第34話 飛花落葉の私と父①
翌日の夕食の時間に、浅黄は私の病室に来た。
やはり、彼無愛想に彼は病室の席に腰かけ、相変わらず無言で私と共に食事を摂る。
向日葵のおかげで覚悟は決めたが、やはり話しかけるのは少し躊躇してしまう。
私の緊張もあって、いつもより病室内はいつもより音が反響しているような気がする。
「槿。」
低い声で、彼は私の名前を呼ぶ。
私は慌てて、「は、はい。」と返事をした。
「……今朝、連花司教と話をした。君の病院から、教会への転居の話だが、…………来週からの予定だったが、体調の事もあり、3月まで様子を見る事になった。」
と、彼は私に伝えた。
少し寂しくはあるが、仕方のない事だとは理解している。
「分かりました。」と、私は了承した。
「……申し訳ない。」そう、溢す彼の声は、いつもより、少し悲観的に聞こえた。
「あ、あの。」私は、思わずそう声をかける。
「なんだ?」そう私に聞き返す声は、今度は普段のように温度が無くて、私は少し気後れするが、覚悟を決めて彼に切り出す。
「あの。教会の件、本当に気にしてません。しょうがない事なのは理解してます。それとは別に、少し浅黄さんとお話したいです。」
私は、箸を置いて彼を見つめる。
彼もこちらを見つめて、口を開いた。
「そう畏まらなくても、話なら、何時もしていると思うが。」
「え?」
「『病院食は美味しいか』であるとか、先程のような話であるとか。なにか、君が話したいことがあるなら聞くが。」
そう、真顔で答える浅黄に、私は思わず力が抜ける。
「それは、どちらかと言えば業務連絡です。もう少し、私的な話というか。」
そう私が言ってもあまりピンと来た様子はなかったが、彼は変わらない調子で、「構わない。話しなさい。」と私に促す。
仕切り直して、私は彼に質問をぶつけた。
「浅黄さんが、最近よく病室に来てくれる理由って、なにかあるんですか?」
私がそう聞くと、浅黄は思案げに天井を見つめた後、口を開いた。
「………よく、分からないな。」
「よく、分からない?」
私を案じているだとか、寂しがっているなどはあまり思っていなかったが、よく分からないは流石に予想外だった。私は、思わず困惑した表情を浮かべる。
「産まれた時から知り合いではあるし、気付いているだろうが、僕は、人の気持ちを察するのは得意な方だ。だが、感情の発露や、自身の感情理解が得意ではない。……槿は、そういう僕が、あまり得意ではないようだが。」
思わず、身体がビクッと跳ねる。気づかれていたのか。私は目を逸らすが、気にせず彼は続ける。
「だから、何故こうして、君との時間を取るようにしているかは、はっきりと言語化が出来ない。君の期待に添えず申し訳ないが。」
「そうなん、ですね………。」
変わらず、無表情の彼に、何処か無機質な答えに、私は思わず気後れしてしまう。だが、向日葵との話で傷付く事を覚悟した。私は、更に質問を重ねた。
「そしたら、私を引き取った理由も、分からない、ですか?」
私がそう聞くと、彼は深く息を吐き、何呼吸か溜めたあと、口を開いた。
「………心の拠り所が、必要だと思ったからだ。」
ぽつぽつと、雫が溢れるように、彼は続ける。
「楓と、菖は、2人とも、大切な友人だった。」
私の父である楓と、母である菖の名前を聞くのは、生前以来だ。何処か懐かしさと、寂しさがある。
「その2人が、……亡くなった知らせを聞いた時、私は、信じられなかった。あの2人が、亡くなるなんて。」
彼は、無表情のまま自らの足元をじっと見る。何処か悲しそうな声で、彼は続ける。
「そして、その事実を受け止めて、絶望と、悲しみと、犯人への怒りに満ちた心に、ふと、槿の事が思い浮かんだ。」
自分の名前が出てきて、思わず反応する。
「君との付き合いも長い。私が院長となる前から、君は私の患者であるし、2人の友人の子である君を、僕なりに大切に思っていた。だから、心配だった。君の体調に関しても、心に関しても。」
彼が、私を心配してくれていた、というのは、全くの予想外だった。今まで、そんな素振りを彼自身から感じたことが無い。
「君は、泣く事すら出来ていなかった。両親を亡くして、自らの弱みを、誰にも見せられなくなっていた。」
実際、当時の自分が、何故泣けなかったのか、私には分からない。ショックが大きすぎたのか、彼の言うように、弱みを見せられなかったのか。だが、彼は、そんな私を案じてくれた。だからこそ。
「だからこそ、君には心の拠り所が、必要だと思った。残念ながら、2人には近い親戚も居なかった。だから、せめて病院は、君が安心出来る場所になるようにしたかった。そして、少しでも幸福に過ごしてほしいと、以前より仲の良かった、向日葵さんに、部署を異動してほしいと頼んだ。」
彼の言葉は、私を引き取ってくれた理由は、彼の優しさだった。でも、この5年間、いや、彼と出会ってから、私への優しさは、私に届いたことがなかった。
「だったら、なんで。」
だから、私は、それを素直に受け入れられなかった。彼に、問い質さずを得なかった。
「だったらなんで、私とあまり話してくれなかったんですか?向日葵さんを私の為に心臓内科に異動してくれたのはついこの間、聞きました。でも、あなたは変わらず私の苦手な、無愛想のままでした。たまに食事や診察に来るだけで、話はほとんどしないままでした。確かに、向日葵さんは、私の支えになってくれたけど、ここは、病院のままでした。あなたは、他人のままなんです。」
私は、認めたくなかった。その優しさを、素直に受け止める事が、私は怖かった。いっそ、「お前を拾ったのは気まぐれだ」と言われた方が、ただ傷付くだけで済んだ。
浅黄は先程まで自身の足元を見つめていたが、明らかに様子のおかしい私にこちらを向いて目を丸くした。
だが、少し悲しそうな顔をして、こちらを見て、彼は私に言った。
「君の言う通りだ。私が、そういう事が得意ではないからといって、私は逃げるべきではなかった。引き取った以上、責任を果たすべきだった。寂しい思いをさせて、すまなかった。」
寂しかった。そう言われて、初めて自覚する。
私は、寂しかったのか。
そう言われると、色々と辻褄が合う気がした。
そして、それを自覚して、先程彼に対して当たった事が、途端に恥ずかしくなる。寂しかったから人に当たる、というのは、もうすぐ20歳を迎える者として、少し子供っぽすぎた気がする。
「謝らないでください。私が、もっと早く気付こうとしていれば良かったんです。色々と、酷い事も言いましたし。」
私は、冷静になると、途端に弱気になる。彼は、私の為に行動してくれていた。あまりに不器用なやり方ではあったが、それは事実だ。彼は恩人で、私に優しくしてくれていた。それで充分。
「槿の方こそ気にしなくていい。君の本当の声をちゃんと聞けた気がして、僕は嬉しかった。」
そう言って、浅黄は微かに笑った。彼の珍しい表情と、そう言ってくれる器の広さに、かなりの罪悪感を覚える。だが、その態度が、先程の言葉が嘘ではない証明な気がして、少しほっとする。
「浅黄さんが、そうして笑うの、初めて見るかも。」
気が抜けて、、少し砕けた口調になってしまう。
「本当か?楓と菖が居る時も、よく笑っていたつもりだった。」
再び、お父さんとお母さんの名前を聞いて、私は胸の中に燻る、その気持ちを思い出す。
「あの、浅黄さん。」
私がまた、あらたまった態度で話し掛けると、彼もまた、聞く姿勢をとる。
「先程、私を引き取ってくれたのは、心の拠り所になってかったから、と言ってくれました。そこは、信じます。信じますし、嬉しく思ってます。」
私がそう言うと浅黄は、よかった、と小さく呟く。
「でも、やっぱりそう思ってくれたのは、私が、あなたの友人2人の娘だから、ですか?あなたの私を見るの目には、2人は、映っていますか?」
彼には感謝している。それは本当だ。だから、この質問は、ただの決別だ。過去の私と、浅黄に遠慮していた、無為に嫌っていた私との決別。
どう答えようと、彼は、私の父で、恩人だ。
けれども、どうしてもその答えを知りたかった。




