに彼女に話し掛けた。
「お姉様達!お久しぶりね!去年と比べて5センチも伸びたわ。すごいでしょ。」
「凄いです。アイリスも大きくなりましたね。」
「ええ。頑張って来年にはお姉様達くらい大きくなるわ!」
何やら微笑ましい空気だが、恐らく私、もとい吸血鬼が今も生きていることを彼女は知らないだろうし、私は出来るだけ存在感を消した方がいいだろう。
ふと連花を見ると、焦りと困惑が混じった表情をしていた。
「アイリス……本当に来たんですか………?」
頭を抱えながら、連花はアイリスと呼ばれる彼女に訊ねる。自慢げに胸を張り、彼女は答えた。
「当たり前じゃない!黎明の彼女からお姉様達を取り返しに来たのよ!」
「何がどうなったらそうなるんですか!?」
連花は本気で困惑した様子だった。
「連花さん、あの、アイリス、さん?はどういう人なんでしょうか………?」
槿は困惑した様子で連花に訊ねる。連花は口を開くが、そこにアイリスが割り込んできた。
「私はガーベラ・天竺葵・アイリス。いずれパパを超える天才エクソシスト16歳よ!覚えておきなさい!」
面倒な時に面倒臭い人が来てしまったな、と私はため息を吐いた。




