第3話 初めて会った日のことは、今も覚えている
変わっている女だ。それが私の第一印象だった。
先程4度逃げられて、2階以上の部屋の窓際に人が立っている事は通常ありえないということは流石に自覚している。
にもかかわらず、彼女は驚きこそすれ、怯えた様子は一切ない。それどころか、私を死神と勘違いしたまま歓迎しているようだった。
「まず1つ訂正したい。」
私は彼女に違和感を覚えながら、そう切り出す。
「私は死神ではない。」
そう言うと、彼女はまたくすくすと笑った。
「そうなんだ。死神さんなら本当の余命を聞けると思ったのに。」彼女は軽い調子で言った。
「もうすぐ死ぬのか?」
どのように切り出そうと思っていたが、丁度いい話題が振られたので聞いた。
「うん。あと1年くらいって言われた。」
「好都合だ。」
思わず声に出てしまう。
まさか成功すると思っていなかった作戦が成功して、しかもその相手が余命1年だとは。
「好都合って、酷くない?」
そう言った彼女はまるで傷付いていないどころか、少し嬉しそうでもあった。浮かれきった私の脳でも、やはり彼女の言動には違和感を覚えた。
「なあ、君は死ぬのが怖くないのか?」
私は思わずそう聞いてしまう。
彼女は人差し指を私に向けて指し、制止するにも誘導するにも見える仕草でこう言った。
「その質問に答えてもいいけど、その前にあなたの事が知りたい。」
穏やかに微笑みながら彼女は言った。
「あ、ああ。」
どことなくその様子に押されてしまう。
「私は吸血鬼だ。名前は岸根 涼。歳は300歳。」
「300年前の人なのに意外と今風なんだね。」
「数十年前に付けられた名前だからな。」
「誰に?」
「私の主に。」
彼と私の関係を説明するのは、少し面倒だ。だから、人間に分かりやすい言葉で表した。
「ご主人様がいるんだ。色々聞きたいことがあるけど、先に私が答えるね。そうじゃないと不平等だし。」
その前に自己紹介。と彼女は続けた。
「私は月下 槿。歳は19歳。だから丁度20歳くらいで死ぬ予定かな。」
目的地までの残りの距離を言うように、彼女は自分の命が消える予定日を口にした。
「死ぬのは、多分、怖くない。昔から大人になるまで生きていられるか分からないって言われていたから、死を受け入れる準備は出来ているつもり。」
彼女は私に訊ねた。
「吸血鬼さんは、死ぬのが怖いの?」
なんの気なしの質問だったのだろうが、それは私にとって最も聞かれたくない質問だった。
「死ぬのは……怖い。でも私は、死にたいんだ。」
自らの死を受恐れていない彼女を前に、情けなさを覚えながら私は続けた。
「だから、私は君にお願いがある。」
そう、本題に切り出す。
「吸血鬼さんのお役に立てるなら喜んで。」
彼女は先程と同じような調子だった。
「私が死ぬ為に、君を愛させて欲しい。」
私が真剣にそう言うと、彼女は数秒目を丸くして、思わず噴き出したかのように笑った。先程までのどこか達観した様子とは異なり、年相応の笑い方に見えた。
「凄いね。いきなりプロポーズだ。」
ひとしきり笑った後に彼女は言った。言われてみると、確かにそうとしか聞こえない。
「いやそんなつもりは」
と否定しようとしたが、あながち遠くもない。
「とにかく、私が言いたいのは、友愛・恋愛・愛玩を問わず、君を愛したいという事だ。」
「それがどう死ぬことと繋がるの?」
彼女はまた先程のような笑みに戻って、私に訊ねた。
私は、以前彼にされたマリアが自殺するまでの話をした。
「つまり、君の死の後を追うことで私は死ぬ事が出来る、ということだ。」
「倫理観が違いすぎて、あまり言いたい事が入ってこなかったんだけど。」
と彼女は困惑した表情で感想を口にした。
「やっぱり君もそう思うか。」
そのあたりは常識的な感性をしているらしい。
「でも最後のまとめでなんとなくわかったかな。」
「そうか、良かった。」
「面白そうだし、いいよ。でもいくつか条件を出してもいい?」少しこちらを覗き込むように言った。
他の化物はどうかは知らないが、吸血鬼には約束や契約というものは強制力のようなものが働く。口約束でも、絶対に破ることが出来ない。
その為、出来るだけそういった条件は受けたくなかったのだが、今の私は他の相手を選べる立場では無いし、そもそも見つかる保証がない。
仕方なく、「まあ、聞くだけ聞こう。」と言った。
「1つ目だけど。」
彼女は人差し指を立てながら言う。複数個あるのか、と少し嫌な気持ちになる。
「私を、恋に落として。」
そう言って、彼女は続けた。
「私は死ぬのは怖くない。けど、死ぬまでの退屈が怖い。だからと言って、何か出来るほど健康な身体でもない。でも、そんな私をあなたが私を必要としてくれた。」
必要としている。正しい表現だ。私は彼女が必要だ。私が死ぬ為に。
「でも、一方通行の愛だときっとあなたは死ねないと思う。お互いが想い合うから愛って深まる、あまり経験はないけど、そう私は思ってる。」
なるほど。確かにそう言われればそうかもしれない。相手と自分の感情に温度差があると、その分冷静になる、というのはよくある事だ。
「だから、私を恋に落として欲しい。特別な事がして欲しいわけじゃないの。定期的に話したりとか、そういった些細な事で。」
どうやって彼女を愛そうか、そもそもの方法が全くの
無計画だったのだが、彼女の話を聞いて、いいかもしれないと思った。
相手を愛そうとした結果、自分が相手を愛している。
彼女の例としてあげた定期的に会う、というのも悪くない。会いもしない相手を愛せるわけが無い。
「2つ目。私が死ぬより先に死なないこと。」
そう言って、人差し指と中指を立てる。
「さっきも言ったけど、私は退屈な日常だけは避けたい。それなのに、貴方が先にどこかで他のいい死に方を見つけて先に死んだりしたら、また退屈になっちゃうでしょ?だから、先に死なないで欲しい。」
彼女が死ぬまで確実に死ねない事を考えると少し躊躇するが、そもそも300年自殺できていない私がこの1年で他の方法を見つけれるとは思えない。そう考えると、あってないような条件だ。
「3つ目。これが一番大事。」彼女は薬指も立てながら、少し真面目な顔をした。
「私のことは、名前で呼ぶこと。あ、でもあだ名は気に入ったら許してあげる。」
そう言ってまた穏やかに笑う。
なんだ、その条件は。そう思って私も思わず少し笑ってしまう。
「いいだろう、人間。」
思わず、受諾してからはっとなったが、まあ実際に彼女の出した条件は悪くない。それならば、と私は思う。
「ではお互いの名前を用いて契約をしよう。」
「名前で契約?」
どういうことか聞きたそうに彼女は首を傾げた。
「私達吸血鬼にとって、名前は、自らを縛る鎖でもあるし、自らを留める錨でもある。それを知られる事は知る者に縛られる事を意味するため、所謂自らの真の姿を示す真名ではなく、仮名を普段から名乗っている。そして、真名は基本的には誰にも伝えない。」
「じゃあ、吸血鬼さんにも別のお名前があるんだ?」
「いや、すぐ死のうと思ってたからつけてない。」そうしたら300年生きてしまった訳だが。
「無くても大丈夫なの、それ?」
「無かったり忘れたりしていると、本来の実力の半分程度しか力が出せなかったり、吸血の度に姿が大きく変わりやすい等があるが、まあそこまで大きく問題は無いな。」
実際、彼も真名をとっくに忘れたと言っていたが、そこまで問題無いと言っていた。
「結構大きい問題に聞こえるんだけど。」
「幸い戦う予定がないからな。」
「そっか。じゃあ問題ないね。」それを聞いて、彼女はまた笑う。
「話を戻すが、仮名は平等に契約をする為に使う事ができる。人間の場合は本名でいい。名前を用いて契約すると、こちらは破れなくなる。」
まあ、仮名で縛らなくても元から破れないのだが、それは伏せておく。
「人間側は位置がこちらに筒抜けになる、契約に背くような行為を行った場合は分かるようになる。」
つまり、この契約はあくまで人間に逃げられなくするための契約だ。彼女は逃げそうには見えないが、私の死の為に重要な人物だ。念には念を入れたい。
「そうなんだ、わかった。私はどうすればいいのかな?」彼女はあっさりと頷いた。
「まず私が、自分の仮名を行った後、、契約内容を言い、『誓う』と宣言する。その後、槿は同じように『誓う』と宣言する。言い方は、自分なりでいい。」
「わかった。なんだかちょっと楽しそう。」
「そうか。では始めるぞ。」私が確認すると、彼女は頷く。
「私、岸根 涼は『月下槿を恋に落とすこと』『月下 槿が死ぬ日より前に死なないこと』『名前で呼ぶこと』以上3つを誓おう。」
「私、月下 槿は、『岸根涼の愛を拒まないこと』を誓います。」
そう言って互いに契約を結ぶと、一瞬静寂の後、槿は言った。
「改めて聞くと、酷い不平等な契約だね。」
確かに。よく考えると槿側は特に何もすることが無い
「だか、それで構わない。」
最後に死ねればなんでもいい。
「君がいいなら構わないけど。じゃあ、これからよろしくね、吸血鬼さん。」
そう言って槿はこちらに握手を求める。
わざわざ拒むことは無い。
私はそう思い、手を伸ばす。
「ああよろしく、槿。」
こうして、吸血鬼と人間による、愛によってお互いの死と、退屈のない日々を送る為の契約が交わされた。
「そういえばなんだけど、君ってやっぱり太陽光とか苦手?」と、唐突に槿は訊ねる。
「ああそうだな。というか死ぬな。」
「時間、大丈夫?」
そう言われて時計を見ると、5時半近くになっていた。
「まずい!!」私は急いで窓から飛び出て、
「また3日後に来る!」
とだけ言って、私のマンションの方に向かう。
なんとか日の出前にはマンションに着いたが、危うく槿より前に死なないという契約をした日に破る事になるところだった。