第65話 君と見た夜桜
浅黄と話し終えた後も、私達は少しの間キャッチボールを続けた。会話は全くなかったが、私は交互にボールが行き交うこのリズムを気に入っていたし、浅黄の雰囲気も無表情ながら、少し柔らかいものになっていて、そこまで居心地の悪さは感じなかった。
「ハァッ……ハァッ…………!」
「………そろそろやめましょうか。浅黄さん。」
が、それはそれとして、浅黄は高齢であるためすぐに体力の限界を迎え、早々に切り上げることとなった。
「これでも、若いころは動けたのだが。やはり、若者とは体力が違うな。」
息を整えた後、浅黄はそうこぼした。年齢だけで言えば若くはないのだが、そんなことを彼に言ったところで、どうしようもない。
皆のところに戻ると、槿と椿木もいつの間にか戻ってきていて、遂に全員そろったようだ。何故か二葉が項垂れている点と、一果の目がじっとりとした熱を帯びているように見えるのが、少し気になるが。
「あれ、浅黄さん、来てたんだ。…………そのグローブとボール、何?」
槿の表情が、段々曇ったものになっていく。浅黄が何か言おうとしたが、そもそもが奇行なので、どう答えたところでろくなことにはならない。流石に、今日これ以上のも揉め事が起こるのは避けたかった私は、無理矢理話をそらすことにした。
「そんなことより、どうだったんだ部屋の案内は?上手くいったのか?」
槿の横に座りながら連花と話している椿木を横目でちらっと見て、槿に訊ねる。
「そっちは、大丈夫。涼のおかげだよ。ありがとうね。」
そう言って笑う彼女は、目が赤く腫れていたが、私が来た時とは違い、自然な笑顔を浮かべた。良かった。と私は安堵する。
「ねえ、ところでさ、浅黄さんになにか変なこととか、されなかった?キャッチボールとか。」
椿木の祖父母の前の方に向かう浅黄と、私と浅黄の手にはまっているグローブを見ながら、槿は耳打ちをする。変なことはされたし、キャッチボールもした。が、結果として丸く収まったし、ここで彼女と浅黄にまた距離ができるのは、流石に先程の浅黄の思いを踏みにじるようで気が引けた。
「キャッチボールはしたが、思っていたより楽しかった。浅黄とも少し打ち解けることが出来たしな。」
「やっぱりキャッチボールはしたんだ…………。」
「浅黄は、奇行は多いがきちんと君の事を思っている。今度、きちんと話してみるといい」
グローブを外しながら、私は槿に諭す。
「キャッチボールの時に、そう思ったんだ?」
「キャッチボールの時にそう思ったんだ。」
私がそう返すと、彼女は笑う。最近、浅黄や椿木の事で、お互いに悩んでいることが多かったから、こうして彼女の純粋な笑顔を見ることは、久しく感じる。やはり、彼女には落ち込んだ顔より、笑っている顔の方が似合う。
「どうしたの?私の事、そんなに見て。」
槿は、少し動揺しているような、恥ずかしそうな表情をする。
「ああ、いや、何でもない。」
私は慌てて目を反らし、誤魔化すために、近場の缶ビールを1つ手に取った。
「何その反応。もしかして、見惚れちゃってた、とか?」
冗談めかして、槿は私に詰め寄る。あながち間違いでもないが、素直にそう答えるのは流石に照れくさくて、私は無言で缶ビールを飲む。
「え、その反応本当にーーー」
槿が更に詰め寄ったとき、強い春風が私たちの間を通り抜ける。
桜の木からは花弁が風に流され、桜吹雪が舞い踊る。ライトに照らされて、キラキラと光を反射する。
「綺麗だね。」
その景色に見惚れる槿の横顔を見ながら、私は別の事を思い出していた。初めて、彼女と出会った時、あの時、彼女の銀髪も、光を反射して美しくなびいていた。彼女は、今や多くの人に囲まれるようになった。
残りの時間は短くなっているはずなのに、飛花落葉で達観したような表情をしていた彼女は、よく笑い、恥ずかしがったり、落ち込んだり、泣いたりするようになって、色々な顔をするようになった。そんな彼女は、本当にーーー
「…………ああ、綺麗だ。」
浅黄の言う通りだ。確かに、私は自分の心がわかっていなかった。この前、槿が発作を起こした、あの日に感じた喪失感。私が、浅葱に誓った言葉。
もう私は、自分の死の為などという言葉では、誤魔化すことができなかった。
私は、月下槿が好きだ。
美しく揺れる銀髪も、青みがかった大きな瞳も、陶器のような白い肌も、華奢で、細く小柄な身体も。匂いも、声も、達観したような笑顔も、照れた顔も、悲しそうな顔も、楽しそうに笑う笑顔も、一緒にいて落ち着く雰囲気も。私は、彼女のすべてを愛している。
私のこれからの悠久を、彼女の為に捧げてしまいたいと、私の300年は、彼女と出会う為にあったのだと、そう思うほどに。
だから、怖かったんだ。
私は怖いんだ。彼女の死も、私の死も。
彼女を愛おしいと思うほど、私は死に近づいていく。彼女と共に過ごすほど、彼女に残された時間は少なくなっていく。
「どうしたの?」私の顔を覗き込んで、彼女は少し心配そうな顔をする。
「いや、何でもないんだ。」
そう言って私は笑う。
不思議そうな顔をする槿が、私は愛おしくて、それでいて、辛くなる。彼女と、人間と近付くほど、どうしても考えてしまうことがある。
今、周囲には、彼女と出会ってから知り合った多くの人がいる。
椿木、椿木の祖父母、連花、一果、二葉、常盤。彼らは皆、いい人たちだ。私にとっての槿のように、彼らが亡くなれば、悲しむ人がいるだろう。当然、私も少なからず、ショックを受けると思う。もしかしたら、悲しみを覚えるだろう。
私が今まで吸血してきた人たちにも、きっと悲しむ人はいたのだろう。
微かに喉の奥に感じる渇きと罪悪感から、私は目を逸らした。
 




