第5話 虚実古樹のあなたへ
1週間ぶりに目を覚ます。
樹海には、人間の気配がしなくていい。獣の声と、木々が揺れる音。私達の食料が、恐怖から夜を消した街よりも、私たちに合っている。
まあ、その食料が発明したパソコンとインターネットを私は使っているのだが。
時間を見ると2時で、まだ彼と話す時間の1時間前だったが、特にやることもないため、パソコンの通話アプリを待機状態にして、いつ彼から通話がかかってきてもいいようにした。
彼、岸根 涼は私と一緒にいたくないという理由だけで、都内の、割と高層なマンションに住んでいる。
金もかかるし、私達のような戸籍のない化物が住むためには手間もかかる。彼が当然のように住んでいるマンションを借りるまでに、私がどれだけ面倒な思いをしたか。本当に手間のかかる眷属だ。
だが、だからこそ、彼はいい。
退屈な数千年の私の人生に彩りをくれる。彼がいなければ、もしかしたら私は退屈に殺されていたかもしれない。
300年前、セルビアの村で彼を見かけた時の、一目惚れに近い運命じみた衝動は間違いではなかったと今でも思う。
最も、あの時は彼がギルに似ていると思って吸血鬼にしたのだが。その意味では期待はずれだった。
ギルのような素質は全くなく、ただのわがまな死にたがりだ。
逃げることばかり上手くなり、本来の実力の半分も使いこなせておらず、希死念慮に満ちている癖に、自殺しようとすると恐怖で足が竦む。
まあ、それに関しては少なからず私も原因としてあるのかもしれないが。そして、その癖行動力と反抗心は人一倍だ。
だが、そんな面倒で手のかかるところが彼のいい所だ。見ていて飽きない。ギルがいた頃に比べるとまだまだだが、この300年はあまり退屈せず過ごせている。
今回の件だって、きっと彼は何か行動をしているだろう。もしかしたら、部屋で人間を飼うつもりかもしれない。
マリアのように食用ではなく、愛玩目的で。彼は催眠は苦手ではなかった気がする。それならば容易なはずだ。と、思ったが、そういえば、とある事を思い出す。
もしかして、『アレ』がまだ彼らの手元にあった場合、もしかしたら彼は能力を使わない方がいいのかもしれない。
そんなことを思っていると、時間は3時丁度になり、彼から着信があった。私はすぐに取る。
「やあ、今日も時間丁度だったね。」
「当たり前だろ。」本当は話したくないんだ、とでも言いたげな態度を取る。この通話は、君の為でもあるんだ。私は彼を不愉快にさせる為、わざとそれを言いたくなる。
コミュニケーションは心を保つ為には不可欠だ。誰とも話さないと、気が狂ってしまう。実際にそうして何百年も孤独に生きて、狂ってしまった吸血鬼を見た事がある。
だから、彼も私も狂わないよう、定期的に通話しているわけだ。まあ、それで不愉快にさせるのは、本当に退屈するまでは言わないようにする。彼が狂う事で死ねるのでは無いかと、試みられるのも面倒だ。
「で、私の昨日話したヒントは参考にしたかい?」期待を隠せないまま、私は言った。
「ああ。」
やっぱり。相変わらず彼は行動が早い。
「そうか!何をしたんだい?」期待で胸を膨らませながら、私は彼に尋ねる。
聞くと、彼は余命の短い人間のメスを探すために病院の個室を一つ一つ回っていたらしい。しかも、その方法で実際に条件に当てはまる人間を見つけて、契約を結んだとか。
聞きながら、まさかそんな方法で成功するとは、と思わず笑みがこぼれてしまう。だが、少なくともそこまでは上手くいってくれないとこちらとしても面白くない。
吸血鬼は死を求めて、人間は死ぬまでの娯楽を求める。中々面白い見世物だ。
ああ、やっぱり彼は私を楽しませてくれる。彼が死ぬまで、それが何百年先かは分からないが、それまでは私も退屈しなそうだ。
ーーーーーー
あの後槿と他愛のない話をして、日曜日にまた行くと約束をしてマンションに戻った。
時間を見ると、2時30分で、多少余裕のある時間に戻ってくることが出来た。が、すぐに通話を繋げることはしなかった。何故か。勿論、彼の事が嫌いだからだ。
繋げられるようにパソコンの準備だけして、ふと目を横にやると、乱雑に置かれた花束が視界に入る。先程槿に貰っても困ると言われた19本の薔薇の花束だ。
どうしたものか、と少し頭を悩ませる。槿は特に変わった事はしなくていい。話してくれるだけで充分だ、と言っている。
本当に槿は今はそう思ってくれているだろう。しかし、槿は退屈な日常を変えるために私を選んだ。
私がただ話に行くだけでは、いずれそれは退屈な日常になる。どんな色でも、同じ色で日々を彩れば、退屈な日常に変わる。
まあ、そもそものサプライズが失敗だったのだが。
彼女に好かれる為、どうすれば槿に喜んで貰えるかと考えるが、答えは出ない。
そんな事を考えている内に、3時になり、また彼と話す不愉快な数時間が始まる。
灰色一色のボードに、等間隔で汚れが着いている。それが私の300年だ。
「やあ、今日も時間丁度だったね。」
いつものように決まった調子で彼は言った。
「当たり前だろ。」と私が返す所までがお決まりだ。
「で、私の昨日話したヒントは参考にしたかい?」サンタが来るかと尋ねてくる子供のような様子で彼は尋ねてきた。
鬱陶しい。そう思いながら、「ああ。」と素っ気なく返す。
「そうか!何をしたんだい?」明らかに先程より高揚した様子で尋ねてくる。私は槿と会うまでの話を、4回失敗したことは伏せて話した。
軽く相槌を打ちながら聞いていた彼は、全てを聞き終えた後に、「へぇ、まさかそんな方法が上手くいくとはね。」と、愉快そうに話した。
それは私も思っているのだが、素直に同意するのは癪なので、「槿は少し変わっているんだ。」とだけ言った。
「へえ、そうなんだ。」彼は興味なさげに流す。人間の思考や生体には詳しいが、人間のことを一貫して餌と思っているため、興味は無い。
「というか、能力は使わなかったんだね。催眠とか魅了とかを使えば、もっと簡単に人間を捕まえられただろう?」彼は不思議そうに私に尋ねる。
「例えそれで人を従わせたとして、所詮人形でしかないだろ。私は人形をそこまで愛せない。」
思いつかなかった訳では無い。が、歪めた心を愛せるとは私は思わない。あくまで愛して後を追うことが目的なのだ。
「へぇ、そう。」あまり納得した様子ではなかったが、彼は一応言いたいことは理解した様子だった。
「でも、僕から聞いておいて何だけど、能力を使わなくて良かったかもしれない。」
「何故だ?」
「前に話したことがあるだろう?ヴァンパイアハンターは、吸血鬼の能力使用を察知する技術があると。」
「ああ。でもヴァンパイアハンターはとっくにいなくなっている筈だ。」
「ああ。1750年にエリザベートの眷属達の生き残りと、聖十字教団のヴァンパイアハンター共との最後の戦いで、私と君は死を偽装した。恐らく、教団側の公式記録でもあそこで吸血鬼は滅んだとされているだろうね。ヴァンパイアハンター共はエクソシストとして除霊に勤しんでいるはずさ。」
聖十字教団は世界最大の宗教団体だ。
教団に所属するエクソシストのうち、吸血鬼狩りに特化した部隊。それがヴァンパイアハンターだ。
その教団の公式記録から私たちは死んだ事になっているし、表立った行動は一切していない。であれば、もう既にヴァンパイアハンターはいないはずだ。
「と思っていたんだが、さっきひとつ思い出したんだ。私の右腕の事。覚えているかい?」
以前聞いたことがある。1000年程前、彼の右腕の肘から先をヴァンパイアハンターに斬られたらしい。
変身する事で無理矢理形を保っており、動きの精度は問題ないが、本気で殴れば崩れる程度の強度しかないと昔言っていた。
「ああ、無様にも斬られたと言っていたな。」
「あれを、向こうがもし保管していたら、と思ってさ。」
「は?」
「もう1000年近く前だから、そもそも腕がどういう状態かすら分からないし、もしかしたら既に灰になっているのかもしれない。しかし、もし形が残っていた場合、当然私の死は疑われる。そうなると、偽装を見破られている可能性は充分にある。」
背中に、何か冷たい物が流れたような気がした。
何度かヴァンパイアハンターと向かい合ったことはあったが、彼等は吸血鬼を殺すことに特化した集団だ。
特に、司教と呼ばれていた者と対面した時は、全力で逃げたにも関わらず死にかけた。そんな彼らがまだ存在すると考えると、恐怖で身体が震える。
「まあ、この250年何も無いんだ。ほとんど生きている可能性はないと思うけれどね。分身を何回かしていたが、特に何も無かったんだろう?」
「何故分身を複数回していた事を知っている?」
先程話した際には1度で槿を見つけるのを成功したかのように話した。失敗して、もう一度分身をした事は彼は知らないはずだ。
「真祖にもなると同胞がどんな能力を使ったのかなんてすぐ分かるのさ。ちなみに、真相にもなると教団から追跡されないように能力も使う事も出来る。寝ながら感じただけだし、ちゃんと数えてないから君が何回失敗して彼女に辿り着いたかまでは分からないけどね。」
浅はかな誤魔化しに気付かれていた。どことなく気まずさと恥ずかしさを感じた。
「まあ、君とその人間が上手くいくことを祈っているよ。」相も変らず、彼は楽しそうに言った。
「で、クリスマスは何かするのかい?」彼に言われて気がついた。来週の木曜日はクリスマスだ。
「すっかり忘れていた。」吸血鬼にはクリスマスを祝う文化がなかった。少なくともこの300年は。
「プレゼントとか。人間は好きだろう?」
「今日渡したが、失敗したんだ。」最早失敗を隠した所で無駄な気がして、正直に話す。
「きっとセンスが悪かったのさ。薔薇の花束にするといい。今までそれで私は失敗したことは無い。」
「それをして失敗したんだ。」
「え、本当に?」心の底から驚いている様子で彼は言う。
「ああ。」流石にそこまでは把握してなかったか、という思いと、彼の間の抜けた様子を見れて少し優越感を得る。自分の事は一旦棚に上げる事にした。
それはそれとして、クリスマスはどうしようか。何もしない訳にはいかないが、何をすれば上手くいくか、何も思い浮かばない。